―――夏。四季の中で最も暑く、爽やかな季節。
蝉を始めとした虫達に代表されるように、あらゆる生き物が最も生命力をみなぎらせる季節。
虫が生き生きしているとしても、そのうだるような熱気と日差しは、際限無く人の気力を奪う。


だが、その季節を存分に楽しむ者もいる。
待ってましたとばかりに地上を闊歩する昆虫達を虫網片手に追い回したり。
その厳しい暑さを逆手に取り、冬では決して楽しめない水泳に勤しんだり。
友人と集まって勉強会のはずが、いつの間にか遊びの計画を立てていたり。
日が長いからと言って遅くまで外で遊び、怒られることもある。
それでも、翌日にはまた朝早くから熱気溢れる夏空へ挑みかかり、走る。
大人がへたってしまうような暑さでさえ、飲み物を美味しくする最高の調味料へ変えてしまう。
そんな、”夏”という季節をこれ以上無く味わいつくし、欠片ほどの楽しみも逃さぬよう遊び回る時間。

 

―――人はそれを、『夏休み』と呼ぶ。

 

「……あぢい……」

箒で空を飛びながら、霧雨魔理沙は苦しそうな声で呟いた。完全なる独り言だが、言わずにはいられない。
時は七月後半、真夏である。

「お天道様は勤勉だな。もう少し手を抜いてくれていいのにな……」

この上なく職務を全うする真夏の太陽を帽子越しに睨みつけ、魔理沙は再びひとりごちる。
その間も、額を、頬を、汗がとめどなく伝ってゆく。
家を出た時からじわりじわりと体中の水分を搾り取られ、口の中は既にカラカラに渇いていた。
気力を振り絞り、彼女は箒のスピードを上げた。

「あ〜、もう我慢できん!霊夢〜!!何か飲ませろ〜!!」

蝉の大合唱をBGMに叫びながら空を翔る魔理沙を、さらに太陽が照りつける。

博麗神社の縁側で、博麗霊夢は空を見上げていた。屋根が日除けになっているとは言え、眩しい。
と、遠くの空に黒い影が見えた。それを視認した霊夢は立ち上がり、室内へ。
彼女が冷たく冷えた麦茶をなみなみと注いだグラスを持って縁側に戻る頃には、その影はすぐ傍まで来ていた。

「うおおぉぉぉぉぉぉ!!!」

影の正体は勿論、魔理沙。雄叫びを上げながら霊夢に肉薄、急ブレーキをかけて止まり、箒からひらりと飛び降りる。

「水!!みずぅぅ!!」

挨拶も無しに騒ぐ魔理沙の眼前に、霊夢は苦笑いで持って来たばかりの麦茶を差し出す。
この暑さのおかげで、冷蔵庫から出したばかりの筈なのにグラスは結露しており、それがまた涼しさを演出している。

「と、友よ!!」

魔理沙はそれだけ言うと霊夢からグラスをひったくるように受け取り、ガブリと口をつける。瞬間、どんどんグラスが傾いていく。
霊夢が所有する中でも特に大きなグラスの筈だったのに、喉を鳴らし、ものの数秒で麦茶を飲み干してしまった。

「んあ゙〜っ!!生き返ったぜ!ありがとう霊夢、心の友よ!」

渇いた喉を潤した快感冷めやらぬ魔理沙は、グラスを口から離して開口一番に礼を告げつつ、霊夢に抱きつこうとする。
霊夢はそれをひらりとかわし、その勢いで縁側に着席。

「おっと、そんな事したらまた暑くなるわよ。どういたしまして」

避けられた魔理沙は少し残念そうな顔をして、霊夢の隣に座る。
離したばかりのグラスに再び口をつけ、中の氷を口に頬張ってから魔理沙は口を開く。

「なんつーか、暑いな!」

すると、霊夢もやれやれといった体で首を振った。

「ほんとにね。恐らく今日までで一番暑いんじゃないかしら」

それから、魔理沙の着ている服に注目する。

「あんたも、そんな黒い服着てるから暑いんじゃないの?」

「これは私のアイデンティティだぜ。霊夢の服は風通しバッチリで涼しそうだよなぁ」

「そうかもしれないけど、ぶっちゃけこの太陽光線の前には、ちょっとばかしの風通しなんて無力なのよ」

「……だろうな」

言い終わると同時に、魔理沙は先程口に含んだ氷をバリボリと噛み砕く。
外の暑さとは対照的な口腔内の冷たさが心地よく、魔理沙は思わず笑み。

「でも、こんだけ暑いのに何故か夏は嫌いにならないんだ」

「……私も。不思議よねぇ」

「なんでだろーな?」

互いに首を傾げたその時、屋根の上から声。

「カキ氷屋さん、参上ッ!!」

言い終わると同時に、二人の前に降り立つ青い影。氷精・チルノだった。

「夏はあたいの季節!というわけで、カキ氷作ってあげる!」

「もし良かったら召し上がって頂ければ……」

えっへんと胸を張るチルノ。その横にゆっくりと降り立った大妖精が一言付け加えた。
見れば、チルノは小型の手動カキ氷機を抱えている。

「ほ、本当か!?」

願ってもない申し出に、思わず身を乗り出す魔理沙。
夏とカキ氷。この上ないベストマッチ。たったグラス一杯分の氷が、人を幸せに出来るのである。
氷の化身とも言えるチルノがこれを無視する筈も無く、突発的に訪問カキ氷屋を始めたらしい。大妖精はお手伝いだ。

「あら、珍しい。雨でも降るんじゃ……あ、まさか。雨乞いのつもりでやってるとか?」

霊夢が言うと、途端にチルノは頬を膨らませる。

「ちが〜う!あたいは氷精だもん!夏に一番喜んでもらえるって分かってるんだから!」

「ごめんごめん、冗談よ。私にも作ってくれる?」

霊夢が陳謝すると、チルノは頷く。

「氷精、来るものはこばまな〜い!あたいにまっかせなさい!」

「あ、シロップは何にしますか?」

大妖精が持っていたクーラーボックスを開くと、中には色とりどりのカキ氷用シロップが並んでいる。
と、客の二人が何かを言う前にチルノが言った。

「霊夢はイチゴね!赤いから」

「勝手に決めないでよ……でも、やっぱイチゴで」

「私はメロンな〜。スプレッドスターな気分なんだ」

結局イチゴの霊夢と、よくわからない理由でメロンを選択する魔理沙。
それを聞き届けたチルノが指をくるりと回すと、空中にアイスキューブがいくつも出現。
彼女はカキ氷機を縁側に置くと、出現させた氷を放り込む。

「ごめん、器はセルフなんだ」

「そう言うと思ったわ」

チルノが言うと同時に、霊夢が透明なガラスの器をカキ氷機の下に置いた。
それを確認すると、チルノは力任せにハンドルを思いっきり回し始める。

「ダイヤモンドブリザード!うりゃー!」

ガリガリと心地よい音を立て、まるで雪の様な氷が器に積もってゆく。

「もちょっと盛ってくれよ」

ある程度削った所で手を止めた彼女を魔理沙がせっつく。

「しょ〜がないな〜」

チルノは追加でもう少し氷を削ってやり、それを大妖精へ。
手早く緑色のシロップを回しかけ、笑顔で魔理沙へ。

「お待たせしました!」

「待ってました!霊夢、スプーンある?」

「はいはい」

霊夢からスプーンを受け取るなり、魔理沙は猛烈な勢いでカキ氷を口の中へかき込んだ。
そして、頭を押さえて悶絶。

「うぐぁ〜、早速来やがった……」

「”夏のふーぶつし”ってやつね」

霊夢の分を削りながらチルノが笑う。
ようやく頭痛が治まった魔理沙は、同じくカキ氷を受け取った霊夢をつつく。

「なあ、さっきの話。何で夏が嫌いにならないか、分かったぜ」

「へぇ、どうして?」

すると魔理沙はニヤリと笑い、

「確かに夏は暑くて嫌になるが、それ以上に楽しい事が多いからさ」

そう言うと器に残った溶けかけのカキ氷を一気に飲み干した。

「カキ氷サイコー!夏サイコー!!」

上機嫌の魔理沙は空っぽの器を掲げ、空に向かって叫ぶのだった。

チルノ達が帰った後も、二人は縁側で談笑していた。

「あんた、結局カキ氷四杯も食べてたわね。お腹大丈夫?」

「私は最強だから問題ないぜ」

チルノの真似をして答えつつ、魔理沙はぼんやりと空を見上げる。

「チルノと大ちゃんに何かお礼しなきゃな……それとだ」

「それと?」

霊夢が聞き返すと、魔理沙は拳を握り、いきなり立ち上がる。

「こんなに素晴らしい季節を楽しめない奴に、夏の素晴らしさを教えてやりたいぜ!」

「あら、どうしたのよ急に」

突然の宣言に霊夢は苦笑い。そんな彼女に魔理沙はビシッ!と指を突きつける。

「例えば秋の神二人。秋以外は季節じゃねえと言わんばかりだが、夏がどんだけ素晴らしいかわかっちゃいないぜ。
 それ以外にも、夏は暑いから嫌いとか言ってる輩にカキ氷でも山ほど食わせて改心させてやりたいんだ」

