―――手紙。英語でLetter。自らの想いやメッセージを文章にしたためたもの。
中々会う事の叶わない相手は勿論、普段から顔を突き合わせるような友人でも、口に出しては言い辛い事なんかを文章にしたりもする。
電子の力を借りた情報伝達手段が大いに発達した外の世界でさえ、未だに根強く残る方法なのである。
幻想郷で自らの思いを伝える方法として、手紙の占めるウェイトがいかに大きいかは容易に想像出来るだろう。


―――郵便配達人。英語でPostman。最近は男女問わない職業である事を考慮し、Mail Carrier等とも言う。
その名の通り、手紙を運ぶ事を生業とする人々である。
手紙は人の想いを込めたメッセージであり、言うなればこの仕事は”人の心を運ぶ仕事”なのだ。


これは、そんな”人の心を運ぶ”職業を手伝う事となった一人の妖精のお話を綴ったものである。

 

―――話は、年の暮れに遡る。

「じゃあ、また明日ね!」

「うん、風邪引かないようにね」

湖畔、夕暮れ時。去り行く友人に向けて大きく手を振るのは湖の大妖精。周りからは”大ちゃん”と呼ばれ、慕われる存在だ。
彼女は先程まで一緒に遊んでいた友人―――氷精チルノの姿が完全に見えなくなるまで見送ると、首に巻いたマフラーを直し、湖畔の道を歩き出した。
正確な時刻はおおよそ午後五時前といったところか。年の暮れともなれば要するに真冬であり、早くも夜の帳が下り始める時間帯だ。
夏であればこの時間になってもあちこち駆けずり回って遊ぶであろう妖精達も、薄暗さと寒さを嫌って早々に自宅へと引っ込んでしまう。

(今年のお正月もまた、チルノちゃん達と一緒かなぁ)

マフラーの隙間から風が入らぬよう襟元を寄せつつ、大妖精はぼんやりと考えた。
毎年友人内の誰かしらの家へ集まって年越しパーティを開き、そのまま初詣としゃれ込むのがお決まりの流れだ。
昨年はチルノの家でどんちゃん騒ぎだったのだが、大妖精はと言うと誰かがアルコール類をこっそりジュースの中に混ぜた所為で一部の者が酔って大騒ぎとなり、鎮めようとあたふたしてた所に軽い弾幕の直撃を喰らって吹っ飛び、その瞬間に年が変わったという何とも苦い思い出がある。
しかしそれでも大晦日という日はそれだけで人の気分を高揚させるもので、何だかんだ言っても楽しみなもの。それは妖精だって例外では無いのだ。

(おせち料理の買出しも早めに行かなきゃ……また霊夢さんあたりが食べに来るだろうし、ちょっと多めにしないと)

大晦日にあちこち知り合いの家を回ってはおせち料理をサルベージする食欲に取り付かれた巫女・博麗霊夢の事はともかく、やはり年末は忙しい。当然出費も多くなる。
頭の中で明日からの予定を組み立てる内、大妖精は既に家の近くまで来ていた。
だが―――

(……あれ?)

寒くて早く家に入りたい筈の大妖精だが、不意に足を止めた。
彼女の視線は自宅の入り口辺り。そこに、座り込んでいるらしき人影が見えたのだ。薄暗い所為で、誰なのかまでは分からない。

(誰だろう。チルノちゃん……じゃなさそう。あんなに背高くないし)

その人影は背が高く、大妖精は首を傾げた。自分の特に親しい知り合いは殆ど背の低い者―――大妖精自身と同等くらい―――が多い。
人間である霊夢や霧雨魔理沙なんかなら多少背は高かろうが、それよりも高いように見える上、何やら羽のようなものが見えるのだ。
自分を待っているのかすら分からない。僅かに恐怖心のようなものが芽生えたがそれを押さえつけ、大妖精はゆっくりと自宅へ歩を進める。
大分近付いてきた頃、人影の輪郭が大分はっきりしてきたかと大妖精が思った、その時。
人影が、不意に立ち上がった。

「あー!大妖精さん、待ちましたよ〜!」

一応、聞き覚えのある声だった。からんころん、と下駄履きらしき足音をさせて、背の高い人影が近寄ってくる。
その正体は幻想郷最速の名を欲しいままにする鴉天狗・射命丸文であった。

「あ、文さん……でしたか。待ってたって、私を?」

「そうですよ〜。大妖精さんのご自宅の前でどうして魔理沙さんを待つんですか?」

尋ねる大妖精に、文はけらけらと笑ってみせる。
チルノとの繋がりからそれなりに会話等を交わした事はあるものの、これまで特別に深い親交があった訳でもない文の訪問。
大妖精は驚いたが、とにかく外で話をして風邪でも引かせてはいけないと、彼女を家に招き入れた。

「普通のお茶で良かったですか?」

「お茶はなんでも好きですよ、ありがとうございます」

ことり、と軽い音と共にテーブルに置かれたカップ。しかし、中身は緑茶だ。
今度湯呑みを買って来ようか、等と思いつつ、大妖精は文の向かいに座る。

「それで、本日はどのような……」

「ええ、それなんです。あ、言い忘れましたけど、遅くにごめんなさい。今からお時間大丈夫ですか?」

うやうやしく礼をする文に、大妖精は苦笑い。きちんと家に招いている時点で時間が無い訳は無いのだが、口には当然出さない。どこか微笑ましかった。

「私は大丈夫ですよ」

「それは良かった。で、早速なんですけど……大妖精さんも年賀状、書きますよね?」

突飛な質問に、大妖精は一瞬言葉に詰まった。
年賀状。年が明けて一番最初に読む手紙であり、『昨年はありがとう、今年も宜しく』という想いを親しい相手へ伝える手紙。
当然ながら大妖精だって毎年送っている。彼女は几帳面であるから、知り合いほぼ全員に送っているので量がかなり多く、毎年軽い修羅場になってしまうのはご愛嬌だ。

「え、ええ……もちろん書きますよ。文さんにもお送りしましたよね」

「もちろん、ちゃんと覚えてますよ。いつもありがとうございます。それでですね……」

うんうんと頷き、文は続けた。

「お手紙の配達、つまり郵便屋さんの役目は我々鴉天狗が務めさせて頂いているのはご存知ですか?」

「は、はい。一応……」

鴉天狗はとにかくスピードが早い。そのフットワークを駆使して文は新聞記者をしている訳であるし、郵便配達にも打ってつけの能力だろう。
妖怪同士は勿論、人里における郵便配達でも彼女らが請け負っている部分があるという。

「それならお話が早い。年賀状の配達も鴉天狗の担当なのですが、毎年年賀状の数は増える一方で……はっきり言って、人手不足なんです」

何となく文の言いたい事が分かってきた大妖精だったが、最後まできちんと話を聞く。

「で、お願いなんですが……大妖精さんにも、年賀状の配達をお手伝いして欲しいんです」

文はそう言うなり深々と頭を下げる。大妖精は少し慌てた。

「え、えっとぉ……あの、どうして私、なんですか?鴉天狗さんに比べたら、妖精の私が出せるスピードなんてたかが知れてますし……」

大妖精は妖精の中でも特に力の強い存在。それは単純な弾幕の強さだけで無く、身体的ポテンシャルに表れる部分もある。
確かに彼女はかなりの速度で飛行する事は可能だが、どうしても妖精の域を出られない。文はおろか、魔理沙が全力で飛んだならあっさり抜かれてしまうだろう。

「いやいや、スピードはついでのようなものなので問題はありません。それよりも、あなたには空間を移動できる特殊能力だってあります。
 配達に打ってつけじゃないかな〜と思ったんですけど……ダメですかね?もちろん、相応のお礼はさせて頂きますよ。年末年始ですから特別手当も出ます」

大妖精の態度を難色と取ったか、文はさらに深く頭を下げて頼み込んできた。この様子だと、人手不足はかなり深刻なようだ。

(確かに年の暮れはお金もかかるし……それに……)

「あの、そんなに人手が足りないんですか?」

「ええ、それはそれは……今年は私も文々。新聞新春特別号の発行を諦めて、そちらを手伝わなきゃならないかと思ってたくらいですので……。
 無理強いは出来ませんが……あの、何とか、宜しくお願いできませんか?」

これ以上文の頭を下げる角度が深くなったら、彼女の首の骨が悲鳴を上げそうだ。
ここまで頼み込まれて、そのお願いを断れるほど大妖精は人に冷たくは出来なかった。

「わ、分かりました!私がどれほどできるか分かりませんけど……やらせて下さい!」

「本当ですか!?やった、ありがとうございます!これで怒られずに済みます〜……」

大妖精が返事をした瞬間、文はぱっと顔を輝かせて大妖精の手を握る。その表情にはどこか安堵も見られる。
彼女の呟きと併せて考えれば、上司にノルマでも出されていたのだろうか。

