―――二月十二日。幻想郷はまだ冬だ。
寒さもまだ続くこの季節だが、幻想郷の女性達はこの時期やたらと張り切っている。
理由は勿論、数日後に控えたバレンタインデー。
男性の比率がやや少なめな幻想郷では、バレンタインデーは好意を寄せる男性だけではなく、
日頃お世話になっていたり、仲が良かったり、或いは本当に好意を寄せる女性にもチョコレートを送る日、となっている。
さて、今回のお話はそんなバレンタインデーを数日後に控えたある寒い日の出来事。

 

 

「やれやれ。この寒さはいつまで続くのかねぇ」

ぶつくさと言いながら湖畔の道をテクテクと歩いているのは、河城にとり。
最近は彼女のような技術を持った妖怪や人の活躍により、幻想郷にも少しずつ機械が浸透し始めている。
慣れない機械類の操作には故障の危険も付き纏うわけで、彼女はそれらの修理や点検の仕事も行っていた。
今の彼女は紅魔館から『フランドールがコケた拍子にお茶ぶっかけてテレビ壊した』との一報を受け、修理に赴いた帰り道だった。
フランドールの『ありとあらゆる物を破壊する程度の能力』は家電製品に対しても存分に発揮されていた。かなり地味な形でだが。

「コケてお茶かけるなんて、あのお嬢さんも中々にドジだね」

ひとりごちながら、にとりは先程の事を思い出してクスクスと笑う。
咲夜にお説教を受けてションボリしているフランドールの姿は、『悪魔の妹』というより『ドジっ娘系妹』という感じで、霊夢達と死闘を繰り広げた時の狂気は微塵も感じられなかった。
そんな感じで考え事をしながら歩いていたにとり。と、その時。

 

ド ン ! !

 

すぐ傍で爆発音。驚いたにとりが辺りを見渡すと、近くの家の窓からもうもうと黒煙が上がっていた。

「なんだいなんだい!化学実験に失敗したみたいな音させて。あれは……チルノの家?」

湖を遊び場所とするチルノは、いつのまにか家を建ててここに住んでいた。

「まったく、何やらかしたんだか……本当に化学実験だったりして」

嫌な予感がしたにとりは、未だ煙が収まらないチルノの家へ向かった。

 

 

 

 

「ちょいとお前さん!まさか硫酸でも扱ってるのかい?濃硫酸に水入れたらヤバイってあれ程……」

言いながらチルノ邸に侵入したにとりは、別に原因は実験ではないという事に気付く。
爆発元は台所。窓から見えた黒煙は、コンロにかけられた鍋から。この光景からして、どう見ても硫酸の出番は無さそうだ。
そして何より、入ったときから家中に充満している甘い香り。恐らくチョコレートだ。
何故か、一緒に火薬の匂いまでするのだが。

「げほっ、げほっ!なんなのよ、いきなり爆発なんて……あれ、にとりだ」

台所から現れたチルノ。爆発の影響で全身の所々が黒く汚れている。

「なんのよう?新聞なら間に合ってるよ」

「そりゃ私の台詞だよ……てか、文々。新聞の売り込みに見えるかい?」

「いや、何だか『かよわい女の子を口先三寸でだまくらかして新聞十部売り込んだついでにセクハラ三昧やでぇヘッヘッヘ』みたいな気配がしたからさ」

「失礼な!!どんな気配じゃ!」

チルノの気配察知能力はアテにならない。にとりは早くもため息をつく。

「何してたんだい?チョコレート作ってたみたいだけど、火薬でも仕込まなきゃ爆発なんてしないよ?」

冗談交じりに尋ねるにとりに、チルノは胸を張って発言した。

「あたいの料理はげーじゅつよ!」

要領を得ない発言ににとりはキョトン顔。

「げー……ああ、芸術。確かに時々聞くけどさ、その手の発言。それが爆発とどう関係するのさ」

「これ!」

チルノが差し出したのは一冊の本。
その本は、外の世界の料理人が書いた物らしく、芸術的な料理を作る為のコツや考察について書かれている。
どうやら、彼女はこれに影響されたようだ。漢字に振り仮名が振ってあるのは、大妖精あたりの仕事か。

