―――霊とは、何時の時代も胡散臭いものだ。
人はその存在を信じるにしろ、信じないにしろ、どうしても奇妙なものとして捉えてしまう先入観が付き纏う。
それは、霊が当たり前の如く存在する幻想郷においても同じであった。

―――音楽。それは、あらゆる境界を飛び越えて人々を結ぶ魔法の言葉。
その力は国境どころか、人と妖怪、果ては霊までも結びつける。

 

―――プリズムリバー三姉妹。騒霊、つまりはポルターガイスト。楽器を操り、それぞれが異なった音色を奏でる、言わば騒霊楽団。
人の気持ちを静める鬱の音色。人の気分を高揚させる躁の音色。この世の物とは思えぬ幻想の音色。
三色三様の音色を操る三姉妹は、今でこそ幻想郷の人々を楽しませ、音楽好きを唸らせるが、以前はそうでもなかった。
彼女達自身の属する『霊』という存在に対するイメージが、彼女達に生きた人を寄せ付けなかった。
勿論、基本的に彼女達が冥界でしか演奏してこなかった、というのもあるが。

 


―――このお話は、そんな三姉妹が顕界でも名を馳せる少し前の出来事。

 


―――幻想郷のややはずれにある、プリズムリバー邸。
生前のプリズムリバー姉妹達が住んでいた頃と変わらぬ佇まいの屋敷のリビングルーム。
開け放たれたカーテンからは、昼下がりの明るい日差しが差し込む。

「あ〜、ヒマだなぁ……姉さん、リリカは?」

言いながらソファに座るのは、次女、メルラン・プリズムリバー。
彼女はそのまま、大きく伸び。本当に暇そうだ。

「どうせまた昼寝でもしてるんじゃない?」

向かいに座る長女、ルナサ・プリズムリバーは、膝の上に乗せたヴァイオリンの弦を繰る手を休めずに答えた。どうやら調弦をしているらしい。
季節は春先。昨日、冥界でのお花見ライブを終えた姉妹。この日から暫くの間はオフだ。
しかしながら、ライブの一月前くらいからは毎日練習をしていた彼女達。いきなり休みになったとして、休み方がよくわからなかった。
とりあえず寝る、と高らかに宣言した三女、リリカ・プリズムリバーはずっと自室に篭っている。ルナサの言う通り、昼寝をしているようだ。
ルナサはずっとヴァイオリンを始めとする自らの弦楽器をメンテナンスしている。
彼女はいくつもの弦楽器を所有しているが、普段メインで使用するヴァイオリン一挺以外の楽器はどうしてもメンテが疎かになりがちだ。
だから、この長い休日を利用して全部メンテナンスしてしまうつもりらしい。
彼女の目の前のテーブルにはヴァイオリンが三挺、傍らのソファの上にはチェロが横たえられている。テーブルの横にはコントラバス。
メルランは暫くの間、ルナサの調弦の様子を眺めていたが、うずうずと体を動かしたかと思うと、不意に立ち上がる。

「あ〜、もうだめ。ちょっと外でも出かけてくるよ、いい天気だし」

言いながら、彼女は自室へ。戻って来た時、彼女の手には愛用のトランペット入りのケース。
明るく活発な彼女は、何もせずに休日を潰すという事が我慢ならないようだった。

「んじゃ、行ってきま〜す!」

溢れ出すバイタリティをぶつけるが如く、玄関のドアをバンと勢いよく開けメルランは外へ飛び出した。

「ちゃんと夕飯までに帰ってくるのよ〜」

飛び出した彼女の後ろから、まるで母親のようなルナサの声が追いかけてきた。

屋敷を飛び出したメルランは、当ても無くふよふよと飛んでいた。
春でも少し霧の掛かった湖を飛び越え、きょろきょろと辺りを見回す。
それから、空を見上げる。眩しい陽光が目に入り、メルランは目を細めた。

「それにしても、ほんっとにいい天気だなぁ……」

こんな青空の下で思いっきりトランペットを吹くのは、さぞかし気分爽快に違いない。
観客はいないけど、演奏さえしていれば自分は幸せだ。

「どこかいい場所は、っと……」

呟きながら辺りを見渡すと、小高い丘が見えた。
一面を芝や草が覆い、穏やかな風が吹く低い丘。
何だかステージみたいだ、とその場所が気に入ったメルランは、そのまま丘に近付く。
丘の上に立ち、再度辺りを見渡す。人気が無い事を確認し、彼女はケースをその場に置いて開いた。
もっとも、人がいたとしても霊である自分を恐れて近付かないだろう―――とも考えたが、気にするのをやめた。
一抹の寂しさを覚えつつも、メルランは愛用のトランペットを取り出して組み立て、軽く息を吹き込む。
少しトランペットが温まったのを確認し、彼女はトランペットのマウスピース部を口に押し当てるようにして、構えた。
青空に響き渡る、突き抜けるようなトランペットの音色。まずはスケール(音階)を順番に吹いて軽い準備運動。

「うん、いい感じ」

満足そうに頷き、メルランは再びトランペットを構えた。
続いてトランペットから紡ぎ出されるメロディは、プリズムリバー三姉妹の定番―――『幽霊楽団 〜 Phantom Ensemble』。
もっとも、いきなりメインのメロディからだ。イントロ部はいつもキーボード担当のリリカが弾いている。
楽譜も持っているが、最早見ずとも譜面は完全に頭に入っている。それぐらい何度も演奏していたし、彼女達もこの曲が好きだった。
やがて曲はサビに突入する。メルランはいつも主旋律担当だ。一番目立つ部分であるし、何より演奏していて気持ちがいい。
自然とキーを操る指にも力が入る。吹き込む息も大きくなり、音量MAXでメルランは突っ走る。
それから暫くの間、メルランのソロライブは続いた。完全に自分の世界に突入し、ひたすらにトランペットを吹きまくる。
演奏に夢中になる彼女の目に、周りの景色は入ってこない。

―――数分後。気分が乗って途中何度もアドリブソロを繰り返したお陰でかなり長くなってしまったが、彼女の演奏は終了した。
最後の一音を何秒間も伸ばし、メルランは演奏の余韻に浸る。

(―――気持ちいい……)

メルランは幸せだった。自分一人で演奏している事も忘れてしまう位に、彼女は演奏に夢中だった。
目を閉じたまま音を伸ばしていた彼女は、ようやくトランペットを口から離す。
ふぅ、と一息つき、呼吸を整えようとする。と―――

 

―――パチパチパチパチパチ!

 

すぐ傍でいきなり拍手の音。驚いたメルランは慌てて目を開ける。
ここはどこかのステージだったか、と一瞬思ったが、目の前に広がる光景はやはり自然に囲まれた丘。観客など居る筈無かった。
――― 否。メルランのすぐ前に、一人の少女が座り込んでいた。ポケットの沢山ついたワンピースのような服に、頭に乗せたキャップが印象深い。
その顔は笑顔で、ソロライブを終えたメルランに惜しみない拍手を送っている。演奏に夢中になるあまり、いつからいたのかも分からなかった。

「いやぁ、凄い凄い!なんか音がしたから来てみたんだけどさ、思わず夢中になって聴いちゃったよ……いやはや、ひょっとしてプロの人とか?」

拍手と共に、彼女は先程の演奏を褒めちぎる。
メルランはすぐには状況が飲み込めなかったが、その『凄い』という言葉が自分に向けられていると解ると、途端に嬉しさと恥ずかしさが込み上げてくる。

「い、いや、あの、その……あ、ありがとう」

頬を紅潮させ、あたふたとしながらも、メルランはたった一人の観客にぺこりと一礼。
彼女がここまで慌てるのには理由があった。

(―――冥界以外で演奏を褒められたの、初めてかも……)

曲がりなりにも霊である自分達に、顕界の住人はまず恐れて近付かない―――そう思っていた。
ましてや演奏を褒められるなど、思いもしなかった。
そう思うとますます照れくさくて、メルランの顔は最早真っ赤だった。

「正直感動したよ……あっ、良かったら名前教えてよ。今度演奏する時、見に行きたいからさ」

拍手は止んだが、少女は笑顔を崩さない。
そうまで言われては、名乗らない訳にもいかなかった。

「え……えっと、メルラン……メルラン・プリズムリバー」

つっかえながらもどうにか名を名乗るメルランに、少女はパチン、と手を叩く。

「メルランね……よし覚えた!あ、私は河城にとり。河童だよ、宜しく」

そう言って少女―――にとりは右手を差し出す。
メルランは慌ててトランペットを持ち替え、にとりと握手。
握ったにとりの手が、やけに温かかった。

「それにしても凄いねぇ。あんなにトランペット吹けるなんてさ……私は草笛くらいしか吹けないからさ」

そう言ってけらけらと笑うにとり。草笛という素朴な楽器の登場に、メルランも思わず笑った。

「素敵だと思うけどな、草笛。聴いてると癒されるよ」

「そうかい?だったら私も極めてみようかな、お前さんくらいに……」

はっはっは、とひとしきり笑ってから、にとりは尋ねた。

「ねえ、もし良ければだけどさ……もっと演奏、聴かせておくれよ」

そう言うにとりの目は期待に満ちている。純粋に楽しみにしている顔だ。
まだ照れくさかったが、メルランは笑顔で答えた。

「うん、いいよ!何曲でもアンコールに応えてあげる!」

顕界での初めてのお客さんが嬉しくて、メルランは大サービスだ。
言いながらメルランはケースから楽譜を何枚も取り出す。好きな曲を選んで欲しい、という意思表示だ。
草の上にずらり、と楽譜を並べて、彼女はにとりを促す。