「本当に助かりました……あの、お仕事につきましては、大晦日の日にまたお伺いしてお伝えしますので。では!」

「は、はい」

暫く大妖精の手をブンブンと振ってから、文はそれだけ言い残して去って行った。もっとも、『お茶、ごちそうさまでした』と言うのは忘れない。
まるで嵐の如くやって来て、そして去って行った文。暫し呆気に取られていたが、やがて彼女は壁際の箪笥に向かう。
小さな引き出しを開けると、そこには昨年までの年賀状がぎっしり、ケースに収められて入っていた。
ケースを開け、一番上の年賀状を取り出してみる。差出人はルーミア。
ひっくり返すと、でかでかと『おめでとうなのかー』の文字。下には手書きの牛の絵と共にぎっしりとメッセージが綴られており、全体的に黒いその年賀状は闇の妖怪らしいと言えば、らしい。
くすりと笑ってから、大妖精はもう一枚取り出してみる。今度の差出人は紅魔館の小悪魔。
何故か普段の服が牛のような白黒柄になった大妖精と小悪魔というイラスト。しかも無駄に上手い。
その下にはやはり長々とメッセージで、『今年も沢山遊びに来てね!待ってるよ!』という言葉で締め括られている。
そのまま一枚、また一枚と夢中になって昨年の年賀状を見返す内に、大妖精ははたと気付いた。

(そっか。今年は、私がこれを届けるんだ……)

年賀状と言えば、毎年元旦の楽しみ。何枚入っているだろうかと胸を躍らせて郵便受けを開けるあの瞬間を思い出す。
自分が出なければ、年賀状を受け取れない人が出てくるかも知れない。大妖精は年賀状をしまうと、ぐっ、と手を握る。
まるで気合を入れ直すかのように。

(……頑張らなきゃ!)

先生が走ると書いて、師走。まるで走るかのように日々は過ぎていく。
十二月三十一日、大晦日。年内最後の日であり、元旦へとバトンを渡す特別な日。
例年通りの大騒ぎを計画し、大妖精の家へ集合したメンバーに手伝って貰いつつ、大妖精は年を越す準備を手早く進めていった。
おせち料理も大方完成し、チルノ達がやいのやいのと騒ぎ始めた午後十時。コンコン、とノックの音がした。
ドアを開けるとそこには文の姿。その手には大きな手紙入りの鞄。彼女の吐く息は真っ白だ。

「こんばんは!少し早いですが、配達して頂く年賀状をお持ちしました!」

「わざわざありがとうございます……結構多いですね」

「そりゃあもう。そうですねぇ、元旦の朝……一時くらいには配達を開始しないと、日の出に間に合わないかも知れません」

そう告げる文はどこか申し訳無さそうだ。そんな彼女の表情を払拭させるかのように、大妖精は笑ってみせる。

「大丈夫ですよ、任せて下さい!ところで、どの辺りに配達するんですか?」

すると文も少し元気を取り戻したようで、鞄から試しに一枚年賀状を取り出して説明を始めた。

「ある程度、近しい住所毎にまとめてありますから、混乱してしまう事はないと思います。
 あとは普通に年賀状に書いてある住所にお届けして頂ければ大丈夫ですよ」

頷きながら説明を聞く大妖精。やがて、他のメンバーも興味を示したのか玄関先に寄って来て、その手元を覗き込む。

「カバンは二日くらいに私が直接回収に来ますので。お給料もその時にお渡ししますね」

「分かりました!」

大妖精の返事に笑顔で頷き、『宜しくお願いしますね!』と言い残して文は風のように去って行った。彼女にも仕事が残っているのだろう。
残された鞄を落としてしまわないようにしっかり持ち直し、大妖精は玄関のドアを閉めた。
どさりと音を立てて年賀状がぎっしり詰まった鞄をテーブルに置くと、この日集まったメンバーが一斉に寄って来る。

「すごい、こんなにいっぱい配るの?」

「大変そうだね、大丈夫?」

次々と心配そうな声が掛かるが、大妖精はやはり笑顔でそれに答えた。

「確かに大変かも知れないけど、大丈夫だよ。毎年やってる人もいるんだし、頑張らなくっちゃ」

「ねえ、ちょっと中を見てもいいかな。もしかしたら、あたいの年賀状とかあるかも……」

そう言って鞄を開けようとしたチルノを、大妖精はやんわりと制した。

「気持ちは分かるけど、それは楽しみにしとかなくちゃ。もしチルノちゃんのがあったら、ちゃんと郵便受けに入れといてあげるから」

チルノは頷いてその手を引っ込めた。

「じゃ、さっきの続きやろうよ!今度は私が出す番だよ!」

足元の分厚い本を拾い上げながら言うのは夜雀ミスティア・ローレライ。
大妖精が図書館から借りてきた、古今東西のなぞなぞが二千問も掲載されたなぞなぞ大全集のような本。ここからなぞなぞを出し合って遊んでいたようだ。

「外したら罰ゲームね!」

「じゃあ、外から雪を持ってきて、お茶碗一杯分の雪を食べるとか」

「うへー、想像しただけで寒いよ」

「カキ氷のシロップある?」

「ほら、大ちゃんも早く!」

一同に誘われるまま、大妖精もその輪の中に加わった。配達の時間までは、まだ余裕がある。

いつの間にか午前零時、年明けの瞬間を跨いでいたが、彼女らのテンションはまるで下がらない。
むしろ新年度に突入した事と、一部の者を除いて普段滅多にしない夜更かしとでそのボルテージは上がるばかり。
勢いに任せて騒ぐ内、壁に掛けられた時計は午前一時を指していた。

「ごめん、そろそろ行かなきゃ」

持っていたトランプ―――彼女が皆に教えたポーカーの手札、役は特に無し―――をそっとテーブルに置き、大妖精は席を立った。

「あ、もうこんな時間かぁ」

「全然眠くないから実感湧かないね」

ルーミアとチルノは壁の時計を見、顔を見合わせる。それだけ夢中になっていたという事だろう。
集まっているメンバーは普段通りなのに、年の境目であるというだけで不思議と特別な気持ちになれる。

「外、すごく寒そうだけど大丈夫?気をつけてね」

「大ちゃんは虫じゃないから大丈夫だよ、きっと」

自身が寒さに弱い所為かしきりに心配してくるリグル・ナイトバグと、それをからかって笑うミスティア。
彼女らにも笑顔を返し、大妖精は年賀状が詰まった鞄を肩に掛けた。

「ありがとう、行ってくるね。大丈夫だとは思うけど、火の元だけ気をつけて」

外まで見送ろうか、というチルノ達の申し出を『寒いだろうから』と言ってやんわり断ると、大妖精はそう言いながら玄関のドアを開ける。
途端に、風に煽られた粉雪が室内へ吹き込んできた。一歩足を踏み出すと、ざくり、と雪を踏みしめる心地良い音。
家の中から手を振ってくる友人達に手を振り返し、大妖精は踵を返して歩き出す。ドアの閉まる音は聞こえて来ない。
首のマフラーをもう一度しっかりと締め直し、彼女は地を蹴った。それから、飛び立ちながらポケットを探る。
『暗い上に雪が降っててきっと歩き辛い』と、友人達に持たされた懐中電灯を取り出すためだ。
スイッチを入れると、まるでスポンジケーキを丸く切り取ったかのような光が前方を照らし出した。

(最初は……どこだろう)

雪で濡れてしまわぬよう庇いながら、大妖精は年賀状を鞄から一枚取り出して住所を確認する。
湖周辺に住まう妖怪が、やはり同じ湖の辺りに住む者に宛てた年賀状。

(やっぱり、年賀状を書くのは誰だっておんなじだよね。人でも、妖怪でも)

大妖精が肩に掛けた鞄。彼女の肩に、確かな重さを返してくる。それは、幻想郷に住まう多種多様な者達が、年賀状に込めた気持ちの重さ。

(こんな雪に負けちゃだめ。絶対に届けなきゃ)

大妖精は宛先を確かめた年賀状を鞄の上の方に戻し、空気を蹴って前進。途端に、風に煽られていた雪達が彼女の顔目掛けて襲い掛かる。
それでも彼女は飛ぶ。時折顔に張り付いた雪を手で払って落としながら。

(ここだよね)

木をくり貫いたかのような、一見すると木そのもののような持ち家。確かに郵便受けもある。
そこに書かれた名前と年賀状の宛名を確認。一致していた。

(確かに、届けましたよ!)

大妖精は心の中で見知らぬ住人へ報告し、その年賀状を郵便受けへ入れた。同時に、何だか誇らしい気分になった。
自分自身が、確かに年賀状を無事送り届けたという事実。それが、彼女に素晴らしい達成感をもたらした。
さらに鞄を探ると、同じ者への年賀状はあと三枚あった。大妖精はそれらを同じように郵便受けへ。
もう同じ者へ宛てた年賀状が無い事を確認すると、彼女はその家へ一礼して、再び飛翔した。

(できた、私にもできた!)

