赤、青、黄色。白に紫。

色とりどりのお花に、大切な気持ちを込めて。

誰に贈ろうか。

お世話になってるあの人へ。仲良しのあの人へ。やんちゃなあの人へ。

 

 

 


”bloomin' feeling”

 

 

 

敢えて擬音で表現すれば、さんさんさん。そもそも擬音なのかも怪しいが、ともかく太陽がさんさんと照りつける午後。
少しばかり暑いこの日、湖の大妖精は一人で散歩を楽しんでいた。
この日は特に用事も無く、一人。せっかくいい天気なのに家でじっとしているのも勿体無く感じられた。
だからこの日は、少し遠くまで出てみる。

(そういえば、この辺はあんまり来たことがないなぁ)

ぶらぶらと空中散歩をしながら、大妖精は辺りの景色をきょろりと見渡す。
初夏の爽やかな風に吹かれ、さらりと音を立てて揺れる木々。足元に広がる草には小さな花も見て取れる。
前を見やれば、どこまでも続いてそうな青空。この上無く開放的なその光景に、大妖精は伸び一つ。

(それにしても、いい日。この辺は何があるのかな?)

探検するのも散歩の楽しみの一つだ。特に見慣れない場所であるなら尚更。
差し込んでくる太陽光はその身体に暑さをもたらす。が、飛ぶ事によってぶつかってくる風がそれをいい具合に中和してくれていた。
大妖精はそのまま少しスピードを上げ、木々の数本並んだ木の間をすり抜ける。
するとそこには―――

「わぁ、すごい」

思わず立ち止まり、呟いた。
そこに広がっていたのは広大な敷地、そして所狭しと並ぶ、大妖精の横でまとめた髪の色にも似た青々とした背の高い草。
草と言うより、木に近いかも知れない。少し太い茎があり、そこから太陽光を少しでも受けようと目いっぱいに葉を広げている。
そんな植物が、少し見渡した程度では数え切れないくらいに沢山。

(何かの畑かな。これ、見たことある気がするけど……)

花が咲いている訳でも無く、草だけでは何の植物か分からなかった。
もっとよく見る為、大妖精はそっと敷地内に足を踏み入れる。
その草は結構背が高く、子供と同等か、やや高いくらいの背丈である大妖精よりも若干大きい。
再び風が吹き、さわさわと幾重にも広がった葉が揺れる。草の間から見上げれば、やはり青空に雲が一つ、二つ。
上から見てみたくなり、大妖精は葉を折ってしまわぬよう慎重に空へ。
上空から見下ろしてみると、縦横綺麗に並んだ草達が、吹く風に合わせて右、左。
妙に統率の取れたその揺れ方に、思わず大妖精が見とれていたその時であった。

「あ〜、そこのあなた。ちょっといいかしら」

「はい?」

突然、どこからともなく女性の声。驚いた大妖精はもう一度辺りを見渡す。
畑の外から、誰かが手招きをしているのが見えた。

(もしかして、この草を育ててる人かな……)

ひょっとしたら勝手に入った事を怒られるのでは、と大妖精の背を冷や汗が伝う。
しかし、呼ばれているのに立ち竦んでいても仕方無い。彼女は呼ばれるままにその人物の下へ。
上下を赤いチェックの服で揃え、日傘を差したその女性は、大妖精が傍まで来るなり尋ねて来た。

「あなた今、暇?」

「へ?」

いきなり呼ばれたので来てみれば、暇かと尋ねられ。そよ風が吹き、目の前の女性の若草色のショートヘアを揺らしていく。
大妖精は少々混乱したが、散歩中である事を思い出して頷く。

「は、はい。ひま、って言えば暇ですけど」

「そう、それなら……」

すると彼女は日傘を肩に乗せて顎で挟み固定。フリーになった両手を背中に回した。
その手を前へ戻した時、彼女の手には大きなジョウロがあった。

「悪いんだけど、この向日葵畑の水撒きを手伝ってくれないかしら」

「え……は、はぁ」

差し出されるままに大妖精はジョウロを受け取る。
見ず知らずの相手に呼び止められ、ジョウロを渡されて水やりのお手伝い依頼。初めて遭遇するシチュエーションだ。
大妖精は拭えない混乱を顔に出さぬよう努力しつつ、畑の方を振り向いて逆に尋ねてみる。

「これ、ヒマワリなんですか?」

「そうよ、ぜ〜んぶ。私の自慢の向日葵畑。夏になるとすごいんだから」

その言葉を受け、大妖精は一面に広がる向日葵を思い浮かべてみる。まさに絶景と言えるその光景に、彼女はやはり興味をそそられた。
気が付いたら、渡されたジョウロをしっかりと持ち直す自分がいた。勝手に人の畑に入っていた、という負い目も少しだけあったが。

「わ、分かりました。ところで、水は……」

「ああ、それならそこに。雨水を溜めといたのがあるから使って。私も反対側から手伝うから、あの辺からお願いね」

いつの間にか日傘を畳み、代わりに麦藁帽子を被ったその女性が指し示す方向。一面の向日葵。向こう側が見えない。
しかし、頼まれ事をやる前から面倒だと思ってはいけないと思い、大妖精は頷いて見せた。

「はい、頑張ります!」

『お願いね』の言葉に背中を押され、彼女はまず水を汲む。大きな樽を思わせる容器に、大量の水が張ってある。
初夏の日差しに晒されていたにも関わらず、その水はとても冷たい。
重くなりすぎない程度に水を汲み、大妖精は向日葵畑の反対側へ。しかし、少々飛んだくらいでは終わりが見えなかった。
悩んだ挙句、空間移動を駆使してどうにか反対側へ辿り着いた大妖精。早速、成長途中の向日葵の根元へ水をかけていく。
水の量が少なくてもいけないし、かと言って一つの向日葵に水をやり過ぎると今度は水がすぐに無くなってしまう。
空間移動を使って何度も水を汲み直しに行きつつ、大妖精は少しずつ水やりのコツを掴んでいく。
量とスピードの両立する丁度良いペースを見つけ、彼女の作業効率は格段に上昇した。

(何だか楽しくなってきた)

頭上からはしつこいくらいに太陽光が降り注ぎ、いつしか頬を汗が伝っていたが、彼女は手を休めない。
一列、また一列と片付けていき、もうすぐ半分が見えるかと思ったその時。

「あら、ばったり」

次に水をやろうとした向日葵の間から依頼主が突然目の前に現れ、大妖精はまたしても驚かされる羽目に。

「もうこっちは全部終わってるわ。けどありがとう、お陰でかなり楽に終わったわね」

「いえいえ、お役に立てたなら……」

笑顔を向けられ、大妖精もまた額の汗を拭って笑みを返す。
しかし、その女性は彼女の顔をじっと見、段々と困った表情になっていく。

「……どうかされましたか?」

やはり怒っているのだろうか、と大妖精は遠慮がちに尋ねる。
すると彼女は麦藁帽子を脱いで頭をかき、ぺろりと舌を出した。

「……よく見たらあなた、知らない子だったわ。知り合いでもないのに手伝わせちゃってごめんなさい」

「え」

仰天発言。思わず前につんのめり、転びそうになった所で何とか体勢を立て直す。そんな大妖精の頬を再び汗が伝い、顎から滴り落ちて土へと染み込んだ。
それなりに暑い初夏の太陽の下、とにかく広い向日葵畑の水やりという作業を長い時間かけてこなし、挙句に知らない子だったと言われては、苦笑いするしか無い。

「畑の中にいたから、知り合いが来たもんだと思っちゃって……」

「あ、そういえば……その、勝手に入っちゃってごめんなさい」

思い出したように大妖精は頭を下げる。すると彼女は手をひらひらと振って笑った。

「ああ、もうそんなのいい、いい。手伝ってもらったんだから無罪放免……ていうか別に悪戯されたワケでもないし。
 あ、遅くなったけど……私は風見幽香って言うの。とりあえず、よろしくね」

その女性―――幽香は日傘を再び差すと、笑顔のまま先程まで被っていた麦藁帽子を大妖精に被せてやる。

「あ、はい、どうもです。私は湖に住んでいる大妖精です……名前は、その、ありません」

同じように名乗ろうとしたが、生憎名前が無い。とりあえず彼女は湖に住んでいる事を一種のアピールポイントにしていた。
すると、それを聞いた幽香はポンと手を打つ。

「あ、もしかしていつも元気で騒がしいあの氷の妖精とか夜雀とか、あの辺と知り合い?」

「え?はい、確かに友達ですけど」

彼女の言うのが氷精チルノや夜雀ミスティア・ローレライだとすぐに分かったので、大妖精は肯定の返事を返す。
その返答を聞き、幽香はうんうんと頷いた。

「ああ、なるほど。湖でよく一緒にいるわね。見たことあったっけ。
 だから遠目で見た時に知り合いだと思ったんだ……うっかりしてたわ」

『謎がとけたわ〜』と一人納得する幽香。大妖精はその様子を傍で眺め、どうして良いか分からない。
とりあえず水やりの終わった向日葵畑を見つめていると、幽香は再び彼女に尋ねて来た。

「ところであなた、花は好き?」

「はい、好きですよ。とても」

即座に大妖精は答える。自然と共に生きる妖精であるという立場を除いても、確かに花は好きだった。見るのも、育てるのも。
彼女の答えを聞いた幽香は、嬉しそうに頷く。

「そう言ってくれると信じてたわ。じゃ、ちょっと待ってて」

言うなり、彼女はどこかへ去ってしまった。
『ちょっと待ってて』と言うくらいなのだから、すぐ戻るだろう―――そう判断し、大妖精はその場を動かずに待った。
再びぼけっと向日葵畑を眺めて待つ事数分、幽香が帰って来た。
その手には、何かが入って微かに膨らんだ、手の平サイズの小さな布袋。

「お待たせ。それじゃあ、手伝ってくれたお礼に……これ、あげる」

差し出された袋を、大妖精はそっと受け取る。

「すみません、大したお手伝いもできてないのに……ありがとうございます」

深く礼をしてから、『中、見てもいいですか?』と尋ねてみる。
幽香が頷いたのを確認し、大妖精は袋の中身を確かめた。

「……種、ですか?」

そこに入っていたのは、何かの種に見える。大きさは丁度向日葵の種くらいの大きさで、花の種にしてはやや大きめだ。
通常、同じ花の種なら色や形はほぼ同じになるものだろうが、その種は形はともかく、どれも色が異なる。
しかも薄い青やピンク、黄色に緑と、およそ花の種らしからぬカラフルな品揃え。