「ん〜、まだ話が掴めないんだけど」

首を傾げるにとり。

「芸術は爆発だ、なんて言うでしょ?だから」

「ああ、少し古い言葉だけど……って、だからって料理を爆発させるなッ!!」

ようやく完成した両者のボケとツッコミ。

「何入れたの?」

「んと、夏の余りの花火をバラバラにして……」

「ホントに火薬入れてたよこの娘!!」

良い子は花火を分解してはいけません。河童とのお約束。

「バレンタイン用だろ?誰にあげるのさ、そのチョコ」

「大ちゃん!」

「……せめてさ、人が食べれる物作ってあげようよ。亡霊のお嬢様に作るってんならともかくさ」

火薬入りのチョコなんて、常人どころか妖精や普通の妖怪では大惨事になりかねない。幽々子あたりなら平気で食べそうだ。

「火薬を加熱したら、爆発するのは当たり前だよ。バカな事はやめな」

「……は〜い」

にとりからのお説教で、ションボリ顔のチルノ。

「じゃ、私はそろそろ帰るよ」

「うん、ばいばい」

帰路に着こうとするにとり。玄関から出る直前、呟くチルノの声が聞こえてきた。

「爆発はだめかぁ……そうだなぁ、カエルでも入れてみようかな。カエルチョコ!うん、新しい!やっぱりあたいってば(ry」

どたどたと足音をさせて、慌ててチルノへ駆け寄るにとり。

「あれ、帰ったんじゃなかったの」

あっけらかんと言うチルノ。にとりは彼女の両肩を掴みながら尋ねた。

「――― 一応聞くよ。カエルチョコってなんだい」

「生きたままのカエルをチョコでコーティングするの!ぴょこぴょこ動くから、食べるのが大変!どう、面白いでしょ?」

笑顔で答えたチルノ。にとりは若干の寒気を覚えつつ、再び訊く。

「お前さん、料理した事は?」

「ないよ!ご飯はいつも大ちゃんが作ってくれるから」

はぁ、とまたもため息をつくにとり。

「……チルノ。私と来な。料理を教わった方がいい」

「そう?」

「料理でも最強になりたいだろ?」

「うん!」

上手いことチルノを乗せ、にとりは彼女を連れて外へ出た。
このままでは、大妖精を始めとする彼女の友人達は皆、カエルの踊り食いをさせられる羽目となる。
愛の言葉では無く、悲鳴が聞こえるバレンタインデー―――嫌過ぎる。どこのホラーだ。
ある意味、幻想郷のバレンタインデーの平和は、河城にとりの手に委ねられたと言っても過言ではないのだった。

 

 

 

 

「ところで、料理ってにとりが教えてくれるの?」

歩きながらチルノ。

「ん〜……私が教えてもいいんだけど、教えられるほど上手いって訳でも無いしなぁ。きゅうりかじってりゃ元気だし」

虚空を見つめながら考えるにとり。

「やっぱ、誰か料理上手い人に教わるのが一番だよ。大ちゃんとかどう?」

やはり、彼女にとって身近な人に教わるのが一番だろう―――そう考えたにとりの提案だったが、チルノは渋った。

「あ、う〜……えっと、大ちゃんには秘密にしときたいな、なんて……」

サプライズにしたいらしい。

「あいよ、了解。けど、そうすると誰だろうね……私の知り合いにいたかな」

にとりは歩きながら思案を巡らせる。その後をとてとてと追うチルノ。
そんな彼女の頭の中に、一人の少女の顔がパッと浮かんだ。

「―――雛とかどうかな」

「ひなって、あのヤクの神様?」

「そうだけど……漢字で書いておくれ。厄。ヤクって書くと何だか危ない響きだよ。それより、よく知ってたね。雛の名前」

「うん。何か、ヤクを自分の身体に注入して栄養にしてるヤク漬けな神様がいるとか聞いたから……」

「これが何よりの栄養だぜぃ……ってヒトの友達を中毒者みたいに扱うなッ!」

「ヤクの注入及び吸出しには注射器を使ってるってウワサもあるよ」

「その噂を流したのは誰だぁっ!!?」

にとりの脳内でのれんがバッと捲くり上がる。
言い合いながら、にとりは妖怪の山の方角へ進路を変えた。

 

 

 

 

「ねえ、雛は料理上手いの?」

妖怪の山の麓まで辿り着いた時、チルノが再び尋ねた。

「ん……以前夕飯をご馳走になった時、かなり美味しかった記憶があるからね。上手いと思うよ」

古くからの友人であるにとりと雛。家が割と近い事もあり、互いに食事を作る事もあるとか。
歩き続ける二人の視線の先に、一軒の家が見えた。鍵山雛の家だ。

「ああ、あそこだよ」

にとりが家を指差す。と、その時。

「うん?……ねぇにとり、なんか変な匂いがするよ」

チルノが異臭を訴えた。

「え?……ホントだ。甘いような、刺激的なような、おかしな匂いだねぇ。まあとりあえず雛んトコ行こ」

にとりもその匂いを察知したが、気にせず目的地である雛の家へ向かう。
しかし、雛の家へ近づくに連れて、その匂いは強くなっていく。

「う〜、結構キツいよ」

チルノが鼻を押さえる。

「本当だ。まさかこの家から……?」

玄関先まで辿り着いた二人。異臭はかなりのものだ。
もしや、雛の身に何かあったのか。慌ててにとりは家のドアをノック。

―――返事は、無い。

「雛、いるの?」

言いながら、にとりはノブに手をかける。

―――ガチャリ。

ドアに施錠はされておらず、容易に開いた。

「雛、開ける―――ッ!?」

にとりは口を噤んだ。先程から感じていた異臭が、何倍もの強さになって鼻を襲ったからだ。
間違いない、異臭の発生源はこの家だ。

「げほっ……にとり、あれ見て」

咳き込みながら、チルノが指をさす。
チルノの指の先―――台所。そこに、雛の後姿が見える。料理中のようだ。
仕草からして、ゆっくりと鍋をかき回しているように見える。

「……うふふふふふ……」

何だか不気味な含み笑いが聞こえてきた。確かに雛の声。
河童の第六感が、この異臭はあの鍋から発生していると告げている。

「ちょっと雛、何やって……」

只ならぬ厄とかヤバい物を感じ、にとりが言いかけた―――が、続く彼女の発言がそれを押さえ込んでしまった。

「……待っててね、にとり……最高のバレンタインチョコをプレゼントするからね……うふふふふふ……」

確かに自分の名が聞こえた。標的が自分自身である事を知り、にとりは戦慄した。
鍋の中身はチョコらしい―――が、今、この家のに漂う異臭は明らかにチョコの域を超えている。