年賀状を届けてもらう立場でしか無かった大妖精。年賀状の重さを知った彼女にとって、自分が届ける立場になったというのはやはり不安が付き纏う。
しかし、無事に届ける事が出来たのだ。大妖精は歓声の一つでも上げたい気分だったが、堪える。まだ最初の一軒だ。

大妖精は次々と、年賀状を郵便受けへ確実に届けていった。
一軒、また一軒と配達を完遂する度に、確かな達成感を感じる。気分の高揚からか、頬が熱かった。
顔に張り付いてくるパウダースノーの冷たさも、彼女には心地良くすら感じられていた。
どれほどの時間が経過したのか、彼女には分からない。
しかし、元旦の夜中の寒さは後からじわりじわりと効いてくる。あちこち飛び回る分、風や雪を強く受けるのだから尚更だ。
明確に”寒い”と感じながらも、大妖精は年賀状を配達する手を休めようとはしない。

(わ、やっぱり多いなぁ。ファンの人からの年賀状とかあるのかな……?)

プリズムリバー邸への年賀状配達。輪ゴムで束ねられた大量の葉書に、大妖精は目を丸くした。
それをきちんと郵便受けへと挿し込み、大妖精は鞄の中を見る。あれほどあった年賀状も、あと少し。
残りの年賀状をよく見てみると、宛先は全部同じだった。
これまでの配達は割と湖に近い住所が主だったのだが、最後の宛先は湖から結構離れた、幻想郷のはずれとも言える場所。
かつての顔の熱さと気分の高揚とは対照的に、手袋をしているにも関わらず既に手は冷たくかじかんで、肩に掛けた鞄の紐を掛け直す事もままならない。

(やっぱり寒い……これで最後だし、早く終わらせて帰ろう……)

何かが変わる訳でも無いが両手をすり合わせるようにしつつ、大妖精は粉雪舞う夜空を翔ける。
刺すような冷たい風が服の隙間、特にスカートの中の足へ吹き込んで、身体の芯まで凍えてしまいそうな寒さ。
靴を貫通して雪の冷たさが足に突き刺さる。自分が空を飛べる存在で本当に良かった、と大妖精は思った。
暫く飛行し、やっと目的地が見えた。
庭先に降り立った彼女は、その家の玄関を見る。しかし、ここで少し戸惑った。
郵便受けが無いのだ。

(どうしてないんだろう……家の裏にあるとか?)

家主に直接届ける、という方法もあるのだが、いきなりその方法を取るのは気が引ける。大晦日から元旦への移り変わりを楽しんでいるであろう家主の邪魔をしたくは無かった。
任務の完了を目前にしながらゴール出来ない。急に寒さが増した気がして、大妖精は駆け足で家の側面へ。
そこは縁側になっていて、外に面している部屋の電気は点いていない。
郵便受けのようなものは見受けられず、いよいよもって大妖精は焦り始めた。

(どうしよう……これじゃ、届けられないよ……)

寒さも厳しい明朝、辺りは雪。空気の冷たさは既に身体の中心部まで何度も到達し、容赦無く彼女の体力、気力を奪う。
歯がガチガチと音を立て始める。必死に目的地を目指して飛んでいる間は忘れていたのに。
その時だった。

「どうしたんだ、こんな大雪の中で」

棒立ちしていた大妖精に、不意に声が掛かった。
びくりと身体を竦ませ、彼女は声のした方向を見やる。
縁側に背の高い、特徴的な人影。舞い散る雪で若干霞んでいたが、それがこの家に住まう者であるという事は分かった。

「あ、あの……わ、わ、わたし、は」

寒さで歯と唇が震えて、声が上手く出せない。そんな彼女の様子に、縁側に立ったその者は苦笑いを含んだ声を返してくる。

「とりあえず、こっちに来なさい。見た所妖精のようだし、寒さに強くは出来てないだろう」

人影―――八雲藍は、笑顔で大妖精を手招きした。

形容するなら、天国。
極寒の雪原からぽかぽかと暖かい室内、そして炬燵に迎え入れられ、大妖精は泣きそうな思いだった。
天井から灯る照明が眩しくて、それがまた彼女の心に一抹の暖かさを運んでくる。

「とりあえず飲んでくれ。この寒さでは、口も凍ってまともに喋れなくなってしまうだろうしな」

その上、藍が笑顔で温かいお茶を勧めてくれるものだから。もう少しで大妖精は、この家の子になるとでも宣言してしまいそうになる。
流石にそれは堪え、お茶を一口、二口。身体の内側から溶けてしまいそうな感覚に、ほう、とため息が漏れた。

「あ、ありがとうございます。助かりました」

あっと言う間に湯呑みを空にし、深々と頭を下げる大妖精。
藍はその湯呑みに再びお茶を注ぎながら頷いた。

「なに、構わないさ。どこか見覚えがあると思ったら湖の大妖精か。時々、橙が世話になっているな。
 それよりも私としては、あんな大雪の中で何をしていたのか、聞かせて貰いたいな」

差し出された湯呑みを受け取り、冷えた手を温める為にそれを両手で包むようにしながら、大妖精も口を開く。

「はい……実は、年賀状をお届けに」

「年賀状?そうか、今日は元旦……おっと。明けましておめでとう」

「え?あ、はい。明けましておめでとうございます」

互いにぺこりと一礼。顔を上げ、マイペースなこの式神はちょっと恥ずかしそうに笑った。

「すまないな、私は挨拶というものを重んじているものだから。
 で、だ。年賀状……と言ったが、私の記憶が間違っていなければ、例年は鴉天狗の者が届けに来てくれていた気がするのだが」

「あ、それは……その、いわゆるアルバイトと言いますか……」

問われ、大妖精は事情を説明した。文に頼まれた事、先程まで年賀状を配っていた事、この家が最後であるという事。

「―――それで、お届けしようとしたのですが……郵便受けが見当たらなくて。裏に回ってもなくて、どうしようかと思っていた所だったんです」

説明を終えた大妖精は、再びお茶を一口。藍はばつが悪そうに頭をかいた。

「そうか……いや、すまなかった。実はな、普段の郵便は紫様が隙間を利用して直接受け取るものだから、郵便受けを設置していなかったんだ。
 紫様が寝ている時や出掛けている時でも、人の気配は分かるから私が取りに行ってしまうしな……年賀状もだ」

便利な能力だ、と大妖精は内心頷く。

「ところで、紫さんはどちらに?」

「ああ、博麗神社に行ってるよ。付き合いがどうとか仰っていたが、結局酒が飲みたいだけじゃないかと私は睨んでいる。
 今頃酔っ払って騒いでるだろうな……まあ毎年の事だし、私も留守番は慣れっこさ」

苦笑いで語る藍。大妖精もつられて笑ってしまってから、思い出したように鞄を取り出す。

「そうだ、年賀状。せっかくですし、このまま藍さんにお渡ししますね」

すると藍は嬉しそうに耳をぴくりと一つ動かし、顔をほころばせた。

「お、そうだったな。ありがとう、こんな寒い中を」

「いえいえ、そんな」

面と向かってお礼を言われるのが気恥ずかしくて、大妖精は謙遜してみせる。
鞄の中から年賀状の束を取り出し、藍に手渡す。これで、鞄は空っぽだ。
年賀状を受け取った藍は尚もにこにこと嬉しそうに笑っており、大妖精は尋ねてみた。

「あの、やっぱり年賀状って嬉しいものなんですか?」

すると彼女は大きく頷く。

「勿論だとも。毎年の最初の楽しみさ。去年送ってくれた人が、今年はどんな年賀状を送ってくれるのか、なんて書いてくれたのか。
 それを想像しながら待つのもまた楽しみの一つ。実際に受け取って確かめて、ああ、あの人らしい年賀状だなぁなんて笑うのもまた楽しみだ。
 特に私は、こうして届けてくれる者から直接受け取るのがまた格別だと思ってる。上手く言えないけどな」

屈託無く笑う藍を見ていると、大妖精の心になんだかくすぐったいような、ちょっとした恥ずかしさのような感情がこみ上げてくる。
今まで必死に年賀状を配ってきた。無事に届ける事が出来た事に喜びを感じ、寒さに震えながらもひたすらに。
きっと明日の朝、喜んでくれるだろう―――そんな希望を糧にして、今まで頑張ってきたのだ。
しかし今、初めて大妖精は、受け取った者の反応をダイレクトに確かめる事が出来た。
自分が届けた年賀状でこんなにも喜んでくれている。その事実が嬉しいと同時にちょっぴり恥ずかしくて、大妖精ははにかんだ笑顔のまま俯いてしまった。
その時、壁に掛けられた時計がボーン、ボーンと音を立てる。時計は午前五時を指していた。
長居してしまったかと、大妖精は慌てて立ち上がった。