「そうよ。しかも、ただの花の種じゃない。いわゆるマジックアイテムの一種ね。
 試しに、一つ出して御覧なさい」

言われるまま、大妖精は種を一つ指で摘み上げた。白い種。

「じゃあ、まずは私がお手本を見せるわね。その種を貸して」

幽香はそう言うと手を差し出す。大妖精は彼女の手に種を乗せた。

「見て。上の方に、表皮が少しだけはみ出してるのが分かるかしら。二箇所」

「あ、はい。見えます」

手招きされたので大妖精は彼女の手元を見る。
種には確かに、上方の先端部分から左右に一箇所ずつ、表皮が指で摘めるくらいにはみ出している。

「まず、これの片方を……よっと」

掛け声と共に、幽香は片方のはみ出した表皮を指で摘んで、そのまま下へ下ろす。
すると、種の片面の表皮が綺麗に剥がれた。その種を両手で包むように隠し、幽香は続ける。

「でね、この種に向かって……何でもいいから喋る、と」

「へ?」

言った意味がよく分からず、大妖精は聞き返してしまう。
植物に優しい言葉をかけると綺麗な花が咲く、なんて俗説は聞いた事があったが、どうやらそれとも違うようで。

「まあ、見てなさいな」

不思議そうな顔をしている大妖精にウィンク一つ、幽香は包んでいた手を開いて種に向かって口を開いた。

「花の色は〜、うつりぬけりな、いたづらに、我が身世にふる、ながめせしまに……朝よ。枯れ行く花の如く老いてしまう前に、目を覚ましなさい」

流暢にかの有名な短歌を詠んでみせ、それから彼女は残っていたもう片方の表皮を剥く。

「これでよし。言いたい事が終わったら、もう片方の皮を取る。そうして出来たこの種を植えると……」

「植える、と?」

「……翌朝、日が昇ってから暫く―――大体二〜三時間くらいかしら。それぐらいでもう花が咲く。
 そして、花が開くときに……今吹き込んだ言葉が流れるの」

「えぇっ!?言ったことが流れる、って……しかも翌朝?」

およそ常識では考えられないギミックの連発に、大妖精の頭もくるくると回りっぱなしだ。
くすくすと笑って、幽香は説明を始めた。

「さっきも言ったでしょう、マジックアイテムだって。魔力の類を持った、かなり特殊な花なのよ。
 植えたら、その翌日の朝に花が咲き、そのまた翌朝にはもう枯れてしまうの。ちなみに、咲いてる間なら、花に触れれば何度でも吹き込んだ言葉が再生されるわ」

「へ、へぇ……」

説明を終えると同時に、彼女は今しがた見本に使用した種を大妖精に返す。

「まあ、試しにそれを植えて御覧なさいな。そうそう、外じゃなくて植木鉢でも用意して、部屋の中で育てた方が分かりやすいわね。
 植えたらちゃんと水もあげて、それに日当たりの良さそうな所に置くこと。それから……」

いつの間にか彼女の話は、花を育てる際の注意事項に移行していた。真面目にその話を聞く大妖精。
およそ十分近く、鉢植え植物の育て方について講義を行った幽香は、満足そうに息をつく。

「―――まあ、こんな所。どうせ一日で枯れるんだから、なんて思わずに、ちゃんと大切に育てること。
 種はそれなりの数あるから、誰かにあげるのもいいんじゃないかしら。メッセージを吹き込んでね」

「わ、分かりました。でも……」

「どうしたの?」

納得はした様子であるが、何か言いたげな大妖精に幽香は発言を促す。

「これ、お話を聞く分には、けっこう貴重そうな物のような気がするんですが……いいんですか?私なんかがもらっちゃって」

「なんだ、そんなの」

けらけらと幽香は彼女の心配を笑い飛ばした。

「確かに、そこらに転がってる代物じゃないけれど……またどっかから取ってくるわよ。フラワーマスターを舐めないの。
 それに、私は普通の花の方が好きだから。そういうちょっと変り種の代物は、あなたみたいなイタズラ好きの方が上手に使ってくれそうだし」

日傘をくるりと回して笑う幽香に、大妖精はもう一度頭を下げた。

「あ、ありがとうございます」

幽香に別れを告げて向日葵畑を後にすると、空の端は僅かにオレンジ色。
大妖精はそのまま真っ直ぐ帰宅せず、里に寄って小さな植木鉢を一つ買った。
家の周りの土を詰めてからくぼみを作り、幽香が言葉を吹き込んだ種を植える。
土を被せながら、大妖精は明日の朝に思いを馳せた。
一日で咲き、また一日で枯れる花なんて聞いた事が無いのだ。どんな代物なのだろうか、と期待が膨らむのも当然である。

(これでいいのかな)

木で出来たベッドの頭側に出窓。そのスペースに植木鉢を置き、家にあった小さなジョウロで水をやる。
遠くまで散歩した所為か何だか疲れたので、その日は早く寝る事にした。
もう暑くなってくる時期なのでタオルケット一枚だけを被り、大妖精は眠りに付く。


―――そして、翌朝。
午前五時近くに、早くも幻想郷は日の出を迎える。
微かに開いたカーテンの隙間からも、明るい光が漏れ始めた。
安らかな寝息を立てる大妖精の枕元で、植木鉢の土が少しずつ盛り上がり始める。
時間を追うにつれ、窓の外はどんどん明るくなる。
そしてそれに伴うが如く、植木鉢からは小さな若葉が息吹き、葉を広げ、茎を伸ばし。
葉の間から小さな蕾が顔を覗かせ、膨らんでいく。
やがて、午後七時。いつも通りの時間に、大妖精は起床した。

「……ん〜……」

眠そうな声と共に、大妖精の上半身がむくりと起き上がる。
すぐにはベッドを出れず、目を擦り、時折まぶたを開いては、焦点の定まらない目で部屋のあちこちを見渡す。
そんな、朝方のまどろみを楽しんでいたその時であった。
彼女の背後で今まさに、その蕾は花開く。

『花の色は〜、うつりにけりな、いたづらに……』

「……ひゃあああ!?」

背後からいきなり声がかかり、大妖精は飛び上がらんばかりに驚いた。というか軽く飛び上がった。
だが、足元にはめくれて若干丸まったタオルケットが絡まっており、足を取られた大妖精はそのままバランスを崩す。
もんどりうってベッドから落ちかけ、床に手を着いてギリギリ踏ん張った彼女の耳に、まだその声は届く。

『……朝よ。枯れ行く花の如く老いてしまう前に、目を覚ましなさい』

「はぁ、はぁ……あっ、昨日の……」

幽香の声を最後まで聞き届け、ようやく大妖精は昨日植えた種の事を思い出した。
足に絡まったタオルケットを解き、彼女は膝立ちになって出窓に置かれた植木鉢と対面する。
そのまま、向日葵をスケールダウンさせたかのような白い花。花弁が白で、中心は黄色。マーガレットを思わせる。

「わぁ、かわいい」

思わず口に出す。指先でちょん、と花弁に触れてみると再び幽香の声で『花の色は〜……』と短歌が流れ出す。
なるほど、と頷き、ふと思い出したように彼女は立ち上がる。
机の上に、昨日貰った残りの種が袋ごと置いてあった。中を見ると、まだ一応五粒くらいはありそうだ。

「何に使おうかなぁ……」

大妖精は思いを巡らせる。せっかくなので、誰かを楽しませるような使い方をしたい。
しかし、ただ種を直接誰かにプレゼントしたのでは、自分に”上手に使ってくれる”事を期待してくれた幽香に悪い気がする。
袋の中の種とにらめっこする事数分。大妖精はふと、幽香の”マジックアイテム”という語を思い出す。

(もしかしたら、何かヒントが見つかるかも)

彼女は取り合えず朝の支度をしようと、袋を机に戻した。まずは着替えなければ。

こつ、こつという足音が、無駄に赤いその廊下の壁、天井に跳ね返って響き渡る。
文面だけで見れば目に悪そうな配色だが、割と落ち着いた地味目の赤色なので別段目に痛くは無い。
今まさにその真っ赤な廊下を歩きながら、大妖精は手にした袋を確かめる。よもや、穴が開いていて種を全てどこかへ撒いてきてしまったとなれば笑い話にしかならない。
笑える類の話なのだから”誰かを楽しませる”使い方には抵触するのだろうが、そこから先の広がりがまるで無いではないか。
第一、種ならきちんと植えなければ、くれた幽香に申し訳が立たないのであり。ついでに言えば袋に異常は無かったので、それらは全て杞憂に終わった。
そうこうしている間に大妖精は木製のドアの前に立っていた。袋を持っていない方の手を軽く握り、ドアを叩く。
こん、こんという軽い音が廊下、及びそのドアの向こうに広がる広大な本の海へと響き渡った。

「はぁい」

すぐにのんびりとした声での返事が返ってきた。
なので、大妖精も口を開く。

「こんにちは、大妖精です」

言い終えるとほぼ同時に、素早くドアが開かれた。

「やぁ、いらっしゃい!入って入って!」

出迎えたのは、ここ紅魔館内大図書館の司書見習いたる小悪魔。名無し同士ウマが合うのか、大妖精の親友でもある。
元々、この図書館は持ち主であるパチュリー・ノーレッジの書斎という意味合いが強かったのだが、いつしか割とオープンに閲覧者を招き入れるようになっていた。
ちなみに、本の閲覧及び貸し出し許可を出す条件としてパチュリーが提示したのはただ一つ、『本をちゃんと返してくれること』である。
以前、ちょっとした事で図書館に入った事のあった大妖精。彼女もご他聞に漏れず多数の本が並んだこの場所を気に入り、足しげく通うようになった。
その際に小悪魔とも知り合い、親交を重ねて現在に至る。いつしか彼女も大妖精の訪問を心待ちにするようになっていたとか。

「今日はもうほとんどお仕事ないし、一緒に本読めるよ!」

で、この日も小悪魔は何とも嬉しそうだ。先に仕事を片付けた己の賢明さを内心で褒め称える。
そんな彼女に笑みを返し、大妖精はこそっと囁くように言った。

「それもいいけど、その前に……今日はちょっと、面白いものを持ってきたんだ」

「え、なになに?」

意味ありげな口調に、小悪魔も早速興味を示す。大妖精はそれに答える前に、ちら、と視線を横へ。いつもの大きなテーブルで、パチュリーが本を読んでいる。
『読書の邪魔しちゃいけないから』と言って小悪魔の手を取り、図書館の隅まで移動する事に。
少し、いや結構埃っぽい図書館の片隅。小悪魔は壁際に重ねて積まれていた丸椅子を二つ出し、片方に腰を下ろした。
大妖精ももう片方に腰を落ち着け、二人は向かい合う。

