―――チルノは、夢を見た―――

 

 

 

 


『ワタシハ、ムービースター』

 

 


『アタイモ、ムービースター』

 

 

 

 


『アナタハ、ムービースター?』

 

 

 

 

 

 

『ナメンナヨゥ!!』

 

 

 

 

 


カタカタ、カタカタ。

フィルムの巻き取られる乾いた音が、決して広いとは言えない室内に響く。
だが、それはその室内にいる者―――チルノの耳には届かない。
暗い室内で彼女は食い入るようにスクリーンを見つめ、例え一音でも聞き逃すまいと耳を研ぎ澄ませ、その手に持ったポップコーンを口に運ぶ事すら忘れていた。

 


映画は今まさにクライマックスシーン。
悪徳地主の下より、近隣の村の宝物である大きな宝石を盗み出した怪盗。しかし、逃亡の末に崖に追い詰められてしまった。
大人数に囲まれて退路を塞がれ、おまけに背後は崖。絶体絶命の状況だった。
しかし、そんな状況下にも関わらず怪盗は余裕の笑みを浮かべている。
痺れを切らした悪党達は、彼を捕まえるべくさらに包囲網を狭める。
だが次の瞬間、怪盗はポケットから取り出した物―――閃光弾を地面に放り投げた。
瞬時に光の洪水が辺りを塗りつぶし、何も見えなくなる。
光が消え、悪党達が気付いた時、そこにはもう怪盗の姿は無かった。勿論宝石も。
一人が空を指差した。怪盗は、いつの間にかハングライダーで空を滑空して逃げ出していた。
どんどん小さくなる怪盗を見ながら、悪党達はただ地団太を踏む事しか出来ないのであった。

 

一連の目まぐるしい展開と、鮮やかな脱出劇。チルノは口をぽかんと開けたまま見入っている。

 

映画はエンディングを迎えていた。
宝物が戻った事によって、活気の戻った村。
祭りが開かれ、人々が楽しそうに騒ぐ村を、怪盗は歩いている。しかし、誰もその正体を、功績を知らない。
彼はただ笑みを浮かべ、幸せそうな村の人々の様子を眺めているだけ。
そして頷くと、彼自身も祭りに参加すべく、人波の中へ消えていく。
夕日と共に、小さくなる怪盗の背中。そして、スクリーンに大きく『fin』の文字。
映画の終わりを告げていた。

 


やがてエンドロールが流れ始めても、チルノの視線はスクリーンに釘付けになったままだ。
その時、暗い室内に突如として明かりが差し込む。それは、部屋の入り口に張られていたカーテンを誰かが開けたからだ。

「終わったみたいだね、映画。外の世界の作品だったけど、面白かったかい?」

その言葉と共に入ってきたのは、古道具屋『香霖堂』店主・森近霖之助。
しかし当のチルノは、霖之助の顔をぽけーっと見つめるばかりで何も言わない。どうやら映画の余韻がまだ抜けないようだ。
そんなチルノの表情を見て、霖之助は苦笑いを浮かべた。

「その様子だと、本当に面白かったみたいだね」

言いながら彼は、未だカタカタと回る映写機のスイッチを切り、フィルムを外す。

古道具屋として霖之助が経営している『香霖堂』には沢山の道具が置かれているが、その中には外の世界の物もいくつか混じっている。
この日、暇つぶしとして何気なくチルノが香霖堂を訪れた時、霖之助は映画のフィルムと映写機を並べていた。
『映画』という物の存在やどういった物か、という事は知っていたが、外の世界の映画を見つけたのは初めてだった。
早速興味を示したチルノに、霖之助はせっかくなので映画を見せてみた。
店として使っているスペースの横にある小部屋にカーテンやスクリーンを張り、ミニ映画館としてチルノを招き入れた。
そして、冒頭へと繋がるわけである。
映画の内容は、義賊として困っている人々を助ける怪盗の活躍を描いた冒険物だったのだが、その分かりやすい設定や『怪盗』というヒーローの存在がチルノの心を捉えたようだ。
暫しぼんやりとしていたチルノだったが、霖之助が部屋の明かりを点けた事で我に返り、

「あっ、あっ、あのね!すごいの!すごくかっこよかった!」

拙いながらも映画の魅力を霖之助に伝えようとする。興奮のあまりどもりながら喋るチルノに、霖之助は笑顔を向けた。

「はは、そんなに焦らなくても僕は逃げないさ。僕も一度見たんだけれど、あの怪盗は本当に格好良いね。
 人知れず暗躍し、困っている人々を助け、その功績をひけらかす事無く静かに去る……ヒーローとはこうありたいものだ」

うんうんと頷きながら語る霖之助。チルノも共感して貰えた事が嬉しいのかニコニコ笑顔。
霖之助は映画のパッケージ―――タイトルと共に、主人公の怪盗や大きな宝石がアップで描かれている―――に目を落としながら言葉を続けた。

「内容も面白いけれど、僕は主人公たる怪盗を演じた彼の事も評価したいな。本当に魅力的で、まるでこの役を演じる為に生まれてきたかのようだった」

そこで一度言葉を切る。霖之助は、フィルムをケースに戻しながら再び口を開いた。

「外の世界の役者さんなんだろうけど―――きっと、世界的なムービースターなんだろうね」

「むーびーすたー?」

聞き慣れない単語に、鸚鵡返しで尋ねるチルノ。

「ああ、失礼。大人気映画の主役として活躍する役者さんの事を賞賛してそう呼ぶんだ。文字通り、『映画界の星』って所かな。
 いつの時代も大人から子供まで沢山の人を魅了し続けるヒーロー。その功績は決して色褪せず、人々の胸に残る……そんな、素晴らしい人さ」

それを聞いたチルノの脳裏に、怪盗が夕日をバックに去っていく映画のラストシーンが蘇る。
子供達の永遠のヒーロー。大人をも虜にしてしまう魅力。その格好良さは全ての者を嘆息させてしまう、そんな世界中の人気者。
チルノもまた、そんな『ムービースター』に魅了されてしまった者の一人。
胸に焼き付いて離れない格好良さや、憧れ。胸が一杯になったチルノは今の感情を言葉に出来ず、ただ、短く呟いた。


「……すごいなぁ……」


―――それから数日後。
今日も今日とて暇つぶしに奔走するチルノは、博麗神社にやって来た。
霊夢あたりにちょっかいでも出してみようか、などと特に深い考えも無く訪れたのだが、そこで彼女は意外な光景を目にする。
普段なら霊夢は昼寝なり、縁側でお茶でも飲んでるなり、まあのんびりと過ごしている筈なのだが、この日は境内の前で立ち話をしていた。
相手は霧雨魔理沙で、二人とも時折首を傾げつつ、小難しい顔で話し込んでいる。
気になったチルノは近付いて声を掛けてみた。

「なにしてるの?」

「ん?ああ、チルノか」

振り返って魔理沙が答える。

「丁度いいわ、あんたも知恵を貸してくれる?」

霊夢の発言に首を傾げるチルノ。そこで、魔理沙が説明を始めた。

「今度、ここで祭りやるのは知ってるだろ?」

その言葉にチルノは頷く。
彼女が言う『祭り』とは、毎年初夏の時期に博麗神社周辺で開かれる祭りの事で、名目上は博麗神社に祀られる神様に感謝する祭りなのだが、まあ実際は縁日だ。
人間も妖怪も入り乱れての飲めや歌えの乱痴気騒ぎで、大人から子供、果ては妖怪まで、これを楽しみにする者はかなり多い。

「んで、毎年霊夢が何かやってるのも知ってるな?博麗神社の代表としてさ」

それにも頷くチルノ。
博麗神社主催の祭りという事で、霊夢も何かしらの出し物を毎年出展している。
実際は霊夢の出し物というよりは彼女が誰かに頼み込んで出し物をやってもらっているのだが、まあそれは置いておく。

「いつもは騒霊三姉妹呼んだり河童に発明品出してもらったりしてたんだけどさ、今年はどっちも個人でやりたいからって」

霊夢はそう言ってため息。チルノにも、大体の事情が飲み込めた。

「つまり、何をするか一緒に考えてくれって事だ」

魔理沙はそう言って説明を締め括った。

「毎年誰かに頼んでたとは言え、何もしないってのも気が引けるのよね。お賽銭も減っちゃいそうで」

年に数回の、神社に沢山の人が集まるチャンスだけあって、霊夢の悩みも深刻なようだ。

「ステージ使って何かやるか?」

魔理沙の言葉に首を傾げる霊夢。

「やるったって、何を?そんな大掛かりな出し物、用意出来るかしら」

演奏やショー等の為にステージも特設される。まあ大抵はプリズムリバー・オンステージだ。

「う〜ん……」

二人はそのまま考え込んでしまった。
だが、話を聞いていたチルノの脳裏には先日の『香霖堂』での光景が蘇っていた。
断片的な映画のシーン。レトロな音楽。夕日。そして、霖之助の言葉。

