ドアを開けた瞬間、鼻をくすぐったのはジューシーなお肉の香りであった。
普段はかび臭い事この上ない筈の大図書館。しかし今は、お肉とダシの芳香が漂うステキ空間へと変貌している。
漂う匂いは違えど、相変らず埃っぽい本棚の間を通りつつ、レミリア・スカーレットは親友の姿を探す。

「もう、パチェったらどこにいるのよ。呼んでおいて探させるなんて」

「いつものテーブル」

十時の方向から返事が返って来た。分かり辛いナビゲートだこと、などと一人ごちてからレミリアは声の方向へ。
進めば進むほど食欲を刺激する匂いは強くなり、小食であるレミリアの腹の虫も目を覚ます。

(いったい、何を始めるのかしら)

彼女を呼びつけた張本人―――パチュリー・ノーレッジは魔術師である。
普段は図書館で本ばかり読んでいるが、たまにヘンテコな発明やら実験やらを行っているらしい。
今回もまたその類か、などと考えながら、彼女はパチュリーが普段本を読んでいる大き目のテーブルがある空間へ。
するとそこには―――

「……何してるの?」

「お嬢様、しっ!」

己の脳が下した命令に忠実に従い、疑問を口にしたレミリアを、司書見習いの小悪魔が唇に人差し指を当てて制した。
疑問を呈するのも当然であろう。彼女を呼びつけたパチュリーはテーブルで本を読んでいるでもなく、真っ赤な大きい布を両手で広げて何やら精神を集中させている。
そんな彼女の目の前には大きな黄色い箱、その上にはほかほかと湯気を立てる丼が、三つ。
輝く黄金色と、漂うお肉の香り。レミリアは一瞬で、それが全てカツ丼であると見抜いた。吸血鬼の眼力恐るべし。

「……はっ!」

突然声を上げたパチュリーは、手にした布をカツ丼がonした箱に被せる。すっぽりと覆えるサイズだった。
それから、ぐっ、とためを作って再び口を開く。

「ワン……ツー……」

ごくり、と音がしたのでレミリアが横を見ると、小悪魔は固唾を呑んでそのどこか滑稽にも見える光景を見守っていた。
首を傾げるレミリアをよそに、パチュリーは息を吐き、勢い良く布を取り去った。

「スリー!」

布が無くなって再び見えるようになった箱。しかし、上に乗っていたカツ丼三つはどこにも無い。
正確には、空っぽの丼を残して中身は綺麗さっぱり、どこかへ消えてしまった。手品は成功、と言えるだろう。

「さすがです、パチュリー様!」

ぱちぱち、と小悪魔が拍手。
最初の様子を見て、彼女が手品をしようとしていると分かっていたレミリアも同様に拍手をしていた、その時。

「……うぅっ!?」

ずしん、と急激に重たい感触。身体の中、それも胃の辺りから凄まじい圧迫感。

「どうかしら、レミィ?」

「お、重っ……なにしたの、よ……」

感想を尋ねるパチュリーに、思わず膝をついたレミリアが小さく尋ね返す。
すると、パチュリーは得意げにふふんと笑って目の前で腹を抱える館の主を指差した。

「さっきのカツ丼を、箱からあなたの胃に瞬間移動させたのよ。イッツショウタイム!」

「ちょ、カツ丼三杯を!?なにしてん……お、重……ヘヴィすぎるわ……げふ」

「すごいですパチュリー様!」

抗議を胃袋の重さに遮られ、立ち上がりかけた傍からへなへなと崩れ落ちるレミリア。小悪魔は能天気に主を褒め称える。
哀れ、図書館に来ただけでカツ丼三杯分という凄まじい量のカロリーを摂取する事となってしまった吸血鬼少女の明日はどっちだ。

「あぁぁ、しばらくカロリー控えなきゃ……うぐぅ、お腹いっぱい」

胃袋の満足感とは裏腹に頭を抱えるレミリア。予想以上に凹んでいる彼女の様子を見て、パチュリーは用意していたフォローの言葉をかけた。

「大丈夫よ、レミィ。このカツ丼は咲夜に作らせた特別製。
 原料からこだわり、脂っこさを感じさせないヘルシーな口当たりを実現させた素晴らしい一品なのよ。
 『おいしくっていくらでも食べられちゃう!』って霊夢も絶賛していたわ。だから心配なし」