「大ちゃん、それは?」

おもむろに大妖精が取り出した小さな袋。それを見た小悪魔はそのまま質問をぶつけてみる。
まるで自慢のレアなコレクションを友達に見せる時のような、そんなにやりとした笑みを隠す事が出来ず、大妖精は目を細めて答えた。

「これね、お花の種。けど、ただの花じゃないんだよ」

そのまま彼女は、昨日幽香がしていた説明を殆どそのまま、小悪魔に話して聞かせた。
大妖精の話が進むにつれ、小悪魔の目の輝きが増すのがはっきり見て取れる。彼女もまた。面白いものには目が無い。
もっと言えば、”イタズラめいたギミック”には目が無い。その辺はやはり、”小悪魔”の名に恥じないといった所か。

「すごいすごい!そんな不思議なお花があるなんて知らなかったよ!」

「私もそうだよ。でね、今日ここに来たのは、このお花の面白い使い方を、一緒に考えて欲しいなって。
 やっぱイタズラに使いたいけど、どんな風にしたら面白くなるかな。
 ここって色んな資料もあるし、マジックアイテムとかなら、こあちゃんの方が詳しそうだから」

大妖精の提案に、小悪魔は大層張り切った様子で頷いた。

「よっしゃ、任せて!私達が組めば、できないイタズラなど……」

「ない!」

大妖精が即座に言葉尻を引き受ける。妙なシンクロニティに、二人は声をあげて笑った。
だが、

「ちょっとー!図書館では静かになさい!」

遠くからパチュリーの大声が飛んできて、二人は慌てて口をつぐむのだった。
そっちだって大声出している、なんて屁理屈をこねれば試験運用中の魔法か何かでお仕置きされるのは目に見えている。
以前、パチュリーへのイタズラが失敗した際に受けた”十分に一度、歩くと見えない誰かに靴の踵を踏まれる魔法”のお仕置きを思い出し、小悪魔は一人戦慄した。

大声を出さぬよう、そのまま図書館の片隅で作戦会議が始まった。

「で、どんな感じでやる?」

「そうだなぁ」

大妖精の言葉に暫し唸ってから、小悪魔はポンと手を叩く。

「じゃあ、あらかじめ言葉を吹き込んだ種を植えた植木鉢をあげるっていうのはどう?
 朝になったら勝手に言葉が再生されるから、聞いた人がびっくりするようなことを言うの」

「なるほど!」

確かに一番手軽で、確実に相手を驚かせる事が出来る。渡す相手の事を考慮する必要があるが、そこは悪戯好きな名無し組の腕の見せ所。
渡す際に枕元に置くよう言及すれば、確実に聞かせる事も可能だ。相手がそれを守ってくれれば、ではあるが。

「じゃあさ、吹き込んだ言葉はお互い内緒にしようよ。で、何て言ったのかがわかんない状態で渡すの。
 つまり、私が言葉を吹き込んだ種をこあちゃんが渡して、逆にこあちゃんが吹き込んだ種を私が渡す。
 そうすれば、どんなリアクションが返って来るかわかんないから、もっと面白いと思うんだ」

「それいい、採用!」

大妖精による追加ルールも二つ返事で採用され、いよいよ二人は誰に渡すかを考え始める。

「全部であと……五粒かな」

その前に、と袋の中を確かめて大妖精。小悪魔は頷き、脳内で知り合いリストをぱらぱらめくる。

「誰に渡したら面白いリアクションが見れそうか、を考えないと。あとは、驚かせやすい人。
 ひねりも欲しいよね。霊夢さんにただ『びんぼー!』とか言ってもアレだし」

「それは後が怖すぎるから、どちらにせよ却下で……」

直接傷つけるような言動は避けたい、とは大妖精の弁。それには小悪魔も同意した。
それに、霊夢自身は別段貧乏という訳でも無い。贅沢するほど資金が無いし、憧れもしていないので比較的質素な生活をしている、という表現が正しい。
四六時中、煎餅や饅頭を片手にお茶を飲むくらいの余裕はあるのだ。

「ん〜、まず互いに二人ずつでいこうか」

小悪魔の言葉を受け、互いに二人ずつ種を渡す相手を決める為、暫しの長考。
時折、小悪魔が立ち上がったと思えばふらりと出歩き、資料らしき本を持って戻ってきてみたり。
図書館の隅に、ぱらりとページを繰る音や、う〜ん、という唸り声だけが流れる。
ふと大妖精が壁掛け時計を見ると、もう夕方になっていた。

「……よし、これだ!」

不意に小悪魔が嬉しそうに声を上げた。時間のかかる作業だが、やはり悪戯は計画段階から楽しいものであり。

「大ちゃんは決まった?」

「うん、ちょうど今決まったよ」

大妖精もまた、笑って頷いてみせる。
それから彼女は袋から種を二つ出し、小悪魔の手に乗せた。

「じゃ、確かに二つ。次会う時に渡そうと思うんだけど、いつにする?」

「ん〜……それじゃ、二日後で。大ちゃんも色々と準備あるでしょ?」

二日後という提案に、大妖精はもう一度頷いた。

「よし、それで。今日はもう遅くなっちゃったから帰るね。色々とありがとう」

「ううん、こちらこそ。本はまた今度にしよっか」

二人は立ち上がり、椅子を壁際へ戻す。それから連れ立って歩き、図書館の中央まで戻った。

「それじゃ、またね!あ、お邪魔しました」

大妖精が小悪魔へ手を振り、テーブルで相変わらず本の虫なパチュリーへも頭を下げる。
パチュリーは少しだけ本から視線を上げて微かに頷き、再び視線をDOWN。いつもの事だ。

それからの二日間は、大妖精、小悪魔共に準備期間だ。
まず大妖精は、里へと赴いた。先日寄った園芸店では無く、寺子屋の隣にある家の門を叩く。

「やあ、どうしたんだ」

中からすぐに、寺子屋教師たる上白沢慧音がにこやかに顔を覗かせた。

「あの、少しだけお貸しして頂きたいものが……」

”貸して欲しい物”を告げると、慧音は頷いて奥へ。
すぐに戻って来た彼女は、いわゆる熟語辞典を手にしていた。

「これでいいのか?」

「はい、ありがとうございます。明日にはお返ししますから」

何度も頭を下げ、大妖精は辞典を手に里を後にした。これは、図書館で借りるのを忘れた為だ。
家に帰ってそれを引き、ややうろ覚えであった自分の知識に間違いが無い事を確かめる。
その翌日には彼岸へ出かける。少々迷ったが、異変解決で行った事のあるらしい霊夢に道を尋ねたのでどうにか辿り着けた。
取材―――と言うより、隠れてお目当ての人物の声を聞いていただけ―――を終え、その夜に大妖精は二つの種へ言の葉を封入した。
一方、小悪魔もまた準備に東奔西走する。まずは図書館の本で軽く調べ物。
二日目には妖怪の山へ遠征。山の麓に住む、ある人物を尋ねた。

「こ、こんにち、は……」

「あなたは、あのお屋敷の司書さんね。どうしたの……というよりまず、大丈夫?」

厄神・鍵山雛。といっても彼女自身がターゲットなのでは無く、その友人だ。
大丈夫か、という発言は、何故か息を切らせた小悪魔を見ての気遣いだ。

「は、はい。二、三度転びそうになっただけです」

「それなら良かった。こないだ厄の納入を済ませてきたから、今はそんなに影響ないと思うんだ。
 で、どうしたの?厄払い?何だか気難しそうな魔法使いさんの所で働いてるらしいし、苦労してるのかな」

「あ、いえ。そうじゃなくて、ちょっとお聞きしたいことが」

納入ってどこへするんだろう、とも思ったが、それはまたの機会に訊く事にした。
それから小悪魔は、雛へ向けてただ一つだけ、それも短い質問。少々戸惑いながら、雛はきっちりと答えてやる。

「どうもありがとうございました。それでは、これにて……」

「え、あ、うん。気をつけてね」

首を傾げる雛に礼と別れを告げ、彼女は紅魔館へ戻る。それから、二つの種へメッセージを吹き込んだ。
勿論両者とも、渡す側の者にリアクションが返っていくよう仕向ける事は忘れない。

「パチュリー様、ちょっとお出かけしてきてもいいですか?」

「ん、仕事が終わってるなら構わないわよ。夕飯までには戻りなさいね」

そのまた翌日。午後になって再び図書館を訪れた大妖精。
暫しの雑談を楽しんだ後、既に午前中で仕事を片付けていた小悪魔は、パチュリーに外出許可を請う。
すぐに許可は下り、二人は連れ立って外へ。こうして二人でどこかへ出るのはかなり久しぶりだ。いつも会うのは図書館だったから。
幸いに天気も良く、暑さすら感じる陽気は相変わらずだ。もうここまで来ると、完全に夏の様子を呈しているとも言える。

「種、持ってきた?」

「もちろん!」

互いに確認。当然の如く、ちゃんと持っている。
まず二人は里へ出向き、先日大妖精が買ったのと同じ、小さな植木鉢を五つ購入する。種の数に合わせたものだ。
とりあえず、まだ使わない植木鉢は大妖精が預かる事にし、二人は一旦大妖精の家まで。
家の前で土を入れ、それに種をきちんと植える。

「終わった?」

「うん、大丈夫」

ブラウスの袖口のボタンを外して半袖モードな小悪魔が、隣で同じく作業をしている大妖精の手元を覗き込んで尋ねた。
大妖精も頷き、二人は手を洗ってから改めて向き直る。

「んじゃ、まず私から」

大妖精が二つの植木鉢を置き、底面を確認してから片方を差し出した。ちなみに、渡す相手を間違えぬよう底にカラーテープが貼ってある。

「まずこっちを、彼岸の小町さんに」

死神・小野塚小町へ。過去の異変解決時に鉢合わせし、以降腐れ縁で親交が続いているらしいメイド長・十六夜咲夜を介して、小悪魔にも面識がある。
それから彼女は、もう片方の植木鉢を示した。

「んで、こっちはパチュリーさんにお願いね」

「パチュリー様に?うん、わかった」

誰かと思えば、最も近くにいる相手。少々面食らった様子ではあるが小悪魔は頷き、底面のテープを確かめつつ植木鉢を受け取る。
そして、今度は小悪魔が鉢を出す番。片方を差し出し、彼女は説明。