「……チルノ、逃げよ……」

にとりがチルノに囁いた。が、時既にお寿司。
くるり、と雛が振り向いた。

「……あら、にとり……うふふふふふ、丁度良かったぁ。今、あなたの為にチョコ作ってたのよ……うふふふふふ……」

雛は笑っていた―――が、その笑顔は何かに取り付かれたような、明らかな『異常性』を孕んでいた。
身の危険を感じたにとりは、

「あ、いや……今はお腹いっぱいなんだ。残念だなぁ。アハハ……じゃあこれにて失敬」

その場からさりげな〜く立ち去ろうとする。
だが、チルノは違った。

「ねぇ雛、おいしいチョコを作る為にはどうしたらいいかな?」

「聞くなよ!明らかにおかしいだろあのチョコ!!」

いつの間にかペンとメモ帳を持ち、取材する気マンマン。

「うふふふ……そうねぇ、愛情と真心と厄を込める事かしらね……うふ、うふふ……」

「明らかに余計な物が混じってますけど!?」

というかあのチョコらしき物は厄以外にも色々余計な物が入っていそうである。

「後は、練れば練るほど美味しくなるかしらね……うふふふ……」

「どこぞの駄菓子かッ!?」

これ以上おかしくなった雛を相手にしていると、自分も何かに取り付かれてしまいそうだ。
にとりはチルノの手をとると、

「じゃ、雛……またねっ!!」

ダッシュでその場を立ち去った。
家からある程度距離をとった所で、再び二人は歩き出す。

「はぁ……雛は何か変な物でも食べたのかね」

明らかにおかしい友人の様子を見て心配顔のにとり。ふと、チルノのメモ帳を横合いから見てみた。
こう書かれている。

『ヤクを入れる』

『うふうふ笑う』

『くるくる回る』

『ねるねる』

「んな事書くなッ!!」

 

 

 

 

「次はドコ行くの?」

「ん〜、そうだねぇ……」

妖怪の山から離れて、二人は魔法の森の辺りまで来ていた。

「魔理沙とか?結構料理上手いって噂だよ。家もこっから近いし」

「近いっていうか……」

チルノが指差しながら言う。

「あそこにいるよ」

見ると、魔理沙が木の根元にうずくまって何やらやっている。

「何やってんだい。酒の飲みすぎで気分でも悪いのかい?」

にとりが後ろから声をかけた。

「おう、河童にまるきゅうか」

振り返りながら魔理沙。

「その言い方されると、河童にモロキュウみたいだけど……まあいいや、何してるのさ」

「ん、キノコとってた。新種見つけたんだぜ」

言いながら差し出されたキノコは、ピンクの色合いで何とも毒々しい。

「どんなキノコなの?」

チルノの問いに、魔理沙はふふん、と笑って答えた。

「調べてみたら、何やら愛情を発現させる効果があるらしいんだ。好きな奴へのな」

「へぇ、要は恋に対して積極的にさせるって事か」

にとりは感心した。と、その時。

 

『ま〜り〜さぁ〜?どこぉ〜?……うふふふふふふ……』

 

遠くから少女の声。魔理沙を呼んでいるようだ。だが、何かおかしい。
見れば、魔理沙は慌てて草の陰に隠れている。何となくそうしなければいけないような気がして、二人もそれに倣った。
草の中から見ると、誰かがふらふらと歩いてくるのが見える。

「うふふふふ……隠れてないで、出てきてよぉ〜……せっかく、バレンタインのチョコ作ったんだからぁ……」

声の主は、アリス・マーガトロイド。足取りだけでなく、表情も何だか怪しい。
笑みを浮かべてはいるが、どこか取り付かれたような―――。

「……うふふふふふふふふふふふふふふ……」

不気味に笑いながら、ふらふらと彼女は去って行った。
アリスの姿が見えなくなってから、三人は草から這い出す。
彼女の去った方向を見ながら、ため息と共に魔理沙が言った。

「―――だがな、このキノコ……その愛情を、かなり歪んだ形で発現させるんだ」

「食わせたのかよッ!!」

「しかも、食わせたらやたらと紫色を好むようになる上に、うふうふ笑うようになっちまう」

「何だそりゃ!?」

「アリスのやつ、自分の人形をチョコに混ぜて、私に渡そうとして来るんだ……だから怖くって」

「怖いよ!!」

「しかも、だ。チョコ塗りたくった人形の足をくわえて、ポッキーゲームさせようと……」

「変態じみてるし、意味分からん!!」

いい加減突っ込むのに疲れたにとりに、魔理沙が言う。

「お疲れみたいだな……じゃあ―――」

そして、キノコを持った手をにとりにぐっと突き出した。

「一本いっとくぅ!?」

「色々ヤバいもん1000mg配合、これ一本であなたも立派な変質者!キノコマークの霧雨製薬―――って誰が食うかッ!!」

栄養ドリンクみたいに勧める魔理沙。
と、ここでにとりはある事に気付く。

「ねぇ魔理沙……そのキノコ、他の誰かに無理矢理食べさせたりとか……」

「ああそういや、その辺でくるくる回ってた厄神に食わせてみた」

「やっぱりお前の仕業かいっ!!」

おかしくなった雛の原因は目の前の白黒魔法使いでしたとさ。本当に変な物食ってた。つーか、食わされてた。
にとりは、普段工具を入れているスカートのポケットをごそごそと探る。
そして、ズルリ、と何やらドデカイ物を取り出した。
明らかにポケットの容量を無視した大きさの、チェーンソー。

ドルンッ!ギュイイイイイイイイン!!