「胃に直接送り込んでおいて、口当たりも何も無いじゃないのよ……で、実際のカロリーは?」

「……そんなことより、今日は紅葉がきれいね」

「図書館に窓は無いし、今は春よ、パチェ」

明後日の方向を見るパチュリー。レミリアは一人、ダイエットの決意を固めた。
せめて味が伝わる方法を取って欲しかったと思いつつ、レミリアは少し楽になった身体を立ち上がらせて尋ねた。

「……で、何用なの?まさか味も分からないメガカロリー摂取法の実験だなんて言わないわよね」

するとパチュリーはちっちっと指を振る。

「それも面白そうだけど、違うの。見ての通り、私は最近ちょっとした手品に凝ってるのよ」

「カツ丼三杯が”ちょっとした”の範疇かどうかはいささか疑問だけれどね」

肩を竦めようとして、胃袋が突っ張って『うぐぅ』の声と共に腹を抱えたレミリア。やはりまだ重い。

「でね、今日はあなたに私が最近覚えた手品の助手を務めて欲しいのよ」

「それは別にいいんだけど……や、内容によるけど……どうして私?小悪魔がいるじゃない」

当然のような疑問を口にするレミリア。しかし、パチュリーは首を横に振った。

「小悪魔には沢山手伝ってもらったから、この子が相手だともう100%成功しちゃうのよ。この子自身もコツを掴んじゃってるっていうか」

横で、うんうんと小悪魔も頷く。それを見て、レミリアは小さなため息と共に頷いた。

「もう、しょうがないわね。あなたの頼みだし、聞いてあげましょう」

どこか得意気にも聞こえる彼女の言葉。『私がいないとダメなんだから』という保護者精神の表れだろうか。
パチュリーは嬉しそうに笑って、手をパチンと合わせた。

「さすがレミィ、話が分かるわ。じゃ、早速やりましょ……小悪魔、アレお願い」

「はいは〜い」

てけてけとどこかへ駆けていく小悪魔を見送り、待つ事数分。
ガラガラというキャスターの音に見やれば、小悪魔が押してきたのは大きな木製の台。
その上には少女一人の身体をすっぽりと覆えるほどの大きな箱が乗っており、ご丁寧に首と足を出す為の穴まで開いている。
そして、箱を二分するように引かれた太い線。

「……ごめんなさい、用事を思い出したわ」

「おおっと、親友の頼みより大切な用事って何かしら、レミィ?」

そそくさと逃げようとしたレミリアだったが、その手首をパチュリーにがしっと掴まれて逃走失敗。

「えっと……ほら、部屋でコオロギ飼っててさ。その観察日記をまだつけてないの」

「夏休みの宿題じゃないんだから。さあさ、そこに寝て頂戴」

「ころころりー!ころころりー!」

奇声を発し、無理矢理手を振り払おうとするレミリア。パチュリーは素早く命令を下す。

「小悪魔、アレやって!」

「はい!……お嬢様、失礼しますっ!」

小悪魔はそう言うなり、伸ばした親指をレミリアの脇腹にどすっと突き立てる。
瞬間、びりり、と全身を駆け抜ける衝撃。

「……ふゅん!?」

悲鳴とも嬌声ともとれる声と共に、再びへなへなと崩れ落ちるレミリア。

「うふふ、全身の力が抜けるツボを突きました。喰らったら最後、ヒザがっくがくのぐにゃんぐにゃんですよ。舌っ足らずになっちゃうオマケつきです」

「やぁぁ……た、たてにゃいのぉ……」

「吸血鬼にも効果覿面ね。麻酔要らずでご近所付き合いにも角が立たないステキな強制法よ」

どこがだ、という突っ込みを口にする事すらままならず、ぺたりと座り込んだ体勢から動けぬままレミリアは台に寝かされて箱の中へ。
自分が何をされるのか分かりきっている所為もあり、彼女の頬を冷や汗が伝う。
いくら五百年生きた吸血鬼でも怖いものは怖い。