「まずはね、こっちを山に住んでる河童のにとりさんへ」

超妖怪弾頭こと河城にとり。チルノやらと共に悪戯を仕掛けたり、遊びに行ったりもするので大妖精も面識はある。
小悪魔はもう片方も大妖精へ。

「それと、こっちはチルノちゃんへ」

これまた聞き慣れた名が飛び出したので、大妖精は少々の驚きを顔に表した。
だがすぐに受け取り、テープの確認。

「多分、明日のお昼にはお互いに何らかのリアクションが見れると思うよ」

「うん、楽しみにしててね。もちろん私も」

互いに頷き、成功を祈るかのようにハイタッチ一つ。ぱちん、と乾いた音。
二人は別れの挨拶を交わし、オレンジ色に染まる空の下、ターゲットへ植木鉢を渡す為それぞれ別方向へ飛び去った。
名目上、珍しい花が手に入ったのでお裾分け、という事にする。勿論、花が喋るという事はトップシークレット。

 

「へぇ、珍しい花か。たまには花でも愛でて、あたいもちったぁ乙女らしいところを見せなきゃかねぇ。ありがと」

 

「あら、ひょっとして何か私の本を破いたとか?……冗談よ、そんな顔しない。ありがとう」

 

「一日で咲く?すごいね、是非解剖して構造を調べたいけど……ま、せっかくのプレゼントだからやめとくさ。ありがとうね」

 

「あたいにくれるの?ありがとう大ちゃん!大切に育てるからね!」

 

――― そして、幻想郷は次の朝を迎える。

初夏の太陽が、今日も張り切ってライジング。春の頃よりも格段に強くなった日差しが、幻想郷の大地を余す事無く照らし出す。
さて、彼岸に構えた自宅の布団で、今朝も深々と眠りにつく小町。ヨダレまで垂らして、なんとも無防備だ。
尚、彼女の部屋に目覚まし時計は無い。だがこの日は、小悪魔より渡された植木鉢がちょこんと枕元に置いてあった。
窓から日差しが差し込み、やがて芽を出し、茎が伸びて蕾をつける。植木鉢の変化とは対照的に、小町は相変わらずすやすや。
これだけ寝るのなら、身長が高いのも納得出来る。しかし上司には頭が上がらない。

「うにゃ〜……」

ごろぉり、と寝返りを打ち、何とも幸せそうな寝顔だ。だがその頭の上で、今まさに花が咲く。

 

『小町ぃぃぃぃぃぃぃっ!!いつまで寝てるんですか!?早く起きなさい!!!』

 

「わきゃあああ!?」

部屋中に響き渡る怒号に近い大声。花が開くというアクションも相まって、まさに”炸裂”した。
耳を直撃されて小町はとてつもなく俊敏な動きで飛び起きる。

「な、な、な、な、な、な……し、四季様の声が聞こえたような……」

寝ぼけまなこで、枕元の花を注視する小町。確かに今聞こえた声は、いつも自分を叱る上司、四季映姫・ヤマザナドゥのものに近かった、気がする。
口調もそのまんま彼女のものであり。

「今のはなんなんだい……あっ、本当に花咲いてる」

未だどきどきと跳ねる心臓を押さえつつ、小町はようやく花が開いている事に気付いた。
不思議に感じ、何気なく花弁に触れてみる。その瞬間―――


『小町ぃぃぃぃぃぃぃっ!!いつまで寝てるんですか!?』


―――再び炸裂。

「きゃん!!ごめんなさい四季様ぁ!!いやぁぁぁ!」

大慌てで頭から布団を被り、ガタガタと震える小町。その姿は子供のようで、何ともキュート。
しかし、今の大声が花から発せられている事に気付き、ようやく布団から這い出す。

「こ、こんなギミックが仕掛けてあったとはねぇ……一杯食わされた。よく聞いたら違う声っぽいし。
 まさかわざわざ練習したとか……頭が下がるよ。さ、もう一眠りしてから……」

一人納得し、小町は二度寝を楽しもうと布団をセットし直す。その際、踏んづけてしまわぬように植木鉢を高い所へ置こうとした。
だが、持ち上げた際に再び葉の部分に触れてしまい―――


『小町ぃぃぃぃぃぃぃっ!!』


「ごめんなさい四季様ぁぁぁ!!今日は早く行きますからお尻を秒間十六発叩くのはやめて下さいよぅ!!」

植木鉢を落っことしそうになって寸前でキャッチ。布団を蹴り上げるように畳んでしまい、小町は大慌てで着替えを始めた。

夜の支配者・吸血鬼。しかし、それらが住む紅魔館にも等しく朝はやって来る。
自室で穏やかな寝息を立てるパチュリー。窓側のサイドテーブルには植木鉢が置かれている。
やがてカーテンの隙間から日が差し込み、その種は急激に成長する。
あっという間に花を咲かせる寸前まで辿り着き、もうすぐ咲くかという頃になって、パチュリーがむっくりと半身を起こした。

「……ふあぁぁ」

気だるそうにあくび、そして伸び。眠い目を擦るパチュリーの横で、花が開いた。

 

『おはようございます!突然ですが、賢者たるパチュリーさんにモーニング・クイズショー!』

 

「……はぁ?」

唐突に明るい声が響き、呆気に取られるパチュリー。
首をぐいっと横へ向けると、その声は花から発せられているらしい。

 

『頭に”永遠”とつく四字熟語は全部で四つ!”永遠偉大”、”永遠不変”、”永遠不滅”……さて、あと一つは”永遠……”なんでしょうか?
 答えが分かったら、お近くのかわいい司書見習いさんまで!花に触れれば、もう一度問題が聞けますよ!』

 

(……なに、これ)

ぽかーんとしたまま三十秒。しかし、それだけの時間を考えるのに費やせば、大妖精の言葉通り賢者であるパチュリーにはある程度の理解が出来た。

(ははぁ、小悪魔の仕業ね。何を考えているのやら)

首を傾げはしたが、パチュリーはご丁寧に先の問題の答えを考え始めた。

さらさら、と流れる川のせせらぎで目を覚ます。これが山に住む者の習慣であり、特権だ。
その為か、にとりはいつも早起きだ。この日も日の出の少し後に目を覚ます。

「おっ、本当に芽が出てる」

見やると、今まさにむくむくと茎を伸ばしている所。にとりは物珍しそうにその様子を眺める。
スーパースローカメラがまだ存在しない幻想郷、こうして植物の成長をリアルタイムで見られるなんて経験はそう無い。
布団にうつ伏せで寝転がり、にとりはじっと花の成長する様子を観察する。

「そろそろ咲くかな?」

彼女の呟き通り、もう蕾はほころびかけ、今にも開きそうだ。
そして、開花。その瞬間である。

 

『らんらんらんらん、たららららっ♪』

 

「ん?」

突然、人の声で軽快な音楽。

 

『きゅうりは一番、手紙は二番♪三時のおやつは……』

 

そこで止まる。どこかで聞いたフレーズに乗せての楽しげな歌だが、ぶつ切りっぽく終わっているので何というか、もにょる。

「きゅうり、だと……」

大好物に反応し、思わず手を伸ばすにとり。意図せず花に触れ、再び軽快な歌が流れ出した。


『たららららっ♪きゅうりは一番、手紙は二番♪三時のおやつは……』


やっぱりそこで止まる。ぐぎゅる、と妙な音がしたかと思えば、それはにとりの腹の虫。

「なんだい、なんだよぉ!そこでやめないでおくれよ!」

もう一度花にタッチ。三度、花が歌い始めた。


『きゅうりは一番、手紙は二番♪三時のおやつは……』


当然の如くストップ。にとりは涙を浮かべつつ身を乗り出し、植木鉢を両手で掴んでいた。

「そこで止めるなー!どこへ行けば三時のおやつきゅうりを買えるんだー!!手紙はどこへ出すんだー!!」

いつしか、彼女の口からはだくだくとヨダレが流れ、布団の上に川を作っていた。せせらぎは聞こえそうに無いが。
ヨダレを流しながら植木鉢をがくがくと揺する。間違い無く、幻想郷で一番シュールな朝の光景である。

東の空に昇った太陽の光を反射し、キラキラ輝く湖面。
その近くに住むチルノは、未だ眠りこけていた。だが子供とは早起きなもので、花が咲く前には目を覚ます。
上半身を起こし、眠い目でぼけっと虚空を見つめていた彼女は、唐突に花の事を思い出した。

「……そうだ、お花は!」

慌てて枕元の植木鉢をチェック。もうすぐ咲きそうだ。

「わ、本当に一日で咲くんだ!すごい!」

興奮して眠気も吹き飛んだか、待ち切れないといった面持ちで咲きかけの花を注視し始める。
少しずつ花弁が開いていくその様子に目を輝かせ、瞬きも極力抑えてひたすらに観察。
そして、とうとう花が開いた。すると―――

 

『おはようございま〜す!突然ですが、よい子のチルノちゃんに問題です!』

 

「わぁっ!」

いきなり花が喋ったので、驚いて思わず飛び退くチルノ。それにも構わず花は”問題”を出し始めた。

 

『問題っ!”1 + 2 + 3 + 4 + 5 + 6 + 7 + 8 + 9 + 10 +11 + 12 + 13 + 14 + 15”は?』

 

ずらっと長い和算問題。一回で聞き取る事叶わず、チルノはくるくると頭を回した。

「え?え?え?いち、たす、にー、たす……?」


『答えが分かったらお近くのかわいい大妖精さんまで!尚、正解した場合はお菓子を進呈!
 花にタッチすれば、もう一回問題が聞けますよ!じゃ、頑張ってね!』


「お菓子!?あたいがんばるよ!!えっとぉ、なんだっけ」

お菓子に釣られ、チルノは再び花に触れる。流れ出した問題を、慌てて引っ張り出したメモ帳に書き殴る。
問題のメモを終えると、早速指折り数えて答えを探し始めた。

さてさて、その一方で。
紅魔館にて、いつも通りの朝を迎えた小悪魔。やたらと目覚めが良かったのは、悪戯の結果が気になるからだろうか。
身支度と着替えを済ませ、自室を出て食堂へ向かう。

(大ちゃん、パチュリー様になんて言ったんだろう……)

ぼんやりと考えながら歩いていると、今まさに前方からパチュリーの姿が。

(き、来た!)