「どれがいい?やっぱりこれとか……」

メルランが指差すのは、河童をモチーフにした楽曲『芥川龍之介の河童 〜Candid Friend』。
にとりは暫く楽譜達を眺めていたが、やがて顔を上げると、ニヤリと挑戦的な笑み。

「……端から全部!」

「オッケー!!」

こちらも満面の笑みで答え、メルランは即座にトランペットを構える。
冥界まで透けて見えそうな程の青い空に、『恋色マスタースパーク』の力強いイントロが流れ出した。

「ただいま〜」

日も暮れた時刻になって、ようやくメルランは屋敷に帰り着いた。

「お帰り。ちゃんと言った通り、夕飯前に帰ってきたわね」

台所からルナサの声が聞こえたかと思うと、右手に包丁を持ったまま、エプロン姿のルナサが出迎える。
食事は三姉妹当番制で、この日はルナサ担当だ。

「ふぅ、疲れちゃったよ……ところでリリカは?」

トランペットケースを置きながらメルランが尋ねると、ルナサは呆れ顔を見せた。

「……まだ寝てる」

「えぇ!?何時間寝てるんだろ、あの子……どっかのスキマ妖怪じゃあるまいし」

一日の半分以上を寝て過ごした計算になる。

「悪いけど、起こしてきてくれる?もうご飯できるから」

「はいは〜い」

頼まれるままに、メルランはリリカの自室へ向かおうとする。
すると、ルナサは彼女が何かを持っている事に気付いた。

「メルラン、それ……きゅうり?どうしたの?」

メルランがその手に持っているきゅうりを見ての発言だ。トランペットを持つのは何時もの事だが、料理中以外できゅうりを持っているのは初めて見る。
それを聞いたメルランは、笑顔になって答えた。

「ふふ……『お客さん』にもらったんだよ」

「へ?」

不思議そうな顔をするルナサだったが、メルランは一口きゅうりをかじると、そのままリリカを起こしに行ってしまった。

―――その夜、間も無く日付も変わろうかという時刻。
自室のベッドに潜り込んでからも、メルランは全く寝付けなかった。
目を閉じると、昼間の光景が浮かぶ。
次々と演奏を披露するメルランに、にとりは心からの賞賛と拍手を贈る。
たった一人の為のソロライブは、いつまでも続くかと思われた。
何時間でもにとりの為に演奏してみせたかったが、日が暮れかける時刻になって彼女は帰ってしまった。
だが、にとりが去り際に残した台詞―――

『明日も来ていいかい?友達も連れてくるよ!』

断る筈も無かった。顕界での活動で、初めてのお客さん。しかも、また聴きたいとまで言ってくれた。
その事を思い出すと、嬉しさと興奮で目が冴えてしまう。

(……困ったなぁ。明日も大切な演奏予定があるのに)

困ったとは思いながらも、自然と顔が綻ぶ。メルランは心地よさそうに寝返りを打った。
もう暫く、眠れそうには無い。

―――翌日、正午過ぎ。

「行ってきますっ!!」

昼食もそこそこに、メルランはまるでドアを蹴破るような勢いで外へと飛び出していった。後ろでリリカがポカーンとしていた気もするが気にしない。
その手には勿論、沢山の楽譜も一緒に詰めたトランペットケース。
昨日のように当ても無く彷徨う事も無く、彼女は一直線に湖を越える。
目指すは、昨日トランペットを吹いたあの丘だ。
やがて丘が見えてきたが、まだ誰もいない。来るのが早すぎたか、とメルランは考える。
とりあえず昨日と同じように丘の上でトランペットを組み立てる。すると、

「あっ、いたいた!おーい!」

遠くからにとりの声がした。その声を聞くだけで、メルランは気持ちが明るくなるのを感じた。

「こっちこっち!」

二人の少女が丘を駆け上がってくるのを見て、メルランも手を振った。
片方は勿論にとり。もう一人も考えるまで無く、昨日連れてくると宣言した彼女の友人であろう事が分かる。
彼女が連れてきた友人とは、厄神・鍵山雛。

「なんか大楽団にも匹敵する演奏が聴けるって、にとりが凄く絶賛してたから……楽しみだなぁ」

と、笑顔で雛。
その言葉でまた顔が赤くなるメルランだったが、指でくるりとトランペットを一回転させてごまかし、

「そこまで言ってもらったからには、下手な演奏は出来ないなぁ。頑張るから、楽しんでいってね!」

そう言って恭しく一礼。にとりと雛はパチパチと拍手。
昨日と同じく、持ってきた曲全部を演奏するつもりだった。それを見越して、今日持ってきた楽譜は全て暗譜済みの物だ。
二人はメルランの前に座り、期待の眼差しで彼女を見つめる。
演奏が、始まった。
メルランの高らかなトランペットの音色は、風に乗ってどこまでも飛んでいく。

メルランは勢いに任せて、四曲立て続けに演奏した。
四曲目が終わり、二人からの温かい拍手を受けながらメルランが再びトランペットを構えようとした時、にとりが口を挟んだ。

「ねえ、ちょっと疲れたんじゃない?休憩したらどうさ」

「ありがとう、でも私は大丈夫だよ」

気遣いはとても嬉しかったが、メルランとしてはもっと演奏を聴いてもらいたい。
だが、にとりはあくまで休む事を勧めた。

「そうは言ってもさ、肺活量とか結構使うんじゃないかい?ちょっと休んだ方が……」

「確かに、私達に気を使わなくていいからさ。休んじゃいなって」

雛にまで勧められて、メルランは少し休む事に。
二人と一緒に座り、しばし雑談を楽しんでいたのだが、不意ににとりが切り出した。

「……メルラン、あの、さ……ちょっとお願いがあるんだけど」

言い難そうな物言いに、メルランは笑顔を見せる。

「なぁに?何でも言ってみてよ」

するとにとりは、少し恥ずかしそうに続けた。

「んと……私も、吹いてみていいかな?その……トランペット」

それを聞いたメルランが手にしたトランペットを示してみせると、にとりは小さく頷いた。

「なんだ、そんな事。吹いてみなよ、楽しいよ?」

そう言って彼女はにとりにトランペットを差し出す。

「あ、ありがとう……いや、大切な楽器だから易々と人には貸せないかと思ったんだけど、優しいね」

やや緊張の面持ちでトランペットを受け取ったにとりは、慎重にそれを持ち、とりあえず普通に息を吹き込んでみる。
が、音は出ない。フーッ、フーッという息遣いが聞こえるばかりであった。

「……ん〜、普通に吹いても音は出ないんだね」

「あ、ごめんごめん……唇の振動で音を出すんだよ。こう、唇をキュッと結ぶようにして、それでね……」

慌てて解説を挟みながら、メルランは指でにとりの唇の両端をそっと押さえ、そのまま吹くように言う。
言われるままに、にとりはトランペットを結んだ唇に押し当て、再び息を吹き込んでみる。
すぐには出なかったが、やがて息を吹く音にトランペットの音が混ざり始める。
そして遂に、明確なトランペットの音色が当たりに響き始めた。

「おお、凄いすごい!もう出るようになるなんて」

素直に驚くメルラン。だが、もっと驚いたのはにとり自身だ。

「お、おお……何だか感動モノだね。けど、難しいな。これを完璧に操るお前さんはホント凄いねぇ」

暫く続ける内に、にとりは自分一人で安定して音を出せるようになっていた。
すると、さっきから横で目を丸くするばかりだった雛が手を上げる。

「わ、私も吹いていい!?」

メルランが『いいよ〜』と笑顔で答えたのを確認し、にとりがトランペットを興奮気味の雛に差し出す。
にとりが教えてもらうのを横で見ていたせいもあってか、雛は飲み込みが早かった。
運指をメルランに教わりながら、ドレミファソラシドを一つ一つ順番に吹いては、