麦茶イッキ飲みやカキ氷食べ放題など、夏の楽しみを満喫した魔理沙は少々ハイになっている模様。食べてばかりなのはご愛嬌だ。
夏について文字通り熱く語る魔理沙に、霊夢も頷く。

「まあ、私も夏は結構好きだし。確かに夏の良さを知ってもらいたい気はするけれど……でも、誰に?」

「そうだな……」

魔理沙は腕を組んで思案顔。突然思い立った夏布教だが、具体的に誰に思い知らせるべきか。
その時、ふと魔理沙の脳裏に一人の少女の顔が浮かぶ。その横に、先程カキ氷をご馳走してくれた二人の顔も一緒に。

「……なあ、霊夢」

魔理沙は呟くように言った。

「夏が嫌いな奴じゃなくてさ……夏を楽しみたくても出来ない奴に、夏の良さを教えてやるってどうかな」

「え?」

彼女の言う意味がよく分からず聞き返す霊夢。
魔理沙は指を伸ばし、今思いついたプランを霊夢に話し始めた。

「二人へのお礼も兼ねてだ。つまり―――」

「あっつ〜い……」

幻想郷の中央に位置する湖は、夏でも霧がかかっている。
その湖のほとりの木陰で、チルノはぐったりと座りこみながら呟いた。
いくら氷精と言えど、暑いものは暑いらしい。

「大丈夫?最近は熱中症とか多いし、もう家に帰って休んだ方が……」

大妖精が心配そうに言いながら、チルノの横にしゃがみこむ。
しかしチルノは手の甲で額の汗を拭ってから、勢い良く立ち上がる。

「夏は待ってくれないの!こんな所でへたってたら、あの夏の太陽に申し訳が立たないってもんよ!」

そして腕を振って力説。まだまだ遊び足りないらしいチルノの様子を見て、大妖精も頷く。

「元気そうで良かったけど……じゃあ、せめてもうちょっと涼しい所で遊ばない?魔法の森とかどう?」

「そだね。せっかくだからみすちーでも誘ってみよっか」

そして大妖精も立ち上がり、二人して木陰から出て歩き始めたまさにその時。

 

「うおぉぉぉぉぉっ!!」

 

雄叫びが聞こえてきたかと思うと、遠くから何者かが猛スピードで近付いてくるのが見えた。

「な、何アレ……?」

二人は呆然とするしかなく、立ち止まった。その間にも人影はどんどん近付いてくる。
ここで目のいい大妖精が気付いた。

「あれ、魔理沙さんだ」

確かにそれは魔理沙で、しかも、

「何か押してるよ……」

チルノが呟いた通り、彼女は猫車を押しながら走って来るのだ。その猫車には、何やら白い箱のような物が乗っている。
とうとう魔理沙は二人の前まで辿り着くと、急ブレーキをかけた。
すると、まるで滑り落ちるかのように猫車から箱が投げ出されて地面に着地。

「へい、お待ちっ!!」

箱を走った勢いで下ろした後、額に汗した魔理沙はそう言うと二人に向けてサムズアップ。

「どうしたの?」

チルノが当惑の色を隠そうともせずに尋ねると、魔理沙はニヤリと笑った。

「こないだのカキ氷のお礼だ!ついでに夏の素晴らしさを体験してもらおうと思ってな!」

近くで見ると、魔理沙が持って来た箱はかなり大きい。

「これ、発泡スチロールですね」

大妖精の言葉に魔理沙は頷いてみせる。保温性・断熱性に優れた素材の大きな箱。
その中身にまるで見当がつかない上、魔理沙の言う意味もよく分からない二人は首を傾げる。

「何が入ってるの?それに”夏の素晴らしさを体験”って……あたい達、もともと夏は大好きだよ」

その隣で大妖精もうんうんと頷く。
すると、魔理沙は首を横に振った。

「うんにゃ、体験ってのはそいつにだ」

魔理沙が指差す先には、件の箱。
その口ぶりで何かを察したらしい大妖精は、恐る恐るといった体で口を開いた。

「も、もしかして……誰かが入ってるんですか?この中……」

確かに箱はかなり大きく、人一人くらい入れそうなサイズだ。

「まあ、見てみろって」

魔理沙は思わせぶりな笑みを浮かべて、箱の蓋に手をかけた。
それを見た妖精二人は慌てて箱から距離を置く。

「普通じゃ有り得ない体験をさせてやるぜ。見て驚けっ!!」

言い終わると同時に、彼女は発砲スチロールの蓋を取り払った。
その瞬間、箱の中から立ち上る白い煙―――いや、違う。

「つ、冷たい……?」

大妖精が呟いた通り、それは冷気。
固唾を呑んで見守る二人だったが、次の瞬間、ザラザラと音を立てて箱から大量の氷が溢れ出した。

「え?え?」

目を白黒させるチルノ。
しかし、続いて箱から立ち上がったのは氷でも冷気でも無い実像―――人影。
青紫色を基調とした服と、白い帽子。ライトパープルの髪に冷気を纏ったその姿は、『今ここにいる筈が無い人物』。
チルノ達の瞳が、驚きに揺れる。目の前の光景がにわかには信じられず、開いた口からは何も言葉が出てこない。
その時、箱から出てきた”人物”が、体を震わせたかと思うと口を開いた。
一同がその一挙一動を見守る中、出てきた言葉は―――

 

「―――ちょ、あっつい!!暑い暑い暑いって!!」

 

叫んだかと思うと再び箱の中へ潜ろうとし、それを魔理沙が止めた。

「ちょ、こら!戻るな戻るな!せっかく連れて来たんだから!」

「そんな事言っても、拉致同然に連れてきたのはあなたでしょうが!無理だって、暑い!!」

氷にまみれながら箱の中でくんずほぐれつな二人。
だが、その様子にも表情を驚きのまま変えなかったチルノが、ようやく声を絞り出した。


「―――レティ?」


今が”夏”である以上、その名を口にする事自体が有り得ない筈だった。

レティ・ホワイトロック――― チルノの親友にして、冬にしか存在出来ない冬の妖怪。
毎年冬が終われば、どこか遠くへ行ってしまう為必ず別れなければならなかった。
冬が終わるたびに涙の別れを経験してきたチルノ。しかし、その別れた相手が目の前にいる―――夏であるにも関わらず、だ。
しかし、見間違う筈の無いその姿形を見て、チルノはただただ驚くしか無かった。
すると、ここでようやく本人もチルノがいる事に気付いたらしい。二人の目が合う。

「あっ……久しぶりね、チルノ。それに大ちゃん。元気そうで嬉しいわ」

存在するのも辛い筈の気候の中で、彼女が見せた笑顔は―――確かにレティ・ホワイトロックのもの。
確信した。目の前にいるのは、確かにレティだ。

「―――レティ!!」

先刻までのうだるような暑さも忘れ、チルノは走り出した。
会えないはずの親友が目の前にいる。その事実は、どんな現実の障害も取り払う。

「チルノ!」

魔理沙以上の勢いで走ってきたチルノを、レティはしっかりと抱きとめた。
その時、脇に退いていた魔理沙が抱き合う二人の背中を押し付けるようにして固定。

「おっと、そのままそのまま!どうだ、気分は?」

後半はレティに対する問いかけだ。
すると、先程まで苦しそうだったレティは驚いたように、魔理沙と目の前のチルノの顔を交互に見比べる。

「あ、あれ……暑くない」

「チルノ印の冷気は強力だからな。くっついてりゃ多少の間、夏の気候でも活動できるだろうよ」

ずっととはいかないが、チルノの冷気を受けていれば夏の暑さにも耐えられると魔理沙は踏んでいたようだ。
その目論見が見事にはまった魔理沙はご満悦の表情だったが、レティは戸惑った。