「ご、ごめんなさい、長いこと。そろそろ失礼しますね。
 色々とお世話になってしまって、なんとお礼したらいいか……お茶までごちそうになってしまって」

ぺこぺこと頭を下げる大妖精に、藍はやっぱり笑顔を向ける。

「いいさ、私も留守番で退屈していたからな。話し相手が出来て嬉しかったよ。
 お礼だなんて、年賀状を持って来てくれた時点でお釣りを渡さなきゃいけないくらいだ」

それから、彼女も立ち上がる。見送るつもりらしい。
大妖精が外していたマフラーや手袋を装着し直し、空っぽの鞄を肩に掛けると、藍が襖を開いて先に部屋の外へ。
もういくつか襖を開いて部屋を渡り歩き、最後に障子を開く。途端に真冬の凍て付くような風が吹き込んできて、二人は身を震わせた。
藍にこれ以上寒い思いをさせたくなくて、大妖精は慌てて外へ。

「で、では、お邪魔しました!」

「ああ、ありがとう。それと、今年も宜しくな!」

「は、はい!よろしくお願いします!」

手を振ってくれる藍に両手を振り返し、大妖精は未だ明けぬ寒空へと向けて飛翔した。
幾許弱くなった雪を掻き分けるように飛びながら、彼女は自宅を目指す。
藍のお陰で心身共に満たされている所為か、来た時よりもずっと楽な旅路だった。手足の冷たさはあれど、身体の芯は温かい。
鞄を落とさぬよう飛ぶ内に、湖の傍まで辿り着いた。少し回り込むようにして、自宅へ。
窓から明かりの漏れる自宅の玄関前に降り立つ。服に纏わり付く雪を払い落とし、大妖精はドアを開ける。

「ただいま〜……」

小声で呟きながら家の中へ。友人達を起こさないように、との配慮―――だったのだが。

「おかえり、大ちゃん!」

「寒かったでしょ、今お茶いれるね」

「コーヒーの方がいい?」

「お疲れ様!」

全員起きていた。眠気を微塵も感じさせない明るい声で、帰宅した大妖精を出迎える。

「みんな、起きてたの?」

驚き、尋ねてみる。すると、代表なのかチルノがえっへんと胸を張って答えた。

「そりゃあ、大ちゃんが頑張ってるのにあたい達だけ先に寝ちゃうわけにはいかないよ!」

「せっかくのお正月だし、寝るつもりもなかったけどね」

「途中で居眠りしかけたの、チルノが最初でしょ」

「わー、大ちゃんのほっぺ冷た〜い」

横合いから突っ込みを入れられ、彼女はがくっと腰を折る。それとはまるで無関係に、ルーミアが大妖精の頬を両手で包むように触ってくる。
その様子がおかしくて大妖精は笑ってしまい、それから改めて言った。頬に添えられた手の温かさが心地良い。

「ありがとう、みんな」

―――しかし、その十分後くらいか。
ミスティアに淹れてもらったお茶を飲み干した大妖精は、カップを台所へ戻しに行った。
しかし、そこに置いてある、自らが作ったおせち料理の重箱の蓋が、若干ずれている。
蓋を開け、中身を確認。

「ねぇ、おせち料理つまみ食いしたの誰?」

四人は、一斉にそっぽを向いた。

元旦の朝。
初日の出も上った頃、郵便受けを確認してみると、やはり年賀状の束が入っていた。
自らの年賀状を確認する為それぞれ帰宅した友人達からのものは勿論、毎年送ってくれる人、初めて送ってくれる人など様々な名前が見受けられる。
小悪魔からの年賀状に描かれている自分はやっぱり虎柄の服を着ているし、ルーミアの年賀状に描かれた虎は猫と足して二で割った感じになってしまっている。
くすくすと笑いながら年賀状を次々と読んでいく内、ふと、大妖精は自らが配達した年賀状の事を思い浮かべた。
きっと今頃、自分が届けた年賀状の受け取り主は、今の自分と同じように笑いながら自らに届いた年賀状を見ているのだろう。
特に、直接手渡す事となった藍。受け取った時点であんなに喜んでくれたのだ、今頃嬉しそうに年賀状を仕分けしている所に違いない。
自分が年賀状を届けた事で、この元旦の日に多くの人を笑顔にする事が出来た。きっとそうだ。
今の大妖精には、手にした年賀状の束がずっしりと重く感じられた。

―――そして、翌日。一月二日。

「明けましておめでとうございま〜す!」

正午過ぎ。ノックの音にドアを開けてみれば、元気に挨拶する文の姿。

「明けましておめでとうございます」

大妖精も丁寧に一礼。それから、来客を中へと促す。
以前のようにテーブルに向かい合って座り、大妖精がカップ―――今度は紅茶だ―――をそれぞれの席に配った所で、文が切り出した。

「いやはや、この度は本当にありがとうございました。大助かりですよ。お陰で私も無事に新聞を発行できました」

「いえいえ、少しでもお役に立てたならいいのですが……」

「とんでもない。実は、あなたに配ってもらった年賀状なんですけど……手違いで、本来よりもかなり多くお渡ししてしまったんです。
 けど、全部無事に配って下さいました。もう感謝のしようもないです!」

自分の仕事を無事完遂できた事もあってか、文は嬉しそうに語った。
こうまで言われては照れくさい。大妖精は顔が真っ赤になってしまう前に話を変えようと、席を立った。

「そ、そうだ。年賀状が入ってたカバン、お返ししますね」

「おっとっと、忘れる所でした。それじゃあ私もお給料をお渡ししちゃいます!」

文も持参した自分のバッグをごそごそ。
大妖精が配達を共にした鞄を持って席に着いた所で、文も顔を上げた。

「じゃあ、まず私から……」

文が持ってきた時は年賀状がぎっしりで膨らんでいた鞄も、今は空っぽのぺたんこ。
差し出された鞄を受け取り、今度は文が茶封筒を差し出した。

「ご苦労様でした!ちょっぴり奮発しましたよ?」

「あ、ありがとうございます」

大妖精はそれを丁寧に両手で受け取る。
彼女がそれを受け取ったのを確認し、文は席を立った。

「それでは、私はそろそろおいとま……」

「ま、待ってください!」

「へ?」

だが、大妖精がそれを引き止めた。
文にしてみれば、これで用事は全て済んだ筈である。大妖精にとってもそれは同じ。
理由が分からないままに、文は再び席に着いた。

「どうしました?何か不具合でも」

「あ、いえ、そういうわけではないんですが……」

小首を傾げながら尋ねる文に大妖精は首を振る。
彼女は暫し、どこか言い辛そうに口ごもっていたのだが、決意したように顔を上げる。

「あの、出来たら、でいいんですけど……」

「なんですか?」

聞くそぶりを見せた文に、大妖精は一呼吸置いてから告げた。

 

「……私に、このまま郵便屋さんのお仕事をお手伝いさせてくれませんか?」

 

―――年賀状配達の仕事で、彼女は確かな手ごたえのようなものを感じていた。
一枚の葉書に込められた、相手への感謝と親愛。それは配達人が相手の下へ届ける事によって、初めて伝わる。
受け取った者は皆笑顔で、その年賀状に込められた想いを読み取り、胸に刻む。
言わば、人の気持ちと気持ちを繋ぐ仕事。
たった一夜の仕事とは言え、大妖精は”手紙の配達”という行為にそれだけの意義と、言い知れぬ温かさを感じていた。だからもっと、続けてみたい。
それは、最後の配達で見せた藍の笑顔が何よりも強く印象付けたものだ。

「……だめですか?」

言われた文が何も反応しないので、大妖精は不安そうな面持ちで尋ねた。元より、無理は承知のつもり。
だが次の瞬間、文は顔を輝かせた。

「本当ですか!?いやぁ、最近は郵便屋さんなんてアナクロな仕事、鴉天狗の中でもちょっと人気が下火気味と言いますか……。
 ともかく、人手不足なのは普段の業務もおんなじなので、むしろこちらからお願いしたいくらいだったんですよ。
 大妖精さんさえ宜しければ、是非!」

予想を遥かに上回るほどの肯定的な返事に、大妖精は驚いていいのか、喜んでいいのか分からなかった。

「じゃ、じゃあ……よろしくお願いします!」

とにかく、それだけは言おうと思った。
すると文も笑顔で大妖精の手を握って上下にブンブンと振ってくる。文々。だけに、という訳でも無さそうだ。

「ありがとうございます!それじゃ早速、お仕事の内容説明でも……」

「あ、じゃあ私もお茶のおかわり持ってきますね」

バッグから何やら資料を次々と取り出す文に、大妖精は席を立って台所へ。
もしかしたら、最初から彼女を誘うつもりだったのかも知れない。普段から郵便業務の資料を入れている訳でも無いだろう。
どちらにせよ、こうして大妖精は今後も郵便配達人としての仕事を手伝う事になったのである。

幻想郷にも、ポストはある。
郵便配達を請け負う妖怪達が、逐一直接取りに行くのは面倒だと、幻想郷のあちこちに設置したものだ。
一日に入る手紙の数は日によって変わるものの、きちんと機能している事から需要はあると見ていいだろう。
大妖精が手伝う事となった郵便配達の仕事は、そのポストを回って手紙が入っていないかを確認し、あればそれを届けるというもの。
量が多い時や悪天候の時には一度妖怪の山にある本部に持ち帰り、翌日くらいに届ける事もある。
一週間の内二日くらい、鴉天狗に比べたらどうしても作業が遅くなってしまうので多少時間を長めにとって貰いつつ、彼女は仕事を始めた。
慣れないながらも、きちんと仕事をこなしていく。待つ人に直接届ける事は殆ど無いが、それでも彼女は満足していた。
きちんと届ければ、その手紙は必ず読んで貰えるだろうから。
偶然、自分が以前届けた手紙の、返信の手紙に出くわした時など踊りださんばかりに喜んだものだった。
自分の届けた手紙が、確かに誰かと誰かとを繋いだと分かった。それが嬉しくて、大妖精はますます張り切って手紙を受け取り、届ける。

(私も、そろそろ立派な郵便屋さんかな?)