どきり、と跳ねる心臓。悪戯の成否が分かる決定的瞬間が今、訪れようとしている。
平静を装って歩いていき、パチュリーの姿が大分近くなった所で、小悪魔はあくまでいつも通りに挨拶。

「お、おはようございます、パチュリー様」

ぺこりと一礼。彼女も足を止め、『おはよう』と一言。
暫し、見つめあう二人。その時不意に、パチュリーは思い出したように手を打ち、口を開いた。

「むきゅー」

「……へ?」

「むきゅーよ」

いきなりのむきゅー発言。小悪魔は混乱している。

「あ、あの、それは一体……」

「だからぁ、むきゅーだってば。むきゅー」

「む、むきゅー?」

「そう、むきゅー。むきゅー」

(こ、これは……)

目の前でむきゅむきゅ言うパチュリーを見て、小悪魔の心に過ぎる思い。それは―――

(……パチュリー様、かわいい……)

それだけであった。一体どうして彼女がむきゅーと言うのかは分からないが、可愛いのでもう暫くこのままでいようと思った。

「むきゅーって言ってるのに……どうなのよ、小悪魔」

「え、あ、はい、いいと思います!すごく!」

「いい?」

(いいって事は、正解でいいのかしら。まあ多分あってるだろうけど……)

 


―――ちなみに、”永遠”とつく四字熟語の四つ目は、”永遠無窮(えいえんむきゅう)”。

ほぼ同時刻、湖周辺。
いつも割と早起きな大妖精は、既に起床。自宅にて、何かが起こるのを待っていた。
しかし、少し待ってみても何も起こらない。家にいるのだから当然なのかも知れないが。

(チルノちゃんのとことか、行ってみようかなぁ)

自ら結果を確かめに行く必要性を感じ始めた、その時。
どんどんどん、とちょっと激しいノックの音。一瞬驚くも、大妖精はすぐに心の準備。

(まさか、来た!?)

ごくりと息を呑み、大妖精はそっとドアを開けた。

「おはよう、大ちゃん!」

「お、おはよう」

やはりと言うか、そこにはチルノの姿。朝から元気一杯だ。
挨拶を交わし、さて何て言おうかと大妖精が考える間も無く、彼女はニコニコ笑顔で高らかに宣言。

「120!」

「……え?」

「120だよ。合ってるでしょ?何回も計算したんだから!」

事情が飲み込めない。大妖精には、その120という数字が何を意味するのか分からなかった。

(お花と関係あるのかな……)

まずそれを考え、大妖精は自信満々、といった体で胸を張っているチルノに尋ねてみた。

「ねぇ、チルノちゃん。その、120ってのは?」

「だから、問題の答え!ほら、あたいがんばって計算したんだよ!」

言うなり、彼女はスカートのポケットから紙片を取り出し、大妖精の目の前で広げた。
何とも子供らしい字で、数字がいくつも書かれている。一番上にはその”問題”らしい長い和算式。
その文字を目で追っていき、紙の下まで。暗算の途中経過と思われる数字を幾つも経て、一番下には”120”と書いてあった。

「あってるよね?ね?」

興奮した様子で尋ねてくるチルノ。大妖精は少々慌てたが、とりあえず彼女の質問に答えるのが先だと結論。

「あ、う、うん。ちょっと待ってね」

そう言って待機してもらい、彼女はチルノの紙を見ながら暗算を始める。少しずつ。
その紙片の助けもちょっと借り、二十秒強ほどかけて暗算を終えた大妖精。彼女の答えも”120”であった。

「うん、正解!チルノちゃんえらい!」

「やったぁ!」

それを聞くなり、チルノはバンザイのポーズで喜びを表現。

(こあちゃん、問題を出したのかな)

喜ぶ親友の姿を見ながら、大妖精は彼女へ送られたメッセージの内容に思いを馳せる。
しかし、目の前のチルノが正答を確認したにも関わらず、まだ立っているので不審に思った。
見ればチルノは明らかに、何かに期待した表情。文で表現すれば、”わくわく”。

「……ど、どうしたの?」

「え?大ちゃん、お菓子くれるんじゃないの?」

「へ?」

そのような約束、身に覚えが無い。大妖精は首を傾げた。
どういうことか、と尋ねる前に、チルノは言葉を続ける。

「だって、お花が言ってたよ。問題に正解したら、大ちゃんがお菓子くれるって」

「あ、あぁ……なるほど」

ポン、と手を打ち、大妖精はようやく事情を理解する。小悪魔の仕業だと。

「じゃあ、ちょっと待っててね」

チルノをその場へ残し、大妖精へ家の奥へ。一分後、台所から小さな箱を持って帰って来た。
箱には”文々明堂”と書かれている。

「見事正解したチルノちゃんには、カステラをあげちゃいます!」

「わ、ホントに!?ありがとう大ちゃん!」

箱を受け取り、その場で小躍り。それから彼女は、早くもカステラを一切れ取り出し、それをぱくつきながら帰っていった。

(結構いいやつなんだけど、チルノちゃんにならいっか)

自分が一切れもそのカステラを食べてない事を思い出したが、大妖精は忘れることにした。少々腹の虫が疼くのはご愛嬌。
朝食の準備でもしようか、と彼女が玄関ドアを閉めているその時、猛烈な勢いで山から人影が飛んでくるのには流石に気付けないのであった。

「いやぁ、すごい目にあったよ」

その日の昼過ぎ、場所はまたしても大図書館。
そしてこれまた図書館の片隅で向かい合い、大妖精は苦笑いで今朝の様子を小悪魔へ語る。

「チルノちゃんが帰ってすぐ、にとりさんが飛んできてさ。『きゅうりは!?三時のおやつに食べるきゅうりはどこで買えるのさ!?』って。
 すごい勢いで迫ってくるから、思わずうちにあったきゅうりをあげたの。そしたら、喜んで帰っちゃった」

大妖精がにとりへ差し出したのは、何の変哲も無い、里で買ってきた普通のきゅうり。
それでも満足したのは、空腹は最高の調味料という事なのだろうか。

「ああ〜、やっぱりかぁ」

「やっぱりって、何したの?」

「ん?ちょっと、この本に載ってた”何かを食べたくなる歌”を吹き込んだの。
 それにしてもやっぱり、河童はきゅうりが好きっていうのはイメージ通りなんだね。わざわざ雛さんに尋ねることもなかったよ」

何ともおかしそうに含み笑いしつつ、小悪魔は一冊の本を示した。
すぐにしまってしまったのでよく見えなかったが、表紙には二つのアルファベット―――確か、”CM”と書かれていたのが大妖精には見えた。

「ところで、そっちは何かあった?」

大妖精が尋ねると、小悪魔もまた思い出したように語り始める。

「あ、そうそう。小町さんがね、美鈴さんを通して私に伝言をくれたの。
 『お陰で一番に仕事場に着いて、四季様からすごく褒められたよ。ありがとう』だってさ。目覚ましでもやったの?」

「ん〜、半分正解かな」

大妖精は、自分が四季映姫のモノマネで小町を叱り飛ばす声を入れた事を打ち明ける。

「へぇ、閻魔様の……それ面白いね。そういえば大ちゃん、前の宴会で閻魔様のモノマネやったんだっけね」

「うん。もうちょっと練習したから、どうにか通じたみたい」

恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべる大妖精。普段あまり出さない大声を出すので、なかなか勇気がいるようだ。
それにしても、これが無礼講というものなのだろうか。もっとも、当の四季映姫自身には非常に受けが良かったらしい。

「それにしても、”永遠無窮”なんて四字熟語、よく見つけたね。むきゅむきゅ言うパチュリー様、すごくかわいかったんだから。
 大ちゃんにも見せたかったなぁ」

「私も。チルノちゃんが頑張って問題解いたとことか……」

そこまで言いかけて、大妖精は何かを考えるように押し黙ってしまった。

「どうしたの?」

小悪魔が心配そうに声をかけると、大妖精はゆっくりと顔を上げた。

「ねぇ。今回のイタズラも十分面白かったんだけどさ……やっぱり、イタズラってのは、その場でリアクションを見たいと思わない?」

「……思う」

神妙な面持ちで小悪魔も頷く。

「じゃあさ、次は何とか早起きして、種をあげた人の家に張り込みしようよ!
 きっと眠いだろうけど、もっと面白いよ!」

「うん、そうしよう!」

花が咲くのは当然、朝。張り込むのであれば、相応の時間に起きなければならない。
だが、悪戯に魂を燃やす二人がその程度でへこたれる筈も無いのであった。

「……そうだ。あのさ、もし大ちゃんにアイディアがなければ……種をあげる人、私が決めていいかな」

「え?うん、いいよ。こあちゃんに任せるね」

小悪魔の願いを聞き、大妖精は種を一粒取り出して小悪魔へ渡す。

「ありがとう!それじゃ、今から早速声を吹き込みに行こうか。
 ちょっと大きい声も出すから、どこか違う場所に行かないと……」

それを聞いて、大妖精は頷きながら立ち上がる。二人で椅子を片付け、パチュリーの下へ。

「パチュリー様、あの……」

「仕事は終わってる?なら出かけてよし」

先に読まれていた。小悪魔は大妖精と顔を見合わせ、苦笑い一つ。

―――その日の夕方。大妖精が預かっていた植木鉢に種を植え、それを手に二人はある場所を目指していた。
初夏ともなれば日はそれなりに長く、太陽は未だ自己主張。しかし、それもこの場所では大分遮られてしまう。
鬱蒼と木が生い茂る、森。その中を、大妖精と小悪魔は連れ立って歩いていた。

「たしか、こっち……あ、あったよ」

「ほんとだ。こんな所に住むのって、買い物とか大変じゃないのかな」

ログハウスともまた違った木造の小さな家。家の周りにはよく分からないガラクタが散乱している。
それらを踏んでしまわないように、二人は玄関へ。
代表で小悪魔が、玄関のドアを三回ノック。

「開いてるぜ、入りな〜」

中からすぐに、やや高い少女の声が返ってきた。言われた通り、小悪魔はドアを開ける。

「こんにちは〜」

「お、誰かと思えば。どうした、二人揃って」

少し古いソファに腰掛けていた家主、霧雨魔理沙が立ち上がり、二人を出迎えた。
大妖精も部屋へ入り、早速本題を切り出す。

「あのですね、今日は魔理沙さんにプレゼントを持ってきました!」

「へぇ、嬉しいな。なんだなんだ?」

期待の眼差しを送ってくる魔理沙に、大妖精は植木鉢を取り出し、説明。

「これです!今、ここには一つ種が植えてあります。ですが、ただの種じゃあありません。
 お水をあげて、日当たりのいい所に置いておくと……なんと、次の朝には花が咲くんです!」

「本当か?そりゃすごいな……でも、いいのかな」

「お裾分けみたいなものです、お気になさらずに。
 そうそう、綺麗なお花を咲かせるためには、枕元に置くのが一番いいみたいですよ?」

「分かった、そうするよ。ありがとうな」

植木鉢を受け取り、嬉しそうな魔理沙を見て、大妖精及び小悪魔は内心胸を撫で下ろす。
魔法やそれに類する道具に詳しい魔理沙の事だ、もしかしたらこの種の事を既に知っているかも知れない―――そう思っていたからだ。
彼女の喜びようを見る限り、それは杞憂のようだったが。