「で、でも……このままずっと抱き合ってろっていうの?」

抱き合った状態では動きを拘束されるだけでなく、恥ずかしい。だがチルノはレティに会えた嬉しさでそんな事は関係ないらしく、

「あたいはこのままでいいよ!」

「えっ?チ、チルノ……」

そんな発言でレティの顔を赤らめさせる始末。
しかし魔理沙は、はははと笑って言った。

「お似合いだからそのままでもいいかな、なんて思ったが、流石にそれはな。時々手を繋いでるくらいで大丈夫だと思うぜ」

「そ、そう……」

そう言うレティの表情は安堵する一方で、どこか残念そうな様子が伺える。
と、ここで魔理沙の背後から霊夢が現れた。

「感動の再会は上手くいったみたいね。あ、猫車はちゃんと持って帰って来てよね。神社の備品なんだから」

「お〜う」

気の抜けた返事を返す魔理沙に、霊夢は尋ねた。

「ところで、どうやって連れてきたの?あいつ……」

霊夢の視線の先には、今度は大妖精と手を取り合って再会の喜びを分かち合うレティの姿。
―――その時。

「わ・た・し・よ〜」

霊夢の背後からいきなり声がして、彼女はビクリと肩を竦ませる。
だが、すぐにその正体に気付いたらしく、ため息と共に後ろを向いた。

「―――あんたの仕業だったのね」

すると、何も無い筈の空間に裂け目のようなものが出来たかと思うと、そこからぬ〜、と一人の人物が姿を現した。
夏の強い日差しも愛用の日傘でしっかりガード。スキマ妖怪・八雲紫だった。

「私のスキマにかかれば、人探しもお茶の子さいさいってヤツね」

死語を巧みに使ってけらけらと笑う紫に、霊夢は続けて尋ねる。

「でも、レティがどこにいるかなんてよく分かったわね」

すると、紫はチチチと指を振る。

「そんなの、スキマを作る時に具体的な場所じゃなくて『レティ・ホワイトロックがいる場所』って念じれば一発よ。見くびらないの」

「ほんっとーに便利な技ですこと」

得意気な紫に、霊夢はまた肩を竦めた。
しかし、ふと疑問に感じて彼女は魔理沙をせっつく。

「でも、あのものぐさ幻想郷代表の紫がよく手伝ってくれたわね」

「ああ、それか」

すると、今度は魔理沙も紫を真似てチッチッと指を振る。

「最近熱帯夜で寝苦しいらしいから、安眠枕プレゼントと熱帯夜対策の冷却魔法をかけてやったのさ」

「ようは買収か……」

何となく呆れた霊夢が紫を見やると、彼女は何故かべ〜、と舌を出して笑った。

「というわけでだ!今から思いっきり夏らしいことさせてやるからな」

「お〜!」

意気込む魔理沙と、よく分からないながらもハイテンションなチルノ。
大妖精は横で成り行きを見つめており、霊夢は完全に主導権を魔理沙に譲ったらしく傍観。
そんな一同に囲まれ、レティは苦笑いで首を傾げた。

「夏は冬の対極。確かに私にとっては未知の世界だけれど……具体的に、どんな?」

すると魔理沙は人差し指を伸ばす。

「んじゃ、逆に訊くぜ。暑いと感じたら、まず何をする?」

「え?」

訊かれたレティは少し戸惑ってから、『私は冬しか知らないから的外れかもだけど』と前置きして続けた。

「暑いと熱い、は別物かもしれないけど……冷やすんじゃないかしら」

「そうそう」

望んでいた答えだったらしく、魔理沙は頷いた。

「暑い時は冷たい水で冷やすのさ。つーわけで、水辺だ」

「要するに水遊びね」

納得した風にレティ。冬では水遊びなど出来ないだろうから、彼女にとっても初めての経験だ。

「ここじゃいけないの?」

チルノが目の前の湖を指差した。しかし、魔理沙は首を横に振る。

「この湖は夏でも冷たすぎる。冬の妖怪と氷精なら平気だろうが、私は普通だから寒いぜ」

「ちょっと、私も普通の人間よ」

霊夢が口を挟むと、魔理沙は軽く首を竦めた。この時、小さな声で『どーだか』と呟いたのを大妖精は聞いてしまったが、忘れる事にした。

「んじゃ、移動だ」

先頭に立って魔理沙が歩き出す。その後をチルノと手を繋いだレティ、そして大妖精と霊夢。
道すがら、大妖精は横を歩く霊夢に尋ねた。

「霊夢さんもいらっしゃるんですか?」

「ん。暇だったし、夏に冬の妖怪と一緒に過ごせるって貴重な経験だと思うからね」

霊夢はそう言って、前を歩くレティの背中に視線を向ける。
夏の景色を見るのが初めてだったレティはあちこち眺めるのに忙しく、霊夢の視線には気付きそうもなかった。

「やあ、いらっしゃい」

妖怪の山には綺麗な川が流れている。
その川岸に居を構える河童・河城にとりが笑顔で一同を出迎えた。

「おや、夏なのに珍しいね」

一通り挨拶を済ませた所で、にとりがレティの姿を見て物珍しそうな表情。

「ええ、色々あってね。夏に活動するのは初めてだからちょっと暑いけど」

「川借りるぜ〜」

肩を竦めるレティと、水面を眺める魔理沙。

「ん〜、別に私の川ってワケじゃないんだけど……ま、遊ぶのは大歓迎さね。ゴミはちゃんと片付けること。
 お前さんもせっかくだし、思いっきり楽しんでいきな」

それからにとりはレティの肩をポン、と叩く。

「そういうワケだ、さあ入った入った!」

早くも靴を脱いだ魔理沙がレティ達を急かしつつ、川へザブザブ入っていく。

「うひ〜冷てえ!早くしないとマスタースパークで川の水あっためるぞ!」

「行こ、レティ!大ちゃんも早く!」

楽しそうな魔理沙を見て我慢出来なくなったチルノが靴を脱ぎ捨て、レティの手をグイグイと引っ張った。

「ちょ、ちょっと待って」

慌ててレティも靴を脱ぎ、チルノに手を引かれるまま川の中へ。
夏だというのに川の水はかなり冷たい。

「わっ、冷たい!」

「冬の妖怪が冷たさにビビってどうするんだよ」

魔理沙はそう言ってレティをからかう。するとチルノもそれに便乗し、

「そーだそーだ、だらしないぞレティ!それっ!」

鍛えてやると言わんばかりに両手で足元の水をすくって、レティに向けて浴びせ始める。

「きゃっ!?もう、チルノ!冷たいじゃない」

「はは、私も手伝ってやるぜ!」

魔理沙までレティに水をかけ始める始末。
二方向から水を浴びせられ、レティの服も大分濡れた部分が目立つ。

「ちょっと、冷た……こら、やめなさいって!こうなったら私も……」

一方的に浴びせられたとは言え楽しそうな様子のレティ。
反撃に移ろうとする彼女に、岸から声がかかる。

「ほれ、これ使いな!」

声の主はにとり。彼女は笑いながら何かをレティに向けて放った。
上手く受け取ったレティが見てみると、プラスチック製の水鉄砲。
彼女はそれを嬉々としてチルノへ向ける。

「ふふ、覚悟しなさい?」

「ぬ、飛び道具とはひきょーな……きゃっ!」

皆まで言わせず、見事顔に命中。顔を拭うチルノをよそに、続けてレティは銃口を魔理沙へ。

「丸腰の相手に銃を向けるとは、アレだな」

苦笑いの魔理沙。しかしレティは涼しい顔で微笑み一つ。

「正当防衛、と言ってくれるかしら」

「ものっそい過剰防衛じゃ……うわっ!」

やはり最後まで言わせない。噴き出した水がしっかり魔理沙の顔面を直撃した。

「うへ〜……口に入ったぞコラ!」

「運動してる最中だから水分補給よ」

してやったり、な顔のレティを見て、顎から水を滴らせた魔理沙が岸のにとりに声を張る。

「そこの河童〜!私にも火力支援求む!」

「あたいも!」

「はいよ〜」

にとりは笑って答え、先刻と同じように二人へ向けて水鉄砲を投げ渡した。

「これで対等だな!覚悟!」

即座に魔理沙はレティへ向けて水鉄砲を乱射し始める。それを見たレティも水鉄砲を撃ち返した。

「おっと、そんなんじゃ残機は減らないわよ?」

「水鉄砲もパワーだぜ!」

壮絶な銃撃戦を展開する二人をよそに、チルノは受け取った水鉄砲をいじっている。
彼女が持つ水鉄砲は、二人が持っている物より大型で、色々と装置が付いている。

「あれ、どう撃つのこれ?」

「あ、それは下についてるポンプを動かすんだ」

首を傾げるチルノに、にとりが助言。

「おっけ!レティ、かくご〜!」

するとチルノは猛烈な勢いでポンプを前後に動かし始める。
ガシャガシャと音を立てるチルノを見て、レティは若干焦った。

「なんか凄そうね、それ……」

「よしチルノ、思いっきりぶちかませ!」

魔理沙の言葉でピストンを止め、チルノは銃口をレティへ向けた。

「いくよ、『氷精のポロロッカ』!」

にとりのスペカ名をオマージュしつつ、嬉々としてチルノはトリガーを引く。
激しいポンプアクションで圧縮された水が一気に噴出し、レティに襲い掛かった―――が。

「おおっと!」

レティは寸前で見切り、体を屈めて鉄砲水のような射撃を回避。
彼女は岸を背にする形で立っていた。そして、その後ろには観戦に徹していた霊夢の姿が。

「えっ?」

目の前に迫る水流を目視した霊夢だったが、次の瞬間にはそれが顔面を直撃。

「きゃあ!!」

悲鳴を上げて大きく仰け反った霊夢は、倒れる寸前で何とか体勢を立て直す。
その水量はかなりのもので、川に入ってもいないのに霊夢の上半身はびしょ濡れ。
顔の端からぽたり、ぽたりと水を滴らせる霊夢は無言で射撃の主――― チルノを睨みつける。