そんな事を考えて、一人嬉しそうに笑ったりもした。
大妖精もこの仕事がすっかり板についてきた、そんなある日の事。
この日は、大雪だった。

(何だか、久々に冬って感じの天気だなぁ。手早くやらなきゃ風邪引いちゃう)

厚手のコートにマフラー、手袋。完全防備で大妖精は家を出た。
この大雪の所為か、あちこちのポストを回っても手紙は入っていない。
思ったより楽な仕事になりそうだと安堵する一方で、どこか寂しさのようなものも感じていた。
しかし寒いのは事実、早くも手がかじかんでまともに指が動かない大妖精にとっては、やっぱりありがたかった。
里や博麗神社近く、森の傍のポストに湖。主な場所は殆ど全部回ったが、ここまで一通も無し。
最後のポストは、竹林を抜けた先。永遠亭の傍に設置されたものだ。実質、永遠亭に住まう者専用のポストと言える。

(……うぅ〜、寒い……だんだん雪も強くなってるし……)

ここまで寒いのは元旦のあの日以来、いやそれよりも厳しいか。正直な話、早く終わらせて帰りたい大妖精は手早く竹林を飛び越える。
寒空の下を飛行するのは心身共に堪えた。降り来る雪はさらに量を増していく。
骨までじんじんと痛むような寒さの中、やっとの思いで竹林を越えた大妖精は、永遠亭へ。
雪で真っ白な視界の奥に、大きな建物の影。そこへ向かう大妖精だったが、急に足を止めた。
何者かが、立っている。この豪雪の中で、一人。

(……だれ?)

そこまで背の高くない人影。今この瞬間もかさを増していく雪をざくざくと踏みしめながら、彼女は人影の方向へ。
その人影が立っているのは、ポストの前だった。しかも、ただ佇むのでは無く、時折左右へうろうろと歩いたり、手にした何かを見つめたり。
何かに迷っているようにも見えるその人物。もう少し近付いてみたら、大妖精にもその正体が分かった。

「……あの〜」

「きゃっ!?」

か細い悲鳴を上げ、その人物が振り向いた。誰かがいるとは思わなかったのだろう。
雪にまみれたその人物とは、永遠亭の主たる蓬莱山輝夜その人だった。

「あの、こんな雪の中で何を?風邪引いちゃいますよ」

心配そうに尋ねる大妖精に、輝夜は目を白黒させた。

「え、え、えっと……あなたこそ、何しているのかしら?」

「私は、お手紙を受け取りに……あ、私、郵便屋さんなんです」

言いながら、大妖精は輝夜の前にあるポストを開ける。中身は空っぽだ。
元通りに閉め、もう一度彼女は輝夜に問おうとした。何をしているのか、と。姫君である輝夜が出歩く事自体、珍しいのだ。どうしても気になった。
しかし、再び口を開きかけた大妖精は、ある事に気付いた。

「あれ?輝夜さん、それ……お手紙ですか?」

輝夜が手にしていたのは、綺麗に封がされた封筒に見えた。
指摘された輝夜は慌てて、手にしていたそれを後ろ手に隠す。

「い、いや!こ、これは、そのぉ……」

「お手紙でしたら、私がお預かりしましょうか?」

狼狽する輝夜に、大妖精は手を差し出す。手紙を受け取る、というサインだ。
だが、彼女はなかなか隠したそれを差し出そうとしない。
考えてみれば、ポストに投函もせず持ったまま佇んでいたのだから、おいそれとは出せない理由があるのかも知れないと、大妖精は思った。
互いに何も言わないまま、暫しの時が経過。その間も雪は降り続く。
あまりの寒さで、そろそろじっとしている事が辛くなってきた大妖精は、この場を離れる事にした。
輝夜の手紙は気になるが、彼女自身が出そうとしないのだから無理に追求する事も無いだろう―――そう思った。

「それじゃ、私はそろそろ……」

行きますね、と言いかけたその時。

「ま、待って。やっぱり……これもお願い!」

輝夜はとうとう、後ろ手に隠していたその封筒を差し出した。

「え?あ、はい!分かりました!」

突然の事に思わず聞き返しそうになったが、大妖精は慌ててその封筒を受け取る。
雪が付着しているが、この寒さの所為で溶けはしないので濡れてはいない、白い封筒。
受け取った大妖精がちら、とその封筒の表面に視線を走らせると、そこには綺麗な字で宛名が書いてある。
しかし、それを見た彼女は驚き、思わず尋ねていた。そこに書かれていた宛名は―――

「……妹紅さんに、ですか?」

藤原妹紅。輝夜と同じ、不死の人間。
彼女と輝夜は犬猿の仲どころか、その様子を見れば喧嘩していた犬と猿も驚いて逃げてしまうだろうというくらいのいがみ合いをする仲だ。
どこか外でばったり会えば、尽きる事の無い互いの命を執拗に狙って弾幕を力の限り叩き込む。
それほどまでに仲の悪い妹紅に、輝夜が手紙。

「………」

尋ねられた輝夜は、恥ずかしそうにもじもじと俯いて何も言わない。
この時、大妖精は気付いた。輝夜の肩どころか、頭にまで雪が積もっている。
きっと彼女は、このポストの前でかなり長い事、迷っていたのだろう。この手紙を出すか、出すまいか。
一分だって表に出てはいたくない程の寒さと豪雪。その中に長い間佇んで、迷うほどの手紙。
そして、その相手はあの妹紅。

(……この手紙は……)

大妖精は、手にした輝夜の手紙を見る。
当然中身は見えないが、この手紙には深い意味が込められているに違いない。大妖精は確信していた。

「……任せて下さい!」

思わず、そんな言葉が口をついて出た。驚いた輝夜が顔を上げると、頭に積もっていた雪がどさりと落ちる。

「このお手紙、今日中に必ず……絶対に、妹紅さんに届けますから!」

「え、今日って……こんな大雪だし、明日とかでも」

「ダメです!」

心配そうに言いかけた輝夜を、大妖精は制した。

「輝夜さん、ずっと迷ってましたよね。このお手紙を出そうかどうか。
 それだけで分かるんです。このお手紙が、どんなに大切な意味を持っているか。輝夜さんの、どうしても伝えたい思いが込められてるって。
 少しでも早く、読んでもらいたいですよね?だから、今日中に私は届けます!」

はっきりとした語調に、一旦押し黙った輝夜。しかし、ゆっくりと頷く。

「……うん、分かった。それじゃあ、よろしく」

「はい、任せて下さい」

大妖精は、その手紙を決して無くさぬよう、大切に鞄へ。

「それでは、行ってきます」

「……ねぇ!」

踵を返そうとした大妖精を、輝夜が呼び止めた。

「なんですか?」

大妖精が立ち止まり尋ねると、彼女は心配そうな表情をしていた。

「……絶対に、届けてね。お願い」

輝夜の不安を吹き飛ばそうとするかのように、大妖精は元気な声で返事を返した。

「……はい!!あ、それと。お風邪引きませんように、早めにお部屋に戻って下さいね」

彼女が頷いたのを確認し、大妖精は今度こそ踵を返し、歩き出した。
雪は、さらに激しさを増す。

崩れ落ちそうな程の曇天と、まるで対比するかのような銀世界。
大妖精は再び、竹林上空をひたすらに飛ぶ。
吹き付ける風は強く、降り来る雪を巻き込んで彼女の顔を叩く。

(寒い……それに、前が見えない……)

雪が目に入ってまともに前を見ることも叶わず、半ば前後不覚に陥りかけながらも、大妖精はただひたすらに前を目指す。
眼前に広がる竹林も、今は揃って目深帽子。どこが切れ目なのかも、よく分からない。

(そろそろ……?)

