「ただいま戻りまし……あれ?」

森に堂々と佇む紅い洋館―――紅魔館。
その門の前で、紅魔館内図書館司書見習いの妖怪少女・小悪魔は首を傾げた。

「美鈴さ〜ん……いない。ごはんでも食べてるのかな」

いつもなら、門の前には門番・紅美鈴が常時立っており、用事を片付けて帰ってきた小悪魔に『お帰りなさい!』の一言でもかけてくれる筈である。
だが、その美鈴の姿が無い。時刻は午後二時、昼過ぎ。

「まあいいや、とりあえず入ろ。パチュリー様も待ってるだろうし」

ひとりごちて、小悪魔は門をくぐる。司書見習いとはいえ立派な紅魔館の一員、鍵は持っている。
彼女は図書館司書たる魔法使い、パチュリー・ノーレッジのお使いで人里やあちこちの店舗へ買い出しに行って来た所である。
何でも新しい実験に使う材料らしいが、その種類はかなりの数に上った。ざっと二十種類以上。
体の弱いパチュリーでは苦労するだろうと、小悪魔がお使いを買って出たのが、午前中。
小悪魔が買い出しに行く時にパチュリーは申し訳無さそうに何度も頭を下げてきたが、小悪魔本人にとっては別段苦になるわけでも無かった。物理的には疲れたが。

「ただいま戻りました〜」

玄関を開け、小悪魔は館の中へ足を踏み入れる。
だが次の瞬間、彼女は明らかな”違和感”を感じ取った。

(―――なんだろう、妙に静かで、暗い……)

別に照明が落ちているとか、そういうわけではない。
外装と同じく紅中心の調度品や、廊下のカーペット。別段おかしい所は無い。
だが、今の紅魔館は何かおかしい。まず、静かだ。人の気配が殆ど感じられない。
妖怪であるためそういった感覚が敏感な小悪魔には、その違和感がありありと感じられる。

「……あっ、そうだ。材料!」

違和感も気になるが、今の彼女には”材料をパチュリーへ届ける”という使命があるのだ。
慌てて小悪魔は走り出そうとして、小走りに変える。緊急時以外、廊下を走ってはいけない。
図書館前に辿り着き、彼女はドアを開ける。

「パチュリー様、材料買ってきました!」

ここから姿は見えないが、きっといつもの少し埃っぽいテーブルで本を読みふけっているであろうパチュリーへ声を掛け、小悪魔は中へ。
しかし―――

「……パチュリー様?」

返事は、無い。本に集中していて、彼女の帰還に気付かないのだろうか。
だが、小悪魔の妖怪としてのセンサーはまたしても違和感を感じ取っていた。
館に入った時と同じ感覚。

(―――人の気配が、無い……)

急に言い知れぬ不安に襲われた小悪魔は、思わず走り出す。
本棚の間を抜け、図書館の中央―――パチュリーがいつも本を読んでいるテーブルを目指した。
やたら広い図書館を走り、ようやくテーブルへ辿り着いた小悪魔だったが―――

(いない……)

誰も座っていないテーブルが、ここに人がいない事を何よりも雄弁に物語っている。
とりあえず、と買ってきた材料の袋をテーブルに置こうとして―――

「……あれ?何だろうこれ」

テーブルの上に、何やらメモが一つ。パチュリーの筆跡だが、彼女にしては妙に字が乱れている。走り書きのようだ。
小悪魔は、実験のメモか何かだと一瞬思った。しかし、メモの一番上に書かれている『小悪魔へ』の文字が目に飛び込む。

(私に……?)

どうやら手紙のようだった。小悪魔はそれを手に取り、読んでみる。
しかし、内容は実にシンプルなものであった。というより、走り書きであるという事から察するに、それしか書けなかったのかもしれない。

 

『小悪魔へ 至急、永遠亭へ来て  by パチュリー』

 

「ふあぁぁ……」

大きな欠伸。別に他の誰かがいるわけでもないのに慌てて口を押さえてしまう。
欠伸の主は、湖に住む大妖精。自宅のベッドに腰掛け、暇を持て余していた。

(暇だなぁ。チルノちゃんもルーミアちゃんも、みんな用事あるから遊べないし)

普段一緒に遊ぶメンバーがことごとく用事で欠席、その為彼女はひたすらに暇だった。
チルノと一緒に遊ぶとなれば、それこそ全力で付き合わされてヘトヘトになるのは目に見えているのだが、遊べないとなるとそれはそれで寂しい。

(本でも読もうかな)

この多大なる暇を潰してくれるのは書物しかない―――大妖精は本棚に手を伸ばす。
読書が好きになり、たくさん本を読む内にそれなりに知識も付いた。知識が付けば本がより楽しく感じられ、もっと読みたくなる。素敵なループ。
どの本を読もうか、大妖精の指が背表紙の並ぶ数cm後方で宙を彷徨う。

(そうだ、この間図書館で借りたばっかりの本があったっけ)

唐突にその事を思い出した大妖精は、立ち上がって机へ向かう。
机の上に置いてある、少し古びた本に手を伸ばし―――


ピンポーン!


―――その刹那、鳴り響くチャイムの音が来客を告げた。


「は〜い」

手を引っ込め、大妖精は玄関へ向かう。丁度暇していた所、そんな折の来客は少し嬉しかった。
玄関のノブに手をかけ、捻る。
ガチャリ、と音を立てて、ドアを開き―――

「―――大ちゃんっ!!」

その瞬間、まるでタックルのような勢いで何者かに抱きつかれた大妖精。
心地よい人肌の温かさが伝わってくるが、そんな余裕は今の彼女にはありそうもない。

「わっ!?え、え、え……?」

来客にいきなり抱きつかれるなど前代未聞、未曾有の出来事。目を白黒させる大妖精であったが、自分を呼ぶその声には聞き覚えがあった。

「……こぁちゃん?」

「あっ、ごめん!」

慌てて来客が体を離す。その正体は図書館司書見習い・小悪魔。

(どうしたの、そんなに慌てて?)

そう言おうとして口を開きかけた大妖精だったが、それより先に小悪魔の口が開く。

「お願い大ちゃん!助けて!!お願い!!」

そう口走る小悪魔の表情は泣きそうで、何だか庇わずにはいられなくなる、そんな顔。

「と、とりあえず落ち着いて……ね?」

とにかく小悪魔を落ち着かせようと、大妖精は彼女を両手で制しつつ、優しく言い聞かせるような口調で話しかける。
それを聞いて、小悪魔も少し落ち着きを取り戻したようだ。少なくとも、悲痛な叫びを上げるような事は無い。

「ご、ごめんね……」

「助けてって、何かあったの?とりあえず上がって、お茶いれるよ」

大妖精はそう言って小悪魔を家へ招き入れた。

「……はい。で、こぁちゃん。何かあったの?」

大妖精は紅茶を入れたカップを二つ用意すると、小さなテーブルに置く。

「う、うん……それがね」

大妖精から差し出された紅茶のカップを両手で包むように持ち、少し落ち着いた小悪魔が口を開いた。

「今日、パチュリー様のお使いで買い出しに行って……それで、帰ってきたら……」

「帰ってきたら?」

「……誰も、いなかったの。美鈴さんも、咲夜さんも、パチュリー様も、お嬢様も。妹様まで、そっくりみんな」

「えっ!?だ、誰も……?」

驚く大妖精に小悪魔は頷いてみせる。

「うん、誰も……それでね、図書館に行ったら、パチュリー様からの手紙があって。永遠亭に来てって」

「永遠亭……」

その言葉に、大妖精は首を傾げる。謎の住人失踪、それに加えて永遠亭への呼び出し。
まるでミステリー小説のようだと一瞬思ってしまってから、大妖精は続きを促すように言った。

「で、永遠亭に……?」

「うん、行ったの。そしたらね……」

小悪魔は一旦言葉を切り、悲しそうな顔で続けた。


「―――みんな、入院だって……」


「えっ、えぇぇ!?入院!?」

思わず大声を出してしまう大妖精だったが、無理も無い。
見た目にそぐわず、これ以上無く屈強な妖怪達(一部例外はあるが)が集う紅魔館メンバーが、そっくり入院。
それを聞かされた大妖精の心にも、じわりと不安が広がっていく。

「にゅ、入院って……まさか、レミリアさんほどの妖怪すら屈するような、難しい病気に……?」

そうであれば一大事だ。
紅魔館の主、レミリア・スカーレット。幻想郷でもトップクラスの大妖怪である事は周知の事実である。
そんな最強クラスの妖怪が入院するとあれば、その病はどれほど恐ろしいものなのかは想像に難くない。
もし感染するような事があれば、幻想郷の危機と言っても過言では無いかもしれないのだ。
だが、

「ううん、病気じゃないの」

小悪魔は首を横に振った。

「病気じゃ、ない?」

大妖精は安堵する一方で、更なる疑惑を抱かずにはいられない。

「じゃあ、何で……」

病気でないなら、物理的な怪我か。
だが、先にも述べたようにレミリアは強い。弾幕戦になったとて、レミリアを一発で病院送りにするほどの力を持った者など存在するのだろうか。
それに、入院したのはレミリアだけではなく、他の紅魔館の住人も同様なのだ。
大妖精の疑問符を伴った言葉に頷き、小悪魔がゆっくりと口を開く。
果たして、その原因とは―――

 

「―――食中毒」

 


「……へ?」

大妖精は思わず、拍子抜けた声。
一体どんな恐ろしい病気や怪我かと思えば、食中毒。そんじょそこらの人間だってなる可能性のある身近な症例。
瞬時にこんがらがる頭を押さえ、大妖精は小悪魔に説明を求めた。

「……ごめん、詳しく教えてくれる?」

頷き、小悪魔は話を続けた。

「原因は今日のお昼ご飯なんだって」

「今日の……ああ、確かに今の時期、食べ物が痛みやすいからね」

納得したように大妖精。
現在、幻想郷は夏である。高い気温と湿度で、食べ物が痛みやすいのはどこも一緒だ。

「うん。でも、それだけじゃないんだって」

小悪魔は一回頷いてから、さらに話を続ける。

「それでね、今日のご飯はパチュリー様が作ったんだって。たまには自分がやりたい、って」

「へぇ。普段は咲夜さんが作ってるんだよね?」

「うん。でも、パチュリー様って料理した事なかったらしくて……」

語る小悪魔の顔は、どこか青ざめているようにも見える。

「で、勝手が分からなくて色々入れたら……」

「あたっちゃった、と?」

悲しそうな顔で頷く小悪魔を見て、大妖精は何ともいたたまれない気持ちになった。
そこまで重大な病気の類で無くて安心した一方で、料理失敗による食中毒という事実に、どこか間抜けさを感じてしまう。