「あわわ……ひょっとして霊夢、怒ってる……?」

何も言わない霊夢に顔を青くしたチルノ。
と、ここでにとりが霊夢に何かを手渡した。

「私の自信作!水は入れてあるからね」

頷いて霊夢はそれを受け取る。
彼女が受け取ったのは、にとりお手製のロケットランチャータイプ水鉄砲。巨大な銃口と長い砲身が、その威力を実際に見ずとも髣髴とさせる。
霊夢は黙って担ぎ上げ、銃口をチルノへ向ける。蛇に睨まれた蛙状態のチルノはフリーズ。
トリガーを引く寸前、霊夢はニヤリと笑った。

「―――よくもやってくれたわね。あんたも濡れ鼠になりなさいっ!!」

刹那、凄まじい勢いの水流がチルノの胸部に叩き込まれた。

「わあああっ!!」

直撃を受けたチルノはそのままの勢いで後ろに倒れ込む。
すぐに激しい水音が辺りに轟いた。噴き上がる水柱。

「うぅ〜……」

文字通り、頭からつま先まで水に濡れたチルノは起き上がろうとするが、服が水を吸って重く、思うように起き上がれない。
一連の流れを傍で見ていた魔理沙は大爆笑。

「あっはっはっはっは!!すげー吹っ飛んだな!あっはっはっは!」

「く、くくく……チルノったらびしょ濡れじゃない。ぷっ、くく……」

レティも表面上は平静を保とうとしているが、全然上手くいっていない。
だが、笑う二人に対して霊夢がぼそりと呟くように言った。

「さ、次はあんたらね……」

「あっはっは……え?」

聞きつけた魔理沙が彼女を向くか否かといったところで水ランチャー第二射。見事、魔理沙の腹部にクリーンヒットした。

「おわああっ!」

やはり同じように魔理沙も吹っ飛ばされ、水音を伴った水柱を吹き上げる結果に。

「ぐえぇ……すげー威力だなそれ。あっ、帽子!」

吹っ飛んだ拍子に落ち、流されてゆく帽子を慌てて追いかける魔理沙を尻目に、霊夢はレティへ銃口を向けた。
レティの頬を冷や汗が伝う。

「わ、私も……?」

「もちろん!元はと言えばあんたが避けたから当たったんだし」

ニッコリ笑って霊夢。レティはその場でホールドアップの体勢をとる。

「降伏は?」

「認めな〜い!喰らいなさい、『博麗の幻想大瀑布』ってね!」

再びオマージュし、サードインパクト。レティのその整った顔を、大量の水が打ちつけた。

「きゃああっ!!」

悲鳴と水音のコラボレーションが辺りに響き渡る。
川の中に座り込んだ形のレティに、チルノが笑顔で寄る。

「あはは、レティもびしょびしょだね」

水を滴らせる互いの顔を見つめる内に、何だか笑いがこみ上げてくる。

「ふふ、ほんとにね。チルノも凄いわよ」

「えへへ〜」

「ふへ〜、危うくアイデンティティを失う所だったぜ」

魔理沙も無事帽子を持って帰ってきた。
川の中で揃って濡れ鼠の三人を見た霊夢は、ちら、と横に視線を走らせる。
そこには、同じく観戦に徹していた為無傷の大妖精。

「あっ、えっ、えっと……」

彼女は未だ髪から水滴が落ちる霊夢と、川に漬かって楽しそうに笑いあう三人を交互に見た後、

「えっと、えっと……えいっ!」

―――川に身を投げた。
四度目の水音が響き渡り、大量の水飛沫が傍にいたチルノに降り注ぐ。

「わっ!大ちゃんもおそろいだね」

「う、うん……みんな濡れちゃってるし」

冷たい水にいきなり飛び込んで自分でも驚いている大妖精に、魔理沙が飛びかかった。

「へへ、歓迎するぜ!それっ!」

「え、魔理沙さ……きゃあ!」

魔理沙に突き飛ばされ、再び大妖精は頭まで水に漬かる羽目に。

「す、すごく冷たいです〜……」

「暑いから丁度いいだろ!次はお前だ!」

「なにをう!魔理沙が落ちろ〜!」

そのまま水飛沫を撒き散らして取っ組み合いを始める魔理沙とチルノ。川に座り込んだまま、声援を送るレティと大妖精。
それを岸から見つめていた霊夢の背後から、にとりが声を掛ける。

「楽しそうだねぇ」

「そうねぇ。たまには濡れる事なんか気にせず、ああやって思いっきり遊ぶのもいいわね」

「……時に霊夢。お前さん、上半身しか濡れてないじゃないかい」

「え?」

「どーん!!」

その発言に何かを感じ取った霊夢が振り向こうとした瞬間、にとりは霊夢を川へ突き飛ばした。

「きゃっ!?」

五度目の水柱。顔を振って水を飛ばし、霊夢は顔を上げた。

「ちょっと、何するのよ!」

するとにとりは、腰に手を当てて笑う。

「はっはっは!いいじゃないかい、お前さんも一緒に濡れちまえば」

「そうね、さっきのお返しをしようかしら」

見れば、さっきの水鉄砲を構えたレティ。
素早く霊夢は反応し、それを奪い取ろうと飛びかかる。

「なんの、させるか!」

「おっと、いつしかの弾幕は負けたけど……今度は譲らないわよ!」

そのままこちらでも取っ組み合い開始。激しく水飛沫を上げて転げまわる二人。
どっちを応援するべきか迷い、くるくる目を回していた大妖精は、ここで岸のにとりが何かを自分に向けているのに気付いた。
見れば、それは先刻霊夢が使用したランチャー。

「お前さん、未体験だろ?喰らっときなって」

「え、遠慮しま……」

有無を言わせないにとりの精密射撃が、大妖精の右肩に命中。

「きゃあああ!!」

直撃の勢いで倒れ込み、三度水柱を上げる羽目になった大妖精。
そして、にとりは軽くストレッチしてから声を張った。

「川は河童の庭だよ!私も混ぜろ〜!!」

そのまま彼女はランチャーを抱え、川へ飛び込む。


―――六人の水遊びの名を借りた大暴れにより、途切れない水音が暫くの間川岸に響き続ける事となった。


「や〜、疲れたね」

「久々に体張ったな〜」

「服びしょびしょだよ」

散々水遊びに興じた一同は、川岸で休憩。
全員揃って濡れ鼠状態だったが、魔理沙が出発前に、

『一応着替えがあった方がいいぞ、水辺だしな』

と言っていたのでほぼ全員着替え持参。にとりはすぐ傍に家があるので問題なしだった。だが、

「私、着替え無いんだけど……」

レティは今でこそ楽しんでいるが、元は半ば無理矢理連れてこられた立場の為着替えを持っていない。
夏と言えど濡れたままでは風邪を引く恐れもあるし、彼女はなるべくチルノから冷気を受けていなければいけない立場上、服が乾くのも時間がかかりそうだ。