「じゃ、私たちは……」

「ああっと、せっかく来たんだから茶くらい飲んでけ。いいの淹れてやるからさ」

「え、いいんですか?」

そのまま帰ろうとしたが魔理沙に引き止められ、三人は紅茶を飲みつつ暫しの談笑。
雑談を楽しむ一時間の間に、大妖精と小悪魔はこの家のベッドの位置と、その頭側にある窓の位置を確かめておく事は忘れない。
太陽がもうすぐ沈もうかという時間になって、二人は魔理沙に別れを告げて帰宅した。

―――翌日、午前四時頃。
未だ明け切らぬ空を、大妖精はゆっくりと飛んでいた。眠い目を擦り、ぺちぺちと顔を叩いて少しでも眠気を追い出す。
異例の早起きだが、その理由はただ一つ。開花の時点で魔理沙の家に張り込んでおき、生のリアクションを見るためだ。
やがて見えてきた紅い洋館。門から少し離れた所で、大妖精はじっと待つ。
数分後、霧の向こうに人影。輪郭が割とはっきりしてきた所で、それが小悪魔だという確信を得た。

「おはよう、大丈夫?」

「おはよ……ん、眠いけど平気だよ」

「どうやってここまで?」

「自分の部屋の窓開けて飛び出してきた」

小悪魔の答えに笑い、大妖精は先に空へ。小悪魔もそれに続き、二人は並んで森を目指す。
森にも不気味なもやがかかっているが、視界を塞ぐ程では無い。記憶の通りに道を辿り、やがて小さな家が見えてきた。
音を立てぬよう飛んで接近し、小悪魔が窓から様子を窺う。

「どう?」

「寝てるよ、大丈夫」

小さく尋ねた大妖精に同じく小声で答え、小悪魔はほっと一息ついた。
昨日調べておいた、ベッドのすぐ上にある窓。近くにあったブロックを椅子代わりにしてその窓下に座り込む。
たまに鳥の声は聞こえる以外はあまりに静かな森。耳を澄ませば、窓一枚隔てた向こうにいる魔理沙の寝息が聞こえそうなくらいだ。
二人は肩を並べて座ったまま、ひたすらに待った。時折小声で雑談に花を咲かせ、会話の隙にも耳をそばだてる。
やがて日の出を迎え、森にも朝がやって来る。ここからが本番だ、と二人は気合を入れ直した。
この待っている時間の何とも言えない緊張感を、二人は楽しんでいた。これぞ悪戯の醍醐味、かも知れない。
差し込んでくる太陽光も少しずつ角度が高くなっていく。小悪魔が懐から懐中時計を取り出して時間の確認。

「そろそろだよ」

「うん、どうなるかな……」

固唾を呑んで、二人は一層耳を澄ませた。その時、部屋の中で変化が。

「……んあ〜」

眠そうな声が聞こえた。どうやら、魔理沙はそろそろ目を覚ますようだ。というより、半分覚めているのだろう。
窓の下にぴったり張り付いているから、簡単には見つからないだろうと、頭では分かっている。
だが、それでも”もし外に出てきたら……”だとか”もし、窓の下を覗き込まれたら……”という不安は拭えない。
募る焦燥感。どきどきと鳴る心臓を押さえつけた。この音でバレてしまうかもしれない。
まだか、まだか―――と、二人が互いに顔を見合わせたまさにその瞬間。
花が、咲く。

 

『こらぁぁぁ!!本返しなさぁぁぁぁい!!!』

 

「……どわぁぁぁ!?」

窓の外からでもはっきりと聞こえ過ぎる、自分自身の大声で小悪魔は飛び上がらんばかりに驚いた。
だが、もっと驚いたのは魔理沙である。寝耳に水どころの騒ぎではない。

 

『いつまで借りてるんですか!!動くと撃つ、なんていう前に借りたら返しなさい!!』

 

『返しなさいだぜー!!』

 

『だぜー!!』

 

「な、な、な、何なんだよコレ!?本って……うあああ」

半ばパニックを起こし、きょろきょろと部屋中を見渡す魔理沙。声の主を探しての行動だ。
だが、よくよく聞けば枕元の辺りから聞こえてきた気がして、注視。
窓の所に、昨日大妖精達から貰った植木鉢が置いてある。しかも、もう花が咲いていた。

「本当に咲いてやが……ん?」

ふと見ると、植木鉢にテープが張ってあり、そこに文字。読んでみる。

「なになに……『お花にタッチしてみてネ』?どれ」

素直に従い、ちょん、と指先で花弁に触れる。

 

『こらぁぁぁ!!本返しなさぁぁぁぁい!!!』

 

「わあああぁぁぁぁぁっ!!?」

驚く声に続き、どたーん、という大きな音が部屋の中から聞こえてきた。どうやら、驚きのあまりひっくり返ったらしい。
それを窓の下で聞いていた二人は、ぴくぴくと肩を震わせていた。

「く、くくく……」

「くく……ぷっ」

 

「あっはっはっはっはっはっはっはっは!!」

 

もう限界だった。ばっちりと大声での返却要請に、おまけで入れただぜだぜコールもしっかりと決まった。
到底堪える事など出来ず、大妖精も、小悪魔も、服が汚れるのも構わずに地面に身体を投げ出し、ひたすらに大声で笑った。
驚きのあまりひっくり返ったターゲット。悪戯はこの上無いくらいの成功。
しかも、中から聞こえてくる慌てた声に、自分達の吹き込んだ変な声。おかしくてたまらない。

「あはは、あっはっはっはっは!!だぜー、だって……あははは!!」

「く、くっく……も、もうわらいすぎ、て、おなかが……あっはっはっはっは!!」

読んで字の如くに抱腹絶倒。今この瞬間味わっている最高の幸せを全身で叫ぶように、二人は笑って、笑って、笑って、笑った。
だが―――

「……よう、随分と楽しそうだな。私も仲間に入れてくれよ」

「あはは、あは……あっ」

「あう」

地面に仰向けで寝転んでいたので、逆さまになった小悪魔から見える景色。そこに、逆さまの魔理沙が映っていた。
冷静になった二人は、あれだけ大声で笑ったら魔理沙に筒抜けという事をようやく理解する。
笑いすぎて流れてしまったヨダレを袖で拭い、二人は顔を見合わせ、再び魔理沙を見る。
彼女はパジャマ姿のまま仁王立ち、おまけで寝癖もついている。ファンシーなのに威風堂々。

「あは、あはは……おはようございます」

「おう、おはよう。素敵なプレゼントと目覚めをありがとうよ」

苦笑いする二人と、ニヤリと笑う魔理沙。間を吹き抜けるそよ風。
非常にいけない状況だ。大妖精は、小悪魔の顔を見る。同時に、彼女もこちらの顔を見た。
うん、と同時に頷くと、二人は手を繋ぎ、瞬時に地面を蹴って大空へ舞い上がった。

「し、失礼しました〜!!」

加速。そのまま一気に霧雨邸から離れようとする。

「あっ、こら!待ちやが……やべ、箒忘れた!」

下からそんな声が聞こえるが、お構い無し。手を解き、二人は出し得るトップスピードで森を飛び越えた。
逃げて逃げてひたすら逃げて、湖まで辿り着いた二人は大妖精の家にそのまま転がり込む。
玄関の鍵を閉め、ようやく息をついた。

「はぁ、はぁ……あ〜、怖かった」

「でも、久しぶりにこんな激しいイタズラしたなぁ」

「本当にね。チルノちゃんにも自慢できるよ」

「返しなさいだぜー、だなんて……く、くくく」

「ちょ、やめてよもう……くっくっく……」

 

「あっはっはっはっはっはっはっはっは!!!」

 

再び火がついてしまった。二人はそれから数分間、収まらない笑いと横隔膜の痛みに悶え苦しむ事となるのである。
朝の湖に響き渡る、二人の幸せそうな大爆笑。もう暫く、止みそうには無い。

やっぱり放置するのもいけないかと、昼過ぎに二人は改めて魔理沙の下へ謝罪に向かった。
揃って『ごめんなさい』と頭を下げると、

「あ〜、もういいや。面白かったし気にしないでくれ」

と、随分あっさり許してもらえたそうな。彼女も本を借りっぱなしにしているという負い目があったからなのかは、定かでは無い。
まあともかく事後処理も終わり、非常に晴れやかな気分で紅魔館内大図書館へ帰還した二人。
ここからはいつも通り、仲良く本を読んで過ごしていた、のだが。

「もうちょっと楽しみたかったなぁ、あのイタズラ」

不意に、ぽつりと小悪魔が呟いた。

「どうしたの?」

大妖精が尋ねると、小悪魔は読んでいた本にしおりを挟み、何かを思い返すように視線を虚空へ彷徨わせながら続ける。

「あのお花。珍しいものだからしょうがないけど、もうなくなっちゃったから。
 どこに行けば手に入るのかな……」

思い切って幽香の下を訪ねてみようか、などと思いを巡らせる小悪魔。
しかし、その横で大妖精は何故かくすくすと笑っているので逆に質問をぶつけた。

「あれ、私何か変なコト言ったかな」

すると大妖精はポケットに手を入れながら口を開く。

「ふふ……ごめんごめん。実はさ」

言いながら彼女が取り出したのは、種が入っていた袋。もう空の筈だ。
だが大妖精が袋をひっくり返すと―――ぽとり。

「あっ!」

「へへ〜。実はもう一つあったんだ」

大妖精は嬉しそうに笑って、その種をすぐに袋へ戻す。
小悪魔も喜んだが、しかしすぐにある疑問を呈した。

「あれ?でも、こないだ大ちゃん、種は五つしかないって……」

あの口ぶりだと、最初からもう一つ種がある事を知っていたかのようだ。だが小悪魔の記憶が正しければ、彼女は確かに”五つ”と言った。
小悪魔がその理由を模索する前に、大妖精が答えを返す。

「うそついちゃってごめんね。でも、あの時に六つって言ったら、きっと全部イタズラに使うことになっちゃっただろうから」

「へ?」

彼女の言う意味が分からず、小悪魔は首を傾げる。
すると大妖精は一瞬だけ恥ずかしげに躊躇い、しかし笑って言ってみせた。

「最後の一つはね、こあちゃんにあげようと思ってたんだ」

「え……えぇっ!?本当に!?」

思わぬ発言に、心底驚いた様子の小悪魔。だが、大妖精の満面の笑みが嘘では無い事を物語る。

「いっぱい手伝ってもらったし、いつも一緒に遊んでくれるから……お礼もかねて、ね。
 まだ何て言おうかは決めてないんだけど」

「すごく嬉しい……ありがとう、大ちゃん!」

思いも寄らぬプレゼントに、小悪魔は思わず大きな声を出してしまった。幸い、パチュリーは見逃してくれたようだ。
散々悪戯に使ってあちこち引っ掻き回した面白いツールを、親友からのメッセージに使用するという、ある意味一番正しい使い方。
嬉しいと同時に、大妖精からどんなメッセージが送られるのかを想像すると、どこか気恥ずかしい思いになる。