「永遠亭に駆けつけたときには、もうみんな布団で寝てたの。やっぱり苦しそうだった。
 お嬢様がなんか『ケミカル……ケミカルなにおいが……』って呟いてたんだけど」

パチュリーはひょっとしたら食材では無い物を放り込んだのかもしれないが、今は詮索するだけ無駄だ。

「それで、どうして私に?」

そう、ここからが本題。紅魔館メンバーが、たまたま買い出しに行っていた小悪魔を除いて全滅したという事実は認識出来た。
だが、どうしてそれが大妖精に助けを求める事に繋がるのか。

「うん、それなんだ。別にただ私一人で過ごすだけなら問題無かったんだけど……」

話をさらに続ける小悪魔。

「ちょうど大掃除の真っ最中だったらしくて、紅魔館が物凄く散らかってるんだ。特に図書館。パチュリー様、蔵書の整理の途中だったみたいで」

相槌代わりに、大妖精は頷く。

「でね、お嬢様方が帰ってくるまでに、何とかして片付けたいの。だけど、私一人じゃとても……。
 妖精メイドはいるんだけど、普段指揮を執る咲夜さんもいないから……」

大妖精はその名(というと語弊があるが)の通り、妖精の中でも特に強い力を持った存在だ。
通常の妖精を指揮するには打ってつけだろう。

「だから、お願い!本当に申し訳ないってわかってるけど、片付けを手伝って欲しいの!」

そう言うなり、小悪魔はこれでもかと言わんばかりに頭を下げる。
土下座せん勢いの小悪魔を見て、大妖精は慌てる。

「ちょ、そんな。顔上げて、ね?」

「……ごめんね。本当にごめんね。迷惑かけちゃって……でも、こんなこと、大ちゃんにしか頼めなくて……」

切々と訴える小悪魔は、再び泣きそうな表情。

 

―――大妖精と、小悪魔。二人が知り合ったのは紅魔異変の少し後。落し物の本を大妖精が図書館に届けたのが始まりだった。
それをきっかけに出会った二人は、互いに本が好きである事、そして名無しである事からすっかり意気投合。
大妖精が頻繁に紅魔館の図書館に通うようになり、小悪魔も彼女の訪問をを心待ちにするようになった。
その後も色々あり、二人は親友と呼べるほどに仲良くなった。
そして今回。小悪魔自身は決して人脈が狭い訳では無いが、大半はパチュリーやレミリアを介しての繋がりであった。
小悪魔本人との繋がりが濃く、さらにその中でも特に親しい相手は―――いつも遊びに来る大妖精だけだった、というわけだ。

「そんな顔しないで。他ならぬ、こぁちゃんの頼みだもの。私に任せて!」

出来うる限り明るく、大妖精は快諾の意思を告げた。

「い、いいの!?」

がば、と顔を上げた小悪魔の手を、大妖精はそっと握る。

「もちろん!他の人がダメだって言っても、私はこぁちゃんを手伝うからね!」

そう言って、笑顔。

「……ありがとう。本当にありがとう……」

肩を震わせ、小悪魔はそれだけ言うと俯いてしまった。
このままでは彼女が泣いてしまうかもしれないので、大妖精は小悪魔の手を引っ張って立たせる。

「ほら、そうと決まったら早く行こ?早く終わらせて、レミリアさん達を驚かせちゃおうよ」

「……うん!」

こっそり目元の涙を拭って、小悪魔も笑う。


―――かくして、名無し二人組の紅魔館クリーン大作戦が幕を開けた。

 

「お邪魔しま〜す」

玄関を開けて紅魔館に入って第一声、大妖精が誰もいない廊下の奥へ挨拶。
誰もいないと分かっていても、これは習慣なのだから仕方ない。

「どうぞどうぞ。散らかってるけど……って、本当にそうなんだけどね」

苦笑いしながら小悪魔。

「あれ、別に散らかってないけど……」

玄関からエントランスを見渡して、大妖精が首を傾げる。
確かに多少埃っぽい感じはするが、目立った汚れや散らかり具合は見受けられない。

「あ、玄関はまだいじってなかったらしいよ。ひどいのは倉庫とか、食堂とか……」

小悪魔の補足説明に大妖精は頷いた。

「じゃあ早速だけど、どの部屋からやる?」

すると小悪魔は腕組みして難しそうな表情。

「う〜ん……それが、思ったより結構散らかってる部屋多いんだ。私達だけじゃ何日かかるか……」

そこまで呟いて、彼女はポンと手を打った。

「そうだ!妖精メイドはまだいるから、あの子達に手伝ってもらおっと」

そう言うなり彼女は廊下の奥へパタパタと駆けて行く。
残された大妖精はエントランスを見渡して暇を潰していたが、程無くして小悪魔は戻って来た。
その後ろにたくさんの妖精メイドを従えて。

「みんな、今日は咲夜さんいないけど、代わりに大妖精の大ちゃんが指揮してくれるから。
 大ちゃんの言う事、ちゃんと聞いてね」

「は〜い!!」

妖精メイド達は元気よく手を上げて返事。いきなり大勢のメイド達に囲まれ、大妖精は当惑顔。

「えっ……い、いきなり言われてもなぁ」

「はい、これ紅魔館の主な間取り図。散らかってる部屋に印つけといたからね」

小悪魔は焦る大妖精に間取り図を渡す。確かに印が付いている部屋は多く、細かい。
暫く間取り図とにらめっこしていた大妖精は、顔を上げて小悪魔に尋ねた。

「ところで、この子達は全部で何人いるの?」

「えと、確か全部で五十人。今日は欠席もいないはずだよ」

小悪魔が返答しつつメイド達を見やると、前の方にいた数人が頷いた。
それを聞いた大妖精は、

「えっと……じゃあとりあえず、五人ずつに分かれてもらえるかな?」

戸惑いつつもメイド達に指示を出してみる。すると、彼女達は即座に五人ずつ、十の班に分かれた。

「わっ、さすが大ちゃん!伊達に大妖精やってないね!」

統率のとれた動きを見て小悪魔が賞賛すると、大妖精は顔を赤らめる。

「そ、そんな。この子達が優秀なんだよ、きっと……」

それから彼女は、それぞれの班を順番に指し、一班から十班まで番号を振った。

「それじゃあ、一班と二班はこの第一倉庫を片付けてくれる?三班と四班はこっちの客間を。それから五班は……」

てきぱきと大妖精が指示を出すと、メイド達は指示を受けた者からすぐに言われた部屋へ飛んで行く。
全てのメイドに指示を出し終え、二人だけになったエントランスで小悪魔は感動の面持ち。

「すごいよ大ちゃん!まるで本当のメイド長みたい!」

言われた大妖精はまんざらでもなさそうだが、何だか本来のメイド長・咲夜に悪い気がしてきてしまう。

「あ、ありがとう。それより、私達も片付けやろ?」

「うん、そうしよっか。じゃ、まずはこの応接間から……」

間取り図に書かれた応接間は、エントランスからそう遠くない。二人は廊下を歩き始めた。

「……うわぁ」

応接間のドアを開けてすぐ、大妖精が思わず呟いてしまった。

「ご、ごめんね。本当に汚くて……」

「あ、いやそんな。なんかごめん。普段はこうじゃないってわかってるから、ね?」

謝る小悪魔に慌てて大妖精はフォローを入れる。
しかし、彼女がその光景に目を疑ったのも無理は無い。
客を最初に通す場所だけあり、普段は小ぎれいにしているであろう応接間が、今やガラクタ置き場とも言える状況なのだから。
床は妙に埃っぽく、テーブルの上にはこれでもかと書物のようなものや箱、その他よくわからないガラクタが積まれてカップ一つ置けそうに無い。
テーブルを挟むよう置かれたソファも埃をうっすらと被っており、やはりガラクタの山。
壁に据え付けられたガラス張りの棚から物が溢れ出している事から、テーブルやソファに積まれた物はここから出したのだと容易に想像できる。
―――とまあ、事情を知らずに見れば泥棒でも入ったか、と思わせるような光景だった訳で。

「う〜ん、どっからやろっか……というより、何からすればいいのかな?」

首を傾げて困った様子の大妖精に、小悪魔が提案。

「とりあえず、いるものといらないものを分けようよ。まずはこのソファの上の物からね」

大妖精も頷き、二人はソファの上の物を手当たり次第に床の上へ。

「これ、いるかな?」

「あ〜、それは確かパチュリー様の昔の実験道具だっけ。もういらないって言ってたような」

「じゃ、これはいらない、と……で、この本は?」

「う〜ん、生物図鑑かぁ。何でここにあるんだろ。まあいいや、それはいると思うよ」

「じゃ、これはいる」

大妖精はそう言って、手にした大き目の箱を脇へ。それから、図鑑を反対側に置く。
そうやってひたすらに分別作業を続けた折り、小悪魔が唐突に嬉しそうな声。

「あっ!見て見て大ちゃん!アルバムが出てきたよ!」

「へぇ、見てもいい?」

手にしていた箱をその場に置き、大妖精は小悪魔の横へ。

「あっ、流しそうめんやってるね。いつ?」

「たしか二年前くらいかな。紅魔館中でトランプ対決して、負けた美鈴さんがひたすらそうめん茹でてたよ」

「こっちはその続きかな?花火やってるけど」

「うん。ねずみ花火が暴走して、驚いたお嬢様が物凄い逃げ回るからみんな笑っちゃって。ちょっと気まずかったなぁ」

写真と共に語られる面白いエピソードに二人は笑顔。

「二年前……って事は、私とこぁちゃんが知り合う前だね」

「うん……その時に大ちゃんと出会ってたら、絶対誘ったのに」

「え、ホントに?紅魔館のみんなで水いらずって感じなのに、私がいていいのかな……」

「そんな事!大ちゃんならみんな大歓迎だって。じゃ、今度一緒に花火やろうよ!」

「わぁ、ありがとう!楽しみだなぁ」

「いつにしよっか。とりあえず紅魔館のみんなが退院してからの方が……あっ」

そこで我に返った小悪魔は、目の前にうずたかく積まれたガラクタの山を再認識。大妖精もそれに倣った。
楽しい思い出話や遊びの計画から一転、大掃除という現実を突きつけられた名無し二人。お約束である。
大掃除には魔物が住んでいるのだ。