「わぁ、出た!凄い!」

と、興奮しきりだった。

そんなほのぼの模様の三人に、不意に声が掛かった。

「あ、にとりだ〜」

「雛もいるよ」

「何してるの〜?」

三人が声の方向を見やると、チルノ・ルーミア・リグル・ミスティアの仲良し四人組。
トランペットの音を聴きつけて、面白そうだとやって来たらしい。

「お、チビっ子達のお出ましか」

「誰がチビっ子よ!あたいはもう大人なんだから」

にとりの言葉に、頬を膨らませるチルノ。

「で、何してるの?」

ルーミアの質問に、にとりはまずメルランを紹介してから、これまでの経緯を軽く説明した。
メルランの演奏の事、それが素晴らしいものであった事、今日再び雛と聴きに来た事、トランペットを吹きたいと言ったら快くOKしてくれた事。

「―――で、今は雛が借りて吹いてるってワケ。いやあ、楽器の演奏がこんなに楽しいものだったとはねぇ」

そう締めくくったにとり。演奏と言っても軽い音出し程度なのだが、十分に楽しんでいるようだ。
で、好奇心旺盛な『チビっ子』達がそんなお話を前に黙っていられる筈も無く。

「すごい!」

「面白そう!」

「私もやってみたい!」

「あたいも!」

やいのやいのと騒ぐ彼女達の様子を見ていたメルランは、笑顔で言う。

「まあまあ。興味を持ってくれてるのは嬉しいけど、楽器は一つしかないからなぁ。一人ずつ、ね」

それから雛に目配せすると、雛も笑顔でトランペットを傍にいたチルノに差し出した。
チルノも手を差し出し、トランペットをまるで宝物のようにそっと受け取る。
雛からトランペットを受け取ったチルノは、好奇心と嬉しさの混ざったキラキラした瞳で手にしたトランペットを見つめている。

「ねえ、ねえ!どうやって吹くの?早く教えてよ!」

待ち切れない、といった様子で急かすチルノを微笑ましく思いながら、メルランはにとりと雛にしてみせたように、一人ひとりにトランペットの吹き方を教えていった。
当然最初は全員上手く音が出ないが、教えていく内にすぐ出せるようになっていった。綺麗なトランペットの音色が響く度、歓声が上がる。
そして、夢中でトランペットを練習する内に、空が茜色に染まり始めていた。
そろそろ帰らないと、というメルランに、にとりが頭を下げる。

「今日も色々とありがとうね。演奏だけじゃなく、吹き方まで教えて貰っちゃって……音楽の楽しさをもっと教わった気がするよ」

「いやいや、そんな」

謙遜するメルランに、雛が問いかけた。

「明日も来てくれるの?」

「みんなさえ良ければ、演奏でも吹き方講座でも大歓迎だよ」

笑顔でメルランが答えると、チルノが口を挟んだ。

「ねえ、明日も吹き方、教えてよ!またみんなで来るからさ」

彼女の言葉に、他の三人もうんうんと頷く。

「そっか、そんなに期待されちゃったらもう行くしかないな〜。楽しみにしててね」

そうは言ったが、既にメルランの頭の中に『行かない』という選択肢は無い。
それから彼女達は互いに別れの挨拶を交わし、それぞれ帰路についた。
ただ、チルノは『絶対に来てよ!約束だよ!』と、最後までメルランに念を押していた。
それに対し、にとりが帰り際にチルノに囁きかけた。

「そんなに念押ししなくても大丈夫。メルランは絶対に来てくれるよ。音楽好きに悪い奴はいないのさ」

「ただいま〜!」

上機嫌のまま、メルランは帰宅。

「おかえり〜。ごめん、まだご飯できないや」

台所からリリカの声。

「お帰り。あの子、また遅くまで昼寝してて支度が遅れてるのよ」

またまた呆れ顔のルナサが出迎える。

「そっか〜。ま、しょーがないか」

言いながら、メルランは肩を竦めてみせる。
それから、鼻歌混じりに自室へ向かった。やがて、

―――ガタガタ、ゴソゴソ。

メルランが入っていった彼女の自室から、何やら物音。
不審に思ったルナサが後を追うと、メルランは部屋にしまってあった様々な楽器を取り出していた。
勿論、全て管楽器―――トランペットに始まり、トロンボーン、ホルン、ユーフォニアム、チューバ等の金管楽器や、クラリネット、サックス等の木管楽器まで。

「何してるの?掃除?」

ケースを出したりしまったりのメルランの背中に声を掛けると、彼女は振り返って含み笑い。

「んふふ、ちょっとね……」

その表情をじっと見つめていたルナサに、今度はメルランが尋ねる。

「どしたの?私の顔になんかついてる?」

「あ、いや……」

ルナサは一瞬言葉を濁したが、微笑み一つ見せてから、こう言った。

「何だか、今のあなたがすごく楽しそうだったから」

「え?」

意外な言葉にメルランは思わず驚きの表情。

「ええ。何ていうのかしら、例えるなら……明日が遠足でいてもたってもいられない小さい子、って感じかしら。
 あなたが笑ってるのはいつもの事だけど、今のあなたは本当に、心の底から何かを楽しみにしてるような……そんな顔してたわ」

的確な例えにメルランは戸惑いの表情を見せたが、すぐに笑顔に戻った。
それを見て、ルナサは重ねて質問。

「何があったの?」

「な〜い〜しょ!」

だがメルランはあくまで黙秘。ミステリアスな笑顔を浮かべて、再び楽器を漁り始めた。

(……ま、いっか。悪い事してるわけじゃないみたいだし。それにしても、最近のあの子はどこへ出かけてるのかしら?それと関係ありそうだけど……うーん)

部屋を離れ、居間に戻りながらルナサは考えた。
楽しそうにしている事自体は良いのだが、その理由も目的も分からない。我が妹の事であるし、やはり心配だった。だが、

「おまたせ〜、ご飯できたよ〜!」

「は〜い!」

台所からのリリカの号令と、元気よく答えるメルランの大声。この二つで、彼女の思考は断ち切られてしまった。
いくら冷静沈着で通るルナサでも、やっぱり食欲には勝てないのであった。

―――翌日。日はとうに昇り、東の空から西の地平線の中間地点付近。要するに真上辺り。つまり、真昼。
午前中からずっとうろうろと屋敷内を歩き回り、落ち着かない様子だったメルランが、時計を見る。

「よし、そろそろだ」

ひとりごちると、彼女は一旦自室へ。少しして出てきた彼女は、両手に楽器入りのケース。さらにそれだけでは足らぬと言わんばかりに、周囲に大小様々なケースを多数浮遊させていた。
その様子をたまたま見つけたリリカが、口をあんぐり開けて一言。

「……メル姉さん、夜逃げでもするの?今は真昼だよ……?」

「やだなぁ、そんなんじゃないよ」

笑いながら手をひらひらと振るメルラン。そして足元のケースを拾い上げ、それを持ち上げながらリリカに告げる。

「んじゃ、またちょっと出かけてくるね」

「え、うん、いってらっしゃ……ってえええぇ!?その大荷物で!?」

驚きの声を上げるリリカを尻目に、メルランは玄関へ向かった。
彼女が出て行った後、残されたリリカの元にルナサがやって来た。

「……いよいよもって、何してるのかしら?あの子」

ポツリと呟いたルナサだったが、リリカは当然、その問いに答えを返せる筈も無かった。

いつもの丘の上に、既に皆がいた。昨日のメンバーに加え、チルノが連れてきたらしい大妖精もいる。
慌ててメルランが駆け寄ると、にとりが笑顔で出迎える。

「やあ、待ってたよ!……それにしても、凄い荷物だねぇ」

「よにげ?」

「今は昼だよ」

リリカと同じ事を言うルーミアにしっかり突っ込むにとり。何故そんな単語を知っているのだろうか。

「はは、そんなんじゃないってばさ。トランペットにも限りがあるからさ、今日は色んな楽器、持ってきたんだ」

言いながら、メルランは浮遊させていた物も含め、全てのケースを芝の上に下ろした。
彼女はそれから、それらを一つ一つ開けていく。一同はメルランを囲み、期待の眼差しでその作業を見つめていた。

「例えばこれとか」

その言葉と共にメルランがケースの内の一つから楽器を取り出すと、おおー、と感嘆の声。
彼女が取り出したのは、細長いフォルムと長いピストンが印象的な、トロンボーン。
この日、メルランが持って来た楽器は実に多種多様であった。
金管楽器に限定しても、愛用のトランペットは勿論、今しがた取り出したトロンボーンに、カタツムリのような渦巻きが特徴のホルン、圧倒的な大きさのチューバに、それを二周り小さくしたようなユーフォニアムなど。
木管楽器も、クラリネットにソプラノからバリトンまで四種のサックス、フルート等、人数分以上の楽器が用意されていた。

「こんなに沢山、持ってくるの大変だったでしょ。ごめんね、ワガママ言って」

「いいっていいって、そんな。私はむしろ嬉しいよ、音楽に興味持ってもらえてさ」

謝る雛に笑ってみせ、メルランは皆を促した。

「さ、どれ吹きたい?」

―――それから。
それぞれ楽器を手に取り、メルラン指導の下一心不乱に練習に励む一同。
楽器の選考理由は特に無いらしく、『見た目が気に入った』とか『音色が好み』とか、そんな理由だったとか。