「喜んでくれて嬉しいよ……じゃあ、明後日にまた来てもいいかな。その時に渡したいから」

「うん、分かった。楽しみにしてるからね!」

約束を取り付け、笑い合う二人の頭上から、午後五時を告げる壁時計のベルの音が降り注いだ。
続きは、二日後。

――― 翌日、自宅にて。大妖精はずっと考えていた。
種は最後の一つ、次はいつ手に入るか、そもそも手に入るのかも分からない。つまり、チャンスは一度きり。
あんまり長過ぎるメッセージが詰め込めるのかも分からない。しかし、言いたい事なんて沢山ありすぎて。
昨日までの悪戯についてか、出会ってからのあれこれか。それとも、全部ひっくるめてお礼を述べるのか。

(いざ吹き込むとなると、なんて言おうか迷うなぁ……)

ごろりとカーペットを敷いた床の上に仰向け。天井を見つめながらも、頭の中には小悪魔の顔が浮かぶ。
長考。窓の外から差し込む光が、段々と深い角度になっていく。
太陽ももうすぐ真上を向くか、といったその時。

「……よし、決めた!」

がばっ、と勢いをつけて、大妖精は床から跳ね起きた。やはり、出会ってから今までずっと仲良くしてくれた事への感謝を伝える事にした。シンプルだが、それ故に真摯だ。
善は急げ、と言わんばかりに、いそいそと予め買っていた植木鉢を用意する。
しかし言葉を入れるのが先だと気付き、机の中から袋を取り出した。あと一粒分の微かな重みを、その手に返してくる。

(喜んでくれるかな?)

それが不安でもあり、そして楽しみでもある。悪戯の時とは、また違った緊張感。
頭の中で、先程思いついた感謝の言葉を何度も何度も復唱する。いざ吹き込む段階で間違えたりなどしないよう。
袋に手を入れる前に、一度深呼吸。少し落ち着いたので、大妖精は種を取り出した。
だが―――

「……あぁっ!」

突然、彼女は声を上げた。その視線は、手の平に載せた種に注がれている。
別段、変わった様子は無いように見える。しかし、よく見ると。

(……皮が、取れちゃってる……?)

録音開始と、終了の区切りとなる、表皮。それが、既に剥けてしまっていた。
表皮が無いという事は、その種にメッセージを吹き込む事が、もう出来ないという事を意味する。
剥がれ落ちた表皮は袋の中には無い。先日からあれだけあちこち動き回ったのだ、どこかで落ちてしまったのだろうか。
しかし、その理由を模索するだけの余裕は、今の大妖精には無かった。

(どうしよう……これじゃ、渡せないよ。もう約束しちゃったし……)

先の楽しい気分から一転、焦燥感と不安感だけが大妖精の中に募り始める。
しつこいようだが、種はこれが最後。代わりは無いし、恐らく、明日までに手に入れられる確率は限り無く低い。
ずっと考えた、小悪魔へのメッセージを渡せない。さらに、約束を破る事になってしまう。どうしても嫌だった。
何とかしなければ―――大妖精は、解決策を己の頭脳に求めた。必死に考える。
種をもう一度手に入れるのは、ほぼ不可能。ならば、どうするのか。
大妖精は、一つの案に辿り着いた。代替品を探すのだ。だが、どうやって?
そこで止まる。いくら考えても、そこから先の解決法を生み出す事が出来ない。
いつしか正午を過ぎ、昼下がりと言える時間帯。ますます焦り募る大妖精の脳裏に、何かがちらりと過ぎった。
そして、手元を見る。ずっと握り締めていた、種が入っていた袋。

(……そうだ、もしかしたら……)

大妖精は立ち上がり、即座に玄関へと向かった。

風そよぐ、向日葵畑。前に来た時よりも、立ち並ぶ向日葵の背は高くなっていた。
大妖精はきょろりと辺りを見渡してみる。探すまでも無く、赤い服が視界の端に映った。

「こんにちはー!」

「あらあら、こないだの」

急いで飛んで行く。突然の見た顔の来訪に、幽香は少しばかり驚いた様子だ。

「そういえば、こないだあげた種はどう?上手いこと使ってくれたかしら」

「は、はい。その節はどうもありがとうございました。とても楽しく……っと。
 あの、今日はそれについてちょっと」

「うん?」

どうにも焦っている様子の大妖精を見て、幽香も話を聞く体勢に。
大妖精は、洗いざらい話して聞かせた。最後の種を、大事な友達にあげようとした事。表皮が剥がれてしまっていた事。

「これが、その種なんですけど……」

大妖精が袋から取り出した種を受け取り、幽香はしげしげとそれを眺める。
暫し眺めた後、残念そうに首を横に振った。

「……残念だけれど、もう元には戻りそうにないわ。メッセージを吹き込むのは、諦める他ないでしょう」

「そう……ですか……」

種をくれた幽香なら、何か解決策を知っているかも知れない―――そう考えての訪問だった。だが、結果は見ての通り。
それどころか、種を戻す事が出来ないという”お墨付き”まで貰ってしまった。状況は悪化したように感じられる。
だが、今にも泣き出しそうな顔で俯く大妖精を見た幽香は少しの間考えて、そうだ、と言わんばかりに手を打った。

「その種をあげるために会う約束をしたのは、明日?」

「え……あ、はい。明日ですけど」

唐突な質問だったが、大妖精は答える。
すると幽香はもう少しだけ考える素振りを見せて、再び尋ねた。

「種をあげようとした子……あなたにとって、どんな存在?聞くまでもないとは思うけれど」

「ど、どんなって……」

抽象的な質問に、大妖精は戸惑った。しかし、訊かれているのだから答えなければならない。
小悪魔の顔を思い浮かべる。そして、一緒に本を読んだり、昨日までのあちこち悪戯に奔走した日々を思い出す。
この上無く、楽しい時間だった。それを共有する相手。それはつまり、

「……友達、です。それも、すごく大切な」

そういう事だ。

「これからもずっと、仲良くする?」

「は、はい。もちろんです」

幽香はその答えに満足気に頷くと、踵を返した。

「ついてらっしゃい」

「え?わ、分かりました」

先程から質問されたり、かと思えばついて来いと言われたりと、唐突な展開ばかりで大妖精は驚きっぱなしだ。
だが、言われた通りに彼女の後を歩いていく。その道すがら、幽香は大妖精に向けて話し始めた。

「ここら一帯は、私の場所。色んな花が咲いているのよ。本当に色々な、ね」

「へぇ……」

いつしか横並びになった二人。正確には、幽香が大妖精の歩幅に合わせている。

「で、本題。花は本来、物を語らない。それは分かるわね」

「はい」

頷く大妖精。幽香はさらに続ける。

「まあ、こないだ渡したやつは特殊も特殊だから例外だけれど。
 だけど、花は古の時代から今に至るまで、あらゆる場面で贈り物とされてきた。
 感謝。お悔やみ。慰め。賞賛。そして……好意」

「………」

「まだ言葉も持たなかった頃の人間が、故人に花を手向けたなんて逸話もあるらしいわ。
 その意味、分かるかしら?」

「……えっとぉ……」

大妖精は歩きながら考え込んでしまった。難しい質問だ。
その時、不意に幽香が足を止めたので、驚いた大妖精も同時に立ち止まる。

「わぁ……」

思わず、ため息が漏れた。
先の向日葵畑から少し離れた場所。そこに広がっていたのは、色も形も様々な花があちこちに咲き乱れる、極彩色の景色。

「ここには、季節ごとに様々な花が咲き誇る。いつ来ても違う景色が見れるわよ」

説明する幽香は、どこか得意気だ。

「それで……さっきの質問の答え。それはね……」

「えっ?」

大妖精が顔を上げると、幽香は今まさに口を開く所だった。

―――明くる日の紅魔館。
大妖精は、すっかり慣れた場所となりつつある廊下を歩いていた。
時折、ぱたぱたと走ってすれ違うメイド妖精がその手元をやたらと見ているのに、彼女も気付いている。
暫く歩いて、これまた見慣れた木製のドア。手にしていた”それ”を左腕で抱え、空いた右手でノックを三回。

「はぁい!今開けま〜す!」

まるで待っていたかのような素早い返事と共に、慌しくドアが開かれた。その直前、大妖精は腕に抱えていた物を後ろ手に隠す。

「あっ、やっぱり大ちゃん!待ってたよ!」

ドアを開けた小悪魔は、大妖精の姿を見るなり満面の笑顔。そのまま彼女を招き入れる。

「大ちゃんがどんな言葉を吹き込んでるんだろうって、考えただけで夜もなかなか寝れなくて。
 お仕事の途中だったのに居眠りしちゃって、パチュリー様にちょっと怒られちゃった」

「へ、へぇ……」

いつも通り、パチュリーの読書を邪魔しないよう図書館の隅へ。
ここへ来る度に出しているお陰で、壁際に積まれた丸椅子の内二つだけが埃を全く被っていない。
それらを出して片方に座り、小悪魔は待ちきれないといった様子だ。

「なんていうか、ごめんね。急かすみたいで……けど、それだけ楽しみだったんだ」

「……あの、それなんだけど……」

「え?」

しかし、何とも言い難そうに切り出された大妖精の言葉に、小悪魔は若干の戸惑いを見せた。

「実は……あの種、最後の一つがダメになっちゃってて……言葉を入れることもできない状態だったんだ」

「え……ってことは、今日は……」

「うん。持ってこれなかったの。ごめんね……楽しみにしてくれてたのに」

急な話に、小悪魔も驚いた様子だ。
しかし顔を俯けて謝る大妖精を見て、彼女は慌てて明るく振舞う。

「そ、そう、なの……あっ、ううん!別に気にしてないよ!大ちゃんは悪くないし。気にしないで」

ぶんぶんと首を振りつつもしかし、小悪魔はある事が気になっていた。
その種を入れた植木鉢を持っていないのなら、何故大妖精は後ろ手に何かを隠しているようなポーズを崩さないのだろう。
それに対する答えを、他ならぬ大妖精自身の言葉で知る事となる。

「本当にごめん。だけどね……代わりに、これを持ってきたの」

言いながら大妖精が、ずっと隠していた”物”を差し出した。
それは―――

「……あっ、かわいい」

素直な感想が、口を突いて出た。
大妖精が差し出したのは、小さな花瓶に生けられた、いくつもの小さな花が連なった枝。
色は淡い紫色。丸っこい四枚の花弁を縦横に開いた小さ目の花が、まるで葡萄の房のようにいくつも咲いている。