「一緒に遊ぶためにも、早くこれ片付けよ!」

「う、うん!」

素早く散開し、二人はガラクタに挑みかかる。
次々と現れる箱や書類をえり分けながら、小悪魔がぼやく。

「何で応接間にアルバムがあるのかな〜……」

「お客さんに紅魔館の歴史を見せるため、とか?こぁちゃん、これいる?」

「それって単なる思い出話になっちゃいそうな……えっと、その書類はもういらないと思うよ」

話をしながらも手を休めず、少しずつ山を切り崩していく。
二人の奮闘の甲斐あってか、段々と応接間が本来の姿を取り戻してゆく。
あらかたソファとテーブルが片付いた時、二人は大汗をかいていた。

「ふへ〜、結構片付いたね」

「うん、いるものは大体分けたし、後は捨てるものだけかな?」

「それとテーブルを拭くとか、そういう細かい作業だけだね」

床には捨てる物を詰めたポリ袋がいくつも転がっている。
壁際の棚には書物や盾、トロフィーが並んでおり、どれも綺麗に磨かれている。
壁の高いところにかけられた時計は午後六時前を指し、その下にはレミリアの肖像画。

「じゃ、あの子達にお願いしちゃおっか」

言うなり、小悪魔はパンパンと手を鳴らす。
すぐに妖精メイドの内の一人が馳せ参じたので、

「悪いけど、このゴミ出しと仕上げ、お願いしてもいいかな」

頷き、メイドは一旦引っ込む。そして、すぐに他のメイドを何人も引き連れて戻り、片っ端からポリ袋を運び出していった。
その様子を見て満足そうな笑みを浮かべ、小悪魔は大妖精に向き直る。

「これでこの部屋はおっけ!大ちゃん、ホントにありがとうね」

「いいっていいって。紅魔館全体がきれいになるまでちゃんと手伝うからね」

大妖精が笑顔で答えたその時、


ボーン……ボーン……


―――どこかで柱時計が鳴るのが聞こえた。
それを聞いた小悪魔は窓の外を見やる。

「もう六時だ。まだ全然明るいから気付かなかったよ」

「えっ、もうそんな時間?ごめんね、こんな遅くまで。明日また手伝いに来るよ」

そう言って玄関へ向かおうとする大妖精の手首を小悪魔が掴んで引き止める。

「待って、せっかくだから泊まっていきなよ」

「えっ!で、でも……悪くないかな。迷惑かけちゃいそうだし」

小悪魔の申し出に一瞬嬉しそうな顔を見せてから、すぐに申し訳なさそうな顔になる大妖精。
だが、小悪魔はぶんぶんと音がしそうなくらいに首を横に振る。

「そんな事ないって!どうせ私とメイドしかいないし、大ちゃんがいて迷惑なんて言う人がいたら許さないよ!それに……」

「そ、それに?」

彼女の言い分が嬉しくて、思わずどもりながら大妖精。すると、小悪魔は少し顔を赤らめる。

「こ、こんな時くらい、大ちゃんと一緒に一晩過ごしたいな……なんて。一緒にご飯食べたり、お風呂入ったり……」

指折り数える内に頬の赤みが増していく小悪魔を見て、大妖精も赤面。

「わ、私も……こぁちゃんと一緒にいられるなら、その方がいいな……」

恥ずかしくて顔を上げられない二人は、互いに向きあって俯いたまま言葉を交わす。顔がすごく熱かった。

「じゃ、じゃあ……今晩、お世話になります……」

「う、うん……ごゆっくり……」

ちょうどその時、応接間にあった全てのゴミ袋を片付けたメイド達が帰ってきた。
だが、空気を読んだ彼女達は、作業終了の報告はもう少し待つことにしたのであった。

こうして紅魔館にご厄介する事となった大妖精。

「じゃあ、せめて夕ご飯は私に作らせて?」

そう申し出る大妖精だったが、

「いやいや、一緒に作った方がおいしいよ」

小悪魔がそう言って譲らないので一緒に食事の支度をする運びに。
そして二人は意気揚々と紅魔館のキッチンルームへ。
二人で料理をするのは初めてであったし、特に大妖精は紅魔館のキッチンならきっと大きいに違いない、と心躍らせていた。
しかし、二人はある事を忘れている。それは―――

「……うぇぇ、何この変なにおい……」

大妖精の絞り出すような声。キッチンへ続く扉の前で、二人揃って思わず鼻を押さえる。
そう、今回の騒動の原因が何であったかを忘れていたのだ。

「そういえばパチュリー様、お腹痛くて片付けどころじゃ無かったって言ってたっけ……」

げんなりした顔で小悪魔が呟く。

「何て言うんだろ、甘いのと、すっぱいのと、それから何だか薬っぽいというか、化学的なにおいが混ざってる……」

冷静に分析する大妖精の顔は青い。小悪魔は、レミリアがしきりに呟いていた『ケミカル』という単語を思い出す。
だが、いつまでも扉前でヒットポイントを削られている訳にもいかない。肉体労働の後で二人とも空腹なのだ。
食欲を一瞬で掻き消しそうな強烈な悪臭の発生源を断つべく、二人は『せーの』でキッチンへ突入。
扉前で散々立ち尽くした直後だというのに、二人はまたそこで立ち尽くす羽目になる。

「……何、コレ?」

キッチンを見た、大妖精の率直な感想。
見た事も無い植物が乗ったままのまな板、鱗のような物がこびりついた包丁。その周りにはまるでスプラッタ映画の血のように紫色の液体が飛び散っている。
まな板の横に置かれた数々のビン。調味料というより薬瓶に見えるそれは、ラベルの文字が滲んで読めない。
シンクに置かれたざるの中にも謎の植物。根菜のようにも見えるが、まるで空想上の多頭の龍のように枝分かれしている。
そして、極め付きはガスコンロ。大妖精の『広い』という希望通り、全部合わせれば二桁に上る数のコンロが据え付けられていたのだが。

「……この鍋、中に何が……?」

小悪魔が呟く通り、一番端のコンロには大きな寸胴鍋が乗っている。
だが、鍋の淵付近や蓋には茶色の半固形の物体がこびりついており、場所によってはそれが紫だったり緑だったりするので目に痛い。
小悪魔は果敢にも鍋の蓋を開けようと試みるが、付着した鍋の中身によって接着されてしまっており、ちょっと引っ張ったくらいでは外れそうもない。
誰が見ても、この鍋の中身が食品であるという結論には至らないであろう。西行寺幽々子ですら裸足で逃げ出しそうだ。

「……パチュリー様……」

小悪魔はついに頭を抱えてしまう。信頼する自分の上司が作った『料理』がこんなんなのだからその心境は察するに余りある。
大妖精はそんな彼女の背中を元気付けるようにさすってやりつつ、もう一度キッチンを見渡して言った。

「ちょっと待ってて、私が今片付けちゃうよ。こんな状態じゃご飯作れないもんね」

そう言って半袖をさらに肩まで捲り上げる彼女に、小悪魔が慌てて顔を上げる。

「そんな、大ちゃんだけにそんな事させられないよ!私もやる!」

小悪魔もまた袖を捲った。
早く食事にありつきたい二人はそのまま勢いに任せて片付けを開始。得体の知れない食材らしき物体は片っ端からゴミ袋へ。
薬瓶はとりあえず隅に置いておき、後で保管庫へ持っていく事に。
雑巾でまな板周りに飛び散った液体を拭き取り、使用された器具を洗う。念のためアルコール消毒まで。
二人の頑張りの甲斐あってここまでは終了。だが―――

「こ、こぁちゃん……これ、どうしよう……」

大妖精の言葉は若干の怯えを含んでいる。彼女の視線の先には、悪臭の原因であろう例の寸胴鍋。
耳を澄ますと、ゴボ、ゴボ、と音が聞こえるその鍋は、大妖精にとっては触れる事すら躊躇われる代物であった。
しかし、小悪魔は安心しろ、とでも言うようにドン!と胸を叩く。

「大丈夫、私に考えがあるよ!大ちゃん、ちょっとこの鍋運ぶの手伝ってくれるかな?」

そう言って彼女は鍋の片側につくので、大妖精も頷いて反対側の取っ手を両手で持つ。
二人は『せーのっ!』と掛け声一つ、鍋を持ち上げた。

「お、重い……」

言いだしっぺの小悪魔が思わず呟いてしまう程、その鍋はずしりと重たい。何人分作ったのだろうか。
何とか息を合わせ、二人は鍋をキッチンの外へ運び出そうとする。

「このまま、食堂まで……」

「う、うん」

小悪魔の指示にどうにか答える大妖精。指示通りにそのまま食堂へ。幸いにも、キッチンから食堂へは直通の扉がある。
まだ当時の爪痕が残る食堂へ入ると、中央の一番大きなテーブルは何とか片付いていたが、周りに設置された中型のテーブルにガラクタが載っていたりと微妙な状態。
そんな中、小悪魔は足元に気をつけながら一番端の離れたテーブルまで誘導。

「下ろすよ、せー、」

「のっ!」

息を合わせ、二人はテーブルの上に鍋を置く。その瞬間、ドスンという何とも重量感のある音が辺りに響いた。
すると、休む間も無く小悪魔は鍋を置いたテーブルに向き直る。
大妖精が一歩下がって見守る中、彼女は突如、何やら呪文を詠唱し始める。
程無くして、彼女のかざした手から淡い光が放たれたかと思うと、まるでテーブルを覆うかのように一瞬透明なドームが現れ、すぐに見えなくなった。
それを確認した小悪魔は大妖精に笑顔を向けた。

「うん、成功!簡単なものだけど、このテーブルの周りに結界を張ったよ。これでにおいとかは漏れてこないはず」

「すごいよこぁちゃん!まるでパチュリーさんみたいでカッコ良かった!」

拍手と共に大妖精に賞賛されて小悪魔は顔を赤くしたが、ここでふと疑問を感じた大妖精が首を傾げた。

「でも、この後この鍋はどうするの?」

すると小悪魔は一瞬表情を強張らせ、すぐに苦笑い。

「え、えっと……後で何とかしよ、うん。危険物とかでいいのかな、これ……」

どうやらノープランのようだが、とりあえず現状はこれで何とかなった。
この悪臭発生装置を野ざらしにしたままでは美味しい物も不味くなってしまう。
安心した二人はキッチンへ戻り、しきりに鳴き声を上げる腹部を押さえつつ、ようやく夕食の支度を始めるのであった。

「何作る?」

「簡単でおいしいもの!」

「じゃ、カレーにしよっか」

「うん!」

以上のやり取りによってメニューはカレーに決定。
先程までの悪臭から一転、スパイスの何ともいい香りが紅魔館に満ちるのも時間の問題だろう。

深い、深いまどろみ。いつまでも漬かっていたいと思わせる、心地よい脱力感。
まるでもやの中に取り残されたかのような感覚。不透明、不明瞭。
しかし、突如として何だか刺激的な匂いに鼻腔をくすぐられ、急速にもやが消えてゆく。
まどろみから揺り起こされ、大妖精は目を抉じ開けた。