 

『いつの時代も大人から子供まで沢山の人を魅了し続けるヒーロー。その功績は決して色褪せず、人々の胸に残る……そんな、素晴らしい人さ』

 

―――ムービースター。銀幕を通して人々に夢を運ぶ、世界中の人気者。かっこいいなぁ。自分も、そうなれたら。
チルノは我知らず、呟いていた。

 

「―――映画」

 

「え?」

霊夢の疑問符を伴ったその言葉でチルノは急に我に返る。

「あ、あれ?あたい、何か言ったかな」

焦るチルノとは対照的にきょとんとしていた魔理沙は、おいおい、と笑いながら言った。

「自分で言った事を忘れるなよ。……で、何て言ったんだ?霊夢」

どうやら彼女も聞き逃したらしい。

「……『映画』。確かにそう言ったわね。映画を撮ろうって事?」

霊夢にそう言われ、チルノはある種、腹を括った思いでそれに答える。

「……うん。みんなで映画を撮って、ステージでお客さんに見せようよ。きっとみんな喜ぶよ」

なるほど、とポンと手を打ったのは魔理沙。

「そりゃ面白そうだな。初めての試みだし、客の食いつきも良さそうだ」

肯定的な意見を貰えて安堵するチルノだったが、霊夢はすぐには首を縦に振らなかった。

「面白いとは思うんだけど……撮りたい、だけじゃ映画は撮れないんじゃない?詳しくはわからないけどさ。
 機材とか、場所とか……それに、脚本。もっと重要なのはキャストよ。誰が出演するの?」

分からないと言いながらやたら詳しい霊夢だったが、彼女の言う通りだ。
映画は多くの人間が関わり、協力する事で成り立っている。一人で撮る事など不可能だ。
魔理沙もう〜ん、と唸る。

「言われてみりゃあな。宣伝するにも、そっから決めないと。それに、もう一つ大事な問題がある」

「何?」

霊夢に尋ねられ、魔理沙はすっ、と指を一本伸ばして言った。

「……主役だよ。キャストは後からでも多少の融通は利くが、主役は映画の顔だし、台本との兼ね合いもある。この上なく重要だと思うぜ」

それを聞いたチルノの心臓が、どくん、と大きく跳ねた。
ムービースターへの憧れが背中を押した、『映画撮影』の案。言うなら、今しかない。言うんだ。
チルノの口が、ゆっくりと開く。

「……あたいが……」

「え?」

先刻と同じく聞き返す霊夢。

「あたいが、やりたい。その……映画の主役」

ありったけの勇気を振り絞ったチルノの発言。二人にはどう映ったのだろうか。
その発言を聞いた霊夢と魔理沙は、沈黙。チルノの顔を驚きの表情で見つめている。

「……な、なによ」

何も言われない事に若干の焦りを感じたチルノが言うと、魔理沙が次に浮かべた表情は―――苦笑い。
この場面でのその表情が意味する所は、チルノにも解ってしまう。それは、

「……お前がか?ん〜……悪い事は言わん、止めといた方がいいんじゃないか?」

―――無茶する者を諌める。
ストレートな発言では無いにしろ、自らが望んだ主役の座を真っ向から否定されたチルノは、思わず語調を荒げた。

「な、なによなによ!あたいじゃ無理っていうの!?」

しかし、霊夢も同じ意見のようだった。

「う〜ん……あんたは、なんていうか……主役って柄じゃないのよね。それに、主役を張るって事は、相当な演技力を要するの」

彼女も苦笑い。

「―――あんたに出来るの?」

うんうん、と頷く魔理沙。
自らが出した、『映画撮影』の案。その理由はただ一つ、ムービースターへの憧れ。
しかし、主役になれないのではその夢は見果てぬものになってしまう。こんな所で躓いてはいられない。
チルノの脳裏に、再び先日見た映画の光景が蘇る。主役の怪盗は、本当に格好良かった。自分もああなりたい。
見てくれた人に夢と希望を与える存在になりたい。なりたい。なりたい。なりたい―――

 

「な……なめんなーーー!!!!」

 

思わず、チルノは叫んでいた。
二人は再び驚きの表情。肩で息をしながら、チルノは二人に指を突きつけた。

「あ、あ、あたいだって主役になれるもん!そんなに言うなら、見せてあげるから……待ってなさい!!二週間よ!!」

「あ、おい!」

早口で捲し立て、チルノは激情に駆られるままに二人に背を向け走り出した。
チルノが去った後、暫し呆然と立っていた二人は顔を見合わせた。

「どうする?待ってやるか?」

魔理沙が言うと、霊夢も頷いた。

「ま、面白い案ではあるし、あいつも本気みたいだからね。二週間でどこまでやれるかな……」

チルノが走り去った方向を見やり、霊夢はふぅ、と息をつくのであった。
博麗神社の祭りまで、あと二ヶ月半。

「はぁ、はぁ……どうすればいいんだろ」

息を切らせながらチルノは歩く。
啖呵を切って飛び出して来たはいいが、チルノは具体的にどうすればいいかがよく分からなかった。
しかし今更『出来ません』なんて言えないし、何よりも彼女の中のムービースターへの渇望は本物だった。
一人で考えても仕方ないと思い、チルノは湖畔に建つ一軒家の玄関のドアを叩く。

「大ちゃん!大ちゃん!」

やがてドアが開き、中から大妖精が出てくる。
何は無くとも大妖精に相談、というのはチルノの中のお決まりパターンだ。

「あれ、チルノちゃん。どうしたの?今日は博麗神社に行ってるって聞いたけど」

首を傾げる大妖精だったが、チルノは有無を言わさずにその肩を掴んで揺さぶった。

「お願い、大ちゃん!映画撮るの、手伝って!!お願い!!」

「わ、わわ……お、落ち着いて!」

そこでようやく開放された大妖精は、とりあえず、とチルノを家に招き入れる。

「はい。……で、何で映画なの?」

冷えた麦茶のグラスをチルノの前に置きながら大妖精は尋ねた。
そんな彼女に、チルノは今までの事を洗いざらい話して聞かせた。
映画に感動した事。ムービースターに憧れた事。祭りの事。主役を張りたいと言ったら無理だと言われた事。それが悔しくて、二週間という期限で映画を撮ると宣言した事。
大妖精は口を挟まずにそれらを最後まで聞いてやり、話が終わったのを確認して口を開く。

「そっか……チルノちゃんの気持ちは凄くわかるよ。けど、二週間かぁ」

そう言って何か考えるように視線を宙に彷徨わせる彼女に、チルノは申し訳無さそうに俯く。

「ごめん。無茶だって分かってるけど……あたいバカだから。どうしていいか分かんなくて……」

「そんな事言わないで。大丈夫、私も出来る限り協力するから、頑張ろう?ね?」

「……ありがとう」

チルノはこの時、大妖精が友達で良かったと心底思ったという。
大妖精は励ましの言葉を掛けつつ、頭の中で必要な物をピックアップしてみる。

「えっと……まずは機材だよね。カメラとか、フィルム。あとは当然、他に映画に出てくれる人を探さなくちゃ」

そこまで指折り数え、彼女はチルノに訊いた。

「ところで、脚本は出来てるの?どんなお話にするか、とか」

「え……ごめん、まだ」

それを聞いた大妖精はすっく、と立ち上がる。

「じゃあ、チルノちゃんはここで脚本を考えてくれる?私が、必要な物を揃えてくるよ」

「え、そんな。大ちゃんにそこまで……」

言いかけたチルノの唇に人差し指をそっと当て、大妖精はウィンク一つ。

「チルノちゃんは主役兼脚本。一番大事なお仕事なんだから、それに専念しなくちゃ。他は任せて、ね?」

暫し彼女の目を見つめた後、チルノは黙って頷いた。
大妖精はチルノの前にノートと鉛筆を置くと、『留守番お願い。頑張ってね』と言い残して家を出た。

大妖精が帰宅したのは夕方だった。
彼女が玄関のドアを開けると、チルノはテーブルに突っ伏して居眠りをしていた。グラスは既に空だ。
それを起こそうとチルノに近付いた大妖精の目に、チルノの顔の下に開かれているノートが映った。
何事か書かれているそれをそっとチルノの顔の下から引っ張り出し、読んでみる。
そこには、既に脚本が出来上がっていた。要約するとこうだ。


主人公のチルノは、周りからは湖に住む妖精として認識されている。
しかし、その裏の顔は幻想郷を股にかけ、日々困っている人々を救う為に暗躍する怪盗であった。
ある日、チルノは博麗神社から御神体として祀られていた像が何者かによって奪われてしまったと聞く。
御神体が無くなった事により、神社の巫女や近くに住まう人々の身に次々と災厄が降りかかる。
このままではいけない。チルノはいつも良くしてくれる人々の恩義に報いるべく、御神体の奪還に向かう―――