「ね、ねぇ……どうして私にゃ……ごほん、なのよ。本当に大丈夫なの?」

ごとごと、と箱の中でもがいているらしいレミリアに、パチュリーは笑顔を向けた。

「大丈夫よ、信用して。それにね……」

「それに?」

一旦言葉を切ったパチュリーは、少し恥ずかしそうに顔を赤らめて続けた。

「あなたは、大切な友達だもの。傷つけるわけにはいかない。あなたが相手なら、何が何でも成功させられる気がするのよ」

「パチェ、あなた……」

思わずキュンとした。自分の親友をもっと信じなければ、とレミリアは内心で己を恥じる。

「そうね、きっと大丈夫よ。さ、やって」

両腕を伸ばし、『任せた』のポーズをとるレミリア。パチュリーは頷くと、小悪魔に声を掛ける。

「そうだ。せっかく世紀の大魔術をお披露目するのに、観客があなただけじゃ寂しいわ。誰か呼んできて頂戴な」

「はぁ〜い」

とっとことっとこ、図書館の外へ駆けていく小悪魔。
数分の後、休憩中だったらしいメイド妖精十数人と、奇術と聞いては黙っていられないらしいメイド長・十六夜咲夜を連れて帰って来た。

「よっし、こんだけいればやりがいもあるってものね。じゃ、早速……」

そう言うと、パチュリーはテーブルの下をごそごそと探る。

 

ぎゅいいいいいいいいいいいん!!!!

 

「……へ?」

鳴り響く、金属的な唸り声。図書館の静寂を切り裂くその騒音の発生源は、今まさにパチュリーが両手でよいしょと掲げたチェーンソー。
高速回転する鋸状の刃を手に、パチュリーはレミリアが固定された箱へにじり寄った。

「さ〜あ……っとと、やっぱり重いわね……動かないでね、レミィ」

「……やっぱりイヤぁぁぁぁ!!離してぇ!」

目の前で唸りを上げるチェーンソーを見て、流石のレミリアも脱出を試みる。

「どうしてよレミィ!私を信用してないの?」

「もっとスマートな切断法にしなさいよ!チェーンソー突きつけられて怖くない輩がいたら、紅魔館当主の座を今すぐ譲ったげるわ!」

「私を信用してってば!お風呂で一緒に大腿筋膜張筋や胸鎖乳突筋を流し合った仲じゃないの!」

「どんな仲なのよそれは!?他になんかないの!?」

「あとは高枝切りバサミくらいしかないわ!」

あの短い刃でちょきちょきされるのはもっと嫌だと、レミリアは首を取れそうなくらいにぶんぶんと横に振った。
すると、小悪魔がはーい、と手を上げる。

「パチュリー様、あとここにペーパーナイフが。しかも虫眼鏡つきです!」

「……ですって。どれがいい?」

「どうして我が家の刃物事情はこんなんなの!?」

いよいよもって絶望の色をありありと浮かべ始めるレミリア。鍛冶屋を呼べ。というよりは咲夜を呼べ。いやもういる。
だが、どっちにせよあの刃渡りがあまり長くないナイフでは高枝切りバサミといい勝負である。
観客達も心配そうに見守る中、パチュリーがよたよたとチェーンソーを振りかざす。かなり重そうだ。

「それじゃあ、お待ちかね。世紀のパフォーマー、パチュリー・ノーレッジの人体切断マジッ……うわっ」

「ぎゃおー!?」

横になるレミリアの顔のすぐ横に、どっすんとチェーンソーの刃が落下。高速回転する鋸は台を巻き込み、パラパラと破片を散らばせた。

「ごめんなさい、手元が狂ったわ」

「筋力不足よ!お願いだからお肉食べろ!!」

「そうねぇ、さっきのカツ丼半分くらいならなんとか。あ、でも今は親子丼の気分かしら」

「それよりさっさとチェーンソーどけ……痛いいたい!!破片が目に入ったぁぁ!!」

のりたまの如き勢いでさらさらパッパされる木片。おぜうにかけるー。
よっこいせー、の声と共にパチュリーがチェーンソーをどけ、小悪魔がレミリアの顔を素早く拭いた。
それから再び、パチュリーが頼りない構えでチェーンソーを持ち上げる。