「あっ、起きた!おはよ、大ちゃん!」

目の前にあったのは、銀色のスプーン。その上に乗るカレーソースと白米の対比が美しい。
そして、それをまるで小さな子供に食べさせるように突き出す小悪魔の悪戯っぽい笑み。

「ふぇ……」

うまく喋れなくて、おかしな声が出てしまった。
大妖精は頭を軽く振って、頭の中に未だ纏わり付くもやを払う。

「お、おはよう、こぁちゃん」

声を発した事でようやく、大妖精の脳にもスイッチが入った。
すると、小悪魔よりも遅くまで寝ていたという事実を認識して途端に恥ずかしくなる。

「ご、ごめんね。遅くまで寝ちゃって」

すると小悪魔はスプーンを手にしたカレー皿に戻しながらけらけらと笑った。

「なんだ、そんな事。大ちゃんはお客さんなんだからそんな事考えなくてもいいの!」

そして彼女は踵を返し、部屋を出る直前にもう一度大妖精を向く。

「じゃ、食堂で待ってるから。朝ごはん食べよ?」

大妖精が頷いたのを確認し、小悪魔は部屋を出て行った。
残された大妖精は隣のベッドを見やる。きちんと畳まれたパジャマが置かれている。小悪魔は既にいつもの服に着替えていた。

(う〜、思いっきり寝坊だよ。恥ずかしい……)

大妖精はばつの悪そうな顔をしつつ、着替えにかかる。その間、昨日の事を回想。
昨日は夕食後、そのまま小悪魔と一緒に風呂に入った。風呂場も非常に広く、何とも羨ましく思ったものだ。
羽が邪魔でうまく背中が流せないよ、と笑いあった。元々風呂は大好きだったけど、昨日はより特別だった。
その後は髪が乾くまで一緒に本を読んだり、お喋りに興じた。過ごし方がまるでいつもと変わらないけど、楽しいんだからしょうがない。
小悪魔は自室にもベッドがあるにも関わらず、『大ちゃんと一緒の部屋で寝たい』と言って、彼女が借りた客間に枕を持ってきた。
そして夜通し語らいつつ、気付けば二人は夢の中。朝が訪れ、今に至る。

(待たせちゃってるし、早く行かなくちゃ)

自分で自分を急かし、大妖精は着替えを完遂。脱いだパジャマは小悪魔に倣い、きちんと畳んでベッドの上へ。
サイドテーブルに置かれた手鏡で素早く顔を確認。寝癖はついてない。
大妖精は客間のドアを開け、食堂へ向かう。すでに廊下には、一晩寝かせたカレーの素晴らしい香りが広がっていた。
その香りに導かれるように、彼女は食堂のドアを開ける。

「あっ、来た来た。準備出来てるよ」

中央の大テーブルの一角に座った小悪魔が手を振っていた。その前には既にカレーやサラダが置かれている。
脇に妖精メイドが控えているのを見て、ああ、ここはお屋敷なんだなぁと大妖精は再認識。
小悪魔の横の席に同じような食事の準備がされていたので、彼女はそこへ腰を下ろす。

「それじゃ……」

「いただきます」

きちんと手を合わせ、二人は朝食を食べ始める。
昨晩の作りたても美味しいけれど、一晩寝かせたカレーの味はまろやかでより美味しく感じる。

「何で、カレーって一晩寝かせるとおいしいんだろうね?」

いきなり大妖精に尋ねられ、小悪魔は慌てて口の中の食べ物を水で流し込んだ。それから、口を開く。

「ん〜、何でだろうね?詳しくはわからないけど、おいしいからいいんじゃない?」

「それもそうだね〜」

深く考えない小悪魔の返答に柔らかく笑って、大妖精はもう一口。辛すぎないスパイスの刺激が舌に心地よい。
それから時折言葉を交わしつつ、早々にカレーを平らげた二人。

「ところで、今日はどこを掃除するの?」

サラダのレタスを二枚まとめてフォークで刺しながら大妖精。水を飲んでいた小悪魔はグラスから口を離す。

「昨日メイド達が頑張ってくれたおかげで、予定よりかなり早く進んでるよ。私達は……図書館かな」

「了解〜。広いから大変そうだなぁ」

返事をして、大妖精はフォークを口に運ぶ。レタスを噛みしめると、しゃくっ、と心地よい音が立った。

ぎっ、と軋んだ音を立ててドアが開くと、途端に鼻をくすぐる図書館特有の埃っぽい匂い。
図書館特有とは言ったが、この日の埃っぽさは尋常ではない。

「本棚がひっくり返ってるんだけど……」

足元に無造作に転がされた本を拾い上げて、大妖精は苦笑い。目の前で横たわる本棚から放り出された物だとすぐに分かった。
見渡す限りの本棚は相変らずだが、そこここの床に本が詰まれていたり、虫干しの如く開いた本が床一面に並んでいる箇所があったり。
中には何故か彼女の言葉通り、床に横たわって中の書物を床へ盛大にぶちまけた本棚まである始末。

「多分、本を取るのに夢中になったパチュリー様が倒しちゃったんだね。それで起こせなかったんじゃないかな……」

足元に散らばる本を拾い集めながら小悪魔。魔法使いとしては優秀なパチュリーだが、イメージ通り非力。
この大きな本棚を起こすなどという芸当、大の男ですら苦戦しそうなのにどうしてパチュリーが出来ようか。

「ラベル貼りはもう終わってるみたいだし、本の系統別に本棚に並べていこっか」

小悪魔の言葉に頷き、大妖精も端にある本棚から順番に本を見ていく。ジャンルの違う本があったら取り出し、該当する本棚へ。
ラベルの無い本は分別不能として、倉庫へ運び込む為に一箇所へまとめる。一つの本棚を見終えたら、隣の本棚へ。
そんな作業を黙々と進めていく二人。言うだけなら単純な作業であるし、面倒ではあるが仕事自体に難しい所は無い筈だった。
だが―――

「……うぅ〜、首が痛い……」

大妖精が苦しそうに呟き、首をぐるりと回す。ポキリ、と関節が音を立てた。
作業開始から一時間が経過したのに、二人は本棚全体の恐らく1/10も確認出来ていない。
何せ、ここは紅魔館の大図書館。凄まじい蔵書数と面積を誇る、幻想郷随一の知識の泉。
二人だけでは本棚をただ見て回るだけでもかなりの時間が掛かってしまう。
しかし、そこへ『本のジャンルを見る』『違うものは在るべき場所へ移す』『ラベル無しは倉庫へ』という作業が一緒について回るのだから、その作業時間は数倍に膨れ上がる。

「ちょっと休憩しよっか……」

司書見習いという立場上、普段こういった作業に慣れている小悪魔も音を上げて、二人は中央の大きなテーブルへ。
椅子を引き、ガタンと音を立てて座り込んだ。

「目がシパシパするよ……まだ一時間なのに」

ぐったりとテーブルに突っ伏して呟く小悪魔。大妖精もその横で、組んだ手の甲に顎を乗っけて、ため息。
疲れ切った二人は互いに会話を交わす事もままならず、ひたすら息をつく。そのまま五分。
多少疲れがとれてきた大妖精が、自らに気合を入れ直すように勢いよく立ち上がった。

「よしっ!私、先に作業戻るね。こぁちゃんはもうちょっと休んでていいよ」

そう言って再び本棚の林へ消えていこうとする大妖精の背中に、慌てた様子の小悪魔の声が掛かる。

「大ちゃんだけにやらせるなんて出来ないよ!私ももう大丈夫!」

空元気っぽさは否めないが、我が身より大妖精の身らしい。それは大妖精も同様なのだが。
そうして二人は再び本棚をひたすらチェックしていく。時折本を抜き取り、ラベルを確かめて別の本棚へ持っていく。
作業時間が経過するに連れて慣れてきたのか、本棚を見ていくスピードが格段に上昇。
さらに、ジャンルの違う本は抜き取ってから一旦脇に置いておき、いくつか本棚を見た後で溜まった本を持っていく、といった感じに作業の効率化を図った。
その結果作業能率は目に見えて上昇し、正午を回る頃には図書館の本棚の実に四割近くを制覇した。

「そろそろお昼にする?」

小悪魔の言葉で大妖精も一旦作業を中断し、食堂へ向かう。
そして僅か数分で昼食をとり終えると、食休みもせずに再び図書館へ戻って作業再開。
黙々と本棚とにらめっこを続ける二人。段々と図書館の端から端へ近付いていく。
別の本棚へ本を置く為にその場を離れ、戻るたびに、自分達のこの長い作業が終わりに近付いている事を認識する。
本棚を見る、見る、見る、抜き取る、脇に置く、見る、見る、抜く、置く、見る、次の本棚へ。
ひたすらに同じ作業を繰り返していき、そしてついにその時は訪れる。

「あ、この本棚で最後だ」

ふと気付いた大妖精の言葉だが、その口調にはこの長い作業を完遂したという嬉しさが滲んでいる。
一足先に本棚を全てチェックし終えた小悪魔も一緒になって、最後の本棚を見ていく。
抜き取るべき本は、無かった。

「よしっ、おしまい!」

「お疲れ様!」

労いの言葉を受け、大妖精は思いっきり伸び。疲れで凝り固まった体をほぐす。
彼女の顔はやり遂げたという達成感に満ちていたが、一方で小悪魔はばつの悪そうな顔。

「大ちゃん、言い難いんだけど……アレ」

「えっ……あっ」

小悪魔の指差す方向を見やれば、虫干しになった本や床に積まれたままの本達、そして横たわる本棚。

「もういい時間だけど、アレもやらなくちゃ。でも大ちゃん、疲れたよね……」

気遣う言葉を投げかけつつ、その本の山へ向かおうとする小悪魔を見て大妖精はそれを呼び止めた。

「ちょっと待って。一回あの本全部、一箇所に集めてもらってもいいかな?」

「へ?あ、うん、了解」

一旦首を傾げた小悪魔だったが、何か考えがあるのだろうとすぐに従って本を集める。もちろん大妖精も同様に本を一箇所へ。
集めた本は、今まで見てきた本棚の本の数に比べれば全然少ないが、それでもかなりの量があった。軽く一山。
そして、二人はその本達をジャンル別に仕分けた。
粗方本がまとまった所で、大妖精がまとめた本の内の一束を抱え上げる。