必死に考えたのだろう、ノートには何度も消しゴムをかけた跡がある。
読み終えた大妖精は暫し呆然としてしまった。だが、悪い意味ではない。
その内容はチルノが見た映画の影響が色濃く出てはいたが、御神体が盗まれて災いが降りかかる、といった辺りは実に、神様の類が跋扈する幻想郷らしい。
素直に面白い、と思った大妖精はチルノを優しく揺り起こす。

「チルノちゃん」

「うにゃ……あ、大ちゃん。おかえり」

寝ぼけまなこのチルノだったが、大妖精が手にしたノートに気付く。

「ごめんね、勝手に読んじゃった」

「あ、うん、それはいいんだけど……ど、どうかな?」

心配そうに尋ねるチルノに、大妖精は笑顔を向けた。

「うん、凄く面白い!これならきっといい映画になるよ」

「ほ、ホントに!?」

安堵した表情のチルノに、大妖精は今度は持ってきた機材を見せる。

「私も借りてきたよ。霖之助さんを拝み倒して、なんとか」

彼女が借りてきたのは映写機と8mmフィルム用カメラ、そしてフィルム。とりあえず最低限の機材だ。

「私も映画撮影の事はよくわからないんだけど、これだけあれば一応撮れるって聞いたよ」

「ありがとう!ゴメンね、何から何まで……」

「いいんだってば、気にしないで」

それから大妖精は窓の外を見る。夕焼けでオレンジ色に染まる空。

「他に出てくれる人はまだ見つけてないんだ。機材だけでこんな時間になっちゃったし、明日探さなくちゃ」

しかしチルノとしては明日にも撮影を始めたい。期限は僅か二週間なのだ。
同じように窓の外を眺めながら、チルノは呟いた。

「……とりあえず、みんなに声を掛けてみようかな」

―――明くる午前中。
脚本ノート片手のチルノと機材を抱える大妖精は、『みんな』―――ミスティア、リグル、ルーミアのいつもの仲良しメンバーに声を掛けて回った。
『映画撮影に協力して欲しい』との頼みに、三人とも快諾。持つべきものは友達である。
メンバーが一挙に五人に増えて少し安心したチルノは、一同を交えて話し合い。

「んで、みんなにも映画に出て欲しいんだ」

脚本の内容を一通り説明し、チルノが言う。
そこではい、と手を上げるミスティア。

「それはOK、というよりむしろこっちからお願いしたいくらいなんだけどさ、五人だけじゃ限度がないかな?」

すると、リグルも頷く。

「少人数での撮影なら同じ人が違う役で何度も出演する、っていうのはありえる話だけど、普通の人間ならともかく私達じゃ少し厳しいかも」

ざっと見渡してみると、妖精組とミスティアは羽、リグルにも触覚があり、目立つ。
別の役柄を演じる場合は普通は服装を変えれば大丈夫だろうが、これだけ目立っては違和感も生まれそうだ。

「じゃあ、細かい役はルーミアちゃんにお願いしてもいいかな?」

確かにルーミアならそこまで目立つ身体的特徴も無く、せいぜいリボンくらいだ。これなら被り物で隠したりと融通が利きそうである。

「そーなのかー」

大妖精の言葉に十八番の返しをするルーミア。それを承諾と受け取り、チルノは再び皆に向き直る。

「じゃあ早速、みんなの役を決め……」

「あ、待って」

言いかけたチルノを遮り、今度は大妖精が手を上げた。

「まずは、細かい台本を作らなきゃ。お話の大筋は決まっても、カット毎の細かい演出とか演技とか、台詞とか設定とか、決めなきゃいけない事はたくさんあるよ?」

「あ、そっか……う〜ん」

言われたチルノは考え込んでしまったが、同じく大妖精が助け舟を出した。

「とりあえず、みんなで考えない?」

チルノの家に集合した一同は、そのまま詳しい台本作り。
まずは物語の細かい内容を決める事に。
当然物語の最初から作っていく事になるのだが、これが中々難しく、そして楽しい作業であった。

「一番最初、どうする?いきなり本編?」

「いや、いきなり入るよりかはチルノの正体を皆に見せる感じの演出を……」

「だったら、一仕事させる?本編の前のさ」

「じゃあ、そこの設定も少し考えないと……」

「賽銭が盗まれたとか?」

「それじゃ被るよ。だったら、紅魔館から魔道書が盗まれたとか」

「盗まれた物をこっそり返して、喜んでもらう演出が欲しいね。そこで満足そうに笑い、去っていく。これだけで伝わるんじゃないかな」

「なるほど〜」

侃々諤々と話し合いは白熱。その中から決定した事項を、大妖精がノートに素早くメモしていく。
観客のファーストインプレッションは大事だと、特に映画序盤については徹底的な議論が交わされた。
登場時の演出や、盗まれた事を知るきっかけ、果てはその時の喋り方まで細かく決める。細かい部分だからこそ、矛盾があってはならない。
議論は続いた。

「ところで、誰が犯人というか、悪役をやるの?盗んだ相手」

「あ……そういえば考えてなかったなぁ。誰かやりたい?」

「悪役を進んでやりたがる人はあんまりいないと思うよ……」

「盗んだ理由とかも考えないと」

「私が考えたのは、守矢神社の回し者。博麗神社の信仰を妬んで、みたいなね」

「あ、それいいね」

「でも、守矢神社の人達が勝手に悪者にされたら怒るんじゃないかな?」

「そこは、う〜ん……本人達には知らせず、独断での犯行って事にすれば」

「お、頭いい!」

「なんにせよ、ちゃんと許可はもらった方がいいね」

話し合いが一段落した一同がふと気付くと、窓の外では夕日が沈みかけ、空も濃紺が主張を始めていた。
この日だけでは最後まで終える事が出来なかったので、翌日再び集まって話し合い。
最も力が入ったのはクライマックスシーンの演出。

「やっぱり敵に囲まれて……」

「で、恨み言を言われると……」

「それにクールな返しを……」

「崖を背に……」

などと話し合いは続く。序盤のシーンと同じくらいの時間をかけて綿密な設定を行い、そして―――

「んで、最後は夕日を背に立ち去ると。うん、完成!」

「お疲れー!」

ようやく細かい脚本が完成し、一同はパチパチと拍手。
昨日と同じように、窓の外は既に濃紺。結局そのまま解散となり、撮影は翌日から始める事となった。

(いよいよ、明日から撮影かぁ……)

皆が帰って家に一人になってからチルノは、ふつふつと興奮してくるのを感じた。
数日前まではただ思い描く事しか出来なかった『ムービースター』の座が、何だか手を伸ばせば届きそうな位置まで来てくれた気がした。

(簡単には出来ないだろうけど……あたいはムービースターになるんだもん、絶対に乗り越えるよ!)

チルノはどうにも興奮を収める事が出来ず、作ったばかりの台本を何度も読み直した。
どのシーンから撮影するのかも決めてないのに、必死に台詞を覚えた。
目を閉じれば、完成した映画の薄ぼんやりとしたヴィジョンが脳裏に浮かび、目が冴える。眠れなくて、やっぱり台本を読んでしまう。
明日が待ち切れない。

―――翌朝。
三度チルノの家に集合した一同。今日から撮影を始めるとあって、皆のテンションも高い。
ただ、大妖精だけはどこか浮かない表情をしている。

「どうしたの?具合でも悪いとか?」

気になったチルノが尋ねてみるが、

「あ、えっと……ううん、何でもないよ。気にしないで……早く始めよ?」

そう言ってゆるゆると首を振るだけだった。チルノ達は彼女の事が心配ではあったが、目の前に迫る映画撮影の魅力には勝てず、本人の言う通り撮影を開始する事に。

「んじゃ、どっからやる?」

人数分書き写してそれぞれに配られた台本をパラパラめくりながらミスティア。

「う〜ん、とりあえず出来そうな所からやってみようか。後からでもフィルムの繋ぎあわせで順番はどうにかなるらしいし」

チルノはそう答えつつも台本のページを繰り、どこか簡単そうなシーンを探す。
各シーンには全て番号が振ってあり、シーン番号を言えばどの場面かが分かるようになっていた。
また、別紙にシーン番号が書かれた表が作ってあり、撮影済みのシーンやその他チェックを入れたシーンが一目で分かるようになっている。どちらも大妖精の仕事だ。

「そうだなぁ、この森の辺りで撮影するシーンからやってみようか。あたい達だけで撮影できるし」

チルノの提案に一同は頷き、それぞれ台本や機材を手分けして持ち、最初のロケ地となった森まで移動。
その道中、やはり大妖精の顔色が優れないのでチルノはそっと声を掛ける。