「そうだね、私の服で良ければ貸そうか?」

「え、悪くないかしら」

にとりの申し出にレティは申し訳無さそうな顔をしたが、

「何言ってんだい、水臭い。一緒に遊んでくれたんだから、それくらいさせとくれよ」

けらけらとにとりが笑うので、好意に甘える事に。
そこでにとりは一旦家に戻り、服を持って来た。だが―――

「なにこれ?」

チルノがそう言うのも無理は無い。にとりが持って来た服は透明で、コートのような形状をしている。
するとにとりは得意気に説明を始めた。

「ふふん。これは私の発明で、来た者の普段の服装を投影して形作ってくれる特殊なスーツなのさ。ま、着替えてきな。すぐ分かるよ」

にとりがそう言うので、レティはその服を持ってにとりの家へ。
数分後、帰ってきたレティは―――

「あれ、同じ服?」

大妖精の言葉通り、見た目はいつもの服。

「濡れてないぜ。さっきのじゃないみたいだ」

しかし魔理沙が袖を触ってみると乾いている。そのスーツの効果は確かなものだった。

「ありがとう、すごい発明ね」

感心したレティに褒められ、にとりは胸を張る。

「こんな事もあろうかと作っておいたのさ」

そのまま全員濡れた服を着替え、にとりに見送られて妖怪の山を後にした。
続いて一同は人里を目指す。

「せっかくだし、カキ氷でも食べに行くか。うまい店知ってるんだ」

という魔理沙の提案を受けての事だ。
暫く歩き続けてようやく人里へ辿り着いた一行。炎天下の下での行軍だった為、喉が渇いてしょうがない。

「口の中が早くもカキ氷味だぜ」

「それってただの水じゃない?」

そんな会話をしつつも足早にお目当ての店を目指す。
すると突然、

「げっ!」

レティの横を歩いていたチルノが声を上げたかと思うと、彼女の後ろに隠れようとした。

「どうしたの?」

不審に思ったレティが訪ねると、チルノは声を潜め、

「……あそこ。見つかったらちょっとマズいんだ」

そう呟いて通りの向こうを指差した。
彼女の指差す先には、行きかう人々に混じってバインダーノートを抱えた寺子屋教師・上白沢慧音の姿。

「何で見つかったらいけないんだ?」

魔理沙が訪ねたが、その質問は必要無かった。通りの向こうの慧音が、こちらに気付いたからだ。

「おっ、奇遇だな。お揃いで何してるんだ?珍しい顔もいるようだが……」

早速寄って来て、にこやかに話しかける慧音。チルノは尚もレティの背に隠れようとしていたが、

「……チルノ、羽が見えている。隠れようとしても無駄だぞ」

慧音に指摘され、ばつの悪そうな顔をして姿を現した。
慧音もまたレティがいる理由を聞きたがったので魔理沙が説明。
それを聞いて一通り感心した所で、彼女はチルノに訪ねる。

「時にチルノ。宿題はちゃんとやっているか?」

「うげげっ!」

一気に顔色が悪くなる彼女の様子を見て、慧音はふぅ、とため息。

「私もそれなりに長いこと生きてきたが……うげげ、なんて人に言われたのは初めてだぞ」

「宿題って何ですか?」

大妖精が手を上げて質問すると、慧音は持っていたバインダーを開いて見せた。

「寺子屋の子供達に出した夏休みの宿題の一部を、チルノに持たせたんだ。
 以前授業の様子を窓から覗いていた事があってな。学びたいと思う者は拒まないさ」

うんうんと頷きながら話す慧音に、魔理沙が呟く。

「それって、勉強意欲じゃなくて単なる興味本位だったんじゃ」

「……言わないでくれ」

薄々気付いてはいるらしい。慧音は軽く頭を抱えた。

「で、どうなの?」

霊夢がチルノに訪ねると、

「う〜……あんまりできてない」

ションボリ顔のチルノ。
その様子を見て慧音はフォローを入れようとする。

「大切なのは解こうとする姿勢だ。回答如何はともかく、きちんと取り組んでいる事を私は評価するぞ」

それを聞いてチルノの表情も少し明るくなった所で、レティが彼女に尋ねた。

「宿題ってどんなの?ちょっと見せてくれるかしら」

「私が今同じものを持っているぞ。ほら」

慧音が代わりに答え、持っていたバインダーからプリントを一枚取り出した。
レティがそれを受け取り、一同が彼女を取り囲むような形でプリントを覗き込む。

「算数なのね」

「ふむふむ。基本的な四則計算に、小数、分数なんかの応用か……」

「四桁の掛け算とか結構難しいわね」

宿題の内容は算数。小学校中〜高学年レベルの計算問題だ。

「どこまで出来てるんだ?」

魔理沙が訪ねると、チルノは少し考えた末に、

「ん〜、ちょっと待ってて。あたいの家こっから近いからとってくるよ」

そう言って飛ぼうとするので、慧音が声を掛けた。

「じゃあ、寺子屋に来てくれ。先に皆で行っているから」

―――かくして、急遽チルノの宿題をやっつける事となった。

「お。思ったより出来てるな」

「思ったよりって、失礼ね!」

持って来たプリントを見ての魔理沙の発言に頬を膨らませるチルノ。
場所は寺子屋の教室。夏休みなので生徒の姿は無い。

「二桁程度の四則計算は問題無いようだな、よく頑張った。問題は三桁以降、特に四桁の掛け算、割り算か……」

プリントを見て慧音。チルノもそれに頷いた。

「うん。桁が増えると頭がごちゃごちゃしちゃって、全然答えがまとまらないんだ」

「とりあえず、試しに解いてみてくれるか?」

慧音の言葉にチルノは再び頷く。慧音は机から鉛筆と消しゴムを取り出して彼女に渡した。
鉛筆を握り、着席してプリントと向かい合ったチルノは、ひたすらに考え始めた。
数分経っても全く動かないチルノの手元を見て、慧音が尋ねた。

「チルノ、筆算はしないのか?」

すると、彼女に顔を向けたチルノはキョトンとした表情。

「ひっさん……て、なーに?」

「え、知らないのか」

「うん」

筆算を知らずに今までの計算を解いたらしいチルノ。

「てことは今までの問題は全部、暗算なのか?」

慧音が再び尋ね、

「暗算ってのは、頭の中で考えて計算問題を解く事よ」

レティがフォロー。暗算の意味を理解したチルノは元気よく頷いた。

「三桁の四則計算の半分を、暗算……」

「逆に凄いかもね」

肩を竦める霊夢。一方で、慧音は頭を抱えてしまう。

「しまった、チルノはうちの生徒じゃなかった……教えてないんだから知らなくて当然だ。すまない、チルノ」

「まあまあ、仕方ないわよ。それよりチルノ、筆算なら私が教えようか?」

教師としてのミスで落ち込む慧音の背中を励ますようにさすりながらレティ。

「うん、お願い」

チルノがまたも頷いたので、レティは彼女の横に着席し、筆算の方法を教え始めた。

「じゃあとりあえず、掛け算の筆算からね。まず、計算式をこうして縦に並べて……それで……」

「ふむふむ」

「で、こことここを掛け算して、次に……」

手取り足取り筆算のやり方を教えていくレティと、頷きながら言われた通りに計算を進めていくチルノ。
手持ち無沙汰になった残りのメンバーは教室を歩き回ってみたり、窓から外を眺めてみたり。

「で、最後にこれを足すと……ほら、出来た!」

「わっ、すごい!見て見てみんな、あたい解けたよ!」

教えの甲斐あって実際に問題が解けたらしいチルノは、興奮して皆にプリントを見せて回る。
慧音も解いたばかりの問題を見て、満足そうな笑み。

「うん、正解だ。凄いじゃないか」

「ありがとう!でも、後は分数とかよくわからないんだけど」

「じゃ、また私が教えるわ。いらっしゃい、チルノ」

再びチルノはレティの横へ。それを見た慧音は何故かふらりと外へ。

「分数は図にすると分かりやすいわ。ホールケーキのイメージで、これを二等分した内の一つ、これが1/2」

「おお〜、なるほど」

「で、三等分した一つなら1/3ね。二つなら2/3、三つ全部なら3/3で、1。分数なんかの計算は1が基準になる事が多いから、覚えておくといいわね」

イメージし易い丁寧な解説を交えて教えるレティに、チルノもきちんと理解できている模様。
それから一時間が経過したが、レティはそのままの勢いでさらに小数の計算方法まで教えていた。

「―――で、筆算の場合も小数点をずらすだけで、後は普通の計算と変わらないのよ」

「ホントだ、すごい!」

と、問題が解けて盛り上がる二人の前に、コトリ、と音を立てて何かが置かれた。
見やれば、それはそれは冷たそうな大盛りのカキ氷が二つ。そして、机越しに慧音が笑っていた。

「頑張っているな。これは私からだ、遠慮せずに食べなさい」

どうやら、魔理沙が連れて行くつもりだった店で買ってきたらしい。

「あら、ありがとう。それじゃ、遠慮なく……」

「ありがとう、いただきま〜す!」

慧音にお礼を言う二人だったが、チルノは早くもブルーハワイのカキ氷の器とスプーンを引っ掴み、猛然と口の中へ押し込むように食べ始める。
だが数秒の後、彼女は頭を抱えてうずくまった。