どうやら終わりが見えて、大妖精は僅かに高度を落とす。
しかし、降りた所で状況はまるで変わらない。多少風は弱くなったかもしれないが、それでもごうごうと彼女の耳に唸り声を聞かせてくる。
竹林を越えたとて、まだ先は長い。妹紅は現在、人里で家を借りて住んでいるらしい。それを知っていたのは幸いとしか言いようが無い。
吹雪に加えて、広大、かつ入り組んだ竹林の中を、一人の少女を探して歩き回るなど自殺行為だ。

(……行かなきゃ)

大妖精は再び地を蹴る。蹴る地面も雪に隠れて見えやしない。
低空飛行で、里の方向を目指す。しかし、目の前は最早雪しか見えない。
生まれ、長い間過ごした幻想郷の地理。自然の具象である妖精の、勘という奴だった。

(たしか、こっち……)

吹き荒れる吹雪の中、長い間身を晒す訳にはいかない。
だが、スピードを出せばその分風と雪が威力を増して彼女を襲う。身を切り裂くジレンマ。
それでも意思は折れない。
絶対に届ける。そう約束したのだから。

(冷たい、っていうか……痛い)

最早、防寒具が意味を成さない。手の感覚は既に無く、足もきちんと大妖精自身の体にくっついてぶら下がっているのかもよく分からない。
軋み、凍りつき、動きを止めそうになる羽を必死に羽ばたかせ、彼女は進む。目指すは、前。
空間移動は使えない。一度使用しただけでも結構体力を消耗するのだ。この寒さの中で使用すれば、そのまま眠りかねない。
息を吸い込もうと口を開ければ、体内から凍らせようとするかのような冷気が、肺まで染みこんで来る。
疲れて、とうとう立ち止まる。その瞬間、飛ぶ事に必死だった時には忘れていた分の吹雪までもが、その小さな身体を吹き飛ばさんと襲い掛かった。
ホワイトアウトした視界の中で、大妖精は立ち尽くす。足は既に白い破片が覆っている。膝の感覚も、そろそろ無くなりそうだ。
元より、妖精の身体は寒さに弱い。

(……だめ、いかなきゃ……おてがみ、とどけるの)

手放しかけた意識。決して離すまいと、大妖精は自らに言い聞かせた。
自分を信じて、手紙を託してくれた輝夜。待っている人がいる。裏切るわけにはいかない。

―――手紙は、人の心そのもの。

―――大切な想いを、ペンと紙に載せて、伝えたいあの人へ。

 


―――自分が倒れたら、輝夜の想いは誰が伝える!?

 


(……ぜったいに、とどけるから)

足を無理矢理、雪から引き抜いた。そのままの勢いで、凍てつく寒空へ。
あくまで低空だが、先よりもそのスピードは遥かに上昇している。
その分強くぶつかってくる吹雪。刻一刻と大妖精の体力を奪う。
だが、どれほど強く、凍り付くような風でさえ、今の大妖精を止める事は出来ない。
一気に、距離を稼いだ。もうすぐそこだ。

(……ここ?)

前後不覚。頭はくらくらと浮つく。視界が揺れる。
立ち並ぶ、背の低い家の数々。確かに、人の住む里。
どこもかしこも玄関の戸は閉まっており、出歩く人間など居やしない。
ふらふらと飛ぶ大妖精の顔は、この寒さにも関わらず赤い。
手紙に書かれた住所を思い出し、里の奥へ。
やがて見える、一見の小さな家。ここだ。間違い無い。

(……かぐや、さん……たしか、に……)

地面へ降りる。ふらり、ふらりと玄関へ近付いた。
だが次の瞬間、大妖精は雪に埋もれて見えなかった何かに足を取られた。
そのまま雪の上へ投げ出される、小さな身体。倒れた拍子に叩いた玄関の戸が、どん、と一つ、鈍い音を立てた。
一切の色を失った、人里。しんしんと降り積もる雪だけが、その様子を見ていた。

聞こえてくる、足音。段々と大きくなり、やがて玄関の開錠音。

「……誰?こんな雪の日に」

しかし、見た所誰の姿も見えなくて、妹紅は戸を開けた体勢のままで首を傾げた。

(……イタズラかな?)

そう思い、何気無く妹紅は視線を下へ向ける。そして、目を丸くした。
防寒着に身を包み、肩掛け鞄を提げた妖精が、雪に埋もれて倒れていたのだから。
背中に積もった雪は僅かで、倒れて間も無い事は妹紅にもすぐに分かった。

「大丈夫!?ほら、しっかりして!」

慌てて抱き起こす。もしやと思い、額に手を当てた。
雪に冷やされた身体の冷たさとはまるで違う、燃えるような熱を帯びていた。

「……!ひどい熱だ……」

妹紅はそのまま大妖精の身体を抱きかかえ、家の中へ。
戸が閉まる音を最後に、今度こそ里には、風の吹きすさぶ音だけが残った。

―――温かい。
最初に思ったのは、それだった。

(……ここは……わたしは……)

鼻を微かにくすぐる木の匂い。全身を包む、心地良い温もりと安堵感。
ゆっくりと、目を開けてみる。ぼやけた視界の向こうに、木の色をした天井が見える。

「……気が付いた?」

不意に頭の方から声が聞こえて、大妖精は驚くと同時に少しずつ意識がはっきりしていくのを感じる。
自分が顔を動かすより早く、声の主は彼女の視界へと飛び込んできてくれた。紅白の色彩が、起きたばかりの目に少しだけ眩しい。

「……ここは……」

声を絞り出す。焦点が定まってきた大妖精の目は、ようやく目の前の人物が藤原妹紅である事を認識した。

「私の家だよ。と言っても借りてるんだけどそれは良しとしてね。
 君は……あれだ、湖によくいる」

小さく頷いてみせる。やっぱり、と呟く声が聞こえた。
こちらの事情も説明しなければと、大妖精は身体を起こそうと試みる。

「あ、あの……ッ!あぅっ……」

途端に彼女の頭を、締め付けるような鈍痛が襲う。

「ああ、駄目だって寝てなくちゃ。気付いてないみたいだけれど、熱がかなりあるんだから」

「……ごめんなさい」

妹紅の手によって再び布団の上へ寝かされた大妖精は、弱々しい声でそう呟いた。
すると彼女は笑って首を振る。その顔は、輝夜との壮絶な殺し合いを繰り広げる時の物とはまるで違う、穏やかな笑顔。

「いいんだ、気にしないで。それよりも、どうして私の家の前にいたのか知りたいんだけど……今は無理そうかな」

「……いえ……大丈夫です。わ、私は……」

その時、大妖精はある事に気付いた。ここまでずっと大切に持ってきた、手紙を入れた鞄が無い。
血の気が引くのを感じながら、彼女は慌てて問う。

「あ、あ、あのっ!か、カバンは……私が持ってたカバンはどこに!?あいたたっ……」

急に大きな声を出したので、再び襲い来る頭痛。大妖精は起こしかけた身体を再び横たえる。
一方で、妹紅はそんな彼女を安心させるかのように頷いた。

「大丈夫、ちゃんとある」

それから彼女が持ってきたのは、確かに大妖精が持っていた鞄。思わず、安堵のため息が漏れた。
あれを無くしてしまっては、必死にここまで辿り着いた意味が全て失われてしまう。
大妖精は今度こそ、ゆっくりと上半身を起こす。腕を伸ばすと、妹紅はその鞄を差し出してくれた。

「ありがとうございます。その、私は……郵便屋さんをやってまして」

「へぇ、ずいぶんと可愛らしい郵便屋さんだ。もしかして、手紙を?」

「はい、この鞄の中に、妹紅さんへのお手紙が」

すると妹紅は驚いたような声を上げた。

「まさか、その手紙を届けるためだけに、この大雪の中を!?駄目だ、そんな無理をしちゃ!」

やや強い語調に、大妖精は僅かに肩を竦ませる。だが、そこまで心配してくれる妹紅の優しさが嬉しかった。

「ごめんなさい。でも、私には、なんとしてでもこのお手紙を届けなきゃいけない理由があったんです」

「?」

首を傾げる妹紅。大妖精は、鞄に手を入れる。指先に、紙の柔らかな感触。
彼女はそれをつまみ上げ、引き抜いた。白い封筒が、照明の下あらわになる。表には確かに『藤原妹紅様』と綺麗な字で書かれていた。
ある意味ショッキングな事実だが、伝えなければならない。大妖精は意を決して口を開いた。

「……実はこのお手紙は……輝夜さんから預かったものです」

―――途端に、妹紅は眉を顰めた。

「……輝夜から?」

当然の反応だと思い、大妖精は敢えて彼女の表情の変化は気にしない事にした。大切なのは、その先だ。

「はい。……あの、妹紅さん。輝夜さんといつもケンカしてるのは、私も知っています。
 そんな輝夜さんからの手紙なんて、読む気になれない……そう思うのも、分かります」