チェーンソーを発動させ、にとりは魔理沙の頭部を片手でホールド。
もう片手に持ったチェーンソーを彼女の首元に突きつけ、出来うる限りの凄みをきかせて言った。

「今すぐ、雛に解毒剤を飲ませてきなッ!!」

「お、おう……」

流石にビビッた魔理沙。慌てて頷くしかなかった。

 

 

 

 

二人はまた歩き出した。
魔理沙の元から去る際、チルノが例のキノコを貰おうとしていたので、にとりは全身全霊をかけてそれを阻止した。
あんなもん混ぜられたら、カエルよりもタチが悪い。
悲鳴は聞こえないが、うふふ、うふふとそこらから聞こえるバレンタイン―――不気味だ。

「今度はどこ行くの?」

そろそろ歩き疲れてきたチルノが尋ねる。にとりはすぐに答えた。行き先は既に決まっている。

「白玉楼。あの庭師さんに教わりに行こう」

「よーむ?」

「そ。あの爆食幽霊の食事を毎日作ってるんだ、料理の腕も一流に違いないよ」

やがて二人は白玉楼に辿り着く。冥界にどうやって入ったかは些細な問題だ。気にしたら負けである。
まあ霊夢やらも普通に侵入していたし、恐らく問題は無い。

「こんにちは。わざわざ顕界からお疲れ様です」

早速ターゲットの魂魄妖夢が出迎える。

「やあ。ちょっと頼み事があるんだけど、聞いてくれるかな?」

「私にですか?私で宜しければ」

にとりは妖夢に事情を説明し、ついて来てチルノに料理を教えて欲しい、と頼んだ。
お人好しの妖夢なら、快く引き受けてくれるだろう―――そう踏んだにとりだったが、予想に反して彼女は難色を示した。

「えと……私の事を頼ってわざわざ尋ねてきて下さったのは凄く嬉しいんですけど……残念ながら、私は今ここを離れられないのです」

「離れられない?」

「ええ、実は……」

その時、言いかけた妖夢の脇を、棒のような何かが猛スピードで伸びていった。
にとりはそれに見覚えがあった。

「今のってまさか、私が作った『のびーるアーム』?」

「はい。幽々子様が最近通販で購入されまして」

「亡霊が通販……」

つくづく何でもアリだな、とにとりは思う。
あのアームは通常のアームよりかなり長く、持ち主の魔力だとか妖力の類に合わせて伸ばせる長さが変化するとか。
と、アームの先がこれまた猛スピードで戻って来て、再び妖夢の脇を抜けて帰って行った。

「いやあぁぁぁぁぁぁ……」

アームと共に遠ざかってゆく悲鳴。アームの先には、明らかに何か―――いや、誰かが掴まれているのが見えた。

「今の声、みすちー……」

と、聞き取ったチルノ。

「ああ、またですか……」

妖夢は深くため息をつく。そして、三人でアームの出元へ向った。
そこで見た光景は―――

「やーっ!またなのぉ!?助けてぇ!」

「うふふふ……いただきま〜す♪」

必死に逃げ出そうとするも、アームと幽々子の腕にガッチリとロックされて逃げられないミスティアと、
今まさに夜雀の踊り食いに興じようとする幽々子の姿であった。

「幽々子様、いけませんっ!」

妖夢が慌ててミスティアを引き剥がした。

「……何度目?」

『また』というミスティアの発言を聞き、にとりが尋ねる。

「これで七度目です……」

肩で息をしながら妖夢が答えた。

「よ〜むぅ、またお預け?お腹すいたわぁ……」

ぶーぶーと不満を漏らす幽々子。

「あれほどミスティアさんに手を出してはいけないと何度言ったら……ああもう、今ご飯作りますから、待ってて下さい」

「早くぅ……お腹がすき過ぎて、お腹と背中の皮がリポジトリ・オブ・ヒロカワなのよぅ」

「意味分からん……」

例えはよく分からないが、とりあえず彼女が空腹という事は分かった。

「―――という訳でして、今は幽々子様の新春ハラペコシーズンなんで、片時も目が離せないんです。申し訳ありません……」

そう言ってぺこりと頭を下げる妖夢。
冥界から顕界まで伸ばし、さらに正確にミスティアの位置を探り当てる、幽々子のアーム技術。これも食欲が成せる技か。

「そんな、春の引越しシーズンみたいなねぇ……って、あれ、あれ!」

慌ててにとりが指差した先では、再び幽々子がミスティアを襲っている。捕食的な意味で。

「ああもう!だからいけませんってば!!」

再び両者を引き剥がす妖夢。

「だって、もう限界なんですもの」

「もうやだぁ……」

しくしく泣きながら、ミスティアは帰って行った。
確かにこの状態で妖夢をお持ち帰りしようものなら、ミスティアが確実に亡霊の胃袋ツアー(片道)送りになってしまう。
仕方なく帰ろうとしたにとりに、妖夢が何かを差し出した。