「じゃ、ちょっと待っててね」

彼女がそう言うや否や、ヒュッ、という風を切るような音と共に、大妖精の姿が忽然と消えてしまった。
驚く小悪魔だったが、すぐにポン、と手を打った。

「なるほど、瞬間移動か……頭いいなぁ」

彼女の言う通り、大妖精には空間を一瞬で移動できるという特殊能力が備わっている。
あまりにも長い距離は無理だが、図書館の端から端くらいなら何とかなる。
と、再び目の前に大妖精の姿が現れたので小悪魔は再び驚いた。

「じゃ、次はこれ……」

「わ、私も手伝うよ!」

再び一束抱える大妖精に、慌てて申し出る小悪魔。そして彼女も一束を抱え、自らの足で該当する本棚へ。
瞬間移動を駆使する事と二人で作業した事によって、それなりに多かった本の山はあっという間に消えてしまった。

「ありがとう大ちゃん!お陰ですぐに終わったよ!」

「いやいやそんな。こぁちゃんも手伝ってくれてありがとう」

互いの労を労いながら、二人は綺麗になった図書館を後にした。倒れた本棚は重くて無理だったので、パチュリーが帰ってきてから魔法の類で何とかしてもらう事にした。
時計を見ると、既に午後七時近い。文字通り、朝から晩まで図書館で作業詰めだった二人はクタクタで、昨日に増して空腹だった。

「じゃ、とりあえずキッチンに……」

廊下を歩きながら小悪魔が言いかけた所で、パタパタという音と共に、廊下の向こうから小さな影が向かってくるのが見える。
近付いてきて、それがどうやら人形である事を二人は認識した。手紙を持っている。
人形師たるアリス・マーガトロイドが製作したメッセンジャードールである。行き先を指定すれば、そこに手紙や小型郵便物を届けてくれる優れものだ。

「あっ、お手紙?ご苦労様」

小悪魔が手紙を受け取ると、人形はぺこりと一礼してから踵を返し、パタパタと去って行った。

「誰から?」

横合いから大妖精が尋ねると、小悪魔は丁度封を切った所。

「えっとね……永遠亭の永琳先生だ。なになに……」

永遠亭からの手紙という事は、多分入院している紅魔館ご一行絡みである事は間違い無さそうだ。
そしてそれを読み進める内に、小悪魔の表情が明るくなっていく。

「わぁ、みんな明日の夜には退院出来るって!」

「本当に!?良かった!」

流石は体力自慢の紅魔館メンバー、回復も早かった。
手を取り合ってひとしきり喜んだ所で、今度は妖精メイドがやって来る。
彼女が持っていた紙を小悪魔が受け取り、読んでみる。

「見て、大ちゃん!今日指示出した場所、予備部分も含めて全部終わったって!」

「え!私達も図書館片付けたし……って事は……」

みるみる明るくなってゆく二人の表情。もう我慢できない、とでも言うように、小悪魔の声が大きくなる。

「そうだよ!これで紅魔館の大掃除はおしまい!!」

「やったー!お疲れ様!!」

そのまま二人は喜びのハイタッチ。パチン!と乾いた音が廊下に響いた。
メイドがいるとは言え一人では何日かかるか分からない、と大妖精に手伝ってもらった小悪魔だったが、まさかたった二日で終了してしまうとは予想外だったらしい。

「いやあ、大ちゃんに凄く助けられたなぁ……この二日間。一緒に片付けたり、メイドに指示出してくれたり……」

指折り数え、小悪魔はちょっと潤んだ目を大妖精へ向ける。

「瞬間移動まで使ってくれてさ……ホント、全部大ちゃんのおかげだよ!ありがとう!!」

そのままの勢いでいきなり小悪魔に抱きつかれ、嬉しいやら恥ずかしいやら、夏だというのに大妖精の頬は桜色。

「わっわっわっ!そ、そんな事無いって!私、そこまで……」

「そんな事あるっ!もうこのまま大ちゃんも紅魔館ファミリーになっちゃえばいいのに〜」

なかなか離れない小悪魔のお陰ですっかり上気した大妖精はもう頭クラクラ、半ば前後不覚に陥りかけた所でふとある事を思い出した。

「そ、そういえば、あの鍋どうしよう?」

「え……ああ、あの鍋かぁ……」

名残惜しそうながらもようやく大妖精から離れた小悪魔は腕を組んで思案。
シンキングタイムの後、彼女は肩を竦めた。

「まあ、明日何とかしよ。厳重に封をして、少しもったいないけど鍋ごと捨てよう」

「うん、わかった」

冷ます為にぺちぺちと頬を叩いていた大妖精が頷いた所で、二人はまた肩を並べて廊下を歩き出す。

「じゃ、いざ進めやキッチン!」

「今日は何作るの?」

「そうだな〜……簡単でおいしいもの!」

「昨日とおんなじだよ、それじゃ……」

楽しげな会話と共に、二人の姿はキッチンルームへ消えていった。

 

―――しかし、この時の二人はまだ知らない。
パチュリーの生み出したあの物体は、ただの料理の出来損ないでは無かった事を―――。

 

草木も眠る丑三つ時―――要するに真夜中。
この日も客間で眠る大妖精と小悪魔。照明の落とされた客間には、すやすやという二人の寝息しか聞こえない。
と、その時。何か遠くで、ゴトリ、と何かがぶつかるような物音。
しかし、連日の肉体労働から一心不乱に夢の世界へしがみ付く二人には、その物音は届かない。
その後も、ゴト、ゴト、と遠くから再三の物音。まるで警告でもするかのように。
物音が止む。真夜中の紅魔館に、再び静寂が戻った―――かに見えた。


―――ガァン!!!


まるで金だらいをぶっ叩いたかのような、明らかに大きな衝突音が鳴り響いた。

「……んにゃ……」

遠くからとは言え、流石にこの物音で大妖精が目を覚ました。
そして彼女の耳に届いたのは、ガランガランと断続的に鳴る金属音。
その音は段々小さくなっていったが、それを聞いてしまった大妖精は首を傾げる。

「……なんのおと……?」

気の無い声で呟いたその瞬間、


ドンドンドン!!


激しいノックの音がしたかと思うと、かなりの勢いで客間のドアが開かれた。

「し、失礼しますっ!!大変です!!」

転がり込んできたのは妖精メイドの一人。暗くて表情は見えないが、その声色は尋常では無い程の焦りと恐怖を孕んでいる。

「どうしたの?」

その声ですっかり目の覚めた大妖精が尋ねると、メイドはあたふたしながらこんな事を言った。

「あ……あの……パチュリー様のお鍋から変な生き物が!!」

それを聞いた大妖精の脳裏に、昨日小悪魔が鍋の回りに結界を張った時の事を思い出す。
二人で食堂へ運ぶ直前、鍋の中からゴボ、ゴボ、という怪しい音がしていた。
ただごとでは無いと察した大妖精は尚も慌てふためくメイドを落ち着かせ、

「大丈夫、すぐに行くよ」

と答えると、これだけの騒ぎの中、横のベッドで未だ惰眠を貪る小悪魔を揺り起こす。

「こぁちゃん!起きて!起きてってば!!」

「ん〜……大ちゃん、そんなに食べられないよぅ……」

「んもう、寝ぼけてないで早く起きて!!」

大妖精の必死さが少しは伝わったか、ようやく小悪魔は瞼を開く。

「だめだってば大ちゃ……んあ。どうしたの?もう朝?」

寝ぼけまなこの小悪魔が首を傾げると、その拍子にナイトキャップがずり落ちた。
そんな彼女の手を、大妖精が問答無用といった体で掴み、ベッドから引き摺り下ろす。

「やだ大ちゃん、いきなりそんな強引に……」

何故か頬を染める小悪魔の手を引き、大妖精はドアへ向かって走り出す。

「いいから早く来て!!大変なんだって!!」

「……へ?」

イマイチ状況を理解していない小悪魔への説明は食堂へ向かう間にする事にし、大妖精はメイドを連れて客間を飛び出した。

パジャマ姿のまま廊下を走り、ようやく二人は食堂前のドアへ辿り着いた。

「ところで生き物ってどんな?」

ようやく目が覚めた小悪魔が傍らのメイドに尋ねると、彼女は困った顔。

「え、えっと……なんて言ったらいいんでしょうか……」

上手く説明出来ないらしい彼女の様子を見て、小悪魔はドアのノブに手をかける。

「ま、実際に見れば分かるよね」

言いながらドアを開き、二人とメイドは食堂へ。

「な……」

目の前の光景を見た小悪魔は絶句。

「なに、これ……」

信じられない、とでも言いたげな大妖精の言葉。一緒に来たメイドは、大妖精の影に隠れてしまう。

 

小悪魔が結界を張り、少し離れた場所に置いていたテーブル。
その上に置かれた鍋から、まるで綱のような太さの紐状の物体が伸び、うねうねと蠢いている。
そしてその紐状の物体の先端には、球形をした頭部のような部分。
形容するなら、割れたくす玉。割れた部分が前を向いており、恐らく口にあたるのだろう。そこをパクパクさせて首を左右に振っている。
全体のシルエットだけ見るなら、花のようにも見えるその怪生物。色合いは茶色と白のマーブル模様で、表面がぬらりと光っている。
ある程度接着されていた筈の鍋の蓋は、怪物が吹っ飛ばしたらしくそのテーブルから大分離れた場所に転がっている。恐らく、物音の正体もこれだ。

「パチュリー様は、一体何を入れたの……?」

呆然自失な小悪魔の呟き。
その時、その怪生物が二人の方を向いた。どうやら、その姿を認識したようだ。
そして、まるで蛇が鎌首をもたげるかのような仕草をとる。
次の瞬間、その怪物口を大きく開き、未だ呆然とする小悪魔へ向けて首を伸ばす。
その動きは見た目にそぐわず俊敏で、小悪魔がそれに気付いた時には、怪物の首は目の前に迫っていた。

「―――!!!」

いざ噛み付かん、とさらに怪物が加速したその時―――

「危ないっ!!」

大妖精が横合いから小悪魔に飛びつき、抱きかかえたまま横へ跳んだ。一瞬前まで小悪魔がいた場所を、怪物の首が薙ぐ。
寸での所で小悪魔を救出した大妖精は、そのまま床を一回転して体を起こす。

「こぁちゃん、大丈夫!?」

声を掛けられ、ハッとした表情で小悪魔は彼女の顔を見る。

「ご、ごめん……助かったよ、ありがとう」

「いいの、それより怪我が無くてよかった」

二人が再び立ち上がると、怪物は天を仰いだ。

 

―――オ゙オ゙オ゙オ゙オ゙ォォォォォォォォッ!!!