「じゃ、今度こそ。大丈夫よ、絶対に上手くいくわ」

「お、お願いよ……?」

博麗の巫女が襲来しても顔色一つ変えず、全く動じる気配の無かった紅魔館当主が、今や大きな目いっぱいに涙をためて恐怖と戦っている。
まるで注射を必死に我慢しようとする小さな女の子のようなその表情に、一部のメイド達が群がり、我先にと覗き込む。
一方、咲夜以下数人のメイドはせわしなくぱたぱたと動くレミリアの足――― 否、あんよに目を奪われている。
パチュリーの手元を見ているのが小悪魔と当事者のレミリアだけという状況だが、パチュリー本人は意に介さずチェーンソーを振り上げた。

「では……いざ鎌倉ッ!」

「鎌倉って何……あぁっ!!」

ひっきりなしの金属音に、ガリガリという破砕音が混ざり始めた。流石のメイド軍団もパチュリーの手元へと視線を移し、固唾を呑む。
ずぶずぶとチェーンソーの刃が箱に飲み込まれていく。刃が通った後は多量の木片粉と僅かに覗く切断面だけ。
とうとう刃は箱の上半分を貫通し、一気に箱の下部まで。ぎゅっ、と目を閉じたまま、レミリアはただひたすらに作業完了を待つ。
やがて箱を完全に貫通したチェーンソーは、床に落ちそうになる寸前にパチュリーが踏ん張って支え、どうにか床を貫かずには済んだ。

「……ど、どうなったの……?」

震える声で尋ねるレミリア。どうやら怪我はしていないようだ。
レミリアが入っている筈の箱は、完全に中央の線で二分されている。

「では……じゃんじゃじゃーん!」

弾んだ声でセルフファンファーレを演出し、パチュリーが下半身側の台に手をかけて引っ張った。
すると、ガラガラとキャスターが音を立てて、下半身が上半身側の台から離れたではないか。その間、レミリアの顔も足も動いている。
人体切断マジックは、見事に成功だった。瞬時に図書館を大きな拍手と歓声が埋め尽くす。

「えっ、本当に離れたの!?凄いじゃない!」

自身の身が無事であった事に安堵したレミリアもパチュリーへ賞賛の言葉を投げかける。嬉しそうにぱたぱたと足が動いた。

「じゃあ、戻すわね」

やはりほっとした表情を浮かべたパチュリーが、台を押して下半身を上半身にくっつける。
そして、台全体をすっぽり覆うように布を被せる。

「では……ワン、ツー、スリー!」

スリーカウントの後に、パチュリーは布を取り去った。
それからレミリアの上に被さっていた箱を外してみせる。

「レミィ、どう?」

その言葉に頷き、レミリアは慎重に台を降りて立ち上がる。その身体は見た限り、元通りだ。

「凄いわ、完全に元通……」

ぐらり。

「あれ、倒れ……ふぎゅっ!」

べちん、という柔らかいものを打ち付けた音が辺りに響き渡ったのはその直後であった。
地に足が着いているのに、顔をしたたか打ち付けたレミリア。その理由は一つ。

「……あちゃ〜……」

と、額をぺちんと叩いてパチュリー。

「お、お嬢様……」

震える声で呟く咲夜。

「いったぁ〜……え、何?私立って……あっ!?」

それは一見―――いや、普通に異様な光景であった。
うつ伏せ状態の上半身と、立ったままわたわたと足を動かす下半身。そして、この二つは繋がっていない。
要するに切断されたまんまなのである。切断面は彼女の服と同じ薄ピンク一色と何とも漫画チックで、出血等は見られない。
生きているというか怪我の一つも無いようだが、上半身と下半身が分かたれたという光景はやはり尋常では無い。
唖然としながら見守る観客達の視線を浴び、レミリアは腕と羽を使って身体を起こす。