「大ちゃん、大丈夫?あんまり無理しない方が……」

しかし彼女は急に声をかけられて驚きこそしたものの、力なく笑うだけであった。

「……ううん、体調が悪いとかじゃないの。私の事は気にしなくていいから、ね?」

明らかに様子がおかしいとは分かるのだが、他ならぬ本人が大丈夫と言っている。
それ以上にこれから撮影という事実がチルノの気分を否応無く高揚させるので、チルノもとりあえず気にしない事にした。

森へやって来た一行は、早速準備に取り掛かる。
大妖精がカメラの準備をする間、このシーンで出演するチルノとルーミアは打ち合わせ。残りの二人は周りに人がいない事を確認。

「出来たよ!」

「こっちも大丈夫、人はいないよ」

各々の報告で撮影可能とチルノは判断し、いざ撮影開始。

「それじゃあ、シーン16の撮影始めま〜す」

とりあえず監督の代わりを務める事となった大妖精が言うと、一挙に全員の表情が引き締まる。
シーン16は、チルノが御神体が盗まれた事による影響を知る場面の一部だ。
全員の準備が出来た事を確認し、彼女は三脚で固定したカメラを覗き込む。カメラマンも兼任だ。

「いきます。5、4、3、2、1……」

カウントダウンの後に、カメラの方向へ向けて『どうぞ』というジェスチャー。その寸前に撮影を始めている。

 


それと同時に、包帯を所々に巻いたルーミアがよろよろと歩いてくる。
反対側から歩いてきたチルノがその姿に気付き、駆け寄った。

「ルーミア!?どうしたの、その怪我!」

するとルーミアは力無く笑って答える。

「博麗神社の石段で転んじゃって……まだあちこち痛いけど大丈夫だよ」

「大丈夫ならいいけど……こんなに包帯まで巻いて。どれくらいの高さから落ちたの?」

心配そうに尋ねるチルノ。

「半分くらいかな。よく覚えてないんだ」

「もう、気をつけなきゃ」

すると、ルーミアは神妙な面持ちになって言った。

「でね、ちょっと気になる事があるんだけど……」

「なに?」

「なんか、転んだ時にね……誰かに足を引っ掛けられた気がしたんだ。誰もいないのに」

「え?」

思わず聞き返すチルノにルーミアは言葉を続ける。

「それにね、この何日かで何人もの人が博麗神社の石段で転んでるんだって。しかもみんな、誰かに足を引っ掛けられた気がしたって」

「………」

チルノは口元に手をあて、考え込む。

「……そういえば、他にもお財布落としちゃったりした人がたくさんいるって」

するとチルノはルーミアに尋ねる。

「ねえ、人が転んだり、色々不運な目に遭い始めたのっていつから?」

ルーミアは少し考えてから言った。

「一週間くらい前かな。そうそう、ちょうど神社のごしんたい?が盗まれたあたりからかなぁ」

それを聞いたチルノは眉をひそめた。ここでカメラはチルノの顔をアップ。

「……まさか……」

 


そこで二人の演技はストップ。少しの間を置いてから、

「カット!」

大妖精の声が響いた。そのまま彼女はカメラを操作し、撮影を終了。

「うん、いいと思うよ。初めてなのによく出来たね」

「お疲れ様!」

労いの言葉をかけられ、二人はほっとした表情。

「う〜、緊張したよ」

「でも楽しいよ。台詞もちゃんと言えた!」

満足そうな二人。チルノはそのまま台本を開く。

「次はどこにしようか?」

「このまま、この辺で撮れるシーンにしようよ」

ルーミアの意見に頷き、さらにページをめくるチルノ。

「よし、次はこれ!博麗神社へ向かうシーンで」

「オッケー、やろう!ほら、早く準備準備!」

気分が乗ってきたらしく、チルノは笑顔で一同を急かす。
それに同調するように他のメンバーも一様に笑顔のまま、いそいそと準備を始める。

―――そのような調子で、この日の撮影は割と順調に進んでいった。

―――それから三日間、彼女達は撮影を続けた。
台詞を間違えたり、失敗する事もあったが、後から修正可能とは聞いていたので深くは考えず、納得できるまで撮り直した。
何もかもが初めての経験ではあったが、それがかえって手探りで進めていく冒険的要素を付与してくれているのでチルノ達は撮影を本当に楽しんでいた。
撮影の合間に互いの演技指導をしてみたり、雰囲気に合わせて台詞をちょこっと変えてみたり。本当に充実した撮影スケジュール。


―――ただ、一つだけの気がかりがそこにはあった。

 

「大ちゃん、この間からなんかヘンだよ?」

休憩時間、カメラをいじっていた大妖精にチルノがぶつけた言葉。似たような質問はこの数日で幾度と無く繰り返したが、今回は少し強い口調だ。
―――撮影開始当初から、ずっと晴れることの無い大妖精の表情。それだけが、彼女達の気がかりだった。

「え……やだなぁ、そんな事ないよ」

そう言って大妖精は笑顔を見せるが、チルノは首を横に振る。まるで、『その手はもう通用しない』とでも言うように。

「そんな事あるよ。あたいは大ちゃんとずっと一緒にいたからわかるの。何か隠してる」

「か、隠してるだなんて……」

大妖精は焦った表情でチルノの顔に視線を向けたり、逸らしたり。明らかに動揺しているその素振りは、チルノの疑念を確信へと変えた。
それに気付いた他のメンバーもやって来て、意図せず彼女を取り囲む形に。

「そうだよ。私もずっと心配で……」

「何かあったの?言ってくれれば相談だって乗るのに」

口々に心配する声をかけるが、大妖精は押し黙ってしまう。
再びチルノが口を開いた。

「大ちゃんがおかしくなったの、映画を撮り始めてからだよね。ひょっとして、映画に関すること?」

「………!」

一瞬だけ表情を変えたが、その問いに答えを返すことが出来ず俯く彼女に、チルノは思わず語気を強めた。

「そうなの?」

「………」

「大ちゃん!!」

言ってしまってからチルノは、はっと口元を押さえる。そして、つい怒鳴ってしまった自分を恥じた。
だが、それがかえって良かったのかもしれない。押し黙るだけだった大妖精の口がゆっくりと開いた。
暫く唇を震わせていた彼女が、ぽつり、と呟く。

「……ごめんなさい」

―――最初の言葉はそれだった。
その謝罪の意味が分からずに理由を尋ねようと口を開きかけたチルノ。だが、その必要は無かった。

「……チルノちゃんの言う通り。映画のこと。でも……言っていいのかわからなくて……」

「悪いなんて思わないよ。いいから言ってみて?」

チルノの許しを得た大妖精は、少しずつ話し始めた。

「みんな、今すごく頑張って映画撮影を進めてるよね。ちゃんと細かい演技とかも気にしてるし、本当にすごいと思う」

黙って彼女の言葉に耳を傾ける一同。

「特に、台詞回しにはみんな気を使ってるよね。聞き取りやすさだとか、かっこいい言い回しだとか。でも……」

そこで一旦言葉を切った大妖精は、俯き加減になって続けた。

 

 

「……音、とれてないんだ……今までの、全部」

 

 

それを聞いた瞬間の一同の表情―――唖然、というより、言っている意味が分からないといった体。
軽く深呼吸し、あくまで平静を装ったままチルノが尋ねる。

「……どういうこと?」

すると大妖精は泣きそうな表情のまま再び口を開く。

「機材を借りたその日の夜、自分で色々調べてみたの。映画の撮り方とか。
 そしたらね……録音には別に機材が必要で、カメラを回すだけじゃ、フィルムには映像しか入らないんだって」

そう言葉を続ける大妖精の顔は蒼白だった。
それは他のメンバーも同じ。特に音の部分には色々気を使ったつもりだった。効果音がイマイチという理由で撮り直した事もあったくらいだ。
なのに、それらの努力は全て無駄であったという現実。それは、始めて数日というビギナーとはいえ、映画撮影に情熱を注いだ者達にはあまりに残酷だ。
しかし、大妖精の告白は続く。

「録音機材も探したんだけど、見つからなくて……それにね、まだあるの。今後の撮影について」

「……なに?」

そう言って促すチルノの手は震えている。

「……みんな、小道具とかどうするの?」

「あっ」

思わず呟いてしまう。
これまでの撮影は全て彼女達本人がいれば成立する場面だけだったが、全て出演者オンリーで進められるかというとそんな筈は無い。
当然ながら、劇中に登場する道具や仕掛けは自分達で作らなければならないのだ。
特に、この映画の目玉でもある『博麗神社の御神体』。実際に存在するかも分からないし、あったとしてもそう簡単に借用出来る代物では無い。
普通は、それらしい物を自作するだろう。