「これはね、ライラックていうお花。和名に直すと……むらさきはしどい、だったかな。ちょうど、今の時期に咲くんだよ」

「へぇ……詳しいね。これ、私にくれるの?」

大妖精の持つライラックの花弁をちょんちょんと指先でつつきながら、小悪魔は尋ねた。
にべも無く、といった体で大妖精は頷く。

「うん!言葉はしゃべってくれないけどね」

「ありがとう!それでもすごく嬉しいよ」

小悪魔は笑って、花瓶を受け取った。
手から離れた花瓶と、そこに生けられた小さな花達を目で追う大妖精の脳裏に、昨日、花畑で幽香と交わした会話が過ぎる。

「さっきの質問の答え。それはね……」

大妖精が顔を上げると、幽香はもう口を開いていた。

「花は、贈る人の想いやメッセージが込められて初めて、贈り物として成り立つの。
 言い換えれば、誰かが贈る花には、必ず何かしらのメッセージが込められている」

幽香はどこか遠い目をして語った。

「わざわざ花に言の葉を込める必要なんてないのよ。真心を込めて、あなたの好きな花を渡してあげればいい。
 それだけできっと、あなたのメッセージはその子に届くんじゃないかしら」

「……そう、でしょうか……」

「そうよ。花は物を語らない。けれど、花そのものに、最初からメッセージや想いが込められている。
 花を贈るという行為そのものが、その人からの大切なメッセージ。花を贈るという事は、花に込めた気持ちを贈るという事。
 それを知ってるからこそ、遥か昔から花を贈る習慣があった」

「………」

大妖精は無言でその言葉を聞きつつ、辺りを見渡してみた。
カラフルな花々があちこちに咲き乱れるその光景。この中から、ぱっと見で気に入った花を持っていくだけで、小悪魔は喜んでくれるのだろうか。
するとその時、幽香はまるで全てを見透かしているかのように、余裕を含んだ笑みを大妖精へ向ける。

「いいわよ。何か気に入った花があれば持って行って、その子にプレゼントしてあげて。絶対喜ぶわ……私が保証する。
 個人的には、花を摘むという行為はあまり推奨したくないのだけれど、今回は特別」

はっ、とした顔になり、大妖精は彼女の顔を見た。それに対しても、幽香は笑顔を崩さない。
そのまま数秒経った時、不意に幽香は考えるような顔になる。

「……とは言っても、こんだけあると選ぶのも至難よね。全部あげる訳には流石にいかないし。
 もしあなたが良ければ、私のオススメを持っていくのはどうかしら」

「いいんですか?それじゃ、お願いします」

その申し出を、大妖精は二つ返事で受けた。花に詳しい幽香なら、きっと小悪魔へ贈るに相応しい花を選んでくれると思った。
暫しきょろりと辺りを見渡した後、幽香は歩き出す。大妖精は慌ててそれについて行った。
その道すがら、彼女は再び問う。

「あなた、花言葉ってご存知?」

「え?あ、はい。少しくらいなら」

その答えを聞いた幽香は頷き、

「そう、なら話は早いわね。見た目やフィーリングで選ぶのも勿論いいけれど。
 昔の人が花の咲く様子や時期なんかを見て、花そのものに関連付けた意味を持たせた。
 それが、花言葉。所変われば花言葉も変わるのだけれど、好きな意味で使っていいらしいわ。その辺が融通の利く所ね。
 あと、花の時期に合わせて日付を割り振った”誕生花”っていうのもあるのよ」

説明。それが終わる頃、彼女は足を止めた。

「で、確かこの辺に……あっ、あったあった」

そう言うと幽香は、目の前に立つ、あまり背の高くない広葉樹を示す。そこには、小さな丸っこい花がいくつも連なって咲いていた。
葡萄の房のような花の集まりをいくつも身に付け、そよ風が吹くたびに葉と一緒にそれらを揺らす。

「これですか?」

「そう。ライラック……和名で呼ぶならムラサキハシドイ。これは正確にはその近縁種なんだけど、まあほぼ同じ物よ。
 気に入らないなら別のにするけど……」

「いえ!なんだかかわいいですし、これがいいです」

「そう、良かった」

安心したように幽香は笑い、ふわりと宙へ。上の方に咲いていたライラックの花を一房、枝を傷つけないように優しく摘み取る。
それから地上へ降り、摘んだばかりの花を大妖精へ差し出した。

「はい。花瓶に生けてやれば、多少は持つわよ」

「ありがとうございます!何から何まで……」

何度も頭を下げる大妖精。幽香はひらひらと手を振って『気にするな』とでも言いたげだ。
しかし、思い出したように再び口を開く。

「おっと、忘れる所だったわ。私がそれを選んだ理由もちゃんと教えてあげないと」

「なんですか?」

少しばかり緊張したような面持ちで、大妖精は問うた。
幽香はどこか微笑ましそうに目を細め、その”理由”を彼女へ教えた。

「さっき言った、花言葉が関係しているの。どうせ贈るなら、あなた達にぴったりな花がいいと思って。
 この花はね、あなたが本来贈るはずだったあの”喋る花”が開く筈だった、明後日―――六月二十六日の誕生花。
 そして、ライラックの花言葉。それは―――」

「ねえ、こあちゃん」

「なぁに?」

先程から嬉しそうに小さなその花をつついていた小悪魔は、大妖精の呼びかけで顔を上げた。

「あのさ、私がその花を持ってきたのはね、見た目もあるんだけど……他にも、大切な意味があるんだ」

「へぇ、どんな?」

どこか期待するような目で、小悪魔も問うてくる。

「まず一つ。私がほんとはあげるはずだった、あの喋るお花……もし普通に渡せていたら、それが咲くのは明日。
 ライラックはその明日、六月二十六日の誕生花なんだ」

「そうなんだ……すごいね、ぴったり合わせるなんて」

本当は幽香に授けられた知識なのだが、小悪魔も感心した様子だ。
そして、ここからだ。大妖精は高鳴る心臓を内心無理矢理に押さえつける。

「そ、それともう一つ……花言葉って、知ってるかな」

「うん、一応知ってるよ。フリージアの花言葉が”純潔”とか、そんな感じの」

大妖精は軽く深呼吸し、言葉を続けた。

「でね……その、私があげた、ライラックの花言葉が……」

「え、なになに?」

 

「その……”友情”とか、”大切な友達”っていうんだって……」

 

言い切った。その瞬間、瞬時にかぁっと顔が熱くなる。どうしても気恥ずかしい。
だが、それは余計な言葉で濁したくない、大妖精が小悪魔へ贈る、心からの気持ち。
少しの間、小悪魔は呆然としていた。だが、すっかり真っ赤になってしまった大妖精を見て、

「えへへ……なんだか、すごく嬉しいな。ありがとう、大ちゃん」

頬を染めながらも笑顔で答えた。
それから、彼女も思い出したように席を立つ。

「そ、そうだ。ちょっと待っててね」

「え?う、うん……」

足早に離れていく小悪魔の後姿。大妖精はこの隙に、何とか顔の火照りを冷まそうと試みる。
だが、冷め切らない内に小悪魔は帰って来た。

「おまたせ。実は……私もね、大ちゃんと交換であげようと思って、用意してたんだ」

「えっ!?」

言いながら彼女は、大妖精がしていたように後ろ手で隠していた物を差し出す。
それはやはり花瓶で、こちらは中に一本の細い支柱。それに巻き付いたツルから葉や花が伸びている。
その花は淡い桃色で、五角形に近い形をしていた。それを見た大妖精は、どこか既視感のようなものを感じていた。

「それって、アサガオ?」

そうなのだ。夏の間、よく庭に置いたプランターで育てたアサガオに似た花だった。
しかし小悪魔は軽く首を横に振る。

「ううん、近いけど違うの。これはヒルガオ……アサガオに似てるけど、昼になってもしぼまないんだ。
 これ、大ちゃんにあげる」

小悪魔が差し出す花瓶を、大妖精はそっと受け取った。

「ほんとに?ありがとう!」

それから、そのヒルガオの花弁を指で触ってみる。何となく、小悪魔の真似をしてみたくなった。
すると、小悪魔はそのまま言葉を続ける。

「実は昨日、今までのお花を使ったイタズラのことをパチュリー様に話したの。
 そしたらね、『外の花壇の周りに沢山咲いてるから』って言って、摘んできてくれたの。
 その時に、パチュリー様が教えてくれたんだけど……」

「な、なに?」

小悪魔はどこか緊張しているように見えた。それはまるで先の自分自身のようで、何故か大妖精の方まで身構えてしまう。

「ヒルガオは、今日……六月二十五日の誕生花。それでね……」

「そ、それで……」

緊張ですっかり口の中が乾いていた。息を呑み、大妖精は小悪魔の次の言葉を待つ。

「それで、その……は、花言葉は……」

「はなことば、は……」

 

「―――”絆”だって……」

 

一瞬、大妖精の頭は真っ白だった。自分のあげたライラックは”大切な友達”、そして小悪魔のくれたヒルガオは”絆”ときた。
自分が込めたのと同じくらいの沢山の気持ちを、小悪魔もまた自分に届けようとしてくれているのが分かる。
それを理解した瞬間、大妖精の体温は再び急上昇してしまう。それは小悪魔も同じだったようで、

「で、でね……パチュリー様は、『いつも仲良しなあなた達にピッタリでしょ?』って、言ってくれてね……。
 えっと、そ、その……それで……あの……」

「………」

「………」

とうとう小悪魔も限界を迎えたらしく、顔を真っ赤にして俯いてしまった。大妖精も耐え切れず、これまた顔から火が出るような熱さ。
互いに言葉を無くし、無言で顔を赤らめるばかり。それぞれの胸には、お互いのプレゼントした花がしっかりと抱かれている。
それは、お互いの贈った花に込められた大切な気持ちを、互いが真摯に受け止めた証拠。認めた証拠。
大妖精と小悪魔。二人はいつまでも真っ赤な顔で押し黙ったまま。時折、ちら、と顔を上げれば、相手も丁度こちらを見ているので、恥ずかしくてまた伏せる。

 


本棚の影からこっそり、その様子を見ていたパチュリー。
揃って真っ赤な顔の二人を見て、笑みと共に呟く。

 

「まるでサクランボね」

 

桜はとうに散ったが、サクランボの旬はまさに今。

赤、青、黄色。白に紫。

色とりどりのお花に、大切な気持ちを込めて。

誰に贈ろうか。

お世話になってるあの人へ。仲良しのあの人へ。やんちゃなあの人へ。

 

 


――― そして、大好きなあなたへ。



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