大妖精の言葉は図星だったのか、妹紅は真剣な面持ちになり、黙ってそれを聞いている。

「……でも、でもです。輝夜さんは、このお手紙を出そうか、出さないか、ずっと迷ってました。
 この大吹雪の中、ポストの前でずっと。とっても寒かったでしょう。肩や頭に雪が積もってたの、私も見ました。
 だけど、輝夜さんはその寒さをいとわないで、妹紅さんに手紙を出そうか……ずっと悩んでいたんです」

驚いたように、妹紅の眉が動いた。

「……輝夜が、そんなに?」

「はい、間違いありません。私が受け取ろうとした時も、すぐには出しては下さいませんでした。
 けれど、輝夜さんは言ったんです。『絶対に届けてね』と。確かに聞きました。だから、私は今日中に届けようと、ここまで来たんです」
 
妹紅は再び押し黙る。その視線は、大妖精の目と、その手にある輝夜からの手紙の間を何度も往復していた。

「それほどまでに悩んで出した、輝夜さんが妹紅さんに、絶対に届けてほしかったお手紙です。
 きっと……とっても大切なことが書いてあります!だから……だから!お願いです、読んで下さい!!」

大妖精は目一杯、妹紅に対して頭を下げた。急に頭を振った所為で、じぃん、と脳の奥が痛む。しかし、声には出さない。
暫しの沈黙。頭を下げたまま動かない大妖精と、その視線を手紙に注ぐ妹紅。
やがて口を開いたのは、妹紅の方だった。

「……あの輝夜が、手紙ね。確かに、どうせ恨み節しか書いてないって、破り捨てちゃうのは簡単さ」

大妖精はゆっくり顔を上げ、妹紅の表情を確かめる。彼女は先程と同じような、穏やかな笑みを浮かべていた。

「……けれどね。君が……郵便屋さんが、散々寒い思いをして、おまけに風邪引いてまで私に届けてくれたんだ。
 たとえ、輝夜がどんな思いでこの手紙を出したとしても。内容が何であったとしても。読まない訳にはいかない」

妹紅は、優しく手を差し伸べた。
大妖精もゆっくりと、手にした輝夜の手紙を差し出し、その手に乗せた。

 

「確かに……確かに、届けました」

 

「……ありがとう、郵便屋さん」

 

互いに笑顔を交わす。大妖精の仕事は、ここに果たされた。

―――二日後。
妹紅の献身的な看病と、置き薬として置いてあった永遠亭開発の風邪薬のお陰か、僅か二日間で大妖精は元気を取り戻していた。
あれほど降っていた雪もこの日はなりを潜め、少し風はあって寒いものの、穏やかな陽光が降り注ぐ晴天。

「あの、本当にありがとうございました。お世話になりっぱなしで……」

「いいんだよ、そんなの。基本一人暮らしだから、楽しかったよ。私の手紙のために風邪を引いたんだし、それくらいやらせてもらわなきゃ」

妹紅の家の玄関前で、大妖精はひたすらに頭を下げていた。そんな彼女に、妹紅は苦笑いしつつ手を振っている。
しかし、大妖精がこの場を去ろうとする前に妹紅は彼女を呼び止める。

「あ、少し待ってくれないかな。この後君は、どうするんだ?」

突然の質問に大妖精は少々驚いた様子だったが、少し考えてから答えを返す。

「えっと……ちょうど今日はお仕事の日なので、このままお手紙を回収して配達に行きます!」

すると妹紅は、『そうか……』と呟き、再び大妖精に口を開く。

「お願いがあるんだ。その……もし良ければ……」

「えっ?」

妹紅に何度もお礼を言ってから、大妖精は里を後にした。
途中、何箇所かポストを見て周り、手紙を回収する。手紙の数はいつも通り。晴れの日だからだろう。
最後に彼女が向かうのは、永遠亭のポスト。白い帽子を脱いだ竹林を飛び越え、やがて見える大きな屋敷の傍へ着地。
ポストの中は空っぽだったが、そのまま大妖精は永遠亭の門をくぐる。
玄関の呼び鈴を鳴らすと、出てきたのは八意永琳だった。

「あら、かわいいお客さん。何用かしら」

くすりと笑って出迎えた永琳に、大妖精は元気よく告げる。

「こんにちは!あの、輝夜さんはいらっしゃいますか?」

「ええ、いるわよ。ちょっと待っててね……姫〜!お客さんですよ〜!」

屋敷の中へ向かって声を張り、それから『すぐに来るから、ちょっとだけ待ってて頂戴』と言い残し、永琳は奥へと引っ込んだ。
やがて、どたどたという姫君には似つかわしくない騒がしい足音が近付いてくる。
玄関に現れた輝夜は、どこか慌てた様子だ。

「あ、こないだの郵便屋さん……」

「こんにちは!先日はどうも。お風邪、引かれませんでしたか?」

「え、あ、うん。なんとか」

質問にはきちんと答えるが、やはりそわそわして落ち着かない様子の輝夜。
大妖精には、理由は分かっていた。

「この間のお手紙……ちゃんと、妹紅さんにお届けしましたからね。ご安心下さい!」

「本当に!良かった……」

ここで輝夜はようやく落ち着いた。胸を撫で下ろし、ほっと一息。
しかし、大妖精はそのまま話を続ける。

「それでですね……今日は、その妹紅さんからお手紙をお預かりしてきました!」

「……えぇっ!?」

大層ぶったまげた様子の輝夜。大妖精はにっこり笑って、鞄から一通の手紙を取り出した。
こちらは淡いピンク色の封筒。表にはやはり整った字で『蓬莱山輝夜様』と書かれている。

「も、も、妹紅から……?」

「なんでも、こないだのお手紙のお返事らしいですよ?」

その言葉と共に大妖精から差し出された手紙を、輝夜は慌てて受け取る。
呆然と封筒を見つめる輝夜に、大妖精はさらに付け加えた。

「このお手紙を渡された時、妹紅さん、かなり恥ずかしそうでした。きっと、普段じゃ言えないようなことが書いてあるんじゃないでしょうか?」

「………」

輝夜は無言のままだったが、その言葉で若干顔を赤くした。
確かに手紙は届けたので、大妖精が留まる理由も無くなった。まだ配達は残っている。

「それでは、私はこれにて……」

「……ねぇ」

「はい?」

立ち去ろうとした大妖精を、輝夜が呼び止めた。
大妖精が尋ねると、彼女は少し恥ずかしそうにはにかんでから、こう告げた。

 

「……ありがとう、郵便屋さん」

 

奇しくも、妹紅に言われたお礼の言葉と一字一句違わない。
何だか気恥ずかしくなって、大妖精も輝夜と一緒に顔を赤らめてしまった。

―――それから少しして。
いつものように手紙の配達をしていた大妖精。最後に回収するべき永遠亭のポストまでやって来た彼女は、中を確認する。
すると、手紙が一通。

「……あっ!」

大妖精は思わず驚きの声を上げていた。
その手紙の差出人は輝夜、そして宛先は妹紅。つまり、二人の手紙の二往復目なのだ。
尚も手紙を出すくらいなのだから、きっとお互いの出した手紙の内容は、双方にとっていいものだったのだろう。
そう思うと何だか自分の事のように嬉しくて、大妖精は我知らず笑みを浮かべているのだった。
それからもう少ししたある日、大妖精がこれまたいつも通りに友人達の下へ遊びに行った時の事。
本来は夜行性であるミスティアが、『先日の夜中に、珍しいものを見た』と大妖精にある事を教えてくれた。
それは、仲が悪い筈の輝夜と妹紅が、月を見ながら肩を並べて語り合っていたという光景。

「あの二人が?本当に?」

半ば信じられずに尋ね返す大妖精に、ミスティアは尚も頷いた。

「ほんとほんと。それ以外にも、最近は前みたいに、どっかでばったり会ってもいきなり弾幕の応酬にはならなくなったんだって。
 まるで普通の友達同士みたいに、何事か話をするらしいよ。もしかしてあの二人、いつの間に仲直りしたのかな……?」

ミスティアはそう言って首を捻っていたが、大妖精は確信に近い仮説を立てていた。

(もしかして、あの時の手紙が……)

輝夜が悩んだ末に出し、どうしても届けて欲しかったあの手紙。それを読んだ妹紅の、返信。
その手紙が、二人の心を繋いだのだとしたら。

(二人のケンカは、数百年以上の因縁によるもの。仲直りしたくても、今更言い出せない。だったら……)

―――手紙は、普段会う相手へ、面と向かっては言えないような事の代弁手段でもある。
輝夜の込めた必死の想いに胸打たれたか。或いは、妹紅自身にもその意識があったのか。それは分からない。
ただ確実なのは、互いの想いは、手紙という手段を介してとうとう繋がったという事。
そして―――

(まずは文通から、ってことなのかな?)