「期限は、もう二週間もないんだよね。今から小道具とか作ってて、間に合うのかなって……」

その、彼女達にとっては意地悪以外の何者でもない現実を知り、チルノの頬を冷や汗が伝う。
―――それだけで済むならどんなに幸福か。

「あと……この映画って、五人以上の人が登場するシーンがない、なんてことないよね?そのシーンはどうやって撮影するの?」

当然ながら、群衆(モブ)が一切いない映画などありえない。どんなジャンルの映画であれ、一度に画面に映る人数が片手で数えるくらいというシーンしかない映画など不自然極まりない。
通常はエキストラとして人を雇うだろう。だが、そういった伝も無い彼女達はどうするのか。
もう言葉を発する事も出来ず、チルノは疲れている訳でも無いのに肩で息をしていた。

「それに、フィルムを切り貼りしたり、映像を編集する機材もないよ」

まるで無実の人に死刑宣告をするかのような気分なのだろう。大妖精の声は、聞いていられないくらいに悲痛で、重くて。

「他にも、ロケ地のこととか色々あるんだけど……とりあえず、それだけ」

蚊の鳴くような声でそう締め括った大妖精の目にはうっすらと涙。
押し黙ってしまった一同。暫しの静寂を破ったのはまたもチルノ。

「……どうして、言ってくれなかったの?」

そう考えるのは当然の事だろう。撮影開始当初とは言わなくても、もう少し早く言えば何らかの対策は出来たかもしれない。例え、それが気休めでも。
だが、言われた大妖精は急にガバッと顔を上げた。

「だって!!」

泣き叫ぶような声だった。
しかし彼女はそこで落ち着きを取り戻し、再び小さな声で続けた。

「……だって、みんな本当に楽しそうだったから」

それを聞いた一同の脳裏には、共通の映像が浮かんでいた。
撮影開始当初。誰もがこれから始まる『映画撮影』という未知の体験に心躍らせていた。
少し考えれば多くの穴がある事は分かったはずなのに、みんな笑顔で、楽しそうで。
そんな彼女達の夢を叩き壊すような真似など、どうして出来ようか。

「今更そんな事言って、みんなの楽しみや頑張りを壊すなんて……私には出来ないよ……」

それだけ言って、大妖精は再び俯いてしまった。さっきよりも深く、その表情は見えない。肩が震えている。
もしかしたら、泣いているのかも知れない。
チルノが楽しそうに語る『ムービースター』への憧れを、誰よりも傍で聞いていた彼女。
だからこそ、親友の夢を壊したくない思いと、厳しすぎた現実の板ばさみは強烈だ。

「……ごめんね……ごめんね……」

うわ言のように呟く大妖精。

「そんな、大ちゃんのせいじゃ」

慌てて否定しようとして言いかけたまま、チルノは凍りついたように動きを止める。

「……あたいが……全部悪いんだ」

そう呟くチルノの声もまた、震えている。
たった五人、しかも二週間で映画撮影なんて、あまりに無理がありすぎる。ちょっと考えれば分かるのに―――いや、分かっていたのに。
自分の我が侭のような計画で親友達を振り回して、迷惑をかけて。

「そんな」

それを否定しようとしたミスティアもまた、凍る。
チルノの一見無謀な案は、全てムービースターへの純然たる憧れのため。そこには誰よりも純粋で、一途な想いが詰まっている。
例えどんなに無茶だったとしても、どうしてチルノを責められようか。
何があろうと彼女の力になろうと決めた親友達に、チルノを責める理由など見つからない。
じゃあ、誰が悪いのか?
それとも、誰も悪くないのか?
答えを見つけられず、ただ凍り付く事しか出来ない。

 

―――誰も、何も言わない。
聞こえてくるのは、スイッチの入ったままのカメラから聞こえて来る無機質な機械音だけ。
さっきまで晴れていた筈の空はいつの間にか曇り空。
今にも泣き出しそうなその空模様は、まるでチルノ達の心像風景のよう。

 


―――たかだか336時間。二週間なんて、あっという間だった。
約束の日の正午前。博麗神社の一室で、霊夢は待っていた。紙で作った簡素な物ではあるが部屋にわざわざスクリーンまで張り、映写機も準備して。
やがて、襖をノックする軽い音。

「いいわよ」

霊夢が声をかけると、ゆっくりと襖が開いた。
そこには、フィルムを抱えたチルノと付き添いの大妖精の姿。
二人とも若干俯き加減で、表情がよく見えない。

「よく来たわね。聞いた話だと、真面目に映画撮影してたらしいじゃない。見直したわよ」

霊夢は人伝にチルノが仲間を集めて撮影を開始した事を聞き、彼女に期待をするようになった。少なくとも、案を持ちかけられた時よりは確実に。
この日も、どこか期待する気持ちを抱きつつ、彼女はチルノ達を迎え入れた。

「それじゃ早速だけど、見せてもらえるかしら。あんたの”二週間”の成果」

そう言って手を差し出す霊夢だったが、チルノは何の反応も示さない。まるで時間を止められてしまったかの如く、焦点の定まらない瞳でどこかを見つめている。
大妖精は、そんなチルノの横顔を見て、目を伏せる。

「どうしたの?」

フィルムを渡すどころか、身動き一つしないチルノを不審に思い、再度尋ねる霊夢だったが―――

 

―――ぽろり、ぽろり。

 

チルノは、言葉では無く涙でそれに答えた。

「え、え!?ちょっと、どうしたのよ」

突然目の前で涙を流されては驚かない筈も無く、霊夢は慌てた。
しかしチルノはやはり無言で肩を震わせ、涙をこぼし続けるばかり。フィルムを抱く腕に、一層強い力が篭ったように見える。
横で目を伏せていた大妖精が顔を上げた。

「……ごめんなさい、霊夢さん」

「どうして謝るの?」

理由を尋ねる霊夢に、大妖精も泣きそうな表情を見せる。

「……映画は、完成出来ませんでした……」

その告白を横で聞いたチルノは、目をぎゅっ、と閉じる。それでも瞼の隙間から涙が伝って落ちてゆく。

「それどころか、音は一切無いサイレント状態ですし、フィルムを切り貼りする専用の機材も無いので場面の繋ぎ合わせもボロボロで……」

「……こんなの……ひっく……み、みせられないよぉ……」

ついに我慢できなくなったらしく、チルノはしゃくり上げながら、何とかそれだけの言葉を紡ぐ。
チルノはただ、泣く事しか出来なかった。

―――大口を叩いておきながら結局映画を完成出来なかったのが、悔しくて。

―――友達にあれだけ協力してもらったのに映画を完成できなかったのが、申し訳無くて。

 

―――何より、どれだけ憧れても自分が『ムービースター』にはなり得ないと分かったのが、たまらなく悲しかった。

 


―――『撮りたい、だけじゃ映画は撮れないんじゃない?』

 


今更ながら、いつかの霊夢の言葉が脳裏に蘇る。その通りだ。
たった二週間ではあるけど、自分なりに頑張ったつもりだった。大妖精の告白を受けたあの日以降も、一縷の望みに賭ける思いで撮影を続行した。
例え音が入ってないと分かっていても台詞を覚え、何度でもリトライし、その都度互いに演技を磨きあって。
期日が近付き、完成が絶望であると分かっても諦めず、少しでも良い映画にするべく努力を重ねて。
ひたすらカメラを回し、機材が無いからハサミでフィルムを切り貼り。
少しでも時間があれば練習に費やし、ただ、ただ、映画の完成だけを夢見て頑張った。

―――けど、現実はそんなに甘くなくて。

これだけ努力をしてもダメなら、自分はムービースターになんてなれっこない。
所詮は叶わぬ妄想、泡沫の夢―――

 


「そんなの、分かってるわよ。いいから見せて頂戴」

 

霊夢の言葉で、チルノの暗い思考は断ち切られた。
思わず顔を上げる。滲んだ視界の向こうで、霊夢は確かに笑っていた。

「冷たい言い方かもしれないけど、二週間で映画が完成出来るなんて誰も思ってないわ。
 それよりも私は、あんた達が頑張った証が見たいの。未完成でも何でもいい。さ、見せて?」

―――気休めなのかも知れない。泣いてる自分を慰める為の方便かも知れない。
けど、チルノにはその言葉が嬉しくて。思わず、フィルムを抱えたその腕の力を緩めていた。
それを見逃さず、霊夢はチルノの腕からフィルムをさっと取り上げ、映写機にセットした。


―――あの時と同じように、映写機がカタカタと音を立て始める―――。

 