「う〜、音出にくいなぁ」

ホルンを手にしたチルノが、首を傾げる。

「まぁ、トランペットよりマウスピース小さいし、難しいからしょうがないよ。変える?」

心配そうにメルランが尋ねるが、

「ううん、これで頑張るよ。あたいにも出来るはず……」

そう言って、再び音出しに励む。メルランの言った『難しい』という言葉が彼女に火をつけたようだ。

「そっか、頑張ってね。なんかあったら呼んで」

言いながらチルノの背中をポンと叩き、メルランは辺りを見渡す。
丘のあちこちに散って、必死に綺麗な音色を出そうと奮闘する皆の姿が目に入る。
少し教えただけ、しかも初めての楽器なのに音を出す事が出来ているのは、それぞれの努力もあるが、彼女の教え方が良かったからだろう。
『ぐるぐるしてるから』というよく分からない理由でチューバを選んだ雛は、大き目の石の上に座って練習。楽器自体がかなり大型なので、立って演奏するのはかなり厳しい。
雛の奏でる重低音を横で聞きながら、にとりはトランペットを吹く。最初に吹いた事もあってか、思い入れが強いようだ。
大妖精はフルート。慣れない横笛に戸惑いながらも、一音一音をゆっくり紡ぎ出してゆく。
その隣で、リグルはトロンボーンを必死に操る。ピストンによる音程調整は難しく、苦戦中。
『黒いから』という、これまた妙な理由でルーミアはクラリネットを選択。トランペットとは勝手の違う、リード(マウスピースに取り付ける薄い板。これの振動によって音が出る)を使用した木管楽器の吹き方をものにしようと頑張っている。

(みんな、頑張ってるなぁ)

満足そうに頷くメルランに、声が掛かる。

「音階全部出せたよ!聴いて聴いて!」

見やれば、アルトサックスを首から下げたミスティアが嬉しそうに笑いながら手招き。

「ホントに!?早いなぁ」

メルランも笑いながら駆け寄る。
そしてメルランは、ミスティアが一音ずつ音を出していくのを聴きながら、自分自身が大きな多幸感に包まれている事に気付く。
ただこうやって音を聴いているだけの事が、こんなにも幸せに感じる。
理由は分かっていた―――誰かと一緒に演奏する事が、楽しいから。
つい先日まで初対面だった人達と、楽器演奏の楽しさを分かち合える事が、メルランにはたまらなく嬉しかった。
今までは姉妹と一緒に演奏するだけで本当に幸せだった。他に一緒に演奏してくれる人はいなかったが、気にしなかった。
だけど今は、名も知らなかったどころか、一度も自分達の演奏を聴いた事の無かった皆が、一緒に音楽を楽しんでくれている。
目の前にいる皆が、音楽の楽しさを知ってくれた事。音楽家として、騒霊として、これほど嬉しい事は無い。
今は彼女達の事を『友達』と呼んでいいのだろうか。分からない。

(これだけ人数がいれば、ちょっとした楽団も作れるかもね……)

ちらりとそんな事を考えてみる。まあ、考えただけだったのだが。
とりあえず、このメンバーで好きなように楽器を吹いていれば楽しいからそれで良かった。

やがて日が暮れてその日はお開きとなったが、家でも練習したいと頼まれ、メルランは皆に楽器を貸し出した。
それからは毎晩、幻想郷のあちこちで楽器の音色が聞こえるようになったとか。
翌日も、その翌日も、メルラン達は丘に集まり、楽器を練習した。
僅か数日間の練習にも関わらず、全員が音出しに関してはほぼ完璧と言えるまでになった。
音階は勿論、半音もマスター。そんな彼女達の成長ぶりに驚きながら、練習開始から四日目の夕刻―――初めてにとりと出会ってから一週間後―――メルランはずっと言いたかった事を口にしてみた。

「みんな大分上手くなったし……なんか曲、やってみる?」

これには全員、反対する筈も無かった。今までは一人で吹いていたが、技術が向上したのなら、皆で一つの曲を演奏するという事に挑戦したくなるのは当然の事だ。
メルランは手持ちの楽譜を全て見せ、皆に選んでもらった。
これがいい、いやこれも、と話し合う最中、にとりが手を上げて発言。

「私は……これがいいな」

彼女が手に取った楽譜は、『幽霊楽団 〜Phantom Ensemble』。

「これさ、メルランに初めて聴かせてもらった曲なんだ……私達で、メルランに聴かせてあげたいな」

メルランは驚いてにとりの顔を見た。にとりはメルランに笑ってみせ、それから一同を見渡す。
皆がうんうんと頷くのを確認してから、にとりは思い出したようにメルランに言った。

「というわけで、曲決定!……あ、そうだ。もし良かったらさ、あの子達にも聴かせてあげてくれないかな?」

その言葉と共に差し出されたトランペットを、メルランはそっと受け取った。
まだ彼女の演奏を聴いた事の無い四人は、期待の眼差しで彼女の様子を見ている。
にとりと雛がパチパチと拍手をしたのを皮切りに、温かな拍手が夕暮れ時の丘を包み込んだ。
その拍手を一身に受けながら、メルランはトランペットを構える。
濃紺と茜色が綺麗なグラデーションを描く空に、力強いトランペットの音色が響き渡った。

―――演奏が終わった後、鳴り止まぬ拍手の中、にとりがメルランに笑いかけた。

「いつも素敵な演奏をありがとう。今度は、メルランがお客さんになる番だよ」

そんな事を言われたのは初めてだ―――感極まったメルランの目から涙が一粒こぼれて落ちた。
いつも笑っていたメルランの涙。泣いたのなんてどれぐらいぶりだろう。
辺りはもう暗かったから、きっとバレてない―――メルランは無理矢理そう思い込んだ。

大急ぎで屋敷へ舞い戻ったメルランは、素早く夕食を作り上げると、部屋に篭った。楽譜を書く為だ。
一応それぞれの楽器用の譜面はあるのだが、いかんせん大きなオーケストラ用だったり、ソロ用だったりと、あの人数での演奏には適していない感じだった。
姉妹での演奏を前提としていた曲でもあるので、ヴァイオリンやキーボードの譜面も割り振らなければならない。
まず、リリカのキーボード譜面。いかんせん高音域なので、主にフルートに割り振る。イントロは大事だ。
クラリネットも基本フルート補助。サビでヴァイオリン譜面を少し。
トランペットは勿論そのまま、アルトサックスも大体トランペット準拠。
トロンボーン及びホルンに少し悩んだが、ヴァイオリン譜面を割り振る。どちらも柔らかい音だから、ヴァイオリン譜面との相性もいいだろう。
チューバは勿論ベース。地味だが、絶対に欠かせない大事な役割だ。
パーカッションがいない事に気付いたが、騒霊の能力でメルランが自動演奏させる事にした。普段パーカッションはリリカが主にやってたが、自分も多少なら出来る。
結局メルランは、殆ど寝ずに楽譜を書き上げた。
もっとも、書き上げた後は興奮で寝るどころでは無かったのだが。

碌に寝ていなかったが、幸いメルランは体調を崩すような事は無かった。むしろ、昨日よりもさらにパワーが増した感すらある。
昼過ぎになると、いつものように玄関から勢いよく飛び出す。勿論、昨晩書き上げた楽譜を持っていく事も忘れない。
丘に辿り着くと、そこにはにとりと雛の姿。他のメンバーはまだらしい。

「おまたせ〜。楽譜出来たよ!」

メルランは早速、出来立ての楽譜を取り出した。

「おお〜!私にはあんまり音楽の知識は無いから上手く言えないけど、凄いものが出来たっていうのはわかるよ」

そう言ってにとりは笑顔だ。
それからメルランは雛にチューバ用の楽譜を渡す。あんまり楽譜というものを見慣れてないせいか、雛は受け取った楽譜を興味深そうにしげしげと眺めている。

「あたい参上!」

唐突に後ろから声。振り返ると、チルノ以下仲良し五人組。

「お、来た来た。はい楽譜!」

メルランはそれぞれに楽譜を配って回る。

「読み辛い部分とか、よくわからない所があったら遠慮なく質問してね。担当部分はバラバラだけど、全員で合わせたらきっと凄い演奏になるよ」

その言葉に頷く一同。わざわざお手製の楽譜まで用意してもらったのだ、何としてもメルランに素晴らしい演奏を聴かせたい―――そんな使命感にも似た気持ちを抱え、彼女達は練習を開始した。

その日は日が暮れるまで練習に没頭した。
流石にこの日一日でマスター出来る筈も無く、まだマトモな音が出せるようになったばかりの彼女達は大いに苦戦した。

(やっぱり難しいみたい……まだ早かったのかな)