「あの、せめてこれをチルノさんに」

見れば、それはお菓子作りの本だった。

「チョコレートの作り方も載ってますよ」

「いやあ、わざわざありがとうね。助かったよ」

「ありがとう!」

二人がお礼を言うと、妖夢は笑って答える。

「いえいえ、何も出来なくて申し訳ありませんが……」

『よ〜む〜!ごはんまだぁ〜!?』

奥から幽々子の叫び声。空腹が結構堪えているらしい。

「あ、ごめんなさい。そろそろ行かないと……」

「いやいや、早く行ってあげな。またあの娘が捕まらない内に……」

「はい、それでは……」

慌てて一礼し、妖夢は奥へ戻って行った。

 

 

 

 

「さて、本も借りた事だし……早速作ってみようか?」

「うん!」

妖夢から借りたお菓子作りの本には、チョコレートの作り方もしっかりと載っていた。
それを元に材料(とは言ってもほぼチョコなのだが)を買い集めたにとりとチルノ。
だが、ある問題があった。

「あ、でも……チルノん家の台所って、吹っ飛んだんじゃ」

「そういえばそーだっけ」

冒頭の火薬入りチョコ実験によって無残に吹き飛んだチルノ家のキッチン。あの状態では料理など出来ない。

「かと言って、私の家はちと遠いしなぁ。雛ん家は……あの匂いが残ってそうでちょっと」

「う〜ん……」

材料も教本も揃えた二人だったが、肝心の施設が無い。

「こっから近い知り合いは……博麗神社か」

とりあえずにとりは、霊夢の元を尋ねる事にした。

「―――という訳で、ちょっと台所を貸してもらいたいんだけど」

「そうは言ってもねぇ……ガス代とかかかっちゃうし」

―――博麗神社。
にとりは必死にキッチン貸し出しの許可を得ようとしていた。が、相手は筋金入りのどケチ、博麗霊夢。
経済状況があまり芳しくない博麗神社においては、他者に台所を使わせるのも厳しいらしい。

「そこを何とか頼めないかねぇ……あの子の為にもさ」

「あんたはともかく、チルノは何かトラブル起こしそうでちょっとなぁ。自宅の台所吹き飛ばしたんでしょ?」

「あ、う〜……」

交渉は難航を極めた。仕方ない、最終手段だ。
にとりは財布から千円札を取り出した。霊夢の目がキラリと光る。
にとりはその千円札を、賽銭箱の上でヒラヒラと振り、再度尋ねる。

「台所、使わせてくれるかなっ?」

「いいとも〜!!」

何ともウキウキヲッチンな返答である。非常にノリの良い返事に満足し、にとりは千円札を持った手を離す。そしてチルノに声を掛けた。

「OK出たよ!さあやろうか!」

「うん!!」

小躍りする霊夢を尻目に、二人は台所へと入っていった。

 

 

 


「えと、まずチョコを細かく刻もうか」

本を見ながらにとりが指示する。

「うふふふ、つまんないから、すぐに壊れちゃやだよ……うふ、うふふ……」

ニヤニヤと笑いながら包丁を構えるチルノ。一応言っておくと、例のキノコを食べた訳ではない。
これから刻まれゆくチョコレートに壊れるなというのも無理な話だ。

「な〜にどこぞの妹の真似しとんのさ。危ないから包丁持ったまま遊ぶんじゃない」

「このカワシロ工業製ステンレス包丁に、切れる物などあんまりない!」

「聞いてる?てか切れないのかい」

ポージングするチルノに突っ込みつつ、にとりはコンロの火が付くかを確認する。
コンロに乗せられた鍋には、刻んだチョコを入れる予定だ。
チルノたっての希望により、チョコ作りは殆どチルノが作業し、にとりは後ろから指示するだけとなった。
本番に向けて、一人で作れるようになりたいらしい。

「くらえ、『スピン・ザ・ステンレス包丁!!』」

必殺技みたいに叫びながら、チルノはチョコを刻み始めた。

「人のスペカで遊ぶんじゃないよ、まったく。第一どのへんがスピンしてるのさ」

「えっと……にとりの頭」

「頭クルクルパ〜でんねんアホでんねん……って失礼なコト言うなッ!!」

「じゃあにとりの首?」

「は〜い、いつもより多く回って……ってフクロウじゃないんだから回んないよ!不気味じゃ!!」

「じゃあ何が回ってるのさ」

「こっちの台詞だッ!!」

おかしな会話である。
結局、両者の間で『回ってるのは雛』という事で落ち着いた。くるくる。

 

 

 