やがてスクリーンに映し出された未完成の『映画』を、霊夢はじっと見つめている。
チルノと大妖精も、その後ろからそっと見てみる。
スクリーンの中のチルノは、確かに映画の登場人物だった。走り、跳び、氷の弾幕を放って彼方へ飛び去る。
いきなり画面が乱れたかと思うと、次のシーンへ移り変わっている。無理矢理切断したフィルムでは、綺麗な場面転換など出来ない。
スクリーンの中で、包帯を巻いたルーミアと会話を交わすチルノ。一切音は聞こえてこないから、霊夢にはその会話内容が分からない。
しかしそれでも、スクリーンから決して目を背けずに映画を見つめている。聞こえない音に耳を傾ける。
一方チルノと大妖精の頭の中には、鮮明に二人の会話が聞こえて来る。ここは映画撮影を開始して、始めて撮ったシーンだ。
やがて真剣な表情をしたチルノの顔がアップで映り、画面が乱れる。次のシーン。
リグル、ミスティアを連れたチルノが、博麗神社の石段を登る。
何事か会話を交わす三人。時折どこか遠くを指差したり、ポケットから取り出した地図のような物を眺めたり。それから、再び登り始める。
それからも、数度場面は切り替わる。
森を歩き回るチルノ。湖の傍で何かを探す大妖精。先程の三人で、妖怪の山の方角へ歩き出したり。
そんな幾度かの場面転換を経て―――スクリーンには、何も映らなくなった。

暫く真っ白なスクリーンを見つめていた霊夢は、映写機のスイッチを切る。
フィルムを取り出してチルノへ差し出しながら、彼女は口を開いた。

「……やる気はある?」

「へ?」

フィルムを受け取ろうと伸ばした手を止め、涙目のままチルノは聞き返した。

「あんたにまだやる気はあるのか、って訊いてるの」

そう言い直す霊夢の眼差しは真剣だ。

「今見せてもらった映画。残念ながら、どんなお話なのか私にはまだ分からなかった。音が無いから仕方ないけどね。
 でも、あんたやその友達が本当に一生懸命取り組んだ結果がこれだって事は分かった。
 ただ撮るだけじゃない。見てくれた人を感動させようという努力や、いい演技で盛り上げようという情熱、そんなあんたの姿勢もね」

無言で霊夢の言葉を受け止めるチルノ。

「その上で、訊くわ。あんたに、映画撮影を続行する気持ちはある?
 二週間の期間と五人のメンバーでは成しえなかった、この映画を完成させるという目標に向かって、あんたはまだ頑張れるかしら?」

それを聞いたチルノは、ゆっくりと―――だが確実に、頷く。大妖精もそれに倣った。
すると、途端に霊夢の表情が緩んだ。

 


「そう、良かった。なら、私の行動も無駄じゃ無かったわね」

 


「……え?」

霊夢の言葉の意味が分からず、聞き返すチルノ。
だが、彼女はそれに答える代わりに、パンパンと手を叩いた。
すると―――突然襖が開き、中からどやどやと何人もの人影が部屋に雪崩れ込んだ。
入ってきた者達はやがて、チルノ達の前に横並びに整列。
チルノも大妖精も驚いた。突然人が集団で雪崩れ込んできたのだから当然と言えるが、何より、それらが皆よく見知った顔だったからだ。

「ん〜……とりあえず、端からよろしく」

「よっしゃ、任せな!」

霊夢の言葉で、一番右端にいた人物―――河城にとりがその胸をドン!と叩く。
そして、後ろ手に持っていた物―――小さめの機械を二人の前に差し出す。

「お前さん達、これな〜んだ?」

「??」

首を傾げる二人に、にとりはけらけらと笑ってみせた。

「録音機材さね。これで、映画に効果音だろーがBGMだろーが入れ放題!それと、スプライサーだっけ?フィルムをカットするやつ。あれも作ったから」

「つ、作った!?」

大妖精の心底驚いたような声に、にとりは気持ち良さそうに頷く。エンジニアな彼女としては、その驚きの表情が何よりも嬉しいのだろう。

「あったりまえ!河童の技術力を舐めんじゃないよ!」

腰に手を当ててはっはっは、と笑うにとり。続いて、その横の人物が口を開いた。

「エキストラがいないらしいな。それなら、私達に任せてくれ」

そう言うのは、上白沢慧音。その横の藤原妹紅も頷く。

「人里の人々に、私達から声をかけておくよ。みんなノリはいいから、きっと喜んで参加してくれるさ」

「それと、もし良ければ私達も映画に……」

慧音がそう言って、二人に向かって手を合わせてウィンク。

「ま、それは出来たらでいいから」

そんな彼女を見て、妹紅は苦笑いでそう締め括った。
するとその横で今度は、三人揃って手を上げる。

「音楽は、私達に任せてね」

プリズムリバー三姉妹だった。やはりその手にはそれぞれの楽器。

「緊迫したシリアスシーンでも……」

と、ルナサ。

「明るいコメディパートでも……」

と、メルラン。

「もちろん、神秘的で幻想的なカットのBGMだって……」

と、リリカ。

「全部我らにお任せ!!」

再び三人揃ってそう言い放ち、ぺこりと一礼。
呆気に取られる間も無く、今度はその横でレミリア・スカーレットが話し始める。

「私達からは、紅魔館をロケ地として提供するわ。それと、小道具の製作も」

「小道具も、ですか?」

大妖精が尋ねると、レミリアは頷く。

「ウチは意外と手先が器用なのが多いのよ。メイドが沢山いるから人海戦術も出来るし、それに……」

「それに?」

「いざとなったら、咲夜が時間を止めて、その間に作っちゃうから」

「な、なるほど……」

納得した様子の大妖精を見て満足そうなレミリア。次に発言をしたのは、守矢神社からやって来た東風谷早苗。

「私からも、神社をロケ地として提供します。聞いた話だと、神社が結構重要だとか」

その言葉に大妖精が頷く。と、早苗は声を潜めて言った。

「あの、それで……もし宜しければ、私も、その……映画に……」

と、彼女がそこまで言いかけたその時。

「こぉ〜らぁ〜……」

「きゃっ!?」

低い声と共に彼女の背後からぬ〜、と現れたのは、八坂神奈子&洩矢諏訪子のW神様コンビ。

「お二人とも、いつの間に……?」

全く気付いていなかったらしい早苗はあたふた。

「早苗ったら、一人で抜け駆けして映画に出ようだなんて!」

頬を膨らませる諏訪子を、まあまあと宥める神奈子。そして、大妖精に向き直る。

「ま、いいじゃないか。……でさ、もし早苗を出すなら私達もセットで宜しくね」

「は、はあ……」

若干呆気に取られながらも頷く。

「それから、今ここにはいないけど、魔理沙とアリスも小道具関連でいくらでも手伝うって言ってたわよ」

霊夢がそう言って、集まった一同を見渡してからチルノに向き直った。
音、フィルム、小道具、ロケ地―――チルノ達を取り巻いていた数々の問題が、一気に解決してしまった。
展開が速すぎてついていけてなかったチルノだったが、ようやく状況を認識した。


―――こんなにも沢山の人が、自分の映画に協力してくれると言っている。
この人達と、昨日までのみんなとなら―――もしかしたら、この映画を完成させられるかもしれない。
自分が抱いた、ムービースターへの夢。一度は無理だと思ったけど、ひょっとしたら―――


―――止まった筈の涙が、再び流れ出す。
もう、悩みも迷いも無い。これだけ多くのバックアップがついている。みんな、みんな、チルノの味方。
また映画を撮れる。頑張れる。ムービースターになれる―――かはわからないけど。
嬉しさと、興奮と、抑えきれない衝動。感謝。様々な気持ちがない交ぜになって胸が一杯のチルノは、ただ、小さく呟いた。

 

「……ありがとう……」

 

それを聞いた霊夢は、ポン、とチルノの頭に手を乗せて―――笑った。

「お礼なら、映画が成功してから改めて……ね」

 


―――博麗神社の祭りまで、あと二ヶ月。

その日の午後から早速、改めて映画撮影の準備にかかる新生・撮影班。

「そうそう、脚本見せてくれる?」

霊夢に言われるまま、チルノは脚本を差し出す。
それをパラパラとめくり、一通り目を通した霊夢はそれをチルノに返しながら、

「うん、王道ではあるけどストーリーは面白いわね。これなら大筋に手を加える必要は無い、か……」

そう言って、思案。
話し合いの結果、監督は霊夢が担当する事になった。博麗神社からの出し物であるという意味合いも含んでいるようだ。
その他、カメラマンは従来通り大妖精と、紹介の場にはいなかったが職業の関係から射命丸文が交代で務める事に。
文曰く『バッチリ撮りますけど、フィルムはうちが作ったのを使って下さいね。あと、広告も入れてくれると嬉しいんですけど……』だそうだ。
なお、映画の宣伝も彼女の担当だ。新聞等のメディアを利用してバラ撒くらしい。

「それじゃ、小道具作ってくるから」

脚本から必要な小道具のチェックをしていた大妖精からリストを受け取り、紅魔館へと一旦帰るレミリア。手伝いの魔理沙とアリスもついて行く。
それを見送ったチルノの肩を、誰かがチョンチョンとつつく。