「んあ〜……頭いた〜い……」

「急いで食べるからだ。カキ氷は逃げない」

「夏の風物詩だ、我慢しろって」

苦笑いの慧音と、先日チルノに言われた事をそのまま返す魔理沙。
ここで、チルノのプリントに視線を落とした慧音がスプーンをくわえるレティに尋ねる。

「凄いな、全問正解だ。レティが教えたのか?」

「ええ、そうよ。もっとも、解き方というか方法を教えただけで、実際にやったのはチルノ」

「そうだよ、すごいんだから!レティの説明は本当にわかりやすくて、まるで先生みたい!」

宿題がほぼ片付いた上に美味しいカキ氷を食べるチルノはご満悦の表情でレティを褒めちぎる。
それを聞いたレティは照れくさくて顔を赤らめたが、慧音は少し微妙な表情。

「どうしたの?」

レティが尋ねると、慧音はまたしても頭を抱えた。

「生徒が問題をきちんと解いた事を喜ぶより、現役教師としてのプライドが傷ついたと先に感じてしまった。そんな自分に自己嫌悪中だ……」

確かに現役教師としては、目の前で生徒に代打教師が『先生みたい!』と絶賛されるのはいささか微妙な気分になるだろう。
しかし、慧音はすぐに明るい表情に戻った。

「まあ、そんな小さなことは気にしない。よく頑張ったな、チルノ。えらいぞ。レティもありがとうな」

「いえいえ、そんな」

「んふふ〜」

頭を下げる慧音にレティは手を振って謙遜。チルノは褒められて嬉しいのか、スプーンをくわえてはにかんだ笑顔。
と、ここで魔理沙がキラキラした目で慧音ににじり寄る。

「せ・ん・せ♪ 私の分のカキ氷は?」

「自分で行って来い」

慧音は即座にバッサリ切り捨てた。魔理沙は肩を落としながらふらふらと外へ出て行く。
それを見送ってから、彼女は霊夢と大妖精に声を掛けた。

「ま、本当はあるんだがな。さ、食べなさい」

言いながら慧音はさらに四つのカキ氷を机の下から取り出した。

「本当?勉強したワケじゃないのに、何だか悪いわね」

「いただきます!」

早速受け取って食べようとする二人。慧音も自分の分を手に取ったその時、窓の外から大声。

「なんか怪しいと思ったら、やっぱり!!私にもよこせ!!」

魔理沙がこちらをうらめしそうな表情で覗いていた。
そんな彼女の様子に、慧音は苦笑いで答える。

「わかったわかった、悪かったよ。ただ、ヨダレは拭いてから来ることだ」

そうこうしている内に、辺りはすっかり茜色。

「何だか騒がしいな」

魔理沙が窓の外を見ると、明らかに普段より多い人通り。

「ああ、今日は縁日があるんだ。せっかく来たんだし、楽しんでいくといい」

慧音がそう言うので、一同は外へ。
寺子屋から一歩出ると、通りのそこここに屋台や出店が立ち並び、夏祭りムード一色。

「夏と言えば祭りだよな〜」

風よりも速く購入してきた綿菓子をくわえながら魔理沙。

「あ、おいしそう!あたいも食べる!」

チルノはそう言うなり魔理沙の綿菓子に反対側から思いっきりかぶりつく。

「うおっ、そんなに食うな!返せ〜!」

「もう、チルノったら。私が買ってあげるわよ」

一口で1/3をもっていかれた魔理沙はチルノの口を抉じ開けようとする。
レティが魔理沙からチルノを引き剥がして苦笑い一つ浮かべた所で、

「相変らずだねぇ、お前さんら。見てて飽きないよ」

急に声がかかり、振り返ればそこには昼間一緒に遊んだにとりの姿。何やら出店を経営している模様。

「何売ってるんですか?」

店の前に集まった所で大妖精が質問。

「見ての通り、河童お手製の花火さね。夏と言えば花火だろ?」

確かに、店には色とりどりにして大小さまざまな花火がこれでもかと並んでいる。

「売れてる?」

その内の一つを手に取りながら霊夢が尋ねると、にとりは笑って頷いた。

「おかげさまでね。お前さん達も良かったら買ってっておくれよ。冬じゃ花火なんてそう出来ないだろうし」

台詞の後半はレティを向きながら。
それに頷き、一同は花火を物色し始める。

「爆竹にねずみ花火、かんしゃく玉……かなり多種多様ね」

「ロケット花火もあるよ」

「とりあえず普通の買いましょうよ。変り種はその後で……」

そんな会話を交わしつつ、花火を見繕っていく。
そこで、にとりが棚の隅に置かれていたどデカイ球状の物体を持ってくる。

「三尺玉もあるよ。どうだい霊夢、博麗神社から思いっきりぶち上げてみないかい?」

「やめとく。下手したら神社が焼き討ち状態になっちゃうわ」

「てか、三尺玉なんて個人で買う奴いんのかよ」

丁重に断る霊夢。魔理沙が苦笑したその時、彼女達の後ろから新たな来客。

「よっ、賑わってるね」

「あっ、出たなオンバシラ!」

魔理沙の言葉通り、守矢神社より八坂神奈子来襲。

「あんたも花火を?」

「そそ。夏と言えば花火、花火と言えば夏。早苗たちが待ってるから、早く買ってかないとね」

霊夢の言葉に頷き、神奈子はひょいひょいと花火を手にとっていく。
そして締めと言わんばかりに、にとりが先刻持って来た三尺玉を指差した。

「それもちょうだい」

「まいど!」

「うわ、買う奴いた!!」

驚く魔理沙に、神奈子はけらけら笑ってみせる。

「せっかくだからね。私のこの特製打ち上げ筒『オンバシラ・キャノン』で思いっきり打ち上げるのさ」

言いながら彼女は、オンバシラそっくりの打ち上げ筒を取り出す。

「本当に豪快な神様ですこと」

「持ってきてるあたりが、なぁ」

霊夢と魔理沙は顔を見合わせて苦笑い。

「か〜なこ〜。花火買った〜?」

ここで二柱の片割れ・洩矢諏訪子も現れた。彼女は両手いっぱいにたこ焼き・焼きそば・綿菓子etc……と食べ物を抱えている。
それを見て神奈子も頷き、一同を向いた。

「ばっちりばっちり。んじゃ、今夜守矢神社から思いっきり打ち上げるんで、良かったら見ておくれ」

代金をにとりに支払ってそう言い残すと、神奈子は三尺玉を担ぎ上げて帰って行った。諏訪子がそれについて行く。
そのあまりに男気溢れる光景に暫しポカーン状態の一同だったが、不意に魔理沙が叫ぶ。

「わ、私も負けてられっか!!それ、私にもくれ!」

魔理沙が指差したのは二尺玉。三尺玉より若干小さいが、それでもかなりデカイ。

「いいけど、打ち上げ筒なんてある?」

にとりが尋ねると、魔理沙はポケットから八卦炉を取り出した。

「私の秘儀『打ち上げマスパ花火』で思いっきりぶち上げる!!」

「やめなさい、その場で大爆発がオチよ」

「やるなら私達から1kmくらい離れた、周囲に人気と家屋のない場所でお願いね」

霊夢とレティの冷静な忠告に、魔理沙はションボリして八卦炉をしまうのだった。

やがて、夏祭り会場にも夜の帳が下りる。
レティご一行はというと、花火購入後も会場のあちこちを歩き回った。
鰻の蒲焼を売るミスティアやプリズムリバー三姉妹の夏祭りライブなど知り合いの姿も多いが、個性的な面子揃いなので会場でも目立ってしょうがない。
歩くだけで周囲の食料品が消える幽々子、にとりの花火屋接近禁止令を出された妹紅、『シロップは血で』と注文してカキ氷屋店主を困らせたレミリアetc。
他にも鰻の骨が喉に刺さったり、たこ焼きのラスト一個を地面に落として涙したりと(主にチルノに)色々あったが夏祭りをこの上なく満喫した一同。
五人は会場を後にし、博麗神社へ向かった。にとりから買った花火を楽しむ為だ。
この日は風も無く、花火をするには最適な気候。