首を傾げながらも必死に音符を追う彼女達の姿を見て、メルランは曲の練習を一回止めさせようかとも考えた。
だが、他ならぬ彼女達自身が望んだ事だ、と思い、教えつつ見守る事にした。何より、皆の演奏を早く聴きたかった。
何も言わずとも翌日も、皆はいつもの場所でひたすら練習に励んだ。
メルランは常に誰かの横で指導をしていた。楽譜の読み方から素早い運指のコツ、演奏しやすい代え指、小節ごとの音の強弱まで。
最初から十二小節通して間違えずに吹けた、と嬉しそうに笑う雛と一緒に喜んだり、どうしても十五小節目で間違えてしまうと嘆くチルノを励ましたり。
翌日も、その翌日も、そのまた翌日も―――彼女達は練習に明け暮れた。
少しずつ間違い箇所が直り、演奏スピードも僅かずつではあるが上昇しつつあるその演奏。
練習の成果は確かに出ている。それが分かっただけでも、彼女達のモチベーション向上には十分過ぎる程だった。
そして、そのさらに翌日。ついに、その時は来た。

「……出来た……」

そう呟きながら、にとりはトランペットをそっと下ろす。その手は興奮と驚きで震えていた。

「出来た!最後まで出来たよ!一回も間違えなかった!!」

この日、ついに彼女は一度の間違いも無く、譜面の最後まで演奏してみせたのだった。
本来のテンポより結構遅いが、それでも完奏である事には違いない。
すぐ横で聴いていたメルランも興奮で声が震えた。

「おめでとう、凄いよ!」

そのまま抱き合って喜ぶ二人。残りのメンバーも口々に、『本当に!』『聴かせて!』などと言いつつ駆け寄る。
とその時、まさに計らったようなタイミングで、集まる一同に声が掛かった。

「お〜い、何やら楽しそうな事してんな!」

声は上空からだった。
すすす、と上空から箒に乗った霧雨魔理沙が降りてくる。
彼女はメルランの姿を見ると、合点が行ったような表情。

「お、いつぞやの騒霊―――の真ん中。なるほど、最近この辺が騒がしかったのはお前らの仕業か。他の二人は一緒じゃないのか?代わりに色んなのがいるみたいだけど」

メルランは魔理沙にこれまでの経緯を軽く説明してみせ、今練習中だと告げる。
すると、魔理沙は興味深げに言った。

「へえ、皆で集まって演奏なんてステキじゃないか。なあ、良かったら聴かせてくれないか」

え、と思わず呟いてしまってから、メルランは一同の顔を見渡す。
練習の積み重ねで、確かに彼女達の演奏スキルは著しく向上した。
だが、現在完奏出来たのはにとりただ一人、しかもテンポはかなり落としてある。
いきなり合奏に持ち込んで、果たして演奏出来るのか―――。
だが、その不安を見透かしたが如く、にとりは笑って見せた。

「いいじゃん、やろう!まずは魔理沙にお披露目だ!」

その言葉に触発されたかのように、一同は頷いた。

「せっかくたくさん練習したんだし、一回みんなで合わせてみたかったんだ」

リグルのその言葉にうんうんと頷いてから、チルノはビシッ!と魔理沙を指差す。

「あたい達の演奏を聴いて、腰抜かしちゃっても知らないんだからね!」

「はは、そりゃあ期待出来そうだな」

魔理沙はひとしきり笑ってから、少し離れた場所に座る。
メルランはとりあえず、とメンバーの立ち位置を指定する。音が小さい楽器は前、大きい楽器やベースはやや後ろ。
自分自身が何をするのか全く考えていなかったメルランは少し戸惑ったが、せっかくだからと指揮者をする事にした。
指揮棒は持ってきていないので、手でそのままだ。

(大丈夫、みんなならきっと出来る!)

強く自分に言い聞かせ、メンバーと向かい合ったメルランが片手を上げる。一同はそれに合わせ、楽器を構えた。
その眼差しは真剣だ。

「三つでいくよ……ワン、ツー……」

手で四拍子を刻み始めたメルラン。

「―――ワン、ツー、スリー!」

 

四拍目と同時に、まず、フルートの音色が響き始めた―――

 

彼女達の音色は、確かに『幽霊楽団』を奏でていた。
初めての合奏だった為、きちんと曲として仕上がっている事に驚いたが、それを表情に出す暇も無い。
自分が休む場所以外は絶えず息を吹き込み、隙を見て息継ぎ。
絡まりそうになる指を何とか動かし、キーを押さえていく。遅れまいと、その視線は楽譜の上の音符を必死に追いかけていた。
メルランは、通常よりもやや遅めのテンポで指揮をしていた。いきなりインテンポ(本来の速度)では厳しかろうと考えての事だ。
イントロ、メインフレーズを経て、最も盛り上がるサビのフレーズへ。
全ての楽器を総動員し、音色を作り上げる。本来は三つの楽器をメインとする曲だが、今は七つの楽器で演奏している為か、力強い。
主旋律、副旋律、ベース音―――彼女達はそれぞれの役割を果たしつつ、ただひたすらに音を重ね、奏でていく。

 

そして、演奏が終了した。

 

初めての通し演奏に加え、極度の緊張によってメンバーの息は荒い。はぁ、はぁ、と肩で息をする彼女達の姿を見ながら、メルランは何も言えず、しばし立ち尽くした。
決して上手な演奏では無かったかもしれない。確かに、間違えた箇所がいくつもあり、それは指揮者のメルランにも聞き取れた。
だが、それは些細な事だった。それよりも、初めて合奏を成功させた達成感だとか、ここまで成長していたという驚きだとか、自分の持ち曲を皆が一生懸命演奏して、形にしてくれたという嬉しさだとか。
そんな気持ちで彼女の胸はいっぱいで、彼女は何も言えなくなってしまった。今の感情は言葉では表せそうにない。
その静寂を破ったのは、ずっとその演奏を聴いていた観客―――魔理沙の拍手。

「いや〜、なんつーか……凄いな!うん、凄い!上手いよお前ら!不覚にもちょっと感動したぜ!」

パチパチと拍手しながら、賞賛の言葉を投げかける魔理沙。その表情は確かに満足そうに笑っていた。
最初は疲れもあって反応できなかったメンバーの顔にも、徐々に笑顔が広がっていく。
自分達の演奏は、たった一人とはいえ、確かに人を楽しませる事が出来たのだ。

「ど、どーよ、あたい達の演奏!凄かったでしょ?」

ずずい、と魔理沙の前に出て、興奮気味のチルノが尋ねる。

「ああ、本当に凄かった!頑張ったんだな、お前ら」

皮肉でも何でも無く、純粋に褒め称える言葉を返されて、チルノはちょっと顔を赤らめた。

「ありがとう。そこまで言ってもらえると、教えた甲斐があるってものね」

メルランがそう言って頭を下げると、

「いやいや、本気で言ってるよ。初めて会った時は分からなかったけどさ、お前凄いヤツだったんだな……」

そう言って魔理沙は笑う。その言葉が何だか照れくさくて、メルランははにかんだ笑顔を見せた。

「何て言うんだろうな……お前らの演奏な、聴いてるとなんだか……幸せな気分になるっていうか……こう、気分が盛り上がるんだな。よく分からんけど」

その魔理沙の言葉は、メルランに向けられている。
人を幸せにする音色を紡ぎ出すメルランが作り上げた楽団は、やはり人を幸せにする演奏を奏でてみせた。

「ところで、この楽団の次回公演予定はいつだ?また聴きたいぜ」

『楽団』呼ばわりされた事が少し嬉しかったメルランは、笑顔のままメンバーを見渡す。
彼女達の表情は一様に明るい。それは、次回公演の意志がある事を雄弁に物語っていた。
暫しのシンキングタイムの後、メルランは答えた。

「―――五日後。五日後に、またこの丘で演奏するよ。また聴きに来てくれる?」

「ああ、勿論だ!じゃ、頑張れよ!」

力強く頷き、魔理沙は去って行った。

(あと五日もあれば、きっとこの……この『楽団』の演奏はもっと良くなるはず。きっと、人をもっと幸せに出来る、そんな演奏が……)

そう考えて、彼女は次回の演奏を五日後に指定した。
それから、メンバーの方に向き直る。

「みんな、お疲れ様。本当にいい演奏だったよ。本当に、みんな上手になった」

その言葉を聴くメンバーの顔は、達成感に満ちていた。

「だけど、みんなはまだまだ上手になれるよ。魔理沙はまた五日後に聴きに来てくれるらしいから、頑張って練習だよ!」

『おおーっ!』

力強い掛け声で返事をし、腕を高く掲げる。この『楽団』が、大きな一歩を踏み出した日だった。

興奮冷めやらぬメルランは、その日屋敷に帰ってからもずっとニコニコ顔。早くも『次回公演』の事で頭が一杯のようだった。
夕食の席でもずっと笑っている彼女の様子を見て、クエスチョンマークを浮かべるルナサとリリカ。