「ちょ、何コレ!?何で分かれてんの!?ていうか本当にぶった切ってたの!?」

「お嬢様、大丈夫……なのですか?」

「や、全然痛くもないんだけど……パチェ!どうすれば戻るのよ!」

レミリアの呼びかけで、図書館中の視線を集めたパチュリー。ずっと考えるような表情だった彼女は、ゆっくりと口を開いた。

「……そうね。上半身がレミィA、下半身がレミィBというのはどうかしら?」

「私はどこぞの機動戦士か!?誰も呼称を決めろなんて言っちゃいないわッ!」

「そうね。まずは住民登録もし直さなくちゃ。レミィAがレミリア・スカーレットでいいとして、Bはどうする?妹にでもする?」

「下半身が別離する前提で話を進めるなッ!!」

「だって、あなた羽があるんだし……足なんて飾りでしょ?」

「偉いからわかんないもん!!」

どうやら戻す術が分からないらしい。
足が無ければ即死だった、という状況がいつ訪れるとも分からないこの幻想郷。レミリアとしてはやはり戻したい。
それに、足が無いと立ち木のポーズが出来ないではないか。足の無い状態での立ち木のポーズなど、『たけ○こた○のこニョ○キッキ!』にしか見えない。
由々しき事態だ。立ち木のポーズが出来ない、即ちヨガの基本ポーズが出来なくては、レミリアは運動する楽しさを知らぬままメタボリックまっしぐら。
紅魔郷で『咲夜は優秀な掃除係、食べかす一つ落ちてないわ』『こんなにも月が紅いから、本気で食すわよ』『あなたが食べてもいい(ry)』なんて台詞に差し替えられる可能性もある。
大変だ。

「あ、あの〜……」

すると、小悪魔がおずおずと手を上げた。かと思うと、パチュリーにひそひそと耳打ち。

「あら、ナイスアイディア。流石は私の優秀な助手ね……咲夜、ちょっと来てくれる?」

「は、はい」

どうやら妙案を思いついたらしい。よしよしと小悪魔の頭を撫で、パチュリーは一旦図書館の外へ。咲夜がそれに続く。
残されたレミリア(A,B)と小悪魔、そして十数人のメイド妖精はとりあえず待機。
しかし、身体を真っ二つにされたレミリアのインパクトが強すぎてどうやら退屈はしなさそうである。
そして、十分後。

「おまたせ、レミィ。二つのプランがあるわ」

「フラン?フランが二人だなんて、やんちゃで手が掛かりそうだけど可愛いじゃない。夢があるわ」

「プランよ、プ・ラ・ン」

妹煩悩なレミリアはともかく。戻って来た時、咲夜は両手に何か皿のような物を手にしていた。パチュリーがそれを両方受け取り、レミリアに示す。
片方は皿、もう一つは茶碗で、中にはそれぞれスパゲティ、白米が一杯分盛られていた。

「イタリアンなでんぷん質か、ジャポニズム溢れるでんぷん質か。好きなほうを選んで」

「練り潰してノリにする気か!?それでくっつくの!?」

「炭水化物の力を信じるのよ!レッツ糖質!グリーンダヨ!」

早くもこねこねと天然糊の練成を始めたパチュリー。メイド達も手伝い、一杯分のスパゲティ及び白米を糊へと変えていく。ベタベタする事この上無い。

「よしオッケー!さあくっつけるわよレミィ!」

「いやぁぁぁ!べたべたするのはいやぁぁぁ!ていうかくっつく訳ないじゃない!!」

「小悪魔、咲夜!取り押さえて!」

彼女の命で、まず小悪魔が逃げようとしたレミリアの上半身を取り押さえる。

「待って下さいお嬢様A!咲夜さん、お嬢様Bを!」

「お嬢様の為です、どうかお許しを!お嬢様B!」

「ABで呼ぶなぁぁぁぁッ!!」

哀れ、取り押さえられたレミリアA,Bは、パチュリーの手で食物でんぷんを切断面に塗りこまれる羽目に。
くすぐったいような、こそばゆい感覚と凄まじい粘度感、そして薫る日本とイタリアの香り。
『食べ物を粗末にしない』――― それらを一身に受けつつ、来月の紅魔館における標語はこれにしようとレミリアは固く決意するのであった。

「まさか、ちゃんと元通りにくっつくとは……」

「ガビガビしなくて良かったですね、お嬢様!」

すったもんだの末、レミリアAとBは再び一つになった。恐るべし炭水化物の力。みんなもお米食べようぜ。
笑う小悪魔に、レミリアは呆れたようなため息。

「あなたの入れ知恵じゃないの……まあくっついたから何でもいいわ。それより、小麦とお米の農家に感謝しなくちゃね。
 今日から毎日、歯磨きの際には里の方を向いて一礼することにしましょう」