「ろうそく点けたぞ〜」

神社到着後、魔理沙がろうそくを地面に固定し、火を点けた。

「よっしゃー!まずはあたい!」

購入した花火から一本抜き取り、嬉々として点火するチルノ。
すぐにオレンジ色の炎が先端から噴射し、チルノは歓声を上げた。

「わっ、わっ!点いたよ、見て見て!」

楽しそうな彼女の様子を見て、レティも同じ花火を手に取る。

「話には聞いてたけど、実際にやるのは初めてね……えっと、こう?」

やや恐る恐るといった体で花火の先端を火にかざすレティ。
程無くして、こちらの花火からもピンク色の炎が噴き出る。

「おお〜……」

初めての花火に感動したらしいレティは、ぼんやりと花火を見つめている。

「んじゃ、私もやろうかな」

霊夢と大妖精も思い思いの花火を取り出して点火。カラフルな光が神社を照らし出す。
最初こそ、そんな和やかなムードで始まったミニ花火大会だったが、

「よ〜し……そろそろアレ、いくか!」

魔理沙がニヤリと笑いながら取り出したのはロケット花火。空気を変えるのはいつだって彼女の仕事だ。
通常は瓶なんかに固定する物だが、なんと魔理沙は手に持って火をつける。

「ちょっ、危ないですよ……」

心配した大妖精が声を掛けるが華麗にスルー、彼女はロケット花火をチルノへ向ける。

「昼間の続きだ!チルノ、覚悟!!」

言い終わると同時に、鋭い音を立てて花火が発射された。

「うわっ!」

慌ててチルノは横へ回避、ロケット花火は外れて神社の石段の向こうへ。

「ちぇ、外れたか」

「危ないじゃない、魔理沙のバカー!!あたい怒ったもん!!」

本気で怖かったらしく涙目のチルノは、包みからねずみ花火を三つ取り出して同時に点火。

「ちょっとチルノちゃん、三つなんて危ないって!」

「いいの!魔理沙、かくごしなさ〜い!!うりゃ!」

大妖精の忠告も聞き流し、彼女は魔理沙に向かってねずみ花火をブン投げる。
花火は着地と同時に火を噴き、猛烈に回転しながら疾走し始めた。

「うわっ、危ねえ!!」

足元に来た花火をジャンプで避け、魔理沙もねずみ花火を手に取る。

「こんにゃろ、お前も踊れ!!」

花火が近くに来ない事を確認し、点火。こちらは何と五個。
魔理沙は軽く火花を噴くねずみ花火をチルノに向けて放った。


パァン!


最初にチルノが投げた花火が破裂し、爆音が夜の神社に木霊する。

「きゃっ!」

見ていた大妖精のそばで破裂したらしく、小さな悲鳴。
だがそれにも構わず、二人の花火合戦は続く。
手榴弾の如く爆竹を足元へ投げたり、かんしゃく玉をばら撒いたり―――

「止めないの?」

「あなたこそ」

離れた場所で傍観する霊夢とレティ。
その視線の先には、何だかんだで楽しそうな魔理沙とチルノ、そしてとばっちりを受けて逃げ惑う大妖精。

「何だか弾幕みたいで楽しくなってきたな!」

「被弾した方が今度カキ氷おごりね!」

「二人とも、危な……うわっ!」

口々に言いながら花火で交戦、そして必死で逃げる三人の様子に、二人の顔に思わず笑みがこぼれる。

「まあ、神社に被害が出ないならいいんじゃないかしら」

「私も、チルノが冬以外でもあんなに楽しそうにしてると分かって安心したわ」

そう言って笑いあう二人だったが、ふと見ると魔理沙達の様子がおかしい。

「次はロケット花火で的当て勝負だ!」

「よーし、負けないかんね!」

紙で作った的に向けてロケット花火を撃つらしいが、その的を何と神社の賽銭箱に貼り付けていた。
このままでは神社の生命線とも言える賽銭箱が炎上してしまう恐れが。

「れ、霊夢さん……早く止めないと……」

自分の手に余ると判断したらしい大妖精からのSOSコールを受け、霊夢は走り出した。

「くぉらー!!!何やってんじゃこの大ボケ共がぁぁぁあ!!」

鬼のような形相で迫り来る霊夢を見た二人は慌てて逃げ出した。

「うわ〜、賽銭魔人だ!」

「捕まったら賽銭箱に放り込まれるぞ!」

「悪霊退散!!」

逃げながら二人は手にしたロケット花火を霊夢へ向けて撃ち込む始末。
発射された花火は霊夢の足元に着弾、激しい火花と爆音を伴って炸裂した。

「きゃっ!?……もう怒ったわよ、あんたらも花火のように散らしてやるから覚悟しなさいっ!!」

霊夢はそう叫ぶなり、手持ち花火を両手に五本ずつ、計十本持って点火した。
炎の滝とも呼べる激しい噴射を手に、霊夢は猛然と魔理沙達を追い回す。

「うわわわわっ!!霊夢、本気かよ!?」

「本気も嘘気もあるかっ!待ちなさい!!」

「レティ、大ちゃん!!助けてぇぇ!!!」

助けを求められた二人だったが、そのまま傍観。”自業自得”という熟語がこれほど似合うシチュエーションもそうないだろう。
このバイオレンスな花火大会は、神社をまるで昼間のように明るく照らし出した。

霊夢からのお説教の後に再開された花火大会も、終盤を迎えていた。

「最後はやっぱりこれで締めようぜ!」

そう言って魔理沙が取り出したのは、線香花火。人数分、ピッタリ五本ある。

「そう言えば昔は、誰の花火が最後まで残るかよく競争したっけなぁ……」

しみじみと呟く霊夢に、魔理沙は線香花火を差し出す。

「つーわけで、競争だな。誰の花火が最後まで残るか!」

全員に配り終えた所でろうそくを囲むように終結、一斉に点火した。
最初はチリチリと燃えるだけだった花火の先端が、徐々に球形にまとまっていく。

「かわいい花火ね」

「さっきまでのが強烈すぎたのよ」

レティの率直な感想に、霊夢は肩を竦めた。
球を形作った線香花火は、やがてバチバチと軽快な音を立ててスパーク。

「ほらほら、こっからが勝負どころだぞ……」

次第に大きくなる火花を見つめて、魔理沙は楽しそうな笑みを浮かべる。
と、その時―――


―――パチン!


響き渡る炸裂音、暗くなる魔理沙の周辺。

「あ、あっけねー……」

肩を落とす魔理沙。言いだしっぺが真っ先に脱落してしまった。

「どんなに咲き誇ろうと、散るのは一瞬……『花のような火』と書いて”花火”とはよく言ったものね」

「ちぇ、上手くまとめやがって」

クスクスと笑うレティに、魔理沙は唇を尖らせた。
そうこうしている間に、それぞれが手にする線香花火も大分おとなしくなった。
先端の球も小さくなり、いつ落ちてもおかしくない。

「あっ、落ちちゃった」

その時、大妖精の花火が消滅。これで残り三人だ。
花火から絶え間無く聞こえていた音も聞こえなくなり、目に見えて小さくなる花火に妙な緊張感が漂う。

「む、消えた……」

とうとう霊夢の花火も消え、残るはチルノとレティのみ。

「こんなに長いの、あたい初めてかも……」

「そ、そうなの?」

興奮気味なチルノと、それを聞いて緊張するレティ。
通常の線香花火よりもかなり長い時間燃え続ける二人の花火。
一同が固唾を呑んで、二人の線香花火を見守る。一秒一秒が、やけに長い。
そして、ついに―――


「あ―――」


花火が、消えた。


「あ〜あ、負けちゃった」

残念そうに呟いたのは、チルノだった。

「冬の妖怪が夏の風物詩で優勝とはこれいかに……ま、おめでとさん」

未だ燃え続けるレティの線香花火。パチパチとささやかな拍手に包まれて、レティは顔を赤らめる。

「あ、ありがとう。夏とは対極の存在なのに、何だか悪い気がするわね」

「―――夏だからじゃないかしら」

「え?」

レティが顔を上げると、霊夢が彼女に笑顔を向けていた。

「本来は相見えるはずのない、夏と冬。でも、今日は”夏”という季節と、”冬”の妖怪が出会った。
 とても珍しいお客さんだもの、夏の神様の粋な計らい……って所じゃないかしら?」

霊夢の言葉で、レティは手元を見る。いつの間にか消えてしまった線香花火。
それがなんだか、”夏”という季節からの贈り物に思えて、彼女はそれを思わずそっと握り締める。
一方で、魔理沙は霊夢の顔を凝視。