「こんなもんかな」

「うん、いい感じだね。お疲れさん」

ようやく大量のチョコを刻み終えたチルノ。にとりが労いの言葉をかけながら、それを鍋に入れる。
にとりがコンロの火を付けると、チョコは早くも溶けだした。

「しばらく煮込んでみようか。んじゃちょっと休憩ってコトで」

「は〜い」

二人は鍋から離れ、台所の隣の部屋に移動した。
座布団に座り、雑談。

「で、雛の回転についてなんだけど……」

「いきなり何の話だい……」

「あたいが聞いた話によると、雛はあのリボンからヤクを放出して相手の動きを固定し、スピンしながら頭から突っ込む必殺技があるって」

「なんだい、そのどこぞのロボットの必殺技みたいなのは」

「あとはね……雛は、妖怪の山に自殺しようとして入ろうとする人間をね……」

「止めてるって噂かい?」

「ううん、根性叩きなおす為にさっきの『超厄神スピン』をぶち込んでるってウワサ」

「止めろよ!!死ぬだろ普通!!」

「んでね、一度それを喰らったら病み付きになって、『もっかい喰らいたい』『穴空けられたい』『むしろ踏まれたい』って男がわんさか山に押し寄せるとか」

「変態のバーゲンセールだねぇ……ある意味では生きる希望を持ったと言えるのかな?」

「ある人は『あのスピンで、心にぽっかり空いた穴を埋められた気がしました。はぁ、雛様かわかわ』って」

「代わりにお腹にぽっかりと穴開けられるぞ〜、いつか」

根も葉もない噂話で盛り上がる二人。台所の鍋の事は気にしてなかった。
その時、これ幸いと台所に忍び寄る人影。

「何やら美味しそうな匂いがすると思ったら……これはいいねぇ」

博麗神社に住み着く鬼っ娘、伊吹萃香である。
昼寝していたのだが、甘い匂いに誘われて起きてきたようだ。

「丁度お腹すいてたし……ちょっと頂いちゃいますか♪」

そう言いながらこそこそと鍋に忍び寄ろうとする萃香だったが、ある問題が発生した。
隣の部屋と台所に扉や仕切りは無く、まる見えである。にとりはこちらに背を向けているが、向かいに座るチルノからはバッチリ見えてしまう。

「そうだなぁ……よし、ミッシングパワーの応用で……それっ!」

そう言うと、なんと萃香の体はみるみる小さくなり、手の平に乗るくらいのコンパクトサイズとなった。これも鬼の力か。
この大きさなら、鍋まで容易に辿り着ける。
台所によじ登り、鍋に近づく萃香。案の定、話が盛り上がっている二人は気付かない。
鍋まで辿り着いた萃香は、取っ手からそっと鍋によじ登る。

「にししし……いただきま〜す♪」

笑いながら鍋の中央に移動する萃香だったが、ある誤算があった。
火にかけられていた鍋の淵は、思いの外熱かったのである。

「あ、熱っ!?」

突如として足の裏から伝わってきた高温に、驚く萃香。鍋の淵はたたでさえ狭い。当然バランスを崩して―――

「あ」

萃香は落下した。煮えたぎるチョコレートの海へ。

 

 

 


「ぎゃああああ!!あぢぢぢぢぢぢぢぢぢ!!」

高温のチョコレートプールに落とされ、萃香は悲鳴を上げる。

「ん、何か聞こえたような……」

耳の良いチルノが異変に気付き、鍋に駆け寄った。
そして鍋の中を覗く。

「あづいあづいづい!!チルノ、助け……」

そこには地獄絵図が。熱いチョコレートに悶える萃香。
だが、チルノの反応は―――

「いやあああ!!にとりぃぃぃぃ!!鍋の中に変なツノムシがいるぅぅぅ!!」

「誰がツノムシじゃああああああ!!!あぢぃぃぃぃ!!」

にとりに助けを求めるチルノ。チョコにまみれた状態では、萃香だと気付かなかったらしい。ツノの存在は分かったようだが。
にとりもやって来て、鍋を覗く。

「うひゃあ、こいつは変な虫だねぇ。新種かな?」

「ちょ、だから虫じゃないッ!!!熱い、あづいってばあああ!!」

にとりにも虫認定された萃香。リグルが喜びそうだ。

「どうしよう、どうしよう!?」

うろたえるチルノ。にとりは冷静に判断した、つもりだった。

「とりあえず消毒だ!フタ閉めて、強火にしよう!」

チルノが言われた通り、フタを被せる。にとりがコンロの火を『強』に。

 

『うっぎゃあああああああああああああああッ!!!!』

 

鍋の中で、萃香の断末魔(?)が轟いた。

「あ、それよりも、虫を取り除くほうが先かぁ」

二分後、気付いたにとりがようやくフタを取り、菜ばしで異物を摘みあげる。

「あ」

ここでようやく、二人は鍋の中にいた『虫』の正体に気付いたのであった。
チョコレートでじっくりコトコトどころががっつりグラグラと煮込まれた萃香は、ぐったりとしたまま動かない。辛うじて息はしている。
ばつの悪そうな顔をしながらにとりが言う。

「う〜ん、鬼を入れてじっくり煮込んだ、これがホントの鬼onスープ、なんつって」

「……うまいこといったつもりか〜……」

萃香の突っ込みが微かに聞こえてきた。第一中身はスープではなくチョコだ。

「ねえねえ、美味しかった?あたいのチョコ!これで想い、伝わるかな?」

チルノが嬉々として感想を尋ねる。

「……ああ、とっても熱い想いが伝わってきたよ……」

文字通りアツアツの萃香は、それだけ言うとがっくり首を垂れた。

 

 

 

 