「何かいいことでもあったの?」

たまらずリリカが尋ねる。

「え?」

突然の質問に、思わず聞き返してしまうメルランだったが、その表情は依然として明るい。

「いや、なんかすっごいニコニコしてるからさ……」

「そんなに?」

「うん、それはもう。いくらメル姉さんでも、こんなにずっと笑ってるのを見るのは初めてかも……」

(そういえば、姉さんにも同じ事言われたっけ)

先日の光景が蘇り、メルランはスプーンをくわえたまま含み笑い。

「んふふ……なんででしょ〜?」

相変らず笑顔を絶やさない彼女の様子に、リリカも困惑顔。
そうこうしている内にメルランはきちんと手を合わせて『ごちそうさま!』と言い、自分の食器を片付けると、鼻歌混じりに自室へさっさと引き上げてしまった。
残されたルナサとリリカは、互いに顔を見合わせ、首を傾げるばかりであった。

 


(……まだ、言わない。もっと凄い演奏が出来るようになったら、聴かせてあげるんだ)

本当は今すぐにでも伝えたかった。たくさんの人に音楽の楽しさを知ってもらえた事、自分が『楽団』を作り上げた事、その演奏は確かに人を楽しませることが出来た事。きっと、一緒になって喜んでくれるだろう。
だが、サプライズの為に彼女はそれを敢えてひた隠しにした。
ずっと一緒だった姉妹に隠し事というのは若干気が引けたが、別に悪い事じゃないんだし、と考えることにした。
いつか見れるであろう、姉と妹の驚きの表情を脳裏に思い描いてみると、思わず笑顔になる。気付けば、スキップ気味に部屋へ向かっている自分に気付く。
メルランは、感情がすぐ表に出るタイプ。隠し事には徹底的に向かない。
幸いにも、まだバレてはいないのだが―――。

明くる日の午前中を、自らが作り上げた楽譜を実際に演奏するなどしてチェックして過ごしたメルラン。
違和感がない事を確認し、午後には再び練習場所へ繰り出す。
集合もかけてないのに既に皆がいて、メルランの号令で本格的に練習を始める。
魔理沙の前でちゃんと最後まで演奏出来た事で自信が付いたのか、練習はスムーズに進んだ。
個人練習は元より、何度も合奏を行い、躓く部分は繰り返し練習。演奏のピッチも上げ、やがてはインテンポに。
この数日間で彼女らの目に見えて演奏技術は上達し、音を外す事も、テンポがズレる事も殆ど無くなった。
気付けば、音程のズレを互いにチューニングして調整する程までになっていた―――それが、公演前日の事。五日間はあっという間だった。
思えば、初めて楽器を持たせてから二週間程度。その上達振りに、メルランは感動を禁じ得ない。

(こないだまでお客さんだったのに、今度はステージに立つんだ……みんな凄いよ)

合奏の指揮をしながら、うすぼんやりと考える。それどころか、初めて会ってからもそのくらいしか経っていない。
まあ、ステージとは言っても観客は魔理沙だけなのだが、それは些細な事だ。
前日の練習は少し早めに切り上げた。疲れを残さない為だ。
明日の演奏が終わった後の、メンバーの喜ぶ顔と、きっと見に来てくれるだろう魔理沙の驚く顔を思い浮かべながら、メルランは帰路に着く。
帰り着いたメルランは、リビングに居たルナサに尋ねた。

「姉さん、指揮棒どこやったっけ」

「ん〜、そこの確かそこの引き出しの中に……」

彼女は同じリビングに置いてある小さい棚を指差した。メルランは、明日は本番なんだし、指揮者を務めるのだから指揮棒は必要だろう―――そう考えた。
言われた引き出しを探ってみると、ケースにしまわれた指揮棒を発見。

「お〜、あったあった。ありがとう姉さん」

そのまま彼女は自室に向かう。

(……何に使うのかしら)

去っていくメルランの背中に視線を走らせながら、ルナサは考える。

「………」

リリカは何も言わず、廊下へ消えたメルランの背中を見つめるだけだった。何かを考えているような表情を浮かべつつも。

―――翌日。時刻はやはり正午過ぎ。
約束の時間は午後二時。客が一人とは言え立派な公演、最後にリハーサルをしていこうという話になり、いつもの丘へは直接集まらず、湖のほとりでリハーサル演奏。
軽く通してみる程度だったのだが、先日の演奏と比べても明らかに上手になっている。もう心配はない。

「うん、これなら大丈夫!頑張ろうね!」

メルランの言葉に、笑顔を見せるメンバー。
楽器の手入れを終わらせた頃には、約束の時間が迫っていた。一同はそれぞれの楽器や道具を手に、あの丘へと向かう。


―――魔理沙、驚くかな?


―――絶対驚くよ!腰抜かしちゃうんじゃない?


―――大丈夫かな。なんだか緊張してきたよ……


―――あんだけ練習したんだ、絶対に大丈夫だって……


そんな会話を交わしながら歩く。
丘が見えてきた。もうすぐだ。今までの練習の成果を、思いっきりぶつけてやろう。

 

 

 


―――そして少女達は、立ち尽くす。

 

 

 

 

 

丘に広がっていた光景―――黒山の人だかり。
最初は、何か事件でもあったのかと思った。だが、見れば人々はきちんと整列し、同じ方向を向いて立っているのだ。
もう少し近付くと、人々の向く方向には、綺麗に並べられた椅子が―――七つ。
メンバーの人数は、指揮者のメルランを除き、七人。ここで、ようやく気付いた。

 


―――あの人たちは、私達を待っている。私達の演奏を―――。

 

 

「……魔理沙、は?」

「てか、あいつだけじゃなかったのかい?」

「なんでこんなに人がいるの……?」

口々に呟きながら、呆然と立ち尽くす一同。
すると、人だかりの中から、こちらに気付いたらしい魔理沙が出てきた。

「よっ、待ってたぜ!今日も素晴らしい演奏聴かせてくれるって、期待してるよ」

何事も無いかのように言う魔理沙に、慌ててメルランが尋ねる。

「ちょ、ちょっと!何なの、あのたくさんの人達……」

すると魔理沙は、あっけらかんと笑って言った。

「ん?ああ、私が呼んだ」

「よ、呼んだぁ!?」

あまりの言葉に鸚鵡返しのメルラン。魔理沙は笑顔を崩さない。

「だって……あんないい演奏、私だけ独り占めはズルイってもんだ。だから、何人かに話したんだ―――”騒霊が引き連れるウィンドオーケストラ光臨”ってな。
 そしたら、口コミで広がってあれよあれよと……ま、後はあの通りさ」

すると、人々もこちらに気付いたらしい。視線が注がれたかと思うと、ワッと瞬間的に広がる歓声と拍手。

「わ、わ、わ……」

観客は魔理沙ただ一人だと思ってたのに、いきなりこの大観衆。緊張と驚きで口をパクパクさせるチルノ。
他のメンバーも緊張の波に飲み込まれ、顔色が悪い。大歓声と裏腹に、メンバーの間を嫌な沈黙が流れる。
それを破ったのは、指揮者・メルランだった。

「―――みんな」

彼女の呼びかけに反応するメンバー。

「魔理沙が何て言ったかは分からないけど、あの人達はみんな、私達の演奏を楽しみに来てくれてる。
 予定よりお客さん、増えちゃったけど……大丈夫。みんなあんなに頑張ったんだから、最高の演奏が出来るはず。私は信じてるよ」

その言葉を、神妙な面持ちで聞く一同。
そして最後に、メルランはとびっきりの笑顔を見せた。

「魔理沙だけじゃなくて、あの人達全員、驚かせちゃおうよ!」

その言葉と笑顔が、何かを動かした。メンバーの顔にも再び笑顔が戻る。

「メルランの言う通りだよ。どうせなら、みんなをあっと言わせる演奏をしてやろうじゃないのさ。一人も百人も変わらないよ!」

「そのとーりよ!あいつら全員、あたい達の演奏で腰抜かして、それで腰悪くしちゃって、湿布無しではしばらく生活出来なくさせてやるわよ!」

「そーなのかー!」

「弾幕じゃ勝てなくても、演奏の魅力なら負けないよ!」

活気の戻ったメンバーの顔を満足そうに眺め、メルランは椅子の並べられた『ステージ』へ向かう。一同が、それに続いた。
空元気、大いに結構。大切なのは、自信と笑顔だ―――メルランは後に、そう語った。