 

怪物の悔しさとも怒りともとれる激しい咆哮が、真夜中の紅魔館に轟いた。

「ひっ!」

短い悲鳴が聞こえたので大妖精が見やると、食堂と廊下をつなぐドアの影に、怯えた表情の妖精メイド達がいた。
どうやら、この騒ぎで起きてしまったようだ。
視線を戻し、大妖精は横の小悪魔に告げる。

「この状況……今はレミリアさんも、咲夜さんも、パチュリーさんもいない。私達がやるしかないよ……」

「う、うん……でも、私が張った結界を破るなんて」

拭えない緊張の色を滲ませながらも、小悪魔は頷いてみせる。
スペルカードも持たない名無し二人と、異形の怪物との対峙。冷や汗をかきながら、二人は身構えた。

互いに睨み合う二人と怪物。
薄気味悪くなるような静寂が流れる中、先に動いたのは怪物の方だった。
再び鎌首をもたげ、口を閉じる。それを見た二人は、いつでも回避出来るように足先に神経を集中させる。
次の瞬間、怪物が首を突き出しながら口を開けたかと思うと、その口から何かが勢いよく飛び出した。
その物体は真っ直ぐ二人へ向かって来る。瞬時に、大妖精は右、小悪魔は左へサイドステップ。

ベシャッ!!

吐き出された物体は、たった今まで二人が立っていた床に着弾。
その正体は、怪物と同じ色をしたヘドロのような流動性の物体。
レミリアを食中毒にした物が基になっているのだ、直撃を受けたらそんじょそこらの毒よりもキツいかも知れない。
サイドステップでヘドロをかわした大妖精は、手にクナイ型弾を出現させて素早く放ってみる。
だが、細い首には命中しそうにないし、頭部を狙っても首を振って回避されてしまった。
その時、今度はこちらの番と言わんばかりに怪物が首を伸ばしてくる。
再びサイドステップで噛み付きをかわした大妖精だったが、内心は焦りで一杯だった。

(このままじゃ、長期戦になる……)

とにかく相手の動きを縛ろう―――そう考えた大妖精は、小悪魔の元へ走り寄ると素早く耳打ち。
小悪魔が頷いたその時、再び怪物が首を伸ばしてきた。
同時にバックステップして攻撃を避け、噛み付きの射程外に逃れた小悪魔はその手に弾幕をチャージし始める。
一方で、大妖精はそのまま怪物の近くでひたすら回避に専念する。ヘドロを避け、噛み付きも体を逸らしてかわす。
避けきれない、と思ったら瞬間移動で一旦姿を消し、すぐに元の場所へ現れる。
大妖精が時間を稼ぐ間に、小悪魔の手には大きな紫色の弾。魔力を詰め込んだその弾の内部を紫電が走り、その威力を髣髴とさせる。

「出来たよ!」

小悪魔は大妖精に合図。それを聞いた大妖精は怪物と軽く距離をとった。
獲物との距離が離れた怪物は、攻撃方法をヘドロに切り替え、口を一旦閉じる。
そして口腔内に溜まったヘドロをぶつけるべく、怪物が首を突き出し、大口を開けたその時だった。

「今だよ!!」

叫び、大妖精は瞬間移動で姿を消す。誰もいなくなった床にヘドロが着弾、生々しい液体音を炸裂させる。
そして小悪魔は大妖精が消えたのとほぼ同時に、大きく開いた怪物の口目掛けて大弾を撃ち込んだ。
その弾速は大きさの割りに速く、的確に怪物の口を捉えた。
大きく開いた口は閉じる事叶わず、大弾がすっぽりとはめ込まれたような形になる。その姿はどこか滑稽だった。

―――グアアアァァァッ!!

だが怪物自身は苦しいらしく、悲鳴のような唸り声。
その時、口にはまった大弾が爆発した。内部に溜め込んだ紫電を炸裂させ、縦横無尽に怪物の体を這い回る。
体の内部まで雷撃を喰らい、口を開けたまま怪物の動きが止まった。麻痺したようだ。
―――その隙を、大妖精は見逃さない。

「いくよっ!!」

掛け声と共に、大妖精の周囲に幾重にも重なるようにクナイ弾が出現。
大妖精が腕を振ると、大量のクナイ弾は片っ端から怪物のだらしなく開いた口目掛けて飛んでいく。

―――ンゴォォォォォ!!

口の中に大量のクナイ弾を撃ち込まれ、明らかに悲鳴と分かる怪物の叫び声が響いた。
口に飛び込んだ弾幕はその場に留まらず、次々と体内に飲み込まれていく。
その間も大妖精はクナイ弾を次々と出現させ、怪物の口腔内へ投げ込んだ。
やがて、急激に怪物の細い首が太くなり出した。どうやら限界まで飲み込んでいるらしい。
その時、怪物の体がぐらり、と傾いたかと思うと、鍋ごとうつ伏せに倒れた。
まだ生きてはいるが、弾幕を大量に飲み込んだせいで身動きが取れない。本体にあたる鍋の内部がパンパンに膨らみ、今にも破裂しそうだった。
必死に体を蠢かせる内、怪物の本体が鍋からずり出てきた。

「とどめを刺さないと」

その様子を見た大妖精の言葉に頷き、小悪魔もまた一本のクナイ弾を取り出す。

「本体に思いっきり、ビシッと!」

その言葉に大妖精も頷き返し、こちらもクナイ弾を用意。

「せー……のっ!!」

合図と同時に、今だしぶとくもがく怪物の本体部分―――鍋の中めがけて、二人は一本ずつクナイ弾を思いっきり投げつける。
大妖精のものは緑、小悪魔のものは青色の軌跡を描き、鋭く、えぐり込むように怪物のボディに突き刺さった。


そして―――


―――静かになった食堂で、二人は佇んでいた。
先程まで死闘を繰り広げた怪物は、もういない。二人が力を合わせて戦い、倒したのだ。
スペルカードすら持たない名無しの二人。だが、力を合わせればあのような異形の怪物にだって打ち勝つ事が出来る。それが分かったのだ。
だが、勝利した二人の顔には、安堵の表情も、喜びの感情も無い。ただ、呆然としている。

「―――うぅ〜……」

顔をしかめて、小悪魔が腕を持ち上げる。にちゃあ、と嫌な粘性の音と共に、肘と脇腹の間でスライム状の物体が糸を引いた。
―――二人が喜ばない、それもその筈。パジャマ姿の二人の全身に、あの怪物と同じ色のドロドロした物体がくまなく飛び散っているのだから。

「……まさか、爆発するなんてね……」

大妖精が苦笑い。そのまま袖についたヘドロの匂いを嗅いでみると、うえっ、と舌を出した。
最後のクナイ弾が命中したその瞬間、あの怪物は断末魔の叫びと共に爆発、四散した。
多少距離があったにも関わらず、二人の体にも容赦なくヘドロ状の物体が降り注ぎ、二人は思わず悲鳴を上げた。
勝利したはいいのだが、後に残されたのはヘドロとスライムにまみれた二人と、食堂の床、壁に飛び散るドロドロ。
元の物体と同じような悪臭までしてきて、叫び出したくなるような劣悪な環境が出来上がっていた。

「まいったなぁ……ふふ」

しかし、そんな状況にも関わらず、小悪魔は笑っていた。
その顔を見た大妖精にも、何故か笑いがこみ上げてくる。

「ホントにね……くくく、こぁちゃんすごい顔になってるよ?」

「ふふふ……そう言う大ちゃんだって」

「ははは……何かおかしいね。あはは……」

「あははははは!」

「あっはっはっは!!」

ドロドロになった互いの顔を見合わせ、とうとう二人は大声で笑い出した。
この状況が何故か、たまらなくおかしかった。もう笑うしかない。
その時、ようやく笑いが収まってきた二人の下へ、廊下にいた沢山のメイド達が駆け寄ってきた。

「あ、あの……」

見ていただけだった、という負い目があるのか、おずおずと喋りだそうとするメイドを手で制し、小悪魔は笑顔を見せる。

「ごめんね、こんなに汚しちゃった。今掃除するからね」

すると彼女は食堂の隅から雑巾を持ってきて、床を拭き始めた。
大妖精もそれに倣い、雑巾を取りに行く。気を利かせて水入りのバケツも持ってきた。

「最後の大掃除だね」

大妖精の言葉に、小悪魔は肩を竦めて頷いた。
やがて、メイド達も手に雑巾やバケツを持って二人の手伝いを始める。
ヘドロが飛び散った床や壁を必死に拭き取り、だいたい綺麗になったら消臭効果のあるスプレーをしっかり吹き付ける。
一時間ほどかけて、ようやく最後の掃除は終わった。

「とりあえず、もっかいお風呂入ろっか。こんなに汚れちゃったし」

後片付けをメイドに任せ、小悪魔が提案。大妖精はにべもなく頷く。
そのままバスルームへ直行し、二人が出てきた時には、もう窓の外は白くなってきていた。
パジャマが汚れてしまったので、二人はいつもの服に着替える。
風呂に入って汚れを落とし、落ち着いてきた途端に、二人の全身を途方も無い疲労感が襲った。
殆ど徹夜状態、しかもさっきまで怪物と死闘を繰り広げていたのだ。疲れない筈が無い。