「まったく、酷い目にあったよ」

「お前さんがつまみ食いしようとするからだろ?自業自得だよ」

霊夢によって風呂場に放り込まれ、帰ってきた萃香の言葉ににとりがしっかり突っ込みを入れる。

「ねえ、あのチョコどうしよう」

チルノが言っているのは、先程萃香がダイヴィングした鍋のチョコの事である。

「う〜ん、捨てるのは勿体無いし……かと言って、そのまま食べても大丈夫なのかね、あれ」

「食べたらお腹壊しちゃうかな?」

「何かベロ毒素とか出てたらヤバいねぇ」

「あたしゃ病原大腸菌かッ!!」

自分が悪いとは言え、ここまで言われるのは心外な萃香。

「逆に考えるんだ、二人とも。ダシが出て美味しくなってると考えるんだ!」

萃香は二人を説得にかかる。

「ダシ、ねえ。チョコレートに鶏がらは合わないよ?」

「あたし鳥扱い!?」

「鳥インフルエンザとかこわ〜い」

「だから病原菌はやめいッ!!」

すったもんだの末、結局その萃香がディープインパクトしたチョコは食べる事と相成った。

冷やして固まったチョコを前に、チルノは緊張していた。

「にとり、食べるよ……」

「ああ、無事を祈ってるよ」

「そんなに深刻!?」

チョコ一つ食べるのに大仰だが、どんな味かも分からないチョコは少し怖かった。

「あたいに何かあったら、大ちゃんをよろしくね……」

「何で死ぬつもりなんだよ!」

「ああ、まかせておき―――はっ!チルノから貰った氷漬けのカエルにヒビがっ!?まさか!」

「そこ、勝手に死亡フラグを立てるなッ!!」

コントはさておき。
意を決して、チルノは自らが作ったチョコレートを一つ、口に入れた。
チョコレートを咀嚼するチルノを、緊張の面持ちで見つめる二人。
やがて、チルノに変化が―――

「―――う〜ん……」

突然、チルノがふらり、と倒れそうになる。慌ててにとりが駆け寄り、その小さな体を抱きとめた。

「チルノ、大丈夫かい!?まさかお前さん、S-ウィルスにやられて……」

「S-ウィルスってなんじゃいコラ!!」

「やっぱり、萃香汁はヤバかったか」

「汁言うな、汁!!」

と、その時。チルノが喋った。

「あたい、なんかへんらよぉ……あたまがまわる〜」

呂律が回っていない。見れば、チルノの顔はほんのり赤かった。

「まさか―――酔っ払ってる?ってうわ、酒の匂いが凄い!!」

これにはにとりだけならず、萃香も驚いた。

「いやはや、あたしからアルコールが出てたみたいだねぇ。鬼の酒は強いから、一口でKOするのも無理はないよ」

「うむむ、流石は飲んだくれ萃香」

萃香も、そのチョコレートを一つ口に放り込んでみる。

「―――うん、確かに酒の味がする……だが、こりゃあ美味いよ!チョコと酒の融合!これはビックリだね」

酒好きの萃香も太鼓判を押した。

 

―――幻想郷に、『お酒入りチョコレート』が誕生した瞬間であった。

 

 

 

 


―――バレンタインデー当日。
あちこちでチョコレートの贈呈が行われる中、にとりはチルノの家を訪れていた。
チルノが無事にチョコレートを作り、渡せたのかが気になったからだ。

「やほ〜。チルノ、チョコはどうだった?」

「うん、大成功!みんな喜んでくれたよ!」

笑顔で言うチルノを見て、にとりは安心した。
と、思い出したようにチルノが何かを取り出す。

「あ、そうだ!―――はいこれ、にとりにもあげる!」

差し出された包みを、にとりは笑顔で受け取った。

「お、嬉しいね。ありがとう、チルノ」

「にとりにはいっぱい手伝ってもらったから、頑張って作ったんだよ?きゅうりチョコ」

「へぇ、そいつは嬉し……き、きゅうりチョコォ?」

驚きの余り、包みを落としそうになるにとり。
包みの上から中身の感触を確かめる。細長い物が数本入っているようだ。まさか丸ごととは。

「うん!にとりはきゅうりが好きだって、あたいちゃんと知ってるもん!……あれ、どうかしたの?」

「い、いや、何でもないよ。嬉しいなぁ……帰ってから食べるよ」

チルノに一切の悪意は感じられない。にとりはこれもチルノの思いやりだと、あえて突っ込まなかった。
二人はそのまま、ちょっくら散歩に出ることに。と、家を出た二人が見たものは―――

 

ドドドドドドドドドドド……


「待てぇぇぇぇぇ!!」

「ダシとらせろ〜!!」

「勘弁してぇぇぇぇぇ!!あんなのもうゴメンだよぅ!」

萃香がかなりの大人数に追い掛け回されている光景だった。

「ああ……そういや、あのチョコ……」

「たくさん配った、よね……」

あの日の帰り、例の萃香入りチョコは結構な量作ったので食べきれず、霊夢、妖夢を始めとする多くの人におすそ分けしてから帰ったのだった。
どうやら、あの酒入りチョコに多くの人が魅せられてしまい、また食べたくなったので原材料捕獲に走っているようだ。