その互いの想いを相手へ届けたのは、紛れも無く大妖精なのだ。
それを考えると耐えられないくらいに気恥ずかしくなるので、彼女はそれをあまり意識しない事にした。

(とにかく、いつも通りにお手紙をちゃんと届けよう。それが、二人の仲直りを助けることになるんだから)

決意を新たにし、大妖精は仕事をこなす。
殆ど休む事無く、毎日のように彼女は手紙を配り続けた。

雪が降った翌日の、ちょっとだけ暖かい小春日和。
この日も手紙を回収する大妖精は、最後のポストがある永遠亭へ向かう。
竹林を飛び越え、永遠亭に近づいた彼女は、その屋敷の前に輝夜が立っているのを発見した。

「こんにちは〜!」

急降下しながら声を掛けると、輝夜もこちらに気付いて笑顔を見せる。

「いつもご苦労様!」

「いえいえ。好きでやってますから!」

労いの言葉にこちらも笑顔を返し、大妖精はポストを開ける。空っぽだ。
その時。何も入っていないポストを閉める大妖精は、輝夜がなにやら小声で、歌を歌っているのを耳にした。
歌詞の内容まではよく分からないが、何だか明るい歌だ。

「お上手ですね」

ポストの鍵を閉め、振り返りながら大妖精は言った。

「やだ、聞こえちゃった?」

輝夜は恥ずかしそうに顔を赤らめる。大きな袖で口元を隠すその仕草は、普段の彼女とは違って姫君らしさが出ている。

「とっても楽しそうな歌でしたけど、なんていう歌なんですか?」

ちょっと気になった大妖精は尋ねてみる。
すると輝夜は乗り気で教えてくれた。

「永琳に教えてもらったの。『プリーズ、ミスター・ポストマン』っていう歌よ。英語……って言って、分かるかしら。違う国の言葉」

「ええ、ちょっとだけなら分かります」

「なら良かった。その英語だからちょっぴり難しいけど、とっても素敵な歌。『ポストマン』っていうのは、郵便屋さんの事なんだって」

今の自分自身が該当する言葉が出てきて、大妖精は無性に嬉しくなった。

「へぇ、そうなんですか!じゃあ、私も”ポストマン”なんですね」

すると輝夜はちょっと困ったように笑う。

「確かにそうなんだけど……”マン”っていうのは英語で”男の人”を指すらしいのよね。”ミスター”っていうのもそう。
 だから、とっても可愛らしいあなたみたいな郵便屋さんには、ちょっと似つかわしくないわね」

可愛らしい、と言われて大妖精は恥ずかしそうだ。
輝夜はそんな彼女を見て、ポンと手を打つ。

「そうね、あなたなら……さしずめ『ポストガール』ってところかしら?”ガール”は”女の子”ね」

「わぁ、ありがとうございます」

わざわざ大妖精にぴったりの名称を考えてくれた輝夜に、彼女は笑ってお礼を言う。
さらに興味が沸いたので、彼女は再び尋ねてみる。

「どんな内容の歌なんですか?」

しかし訊かれた輝夜は、ほんの少しだけ顔を曇らせた。

「ええ……あなたにはあんまり聞かせない方がいい気もしたのだけれど。
 実はね、悲しい歌なのよ。遠くにいる恋人からの、いつまで経っても来ない手紙を待ち続ける女の子の歌。
 『お願い待って、郵便屋さん。その鞄の中に、私への手紙はないかしら。ちゃんと確かめて』っていう、ね」

それを聞いた大妖精も、若干俯き気味だ。

「そう、だったんですか。メロディはとっても楽しそうな歌だと思ったんですが……すごく、切ない歌だったんですね」

思ったよりも落ち込んでしまった様子の大妖精を見て、輝夜はちょっと慌てて言った。

「ま、まあまあ。確かに歌詞は悲しいけれど、歌っているととっても素敵な気分になれるのよ。
 そうだ、ちょっとだけ歌ってみせようかしら?」

「えっ、本当ですか!ぜひお願いします!」

瞬時に顔を輝かせ、大妖精はパチパチと拍手。明るさを取り戻した彼女の様子に安堵し、輝夜は胸を張って、アカペラで歌いだした。


”すとっぷ、おーいえ、うぇいらみに、みすた、ぽーすとまん♪
 いえい、いえい、いえい、いぇいぇみすた、ぽすとまん♪”


少女らしい可愛い歌声が、雪の残る永遠亭の玄関先に響き渡る。
大妖精は手拍子でリズムをとり、夢中で歌う輝夜を楽しそうに見ていた。


”ぷりずみすぽすまーん、るっきゃんすぃ♪
 いっぜあれた、いんやーばっぐふぉみぃ♪
 わずいった、とっきーん、さっちゃろんたいむ♪
 ふぉーみーとぅひあ、ふろーざ、ぼいおーまいん♪”


あんまり英語らしい発音では無いが、それでも輝夜は朗々と歌い上げる。その歌声は本当に楽しそうだ。
しかし、ここで輝夜は歌うのを止めてしまった。

「あれ、もうおしまいですか?」

パチパチと拍手は鳴らしつつも大妖精は尋ねてみる。すると、輝夜は恥ずかしそうに笑った。

「ごめんね、まだここまでしか覚えてないの」

「まあ英語ですからしょうがないですよ。とってもお上手でした!」

改めてパチパチと拍手する大妖精に、輝夜はまたしても恥ずかしそうな顔。そう言えば、さっき歌っていたのもこの辺りのメロディだった気がする、と大妖精は思い出していた。
そんな様子の輝夜に、大妖精は再び質問をぶつける。

「今の歌詞は、どういう意味なんですか?」

「ちょっと待って、今思い出す」

う〜ん、と数秒唸ってから、輝夜は口を開く。

「えっと……『待って、ちょっと待ってよ郵便屋さん。待ってったら、郵便屋さん。
       お願い郵便屋さん、もう一度よく見てちょうだい。そのカバンの中に、私への手紙とかはないのかしら?
       どうして、こんなに長く時間がかかるのかしら。あの人からの手紙が届くのに……』」

 

「はい!!」

 

次の瞬間、大妖精は笑顔で一通の手紙を差し出していた。目を丸くする輝夜に、彼女は続ける。

「大丈夫です!私はちゃんとあなたへのお手紙、持って来ましたから!」

「……ありがと!どうやら私は、この歌のような心配はしなくて良さそうね」

輝夜も笑って、その手紙を受け取る。差出人は無論、妹紅だ。
あの時以来、輝夜と妹紅の文通は途切れること無くずっと続いている。これからも当分は、終わる気配が無さそうだ。

「どんな内容のお手紙を書いているんですか?」

大妖精は試しに訊いてみた。

「だめだめ、秘密!ただ、手紙を書くのって楽しいわ、とだけ……ね」

輝夜はいたずらっ子のような笑みでそれに答える。ぼやかした回答だったが、今の大妖精には十分だった。
妹紅との文通を、輝夜が心の底から楽しんでいると分かったのだから。

「そうだ、ついでに……」

すると輝夜はここで、どこからか手紙を取り出す。

「これ、お願い。待ち切れなくて、先に書いちゃった」

「分かりました……けど、どうしてポストに入れなかったんですか?」

不思議に思って大妖精が尋ねる。確かに、彼女がここへ来た時点で輝夜は外にいたのだ。普通ならポストに入れるだろう。
しかし輝夜はチチチと指を振る。

「直接、渡したかったの。郵便屋さん……それも、あなたに。その方がなんだか、素敵な手紙になる気がしたの。
 あなたが来るのは確か今日だったと思って、外で待ってたのよ」

輝夜はまだ、初めて手紙を出した雪の日を覚えているようだった。
こうまで言われては、大妖精にも気合が入らない筈は無い。手紙を受け取り、力強く頷く。

「お任せ下さい!確実にお届けしますね!」

「頼んだわよ、小さな郵便屋さん」

輝夜の手紙をしっかりと鞄にしまい、大妖精は一礼してから地を蹴った。

(さあ、今日も頑張ってお手紙届けなきゃ!)

頬に冷たい風を受けながら、大妖精は肩から提げた鞄に手を触れてみる。
確かな感触と、肩に伝わる重さ。幻想郷に住まう沢山の人妖、そして今受け取ったばかりの、輝夜の心をいっぱいに詰め込んで、膨らんでいる。
受け取った心を、待つ人々に届けるのが、彼女の―――郵便配達人の仕事。
人々が手紙に乗せた想いをあちこちに振りまきながら、今日も大妖精は空を翔る。

(さあ、最初は誰のお手紙かな?)

段々と小さくなりゆく大妖精の姿を、輝夜はいつまでも見つめていた。
自分が出したあの手紙。そこから始まったアイツとの文通は、今も途切れることは無い。きっと、これからも。
かつての宿敵との手紙のやり取り。それが、確かに楽しいと感じていた。
そしてそれは、今彼女の視界から消えようとしている、あの小さな郵便屋さんのお陰だ。
もう一度、お願いしたくなった。輝夜は、大妖精を信頼している。念を押す必要は無い。ただ、なんとなくだ。
輝夜は冬の冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んで、大きく大きく声を張った。

 


  Please Ms.Postgirl ! !
『お願いね、郵便屋さん!!』




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