メンバーが用意された椅子に着席すると、観客がざわつき始めた。いよいよ演奏が始まるとあって、ボルテージも高い。
魔理沙の人脈の広さもあってか、集まった観客は本当に多種多様だった。
パッと見ただけでも、博麗神社から霊夢と萃香、白玉楼の幽々子と妖夢、永遠亭の一同に、妖怪の山から呼んだらしい天狗及び守矢神社御一行。中でも文は取材する気マンマンでメモ帳を構えている。紅魔館からも、レミリアとパチュリーが日傘持参で馳せ参じた。大妖精の雄姿を見に来たらしい小悪魔もセットだ。
メルランが特に驚いたのは、恐らく慧音や妹紅辺りが呼びかけたのだろう、人里から来たらしき人々が沢山いた事だ。
何せ演奏するのは妖怪に妖精に神様の混成部隊、そしてリーダーは騒霊だ。怖がって近付かないとさえ思っていたのだが、逆に人ならざる者である彼女達の音楽に興味を惹かれたようだ。
着席したメンバーがそれぞれ楽器の調子を確かめ、大丈夫だと分かると指揮者のメルランに合図を送っていく。
全員の準備が済んだ所で、メルランは観客の方を向き、優雅に一礼。
再び大歓声と拍手が沸き起こり、それはメルランが頭を上げた所でピタリと止む。
彼女は最前列の魔理沙にもう一度笑いかけて見せてから、振り返ってメンバーに向き直った。
楽器を始めて間も無いのに、いきなりこんな大観衆の前での演奏。先刻決意を新たにしたとは言え、メンバーの顔から緊張の色は拭えない。
そんな彼女達に、メルランはやはり笑顔を向けた。何も喋らず、ただ笑いかけ、そして頷く。まるで”大丈夫だ”とでも言うように。
笑顔には、人の不安を拭う確かな効果がある。メンバーにとって先生でもあるメルランの笑顔は、彼女達が抱える不安を吹き飛ばすには十分だった。


一同の顔から不安の色が消えた事を確認し、メルランは指揮棒を握った右手を高く掲げる。
それに合わせ、大妖精とルーミアが楽器を構える。出だしはこの二人が主役だ。

「ワン……ツー……」

メルランは、カウントと共に手を動かす。メンバーも、スリーカウントで始める事は当然承知だ。

「ワン、ツー、スリー」

四拍目と同時に、フルートの滑らかな音色が流れ出す。その後、フルートを支えるようなクラリネットの音も聞こえてきた。
イントロ主旋律はフルート、副旋律がクラリネットだ。普段はキーボードが両手でどちらも弾く。
先日とは違い、明らかに音色に余裕がある。テンポも本来の速さだ。この時点で、魔理沙はあまりの成長ぶりに驚きを隠せない表情だった。
まずイントロをワンフレーズ演奏し終え、そこからあと三回イントロフレーズ。二回目からは、メルランが自動演奏の打楽器を鳴らし始める。
パーカッションの追加によって躍動感が生まれた演奏。ツーフレーズ目の終わりごろ、にとり以外が全員楽器を構えた。
三回目からは主役がチルノ・リグル・ミスティアに交代、柔らかくも伸びのある金管楽器の音色とよく通るサックスの音色も上手く調和しているようだ。ミスは無い。大妖精とルーミアはここから裏方に回る。
四回目。パーカッションや雛のベース音も激しさを増し、いよいよメインフレーズへ。ここからの主役は勿論トランペットだ。
いざメインフレーズに入るその瞬間、にとりはいきなり椅子から立ち上がり、そのまま演奏を始めた。
元々力強いトランペットの音色は、彼女が立ち上がった事で非常によく通る。観客の視線を一身に集めながら、にとりは強く、強くトランペットを吹く。
背筋を伸ばし、トランペットを水平よりやや上に構え、堂々と力強くトランペットを奏でるその姿。

―――それはまさに、にとりが初めて出会った時の、メルランの雄姿そっくりだった。

にとりも、きっとそのメルランの姿を意識したのだろう。
それを見たメルランは、何だか胸が熱くなる思いだった。指揮の腕にも熱が篭る。何としても、この演奏を成功させたい。
メインフレーズを二度繰り返し、サビフレーズへ。ここで、メインフレーズ時に休んでいたメンバーも楽器を構え、全員で演奏を作り上げる。
トランペット・アルトサックスが主旋律を奏で、それに被せるように他の金管楽器やクラリネットがヴァイオリンの役割を果たす。
チューバの重低音も、しっかりバンドの土台として機能している。
指揮をしながら、メルランはまるで姉妹達と演奏しているかのような錯覚に囚われそうになる。自分一人では決して出せない、力強く、多彩な旋律。
気分が高揚してきたメルランは、指揮の動きをさらに大きくする。それに呼応するように、演奏もさらに力を増した。
観客達は、ただ呆気に取られたが如く、その演奏に一心に耳を傾けるばかりであった―――。

メルラン達がその演奏で観客達を魅了していた、その同じ頃。
幻想郷のはずれのプリズムリバー邸。その玄関のドアが、まるで蹴破られたが如くに勢いよく開いた。

「ルナ姉さん、大変!!」

ドアを開ける音に被せるようなリリカの大声。ただならぬ雰囲気を察知し、ルナサは調弦の手を止めた。

「どうしたの?」

冷静を装って尋ねると、リリカは息を切らせながら言った。

「め、め、メル姉さんが……姉さんが……」

どもりながら、リリカはただ玄関から外を指差している。

「メルランに何かあったの?」

心配そうな顔を向けるルナサの手を、問答無用、と言った体でリリカが握る。

「と、とにかく来て!!」

そのままリリカは、ルナサの手を握ったまま屋敷を飛び出した。
ルナサの手を引きつつ、一直線に湖を越える。途中で、彼女はルナサに告げた。

「最近、メル姉さんの様子がおかしかったでしょ?だから、さっき探しに行ったんだ……何してるんだろう、って。そしたら……」

そこでリリカは言葉を切った。二人の耳に、聴き慣れたフレーズが飛び込んできたからだ。
普段あまり表情を変えないルナサが驚きの表情を見せた。

「こ、これ……『幽霊楽団』じゃない。どうして……?音色は全て管楽器のものみたいだけど……」

それに答える代わりに、リリカは前方を指差した。

「……あそこ」

その指の先には、小高い丘に出来た人だかり。そして、どうやら演奏会が開かれてるらしい。
丘へ近付いた二人。その光景を間近で見たルナサは、『驚愕』そのもののような表情。
そこでは、一、二……七人の少女達が管楽器を演奏していた。全員楽器はバラバラだが、それぞれの役割をきちんと果たし、まとまった演奏になっている。
そして、そのバンドを操る指揮者が、あまりに、あまりに見慣れた人物だった。

「……メルラン……」

ぽつり、とルナサは妹の名を呟く。
二人は着地し、外側から回り込むようにして最前列へ出る。そこでは、メンバーの、そしてメルランの表情がはっきりと見える。
抑揚をはっきりとつけ、全体的にダイナミックな指揮で演奏を引っ張るメルランの表情は―――本当に、心の底から楽しそうな、幸せそうな笑顔。
この瞬間、ルナサは全てを理解した。ここ暫くの彼女のおかしな行動や、何かを隠していそうな振る舞いも、全てはこの為。
何故隠していたかまでは分からないけど、メルランは何時の間にか楽団を作り上げていた。
最近はやたらと笑顔を見せていたけど、姉妹以外の誰かとセッションした事すら無かったのだから、きっと本当に嬉しかったのだろう。今なら分かる。
自分達が多分一番多く演奏したであろう代表曲を、ブラスバンド風にアレンジしての演奏。あまりに聴き慣れた曲の筈なのに、何だか新鮮な聴き心地がする。
気付けば二人は、その演奏にすっかり心奪われていた。

前回、魔理沙一人に披露した時は曲を一周で終わらせたのだが、今回はサビ→間奏→イントロと繋いで計二周させ、そのまま最後のイントロでフィニッシュ、という運びにするつもりだった。
二回目のサビフレーズも、にとりのトランペットが冴え渡る。それに付随するように他のメンバーも曲を彩る。
激しい盛り上がりを見せたサビから一転、静かな間奏部分。ここではフルート・トロンボーンがメインとなって静かに場を繋ぐ。
間奏後半からはホルンの音色も混じり、段々テンションを上げていき、最後のイントロへ。
最初はやはりフルート・クラリネットのみだが、繰り返しを重ねるごとに楽器が増えていき、四回目―――ラストには本来入らない筈のトランペットまで混ざり、イントロだというのにまるでサビであるかのような盛り上がり。
そして、一瞬全ての演奏を切り―――全員がスタッカートで三つ鳴らす。それは、演奏の終了を告げていた。
フィニッシュのまま動かないメンバー。演奏を切る為の、指揮棒を握り締めて押さえるような体勢のまま動かないメルラン。
数秒の後、メルランはそっと手を下ろす。それに合わせ、メンバーも楽器を下ろした。
水を打ったかのような静寂に包まれた丘。まるで魔法にかけられていたかのように演奏にのめり込んでいた観客達だったが、

パチ……パチ……

誰かの拍手の音。それを皮切りに、まるで水の波紋が広がるが如く、拍手と大歓声が爆発的に広がっていった。
静寂から一転しての拍手喝采に呆然としていたメルランだったが、慌てて観客席に何度も礼。メンバーもそれに倣った。