「あ、あれ!」

チルノが突然違う方角を指差す。そこでは―――

「まりさぁ〜……まってよぉ〜……うふ、うふふふふふ……」

「御免だぜ!動くと逃げる!いや、逃げると動くぜ!?」

「せっかく愛情と真心と人形を込めてチョコ作ったんだからぁ〜……たべてぇ〜……うふふふふふふ」

「いやいやいや、最後のいっこ明らかにおかしいぜ!?」

猛ダッシュで逃げる魔理沙とそれを追いかける、ふらふらな足取りにも関わらず滅茶苦茶速いアリス。
アリスは何やらドデカイ物を抱えている。よく見れば、それは何と等身大霧雨魔理沙型チョコレート。中に人形が埋め込んであるらしい。
確かにあんなん渡されたら、嬉しいより不気味である。愛が重いぜ。

「解毒剤、渡さなかったのかな……?」

「……いやぁ、あんな状態の相手にゃあ飲ませられないよ、きっと。もっと他のもんを逆に飲まされる」

答えたにとりは、更におかしな光景を発見する。

「……チルノ、あれ」

やれやれ、といった感じの声でにとりが指差した先。こちらもまた、追いかけっこ。

「い〜や〜っ!!助けてぇぇぇ!!」

「待ってよぅ、今日はバレンタインなんだからぁ。等身大チョコ食べさせてぇ〜」

「等身大って、私自身でしょ!?」

「幽々子様、いけませんってば!!お待ち下さい!!」

「今日こそは夜雀チョコを食べるわよ、うふふ……」

「何でこうなるのよぉぉぉ……!!」

「チョコでしたら私がいくらでも作りますから!!ああもう、お待ち下さいってばぁ!!」

言うまでも無く、ミスティアと幽々子。その後ろを妖夢が必死に追いかける。
幽々子は並々とチョコが入った容器を抱えている。どうやら、それをぶっかけるなり漬けるなりして食べるつもりらしい。
バレンタインのつもりらしいが、ミスティアにとってはいつもと同じ生存競争。はしれはしれ、にげろにげろ。
妖夢にとっても、いつもと同じ業務である。
―――と、呆然と立ち尽くす二人の背後から、声が掛かった。

「に〜と〜りっ!チョコあげる!」

振り返ってみると、雛が包みを差し出していた。ビクリとするにとり。
だが、雛の様子がいつも通りなのを確認して、包みを慎重に受け取った。

「あ、ありがとう……」

にとりはお礼を言う。ややぎこちない笑顔だが、雛は満足そうだ。
すると彼女は、今度は横にいたチルノに言った。

「チルノ、ちゃんとチョコ作れた?」

「え、え?」

戸惑うチルノ。

「確か、こないだ二人とも家に来たよね?その時に聞かれた気がしたから……チョコの作り方」

「あ、ああ……うん、ちゃんと作れた、よ」

「本当に?よかったぁ」

そう言って雛は笑う。その笑顔は、二日前の異常なものではなかった。

「雛、私たちが来たときの事、覚えてるの?」

にとりが聞いてみると、雛は首を傾げた。

「それがね……なんか曖昧で。二人が来たのは覚えてるんだけど、私は何をしてたっけかな……って」

どうやらキノコの事は覚えてないらしい。

「あ、そうだ。チルノにもあげるね」

そう言って差し出されたチョコを、チルノは受け取りながら訊いた。

「ありがとう……ところで、何が入ってるの?」

「え?」

「キノコとか……」

「しーっ!!」

慌ててチルノの口を塞ぐにとり。

「やだなぁ、普通のチョコだよ」

けらけらと笑う雛。どうやらあの超異臭謎物体Xチョコ風味ではないらしい。

「ところで、一体何があったの?」

雛が言いながら、辺りを見渡す。誰だってそう思うだろう―――こんな光景を見せられたら。

「萃香汁とらせろぉぉぉぉぉ!!!」

「……うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ……」

「もう待ちきれないわぁ、お口の中がスワローテイルバタフライなのぉ」

「何でそんなに速いんだよっ!?もう勘弁してくれ!!」

「じっくりコトコト煮込ませろぉぉぉぉ!!」

「抵抗をやめておとなしく煮込まれたまへ!!」

「愛の力、マリアリパワーよ……うふふ、食べるのがいやなら一緒にチョコレート風呂にでも……うふふふ……」

「いやだってばぁぁぁぁ!!何かに感染しても知らないよっ!!」

「そんな歪んだ愛の力なんか嫌だぁぁぁぁ!!」

「意味分かんない……って、いやぁぁぁ!?スピード上がったぁ!!」

「ほら、早くこの人形の足をくわえて……甘くて美味しいわよ……うふふふふふふふふ……」

「幽々子様っ!!ゆゆこさまぁぁぁぁぁ!!」

「そんな歪んだポッキーゲームも御免だっ!!」

「みんな元気だね〜」

「そ、そうだね……あは、あはは」

にとりは渇いた笑い声を上げるしかなかった。

 

 


今年のバレンタインデーは、物騒な悲鳴が聞こえるでも、不気味なうふふが聞こえるでもない。
だが、近年稀に見るカオスなバレンタインデーとして、にとりを始めとする多くの人・妖怪に当分の間記憶される事となった。


なお、帰宅後、にとりはきゅうりチョコを食べてみた。
きゅうりとチョコ。何ともミスマッチだが、不思議と美味しかったそうな―――。


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