「……な、何よ」

じっと見つめられて、たじろぐ霊夢。すると魔理沙はニヤニヤと笑ってから、口を開いた。

「霊夢……お前って結構、ロマンチストなんだな」

「なっ……!?」

瞬間、霊夢はまるで沸騰するが如く顔を真っ赤にした。

「な、な、何言ってるのよ急に!だって、秋の神様がいるんだから夏の神様がいたっておかしくは……」

あたふたとして弁明しようとする霊夢に対して、魔理沙はからかうように手をヒラヒラと振る。

「はいはい、そういう事にしとくぜ。そんなお前も素敵だとは思うがな〜、なんてな」

「う、う、うるさいっ!魔理沙ぁ〜!!!」

恥ずかしさ極まった霊夢は逃げようとする魔理沙を追い回した。
その様子を見てクスクスと笑いながら、大妖精は足元のゴミを拾い集める。

「後片付けは私に任せて、ね」

それを手伝おうとしたレティの背後から、不意に声が掛かった。

「レティ。一ついいかな?」

チルノだった。

「何よ、急に改まって。言ってごらんなさいな」

「うん……あの、さ」

それからチルノは上目遣いにレティの顔を見つめ、口を開いた。

「レティさ……楽しかった?その……夏」

霊夢の話を聞いたチルノは、気になった。夏とは真逆の存在と言えるレティが、この”夏”という季節を楽しんでくれたのか。
夏が大好きだからこそ、不安だった。
しかしレティは、そんなチルノの不安を見透かしたが如く、ニッコリ笑って答えた。

 

「ええ……とっても楽しかったわ」

 

それがレティの、正直な気持ちだった。たった一日だけれど、本当に素敵な思い出が出来た。
それを聞き、途端に表情が和らぐチルノ。
レティは、それから辺りを見渡す。
顔を真っ赤にしながら魔理沙を追いかける霊夢と、笑いながら逃げる魔理沙。
そんな二人の様子を楽しそうに眺めつつ、花火のゴミをせっせと片付ける大妖精。
そして、目の前でニコニコ笑うチルノと目が合った。と、その時―――

 

―――ヒュルルルルル……

 


突如響き渡る笛の音色のような音に、ハッと空を見上げるレティ。

「おい、あれ!」

魔理沙が指差す先、遠くに見える妖怪の山の頂上から、一筋の光が上っていくのが見えた。
一同の頭に、夕刻の光景が蘇る。


『今夜守矢神社から思いっきり打ち上げるんで、良かったら見ておくれ』


光はどんどん上っていき、そして―――

 

ド ン !!

 

―――爆音を伴い、夜空に大輪の花が咲いた。
幻想郷の最果てからでも見えそうな程巨大で、美しい花火。

「きれい……」

ぽつり、と大妖精が呟いた。たった一発きりだったが、見る人々の心を魅了するには十分だった。

「まったく、神様のやる事はスケールが段違いね」

呆れ半分、といった様子で霊夢が言うが、その顔はどこか嬉しそうだ。
消えゆく花火を眺めながら、レティはチルノの頭をそっと撫で、呟く。

「素敵な季節ね……夏って」

それを聞いたチルノは、笑顔で何度も頷いた。

日付も変わる時刻になっても、一同は神社にいた。ただ、そこにはもう一人―――

「ふああぁ……ねむいわぁ」

明らかに眠そうな紫の姿があった。
そう。冬の妖怪が、在るべき場所に帰る時が来たのだ。

「もう行っちゃうの……?」

寂しそうなチルノに、魔理沙は頭をかきながら答える。

「ああ……いくら冷気で補っているとは言え、冬の妖怪にとって夏の気候は害にしかならない。
 お前の頑張りで今日一日過ごす事は出来たが、これ以上はあいつの負担が大きい。仕方ないんだ」

言い聞かせるような語調に、チルノはゆるりと頷く。
それを見たレティは、ばつの悪そうな顔。

「うう、そんな顔しないでよ。また冬に会えるんだからさ、ね?」

するとチルノは気合を入れ直すように頭をぶんぶんと振って、もう一度元気に頷いた。
その顔を見たレティは安心したように、ふぅ、と息をつく。

「んじゃ、送るわね。忘れ物はな〜い?」

「大丈夫よ、お願い」

「はいは〜い」

会話の後、紫がさっ、と手を振ると空間に裂け目が出現。
それに入ろうとする直前、レティは再び一同を向く。

「みんな、今日はありがとう。本当に楽しかった。
 冬の妖怪のくせに、夏が好きになるなんておかしいかもしれないけど、それもあなたたちのおかげ」

そこで言葉を切り、レティは魔理沙の目を見る。

「冬になったら、今度は私が冬の良さを教えてあげるわね」

「楽しみにしてるぜ……とは言いたいが、残念ながら私は冬も既に好きだぜ」

「じゃあ、今よりもっと好きにしてみせるわ」

次に彼女は霊夢を向く。

「今日のバトルの続きは冬にね。雪合戦とかで決着をつけない?」

「どう考えてもあんたの独壇場だけど……いいわ、待ってる」

肩を竦める霊夢に笑って頷き、レティが次に見たのは大妖精。

「チルノのこと、宜しくね。この暑さだと、遊びすぎて溶けちゃうかもしれないから」

「う、うん。熱中症にならないようにちゃんと止めるよ」

そして、彼女はチルノに視線を向けた。

「今日一日、あなたのおかげで私は本来存在することの許されない”夏”を楽しむ事が出来た。
 この事を、私は生涯忘れない。チルノ、本当にありがとう」

照れくさそうに視線を逸らすチルノを見て微笑み、レティは最後に声を張った。

 

「それじゃあみんな、また冬に会いましょう!!」

 

―――夏でも霧のかかる湖のほとり。
突っ立って水面を見つめ、チルノは何度目かわからないため息をつく。

「レティ……」

分かっていても、寂しかった。
たった一日だけでも夏に一緒に過ごせた事を喜ぶべきだと。
しかし今となっては、二度目の別れが余計に寂しさを増幅させる。
照りつける太陽も、今は雲に隠れている。ゆらめく水面に、レティの顔が浮かんでは消え―――

 

「どーん!!」

 

「きゃああああっ!!?」

悲鳴と同時に、激しい水音が轟いた。
何が起こったか分からなかったチルノは、急に襲い来る冷たさで事実を知る。
自分は、湖に突き落とされたのだと。

「ぷはっ!な、な、な……」

「あっはっはっはっは!!突っ立ってたら、落としてくれって言ってるようなもんだぜ?あっはっはっは!!」

見上げれば、岸に腹を抱えて笑い転げる魔理沙の姿があった。

「ま、ま、まりさぁぁぁぁ!!」

湖の水面から飛び上がり、チルノは思いっきり魔理沙を睨みつける。だが―――

「あっはっは……ふぅ。そうやって怒ってる方がお前らしいよ。しょげるなんてガラじゃねえ」

ニヤリと笑って魔理沙が言うので、チルノの怒りはしゅるしゅると収束してしまった。

「な、何の用よ」

スカートの裾を絞って水を出しながら尋ねると、魔理沙は足元の紙袋を持ち上げた。

「昨日のこれを、河童に返しに行く途中だったのさ」

袋の中には、レティが拝借したあのスーツ。帰る前に乾いた元の服と着替えていたのだ。

「じゃあ、何であたいを……」

「ん〜、昨日の続きかな?どうせ暇なんだろ、一緒に行かないか?」

「また川に?」

すると魔理沙は笑って頷く。

「ああ。もう何人かに声をかけてある。大ちゃんもな。今日の川辺もまた大戦争だぜ?」

チルノは一瞬思案し、元気に手を上げた。

「じゃあ、あたいも行く!!」

「おう、それでこそチルノだな。んじゃ……」

そこで魔理沙は言葉を切って、ポケットをごそごそ探る。
その行為の意図が読めずに首を傾げるチルノだったが、次の瞬間、魔理沙が何かを取り出した。

「――― 先制攻撃だぜっ!!!」

彼女が持っていたのは、水鉄砲。それも、大型で威力が高いタイプだ。
チルノが驚く間も無く、凄まじい水流の一撃が彼女の顔に襲い掛かった。

「ぶわっ!!」

顔面で直撃を受けたチルノが慌てて顔を拭って目を開けると、魔理沙は走って逃げ出す所だった。

「ま……まりさぁぁぁぁぁ!!!待てぇぇぇぇぇ!!!」

「もう戦いは始まってるんだぜ!ここまでおいで〜っ!!」

チルノは猛然と、魔理沙の背中を追いかけ始めた。

 

その時、雲に隠れていた太陽が再び姿を現した。
強い日差しが、誰もいなくなった湖の湖面に反射してキラキラと輝く。
吹く風が木々を揺らし、夏のにおいを運んでくる。
何度目のリサイタルか分からない、蝉の大合唱。見上げれば入道雲。

 

―――夏はまだ、終わらない。


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