「いいぞー!お前ら最高だ!!」

最前列で歓声を上げる魔理沙。魔理沙だけでは無く、彼女の知り合いを含めた観客全員が、心からの歓声と拍手―――そして、本当に楽しそうな笑顔。

 

―――人を幸せにする音色を紡ぎ出すメルラン。そんな彼女の作り上げた楽団は、今まさに、これだけ多くの人を笑顔にしてみせた。

 


と、その時。止まない歓声に笑顔で応えていたメルランは、見つけた。最前列の端に、毎日顔を合わせている相手がいた。

「ね、姉さん!?それにリリカまで!!」

一緒になって拍手を贈っていた二人は、メルランに近付く。

「あなた、いつの間にこんな素敵な楽団を作っていたのね。正直、ちょっと感動したわよ」

「ほんとほんと、びっくりしたんだから」

笑顔で称えてくれる二人。姉妹にまで褒められて顔を赤くしたメルランだったが、その場で二人に背を向けながら言った。

「内緒にしてたのにな……でも、ありがとう。詳しい事は後で話すよ。今は撤収しなくちゃ」

そのままメンバーの片づけを手伝おうとしたのだが、ここで魔理沙が挟んだ。

「丁度いいぜ、お前らも演奏してけって。せっかく三人揃ったんだし、こんなに観客もいるんだ」

『え?』

トリオで聞き返す三人。自分達がここで、この大観衆を前に演奏するなど考えてもいなかった。
だが、魔理沙は観客を煽る。

「みんな、お次は騒霊三姉妹の演奏だ!こっちも負けず劣らず騒がしくて、本当に素敵な演奏を聴かせてくれるはずだ!聴いていくよな!?」

魔理沙の問いかけに、拍手で答える観客達。パシャ、パシャとカメラのシャッター音も聞こえる。
そのまま、魔理沙はルナサ、リリカの二人の背中をポン、とステージ側に押し出した。

「頑張れよ、みんな期待してるぜ。あの楽団を作り上げたオリジナルの演奏だ」

押し出されるままに三人揃って大観衆の前に立つ。改めて、大地を揺るがす程の大歓声が耳を打った。
気付けば、楽団メンバーは全員楽器を持ったまま観客席に移動して、一緒になって拍手を贈っている。
その中で、にとりが手招きをしているのでメルランが寄ると、彼女はトランペットを差し出しながら言った。

「結局、私達がお客さんになっちゃったね。また、あの最高の音色、聴かせておくれよ!」

笑顔と共に差し出されたトランペットを受け取り、メルランも笑顔を返す。
戻った時、既に二人もそれぞれの楽器を用意していた。

「曲は?」

「……リリカ。それは愚問というものね」

「ま、そーゆーコト。いけるでしょ?」

「あったりまえでしょ!」

口々に言葉を交わし、準備もそこそこに楽器を構える三人。再び静かになる観客。
カウントも何も取らない。リリカの繊細な指が、キーボードの上を滑りだす。
流れ出した旋律は、『幽霊楽団』のもの。正真正銘、オリジナルの『幽霊楽団』。
先程はフルートとクラリネットが担っていたイントロをスラスラ弾きながら、リリカは横目でルナサに合図。
それに合わせたかのように、ルナサもヴァイオリンを奏で始める。
弓が弦の上を滑る度に、しなやかなヴァイオリンの音色が流れていく。
二つの音色が混じりあい、力強くも儚げな旋律を作り上げ―――そして、メイン。

(―――みんな、見ててね!)

心の中でメンバーに呼びかけ、メルランはトランペットを構えた。
本気を出したメルランのトランペットの音色は、空を突き破るような勢いで飛び出していく。
三人の息は完璧で、阿吽の呼吸という言葉でも足りないかと思わせるほど。
誰も、何も言わない。皆が皆、三姉妹が紡ぎ出す色とりどりの旋律に魅了されていた。

 

 

そして、演奏が終わった時―――プリズムリバー三姉妹は、今まで聞いた事も無い程の万来の拍手をその身に受けた。
初めて自分達の演奏が認められた―――そんな気すらして、三人は顔を見合わせ、恥ずかしそうにクスッと笑う。
彼女達を包み込む大歓声は、何時までも、いつまでも止む事は無かった―――。

 

 


―――あれから、一年の時が流れた。
あの演奏以来、顕界でも頻繁に演奏依頼が舞い込むようになり、三姉妹は大忙しだった。
だが、それを苦に感じることは全く無い。姉妹で演奏するのが何より好きだったし、演奏が終わった後の観客の満足そうな表情を見るだけで元気になれた。
そんなある日、人里でのライブを終えて帰宅した三姉妹。
次の演奏予定まで二週間程の暇が空いた。要するに暫くはオフ。

「やったー!久々にゆっくり昼寝出来る〜!」

楽器の片付けもそこそこに、嬉しそうにソファに寝転がるリリカ。

「もう、また一日の3/4を睡眠で過ごす気?本当に隙間でも操れるようになるんじゃないかしら」

呆れ顔のルナサだったが、久々の休みという事で彼女も嬉しそうだ。
ここで彼女は、メルランが何やらゴソゴソとやっている事に気付く。

「何してるの?」

尋ねながらメルランの手元を覗き込むと、彼女は人形に手紙を持たせていた。

「森の人形師さんから買ったんだよ。手紙を届けてくれるんだ」

数枚の手紙を持たされた人形は、そのままパタパタと開いた窓から外へ飛んでいった。

「誰に出したの?」

寝転がりながらリリカが尋ねると、メルランはふふ、と嬉しそうに笑う。

「決まってるでしょ〜。久々にみんなと演奏出来るよ」

なるほど、といった表情のルナサは、リリカに告げた。

「明日は、昼寝出来なさそうね」

リリカは苦笑いしながらも頷いた。


―――翌日、午後三時前。
人里のど真ん中、桜並木の道沿いで、あの時の楽団メンバーが集まっていた。それぞれの手にはあの時と同じ楽器。

「久しぶりにみんなと演奏出来るなんて、昨日はワクワクしてあんまり寝れなかったよ」

嬉しそうに笑う雛。

「いいのかい?せっかくのお休みなのに」

にとりが心配するが、指揮棒を持ったメルランはけらけらと笑い飛ばす。

「私はこの為に休みがあると思ってるくらいだからい〜の!」

あれから数度、幻想郷のあちこちで密かに活動を続けていたメルランの楽団。
練習を繰り返し、『幽霊楽団』以外にも多くの曲を演奏出来るようになった彼女達は、行く先々で多くの観客に囲まれた。
なお、今回の演奏は完全にゲリラだ。既に常連となりつつある者もいるらしく、ゲリラライブだというのに早くも観客が彼女等を囲み始めていた。
観客に向かって、にとりが声を張る。

「さぁさぁ!『メルラン・ウィンドオーケストラ ゲリラライブin人里』!!間も無く始めるよ〜!聴いて損はさせないったら!」

何時の間にか楽団に名前まで付いていて、気恥ずかしくなったメルランは顔をちょっと赤らめた。

―――その頃、人里内の寺子屋で。上白沢慧音は、着席した子供達に対して国語の授業を始めようとしていた。

「では、教科書の38Pを開いて。今日は―――」

言いかけた慧音は、ふと窓の外を見やる。何やら騒がしい。
人だかりを見て、彼女は『なるほど……』と呟いた。

「先生、どうしたの?」

最前列の机に座った男の子が慧音に尋ねると、彼女は笑顔で子供達に向き直った。

「……みんな、教科書を閉じなさい。今日は特別に、音楽の授業だ」

その言葉に歓声を上げ、開いたばかりの教科書を閉じる子供達。
そのまま子供達は、慧音に続いて教室をぞろぞろと出て行った。

「うひゃあ、たくさん来たねぇ」

にとりが感慨深げに呟く。思えば、最初の観客は一人だけだった。
だが今は、優に三桁に到達するであろう観客が彼女達を囲んでいる。
最前列には、寺子屋から来た子供達と引率の慧音。そして、ルナサとリリカ。魔理沙もいた。
魔理沙は、それこそ一番最初の公演からずっと聴きに来てくれている常連だ。

「一人でも百人でも変わんな〜い!さあ、早くやろうよ!」

にとりの受け売りで、チルノが急かす。
メンバーの準備が完了したのを確認して、メルランは観客に向かって声を張った。

「みんな、今日は私達の演奏を聴きに来てくれてどうもありがとう!
 絶対ハッピーな気持ちにするから、応援よろしく!!」

大歓声を一身に浴びつつ、メルランは一礼。そして、メンバーに向き直った。
右手を上げると、メンバーが一斉に楽器を構える。
曲は、『神々が恋した幻想郷』。
スリーカウントの後に、にとりが立ち上がる。それに合わせるように、メルランも腕を大きく振った。

 

高らかなトランペットの音色は、桜吹雪と一緒に風に乗り、どこまでも、どこまでも―――

 


 

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