「ねぇ、BGMの打ち合わせしよ〜よ」

振り向けばそれはリリカで、姉二人も興奮気味にうんうんと頷いている。演奏したくてたまらないらしい。

「そうね、脚本を作った本人が一番BGMの設定もしやすいだろうし……」

霊夢がそう呟くと、チルノも頷いた。

「う、うん。じゃ、ちょっと行ってくるね」

三姉妹を連れて部屋を出て行くチルノ。録音機材を持ったにとりもそれにくっついて行った。

「じゃ、残りは撮影しましょうか。このメンバーだけで出来る部分だけでもね……あ、そうそう」

思い出したように、霊夢は傍にいた大妖精を手招き。

「悪いけど、旧撮影班の残りを呼んで来てくれるかしら。あいつらもいなきゃ撮影は出来ないわ」

既に出演者としてある程度役割が決まっているルーミア達。彼女達も勿論、この映画に欠かすことの出来ない人材だ。
慌てて呼びに向かう彼女の背中に『神社の前で待ってるからね〜』と声を掛け、霊夢と残りのメンバーは外へ出た。

―――それから、数日後。

 

「あたいに任せて!雪符『ダイヤモンドブリザード』!!」

チルノから放たれる、多量の氷の弾幕。
放たれた弾幕は、チルノ達の行く手を阻むように浮遊する人形達へ向けられたものだ。
正面から弾幕を受け、ポトポトと落ちていき、動かなくなる人形達。
全て撃ち落したのを確認し、チルノが息をつく。

「ふぅ。これってもしかして奴らの手先?」

「そう考えるべきだろうね。となると、奴らには既にこっちの動向がバレてると見ていいね……」

チルノの後ろにいたリグルが頷き、その横のミスティアが慌てた口ぶりで言った。

「じゃ、早く行動を起こさないと。後手に回ったら不利だよ」

「そうだね、急ごう!」

その言葉に頷き、走り出すチルノ。それを追う二人。
やがて、走る三人の姿が木々に隠れて見えなくなった。

 


「カット!」

霊夢の声が響き、走り去ったばかりの三人が戻って来た。

「うん、今のでいいわね」

「よっしゃ!」

頷く霊夢とガッツポーズのチルノ。
外野にいたアリスが指をパチン!と鳴らすと、撃ち落された人形達が一斉に起き上がり、彼女の元へ集結した。

「じゃ、すぐに録音やるわよ。OKシーンの感覚を忘れない内に」

「は〜い」

再び撮影開始の位置に戻る三人。
今度はカメラは回さず、その代わりに録音機材を持ったにとりが三人の傍へ。
カメラだけでは録音は出来ないが、後から録音した物を足す事は出来る。
よって先に映像だけを撮り、OKが出たら同じ演技を即座にもう一度。そこで台詞や効果音を録音するという方式がとられた。
実際の音を使用するので後から音作りに苦心しなくていい上、何より臨場感があるという利点がある一方で、出演者に映像と同期させる為の正確な演技が求められる。
今回の撮影でのNGカットの大半はこの『録音パート』で出ているものだ。それだけ難しい方式なのだが、チルノ達は少しでも映画を盛り上げる為にこの方式を希望した。
録音時は霊夢がしっかり観察している他、秒単位で演技のタイミングを記録し、ズレが無いかを確認している。計時係は咲夜。

「それじゃ、シーン42、録音パート開始します。5、4、3、2、1……」

0カウントの代わりに、にとりが録音機材のスイッチを入れる。

 


即座に走り出す三人と、レコーダー及び集音マイクを抱えてそれを追うにとり。

「妖怪の山はこっちでいいの?」

走りながら尋ねるミスティア。

「うん、間違いないよ!」

答えるチルノ。と、その時。
突如として彼女達の前に出現・展開する人形の集団。

「うわっ!」

思わず驚きの声を上げるチルノ。

 


「カット!」

霊夢の一声で、録音作業は中断された。

「アリス、人形の展開が少し早いわよ。もうワンテンポ遅いと丁度いいと思うの」

「了解、ごめんなさいね」

ぺこりと頭を下げるアリス。
霊夢が目配せすると、表に目を落とした咲夜も頷く。霊夢の指摘は正しかったようだ。

「じゃ、もう一回!」

監督の指示で、再び定位置に戻る出演者達。アリスも人形を集める。

「はいよ、こっちも準備完了」

にとりが手を上げ、三人の傍へ。
それを確認した霊夢がメガホンを手に取る。

「シーン42、録音パートテイク2開始します。5、4、3、2、1……」

カウントダウンの後、にとりが録音を開始。
それに合わせて、三人は再び走り出す。

 


その後も数回のNGを出しつつ、どうにかこのシーンの録音は完了した。
しっかりと録音したテープにシーン番号を書き、保管。映像との同期は最後の仕事だ。
こうして、映画は作られてゆく。

さらに月日は流れ、撮影も後半に突入したある日。

「はい、じゃー今日はここまで。お疲れ様でした」

「おつかれ〜」

時刻は夕刻。この日の撮影が丁度終了した所で、霊夢がチルノに尋ねた。

「じゃ、明日からは守矢神社で撮影する事になるけど、それでいい?」

「うん、お願い」

チルノが頷くと、霊夢はそのまま片づけを手伝っていた早苗に声を掛ける。

「というわけで、明日からロケさせてもらうけど、宜しくね」

「はい、わかりました」

足元のコードをくるくると巻き取りながら答える早苗。
と、ここで、その横でやはり手伝いをしていた神奈子がチルノに尋ねた。

「そういえば、ウチの神社はどんな役どころなんだい?」

う、と呟くチルノ。『悪役です』なんてあっさり言う事は出来ない。
でも本人達は関わってないんだし、と思い、

「ちょっと言い辛いんだけど……」

と前置きして台本を渡す。
神奈子が受け取り、それをパラパラめくりながら早苗と、気付いて寄ってきた諏訪子の三人で見る。
暫くの間ページをめくる音だけが響いていたが、不意に、

「あっはっはっは!!」
 
大声で神奈子が笑い出したので驚くチルノ。
すると彼女はチルノの頭をわしわしと撫でながら、

「な〜に気ぃ使ってんだって。むしろ、この悪役私がやるよ!!」

そう言って再び高笑い。

「え、でも……」

チルノはまだ戸惑っている様子だったが、

「な〜に言ってんの。風評被害が怖くて神様が務まるかってんだ!!」

神奈子はポンポンとチルノの頭を軽く叩きながら、なおも笑っていた。豪快な神様である。
すると早苗も頷き、

「あ、あの、私も同じ役でいいので出演させて頂けますか?」

なんて尋ねる始末。霊夢も予想外の発言に驚きを隠せない。
しかし神奈子はますます上機嫌。

「いいねいいね!まるで悪の大王とその参謀みたいじゃないか、カッコいいよ!」

笑いながらそう煽るので、一人取り残される形となった諏訪子もチルノに懇願。

「二人だけずるいよ!お願い、私も!」

あそこまで乗り気になってくれてるのを断る道理は無いと思い、チルノは承諾。
諏訪子一人だけ蚊帳の外、というのもあんまりなので彼女も出演してもらう事に。
すると片付け中という事も忘れて三人で大盛り上がり。
遠巻きに見ていた大妖精がそそくさと三人分の台本を取りに行くのを眼の端に捉えつつ、チルノは霊夢の顔を見る。
彼女も黙って苦笑いするばかり。


―――しかし、チルノには分かっていた。
自分の無茶とも思える発案から始まった映画なのに、ここまで出たいと言ってくれている人がいるという、その意味を。
今はまだ口に出すのはちょっと恥ずかしいので、チルノは心の中で三人にそっと『ありがとう』。
当の本人達はそれに気付く由も無く、未だに三人で盛り上がっていたのだが、それはそれでいいのだ。


その日の夜、大妖精宅にて。

「大ちゃん……」

玄関のドアが開き、チルノが顔を覗かせた。

「あっ、いらっしゃいチルノちゃん。上がって上がって」

気付いた大妖精が彼女を招き入れる。

「ごめんね、無理言って」

「いいっていいって。チルノちゃんが頑張ってるんだから、私は応援するよ」

会話を交わしつつ、台本を取り出す二人。
この日、彼女は泊りがけで練習にやって来た。台詞のチェック等をしてくれる相手が欲しいと、大妖精に頼んだらあっさり承諾。
台本をめくり、練習したいシーンを探すチルノに、大妖精は尋ねてみた。

「でも、どうして急に泊りがけで練習したい、なんて?」

するとチルノは小さな声で、

「……みんなが頑張ってるんだもん。主役のあたいは、みんなよりもっと頑張らなきゃ」

そう答え、台本をさらにめくる。
紅魔館組や魔理沙達が作ってくれた小道具を実際に使用したり、この日出演が決まった守矢神社の三人が、台本を貰って早速練習していたのを見る内に、彼女の中に何かが芽生えていた。
それは、『主役としての自覚』。