「……疲れたね……」

「うん……すごく眠い……」

廊下をふらふらと歩く内に、二人の目にある部屋のドアが飛び込んできた。
それは、二人が最初に片付けた応接間。ここから二人が寝ていた客間までは若干遠い。

「……もう、ここでいっか。ソファやわらかいし」

「……うん」

小悪魔の言葉に大妖精も頷き、二人はドアを開ける。
テーブルを挟んで置かれた二つの柔らかそうなソファ。その内の片方に、二人は倒れこむようにして座った。

「……狭くない?あっち空いてるよ……?」

同じソファ、しかも少々大きいとは言え一人用に座ってしまった為、少し窮屈そうだったので大妖精が進言。だが、

「ん〜ん……私は、こっちのがいい……あったかいし……」

小悪魔は明らかに眠そうな声でそれだけ返すと、すぐ横の大妖精の手を握り、目を閉じる。
それを見た大妖精も、ふぅ、と大きく息を一つついて目を閉じた。

―――二人が眠りに落ちると同時に、窓から差し込む温かい日の光。紅魔館に、朝がやってきた。

―――その日の夜。
日の落ちた時間になって、紅魔館に近付く複数の影。

「まったく、酷い目にあったわ」

そう言ってため息をつくのは、紅魔館の主たるレミリア。
その横でメイド長の咲夜も苦笑いをしている。言うべきか、言うまいか、迷っている表情にも見えた。

「確かに私が悪かったけど、そこまで言う事ないじゃない」

頬を膨らませるのは、今回の騒動を引き起こした張本人であるパチュリー。
そんな彼女をじとーっ、と見つめ、レミリアは肩を竦めた。

「とにかく、パチェは当分料理禁止ね」

「そーだそーだー!」

同調して笑うのは、レミリアの少し後ろを飛んでいた妹・フランドール。

「ま、まあ。パチュリー様も、どなたかにお料理を教わればいいんじゃないでしょうか。きっと上手くなりますよ」

四面楚歌なパチュリーを流石に不憫に感じたか、美鈴がフォローのような言葉を投げかける。
そうこうしている内に、ようやく退院した一同は紅魔館の玄関に辿り着いた。

「ああ、三日ぶりの我が家……なんだけど……」

鍵穴に鍵を差し込みながら、段々トーンが落ちていくレミリアの言葉。

「中は滅茶苦茶のままなのよね。あの散らかりよう、改めて現実を直視する事になるというのは辛いわね……」

「そういえば、私も蔵書が……」

「その前にパチェはあの鍋一杯の謎物体をどうにかしなさいよね」

その言葉と共に鍵を開け、レミリアはドアを開けた。

「まあ、私も頑張ってお掃除しますから……あれ?」

言いながらレミリア達の後に入った美鈴の言葉が途中で止まる。

「何か……雰囲気が違うわね」

エントランスを見渡しながらパチュリー。

「埃っぽくないね」

深呼吸一つして、フランドールも首を傾げた。

「そういえば、小悪魔はどうしたのかしら?」

レミリアが言ったその時、先に中へ入っていた咲夜が慌てて戻って来た。

「お嬢様!た、大変です!」

「どうしたの?」

レミリアに促された咲夜は、廊下の奥を指差しながら続けた。

「や、館全体が……綺麗にお掃除されています!!」

「はぁ!?」

口をあんぐりと開けてレミリア。
慌てて一同は玄関から上がり、片っ端から客間、倉庫などを見て回る。
すると、永遠亭に運び込まれる直前には見る影も無く散らかっていた部屋達が、以前のような―――いや、以前よりもさらに輝きを増していた。
レミリアが覗いた客間は整理整頓がなされ、ベッドのシーツも完璧に引かれている。確か、このベッドの上にはガラクタが積まれていた筈だったのだが。
いつでも客を受け入れられる体制の整った客間を見渡し、レミリアは呆然。

「……誰が……?」

「図書館も綺麗になってたわ。それはもうビックリするぐらいに……」

棚は倒れたままだったけど、と言う言葉を飲み込み、パチュリーも首を傾げる。
その時、今度は美鈴が二人の下へ駆け寄ってきた。

「お嬢様、パチュリー様!お掃除したのが誰か分かりました!」

彼女は妖精メイドを一人連れている。どうやら、彼女が教えたらしい。

「だ、誰が!?」

驚き、尋ねるレミリア達に、美鈴は背を向けて走り出す。

「こ、こっちです!」

二人は美鈴の後を追い、辿り着いたのは応接間。
ここでパチュリーが、ずっと感じていた予想を美鈴にぶつけた。

「お掃除したのって、まさか小悪魔?」

すると美鈴は苦笑い。

「半分正解、です」

「へ?」

疑問符を伴ったパチュリーの呟きに、美鈴は答える代わりに応接間のドアを開ける。

 

「あ―――」

 

綺麗に片付けられた応接間。その入り口で、『あ』の形のままパチュリー達の口が固まった。
そこには、一緒のソファで互いにもたれかかり、穏やかな寝息を立てる小悪魔と大妖精の姿があった。

真っ暗になった応接間。そのソファで眠っていた二人は、ほぼ同時に目を覚ました。
むくり、と体を起こし、互いの眠そうな顔を見る。

「……おはよう、こぁちゃん」

「……おはよう、大ちゃん」

それから二人は、窓の外、延いては部屋全体が真っ暗な事に気付く。

「いつの間にか夜だ……ほとんど半日寝てたんだね」

小悪魔が笑うと、大妖精は少し慌てた様子を見せる。

「え……じゃあ、紅魔館の皆さんも帰ってくるんじゃ。ごめんね、すぐに帰るから」

彼女がそう言って立ち上がろうとしたその時、唐突に応接間のドアが開いた。

「あら、起きてたのね。丁度良かったわ」

突然差し込んだ光に目を細めつつ見やると、そこにいたのはパチュリーだった。

「あ、お帰りでしたか!ごめんなさい、眠っちゃってて」

慌てて立ち上がる小悪魔に、パチュリーはヒラヒラと手を振る。

「いいのよ、そんなの。それより……」

パチュリーが言いながら、その横にいる大妖精を見たので、大妖精も慌てて立ち上がる。

「ご、ごめんなさい!すぐにおいとま……」

「こらこら、人の話は最後まで聞きなさい」

だが、パチュリーはそんな彼女を手で制し、応接間のドアをもう少し大きく開けた。

「二人とも、食堂に来て頂戴。レミィが呼んでるわ」

「え……お嬢様が?」

「わ、私も……?」

驚く二人にミステリアスな笑みを投げかけ、パチュリーは先に食堂へ行ってしまった。
残された二人は互いに顔を見合わせたが、レミリア直々の呼び出しとあっては応じないわけにもいかない。
廊下に出て、一路食堂へ。ずっと眠っていたせいもあってか、足元が少しふらついた。
やけに長く感じられた、食堂までの道のり。ようやくドアまで辿り着き、小悪魔がノブに手をかける。
その手は緊張で若干の震えを帯びていたが、待たせるわけにもいかず、思い切ってドアを開けた。


そこには―――


「ほら、突っ立ってないでこちらへいらっしゃい」

まず聞こえたのはレミリアの声。その口調は優しく、穏やかだ。
二人の活躍によってすっかり綺麗になった食堂。その中央に位置する大テーブルの奥にレミリアが座り、その横には咲夜とパチュリー。
そして、彼女達が座るその大テーブルに所狭しと並ぶ、豪華な料理の数々。どれも湯気を立て、作り立てである事を懸命に主張している。
状況が全く理解出来ぬまま、言われた通りにレミリアの前へ歩いていく二人。緊張と驚きからか、その動きは何ともギクシャクしていた。
その様子を見たレミリアはくすくすと笑って、

「そんなに緊張しない。特にそっちのあなたはね」

そう言うと大妖精に目を向ける。思わず大妖精はビクリと肩を竦ませ、さらに背筋を伸ばした。
レミリアは肩を竦ませて苦笑いすると、名無し二人に向けて語り始めた。

「さて……メイドから全部話は聞いたわ。あなた達がこの紅魔館を綺麗に掃除して、私達の帰りを待つだけという状態にしてくれた事はね」

ひたすら緊張の面持ちで話を聞く二人に対して、彼女は笑ってみせる。

「まずは、紅魔館を代表してお礼を言わせて頂戴。二人とも、本当にありがとう」

すると、途端に二人は顔を赤くする。

「そ、そ、そんな。わ、私達はただ、散らかったままじゃいけないかと思っただけでして……その、お礼だなんて」

しどろもどろになる小悪魔。館の主に面と向かって『ありがとう』と言われた事が余程響いたようだ。
すると大妖精も同様に慌てて手と首を横に振る。

「そ、そうですよ。ただお掃除しただけなのに、そんな……むしろご迷惑おかけしたんじゃないかって」

すると、全く同じようなリアクションの二人に対して、レミリアはゆるりと首を横に振った。

「ただお掃除しただけ、ね。紅魔館がどれだけ広いか、あなた達もよく知っているでしょうに」

確かに、その通りなのだ。二人がどれ程苦労したかは、本人達が一番良く知っている。

「それに……」

レミリアは一旦言葉を切り、小悪魔の目を見た。

「誰に何かを言われたわけでもなし。それなのにこの広い館を、大切な友達の手を借りてまで掃除しようと思い立ち、実行しただとか……」

続いて彼女は、大妖精の目を見る。その眼差しは真摯で、温かい。

「初めてなのに妖精メイドにしっかり指示を出してみせ、自分が住んでるわけでもない館の掃除という、途方も無い苦労を背負い込んだとか……」

そしてレミリアは、天井を仰いだ。

「いきなり現れた化け物に怯む事無く立ち向かい、退治。それどころか後始末までしっかりやってくれただとか」

レミリアは視線を戻す。

「そこまでやってもらって、お礼の一つもさせてくれないなんて、そこまで酷い話もそう無いわね」

「………」

黙りこくってしまった二人。言われた事がことごとく図星で、気恥ずかしさから何も言えなくなってしまった。
別に褒められたいとか、そんな訳ではなくて。ただ、『帰ってきた時に館が綺麗になってたら気持ちがいいだろう』くらいにしか考えてなかった。
ここまで感謝の気持ちを示してもらえるとは思ってなくて、ちょっとだけ自分のした事に誇りが持てたと同時に、やはり恥ずかしさがこみ上げる。
そんな感情が渦巻き、顔を赤くしてひたすら黙る二人。そんな中、暫しの静寂を破ったのは、再び口を開いたレミリアだった。

「とまあ、そんな訳で。今目の前にあるこの料理は、あなた達に食べてもらう為に作ったのよ」

「えぇっ!?」

さらりと口走るレミリアに、二人は驚愕の表情で同時に顔を上げた。

「お礼はさせてもらわなきゃ。私達も食べるけど、どうせ食べきれないし……嫌だと言っても、無理矢理にでもあなた達の口に押し込むわよ」

事も無げに言ってのけ、レミリアは悪戯っ子のような笑み。
二人は改めて、目の前の大テーブルを眺める。明らかに過積載とも言える程に並べられた料理の数々。
呼吸をする度に、これ以上無く食欲を刺激する香りが鼻を通して伝わって来る。
二人はその時、自分達がとてつもなく空腹である事に気付いた。緊張のし通しで忘れていた分、その食欲は簡単には収まりそうも無い。