「みんながいくら頑張ってくれても、あたいが台無しにしちゃったら全部ダメなの。みんなより頑張らなきゃムービースターにはなれないよ」

台本に目を落とすチルノの表情は、この一ヶ月余りで大分変わった。
漠然と撮影を続けていた頃とは違う、『役者』の顔がそこにはあった。
そんな彼女を大妖精は優しく見つめている。

「最初に約束したもんね、『一緒に頑張ろう』って。だから、私も頑張るよ。映画と……チルノちゃんのために」

チルノが語る『夢』を、誰よりも傍で聞いていた彼女だからこその言葉。
彼女の中で、『チルノの夢を叶える』というのは、皆の目標である『映画の完成』と等しい意味を持っていた。
それを聞いたチルノは何だか照れくさくて、一生懸命台本を読むフリをして赤らんだ表情を隠す。

「そ、それよりも早く練習しようよ。じゃあ、まずはここの台詞から……」

火照った顔を冷ましてから、チルノは台本の一ページを示す。
それに頷き、大妖精も同じページを開いた。

「―――神様っていうのは、信仰のお返しに人々に幸せをもたらす存在でなければならないのよ。霊夢が前に言ってた。
 けど、あんた達は……達は……うぅ、なんだっけ」

「えっと、『沢山の人達が不幸な目に遭い、悲しい思いをしているのに何とも思わないの?』だよ。その後も大分続くけど」

大妖精の言葉を聞き、困った表情のチルノ。今練習しているのは映画のクライマックス、最後の悪役との対峙シーンにおける台詞だ。
これが作中で最高の長台詞で、覚えるだけでも一苦労。

「う〜、難しいなぁ」

そう言いながらも、ぶつぶつと小さな声でひたすら台詞を復唱し、必死に覚えようとするチルノ。
大妖精は壁にかけられた時計を見やる。短針は既に二時へ迫りつつある。

「チルノちゃん、今日はこの辺にしてもう寝たら?」

大妖精は彼女の体を気遣って、眠る事を勧めた。明日も撮影がある。
だがチルノは首を横に振る。

「ううん、せめて一回だけでもこれを言えてから。今から覚えとかなきゃ絶対に忘れちゃうよ」

あくまで練習続行の意思を見せるチルノに、大妖精も頷く。何よりも彼女のやる気を尊重したかった。

「じゃあ、もっかいこのシーンの始めからやってみる?相手方の台詞はまた私がやるよ」

「うん、お願い」

チルノは台本をその場に伏せて置いた。再び向かい合って、まずは大妖精が台詞を読み上げる。自分の役では無いが、出来るだけ情感を込めて。

「はっはっは、ついに追い詰めたぞ!怪盗チルノの伝説も今日を以ってジ・エンドのようね」

チルノも台詞を思い出し、それを口に出した。脳裏にクライマックスシーンの情景を浮かべ、少しでも役に入り込む。

「その台詞は正直聞き飽きたよ。今まであたいを追いかけてきた奴らはみんなそう言って、結局その通りになった試しはないわ」

「ふん、その減らず口もいつまで持つかな?あんたは今自分が置かれている状況をイマイチ理解していないようだね」

「そう言うなら、あんただって自分自身の存在意義を理解していないように見えるわよ」

「……何だって?」

「あんたがこれを盗んだ理由は、博麗神社の信仰を奪うため。そして自らが人々に崇められる神となり代わり、人々を意のままに操るため」

「その通りよ。それの何が―――」

「だからだよ。あんたは信仰を得るなんて言ってるけど、それは人々が神様を信頼するから得られるモノなんだ。
 神様っていうのは、信仰のお返しに人々に幸せをもたらす存在でなければならないのよ。霊夢が前に言ってた。
 けど、あんた達は沢山の人達が不幸な目に遭い、悲しい思いをしているのに何とも思わないの?本当に人々の事を考えてると言えてるの?
 あたいはそうは思わない。人の幸せを……えっと……んあ〜っ!また忘れた〜!」

台詞が中断され、頭を抱えるチルノ。
大妖精は台本に書かれたその先を読んでみる。

「えっと、『人の幸せを蔑ろにしてまで手に入れる信仰に意味はあるの?』だよ。その後は……まだ続くなぁ」

「うぅ〜……」

再び失敗し、頭を抱えたままのチルノを、大妖精は必死に励ます。

「でもチルノちゃん、さっきより大分進んだよ?ちょっとずつ覚えられてるんだし、あとちょっと!頑張ろう?」

彼女の呼びかけに、チルノはようやく頭を起こした。

「……うん、もうちょっと頑張ってみる。ごめんね大ちゃん、こんなに遅くまで」

「いいの、気にしないで」

再び黙々と台詞の確認をするチルノを尻目に、大妖精は再び時計を確認する。
いつの間にか、短針は二時を追い抜いていた。

―――翌日。守矢神社へ集合した撮影班は、早速撮影に取り掛かる。
この日より撮影に加わった早苗以下二人は、空き時間にかなりの練習を積んだらしくいきなり中々の演技を見せる。

「カット!うん、上手いじゃない」

早苗のソロシーンを一発で撮り終えた霊夢が賞賛。

「結構練習しましたから……出させてもらってるんですし、皆様の足を引っ張るわけには」

あくまで早苗は謙虚に答える。次のシーン撮影の為、霊夢は台本の確認。

「次はチルノの……あれ、チルノは?」

霊夢がきょろきょろと見渡すと、大妖精が申し訳無さそうに手を上げる。

「あ、あの……チルノちゃんは……」

「?」

霊夢が首を傾げると、大妖精は横を指差す。
そこには、折り畳み椅子に座ったまますやすやと寝息を立てるチルノの姿が。

「昨日、遅くまで起きて練習していたので……その、ごめんなさい」

そう言って頭を下げる大妖精だったが、霊夢はやれやれといった体で苦笑い一つ、そのまま周りに指示を出す。

「ま、少しでも寝かせてあげましょ。先に、チルノが出ないシーンを全部撮るわよ」

返事を返し、それぞれの場所へ動いて準備にかかるメンバー。
小道具をチェックする魔理沙や、録音機材のテープを取り替えるにとり。霊夢もシーンごとの配置表を手に、てきぱきと立ち位置の指示を出す。

「ふふふ……一人でここへ来ようってのかい。面白い、しっかりお出迎えしてあげようじゃないか……」

呟き、ニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべる神奈子。
カメラは暫し、彼女の顔をアップ。

「カット!いいわよ、お疲れ様」

「や〜、よかったよかった」

霊夢にOKのサインを貰い、思いっきり伸びをする神奈子。

「凄いねぇ、悪役っぷりが板についてるよ〜。まさに悪の女帝って感じかな」

「うっさいわね」

彼女は、寄ってきて茶化す諏訪子にデコピンしようとして寸前で逃げられてしまう。

「はいはい、お二人とも本当に仲がいいですねぇ」

やんわりと仲裁に入る早苗。流石に彼女は慣れっこだ。
そんな三人の様子を眺めながら、霊夢は未だ眠り姫のチルノに近付く。大妖精が慌ててチルノを起こそうとしたが、霊夢はそれを止めた。
首を傾げる大妖精。すると霊夢は、チルノが座る椅子の足をコンコン、と軽く蹴った。
その瞬間、チルノはビクリと体を竦ませたかと思うと、

「ふにゃ!?あっ、わっ」

慌てて跳ね起きる。眠りに落ちてしまう前は眠らないようにと神経を集中させていたので、起きるのも早かったようだ。
撮影中に眠ってしまったという自覚はあったらしく、ばつが悪そうにきょろきょろと辺りを見渡す彼女に霊夢が後ろから声をかけた。

「あら、丁度良かった。これからあんたのシーンを撮影する所だったのよ。
 自分のシーン前にちゃんと起きるなんて、あんたも役者として成長したんじゃない?」

そう言ってチルノの頭をメガホンでポン、と軽く叩き、

「じゃ、我らが主役が目覚めた所で、撮影の続きをやりましょーか!」


一同に向かって声を張る。


「おおー!!」

すぐさまノリの良い返事を返す一同。ポカンとする大妖精に、霊夢はこっそりウィンク一つ。
当のチルノは、最初に厳しい言葉を掛けてきた霊夢に『役者』として認められた事や『主役』と言って貰えた事が嬉しかったのか、椅子から飛び降りるなり、

「よっしゃー!!気合いれてこー!」

両手を天高く突き上げて気合の叫び。
大妖精は少し離れた所から、意気込むチルノと指示を出す霊夢を何度か見比べ、クスッと笑う。
こうして、今日も撮影は順調に進んでいった。




後編へ

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