「ささ、遠慮しないでお好きなだけ食べて下さいね!」

その時、丁度入ってきた美鈴が大きめの皿一枚ずつ二人に手渡す。

「殆ど咲夜さんが作ったんですけど、あの辺は私の作品ですから、良ければ……」

そう言って美鈴はテーブルの一角を指差した。

「私も手伝ったんだよ!最初にそれ食べてよ!」

唐突にフランドールも手を上げ、小悪魔の腕を掴んでテーブルの隅の方へ引っ張っていく。

「んじゃ、もう食べますか。食事前に長話は野暮って物ね」

レミリアが肩を竦めたのを合図に、食事会が始まった。
遠慮がちに料理を皿にとる大妖精だったが、レミリアが寄って来て皿に料理をどんどん載せていく。

「遠慮しないで、と言われたばかりでしょうに。これは私が作ったんだから、食べないと呪うわよ」

あくまで冗談っぽく言うレミリアだったが、聞いた大妖精の頬を冷や汗が伝う。
ここでふと気になり、彼女は尋ねてみた。

「パチュリーさんも何か作ったんですか?」

「まさか。パチェは当分料理禁止にしたから」

ちら、とレミリアが視線を横へ向けると、ワインのコルクを開けようと悪戦苦闘するパチュリーの姿。

「もう、そのくらい指先一つで開けなさいよ」

見かねたレミリアが歩いていき、ボトルを奪い取る。

「レミィみたいな怪力妖怪と一緒にしないで欲しいわね、魔女は非力と相場が決まっているのよ。言わば適材適所」

頬を膨らませながら言うパチュリーだが、どうしても悔し紛れにしか聞こえない。
その様子がおかしくて思わず笑ってしまう大妖精だったが、不意にそんな彼女の肩を誰かがつつく。

「あ、あの……」

おっかなびっくり、といった感じに話しかけられて大妖精が振り向くと、妖精メイドが一人立っていた。
大妖精には、彼女に見覚えがあった。怪物が現れた夜、客間に駆け込んできたメイドだった。

「たった三日間でしたけど、本当にありがとうございました。面倒を見て頂いたばかりか、あの怪物からも守って頂いて。
 感謝のしようもありません。けど、何でもいいからお礼がしたくて、それで……」

すると彼女は、手にしていた皿を大妖精に差し出す。

「不器用で申し訳無いんですけど、頑張って作りました。もしご迷惑でなければ、食べて頂けますか……?」

差し出された皿には、少し不恰好な卵焼き。きっと試行錯誤しながら何度も作ったのだろう。
大妖精は頷き、そっとフォークで卵焼きを丸ごと刺して自分の皿に。
食べやすい大きさにカットして、口に運ぶ。
もぐもぐと咀嚼する大妖精の様子を、不安そうに見つめるメイド。

「……今まで食べた卵焼きの中で一番美味しいよ!」

飲み込んで開口一番、大妖精がニッコリ笑顔でそう告げた。それを聞いたメイドの顔がぱぁっ、と明るくなる。
すると突然、もう一口卵焼きを食べようとしていた大妖精の背後からいきなり何者かが抱きついた。

「だ〜いちゃ〜ん!」

「わっ、わっ!?」

皿を落としそうになって何とか受け止める大妖精。

「ちょ、こぁちゃんどうしたの?」

「どうもしてないよ〜。えへへ」

その正体は小悪魔だったのだが、様子がおかしい。顔はほんのり赤く、口調が何だか舌っ足らず。
そして妙に強いワインの香りに、大妖精は気付いた。

「もしかして、酔ってる?」

「そぉんなことないってば〜」

口では否定しつつ、その口調は明らかに酔っ払いのものだ。

「もう、空きっ腹にワイン注ぐからそうなるのよ」

パチュリーの呟き。
中々大妖精から離れようとしない小悪魔に、大妖精の顔も赤くなり始める。

「こぁちゃん、恥ずかしいよ……」

「えへへ、おそうじ手伝ってくれてありがと〜ねぇ。大ちゃん、このまま紅魔館に住んじゃいなよ〜」

「え、えぇ!?そ、それはさすがに迷惑が……」

酔っての発言とはいえ結構な言葉に驚く大妖精だったが、近くでその様子を眺めていたパチュリーと咲夜はうんうんと頷いている。

「そうね。あの二人本当に仲良いし、一緒に司書やればいいんじゃないかしら」

「パチュリー様、それよりもあの手腕を駆使するべくメイド副長に任命するのはどうでしょうか」

「長そのものじゃなくて?」

「流石に、失業はしたくありませんので……」

「ちょ、ちょっとお二方……」

何やら盛り上がっている様子の二人に、大妖精はしがみ付く小悪魔を引きずりながら声を掛ける。
だが、彼女は二人の元へ辿り着く事は出来なかった。

「こら〜、私の料理も食べなさ〜い!!」

突如現れたフランドールがいきなり、小悪魔ごと大妖精をテーブルの端へ引きずり始めたからである。

「わっ、わぁぁ!引きずられる!?」

「ん〜……だいちゃぁん、もうわらしたべられにゃい……」

「ちょ、こぁちゃん!くっついたまま寝ないでぇ!」

大妖精の皿に山のように料理を盛っていくフランドール、重くなっていく皿と未だ離れない小悪魔に慌てる大妖精、抱きついたまま眠そうな声を発する小悪魔。
プチパニック状態な大妖精の様子を、離れた場所から笑って傍観するレミリア達。

「あの二人、本っ当に仲がいいのね」

この日、日付が変わる時刻になっても、紅魔館の食堂から笑い声が途切れる事は無かった。

―――紅魔館の大掃除から数日が経過した、ある日。
場所は再び、紅魔館内大図書館。

「こんにちは」

「いらっしゃい、待ってたよ!」

数日前に散々入り浸った場所であるにも関わらず、この日も大妖精は飽きずに図書館へやって来た。
それを満面の笑顔で出迎える小悪魔もいつも通りだ。

「すみません、いつも。読書中に失礼致します」

「いいのよ。むしろ小悪魔といつも仲良くしてくれて、こっちがお礼を言いたいくらいね」

大妖精の言葉に読んでいた本から少し顔を上げてパチュリー。
言い終わるとすぐに、再び本に視線を戻した―――のだが、少しの間を置いて再び顔を上げる。

「小悪魔、ちょっとこっちへ」

彼女は本棚を見ていた小悪魔を手招き。呼ばれた小悪魔は大妖精をその場に残して彼女の元へ。
小悪魔が用件を尋ねる前に、パチュリーは声を潜めて言った。

「あの子の顔見て思い出したんだけど……あなた料理出来るわよね?」

「へ?ええ、まあ……それなりには」

遠慮がちに頷く小悪魔を見て、パチュリーは殆ど耳打ちのような声で囁いた。

「じゃあ、私に料理を教えてくれないかしら」

「え、それは構いませんが……どうしてまた?」

首を傾げる小悪魔。するとパチュリーは、既に着席して本を読み始めた大妖精の顔をちら、と見てからさらに小さな声で囁く。

「こないだ、色々あったでしょう。あの一件で、私が全く料理出来ないって知れちゃったし……」

確かに、パチュリーが料理のつもりで生み出した怪物を退治したのは、他ならぬ目の前の名無し二人組。

「迷惑もかけてしまったし、何とか料理を習得してあなたと、あの子に食べてもらいたいの」

少し顔を赤らめてそう続けるパチュリーに、小悪魔は胸をドンと叩く。

「大丈夫です!でも、一ついいですか?」

「……?」

今度はパチュリーが首を傾げる番だった。すると小悪魔は大妖精の元へ歩いていくと、着席した彼女の両肩にポンと手を置いた。

「私と、大ちゃんの二人でレクチャーしますから!」

「えっ?」

いきなり肩に手を置かれた大妖精は何が何やら。

「そ、そんな。別にそこまで……」

慌てた様子のパチュリーに、小悪魔は笑顔を向ける。

「私一人よりも、大ちゃんと一緒の方が何倍もおいしい料理が出来るんですよ!任せて下さいって!」

「え、あの……」

一人盛り上がる小悪魔と対照的にポカンとする大妖精。

「えっと、つまり……」

これでは何の為にこっそり耳打ちしたのか分からないが、ここでパチュリーから説明。

「なんだ、そういう事なら。私なんかでよろしければ……」

説明を受けた大妖精は笑って快諾したが、ここでパチュリーはある事を思い出す。

「あ、でも。私、レミィから料理禁止令出されてるんだった……」

いくら五百年生きた大妖怪でも『あの』料理は堪えたという事は、『食中毒で入院』という事実がはっきりと物語っている。
恐らくレミリアの命を受けた咲夜が目を光らせているだろう紅魔館のキッチンは、料理はおろか近付く事すらままならない。

「一緒にお願いしに行きましょうか?」

小悪魔が進言したその時、大妖精が手を上げた。

「もし良ければ、私の家の台所はどうですか?」

「え……嬉しいけど、悪くないかしら」

予想外の申し出にパチュリーは戸惑った様子だが、

「いつもお邪魔しているんですから、たまには。それに、私もパチュリーさんのお料理、食べてみたいです!」

邪気の無い笑顔でそうまで言われては、パチュリーにも断る道理は無かった。

「それなら……お言葉に甘えようかしら」

「ありがとう、さっすが大ちゃん!」

何故かパチュリー以上に喜ぶ小悪魔は、手を置いたまま大妖精の肩を前後に揺さぶる。
軽く目を回しかけた大妖精の手をとって、小悪魔は歩き出した。

「それじゃあ、早速行きましょう!」

「ちょ、ちょっと。随分唐突なのね」

「ま、待って……」

慌てるパチュリーと、小悪魔の物理的揺さぶりで足元をふらつかせる大妖精だったが、小悪魔はまるでおかまいなし、といった様子。
そのまま戸惑うパチュリーの手もとって、小悪魔は図書館の入り口ドアへ歩いていく。

「ほらほら、善は急がなきゃダメなんですよ!大ちゃん、何作ろっか?」

嬉々とした小悪魔に、パチュリーは尋ねてみる。

「あなた、ただこの子と一緒に料理がしたいだけなんじゃ……」

「そ、そういうわけじゃ……ちゃんとお教えしますから!でも、まずはお手本を見る事が重要なんですよ!ええ、そうなんです!」

急に慌てる小悪魔は、今自分が言った事をうんうんと大げさに頷いて肯定。
それを見たパチュリーは苦笑い一つ、肩を竦めた。

「……ま、そういう事にしておくわ」

「あ、あの……私の家、今少し散らかってるから先に片付けてから……」

あまりに急な来客の話。本当に家が散らかってないか心配でそう言う大妖精だったが、

「だったら、こないだ紅魔館のお掃除を手伝ってくれたお礼に、私がお掃除手伝うよ!」

ウキウキと小悪魔にそう返され、諦めてそのまま流される事にした。

(……ま、いっか!私もこぁちゃんと料理したいし……)

遮るものの無くなった小悪魔はもう止まらない。大妖精とパチュリーの二人を引っ張り、そのまま図書館を出る。

 

「行きましょう、パチュリー様!それじゃ大ちゃん、今日もまたよろしくね!」

 

―――小悪魔の嬉しそうな声が響いたのを最後に、ドアが閉じられる。
大妖精と小悪魔の活躍により、読みかけの本が数冊残された以外、見違えるほどに綺麗になった図書館。
薄暗くも整ったこの広大な館内に、暫しの静寂が戻った。

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