「かしこまりました」

「絶対歯磨き粉がボタボタ垂れるわね……それより、次のマジックにも付き合って欲しいのだけれど」

言いながら何やらごそごそと準備を始めるパチュリー。レミリアは怪訝そうな顔をした。

「……今度は何?もう人体切断はこりごりよ?」

「違うわよ、もう少し安全」

あんな目に遭っておきながらもすぐに嫌だと言い出さない辺り、パチュリーは本当に良い親友を持ったものである。
そんな彼女が取り出したのは、腕や足を固定するベルトがついたパネル。人一人を立った状態で固定できる代物だ。

「……早速、嫌な予感しかしないわ、パチェ」

「今度はナイフ投げ。大丈夫、これなら筋力は関係無いわ。小悪魔相手ならもう殆ど成功してるし」

「以前、ちょっぴり髪の毛をカットされちゃいましたけどね。あはは」

けらけらと笑いながら、顔の右側の髪をちょっと摘んでみせる小悪魔。確かに少し短い。

「……ごめん、無理。すっごく怖い。そもそもナイフ投げって手品じゃなくて大道芸……」

「んもう、心配性ね。じゃあ、最初に練習しましょ。咲夜、ナイフ貸して」

「どうぞ」

咲夜から十数本のナイフを受け取ると、小悪魔が別のパネルを運んできた。
そこには、レミリアのシルエットを型取ったラインが引かれている。

「よし……レミィ、よーく見てなさい。これが私のカルマよ!」

床に付けられた印の位置に立ち、目隠しをしてからパチュリーはナイフを構える。
足を肩幅に開き、ダーツのように狙いをつけ―――

「えいっ!」

放られたナイフはまっすぐ飛んで行き、やがて音を立ててパネルに突き刺さった。

「……どうかしら?」

目隠しを取ると、彼女自身が放ったナイフは、寸分の狂いも無くレミリアシルエットの眉間をぶち抜いていた。

「………」

黙って自らの身体を抱き締めるレミリア。『あれれー?』とでも言いたそうに首を傾げるパチュリー。

「……い、今のは何かの間違いよ。今度こそ、ね?」

目隠しをするのが面倒なのか、パチュリーはそのまま目を固く閉じて次のナイフを放った。
どかっ、と音を立ててナイフが突き刺さったのは、右目の辺り。

「……むきゅー!!」

業を煮やしたのか、パチュリーは凄まじい勢いで次々とナイフをぶん投げていった。

―――どかどかどかどかどかどかどか……

「……もういいわ、パチェ」

はぁ、はぁ、と肩で息をするパチュリーをレミリアが気の無い声で止める。
パチュリーが放ったナイフは、ただの一本も外れる事無くレミリアシルエットの顔面を貫いていた。
みし、と音がしたかと思うと、顔の形にくり貫かれたパネルが刺さったナイフと一緒に手前へ落下。
かしゃーん、からんからん。そんな音の後に残されたのは、顔の部分だけが綺麗にくり貫かれたレミリアのシルエット。

「むきゅ〜……練習だと上手くいったのに」

「本当なんですよ、お嬢様?ほら」

唇を尖らせて不服そうなパチュリー。フォローのためか、小悪魔が練習に使用されたらしきパネルを運んできた。
確かに、ナイフによってつけられたらしい数多の傷が、綺麗に人型をかたどっている。
と、その時。ぶつぶつと何やら呟いていたパチュリーが、唐突に顔を上げた。

「……そうだわ。私には必死さが足りないのよ……咲夜、ちょっと!」

「な、なんでしょう?」

突然呼ばれてやや困惑気味の咲夜。そんな彼女の様子を意にも介さず、パチュリーは続けた。

「あなた、ちょっとレミィを人質に取りなさい。あ、咲夜じゃなくて小悪魔でもいいわ」

――― 一瞬、元より静かな図書館は静寂を極めた。

「……申し訳ありません、私のような人間という矮小な存在では、偉大なる大魔道師様のお言葉を理解することなど到底……」

「……こぁぁ。私もちっぽけな小悪魔に過ぎませんから、パチュリー様のようなすばらしい魔法使い様のお言葉は理解できないです……」

一瞬顔を見合わせた後、ダブルで頭を抱える従者組。

「やだ、二人してそんなに褒めないでよ。それに、そんなに自分を下卑しちゃいけないわ。私はあなたたちの素敵な所、たくさん知ってるのよ。例えばねぇ……」

パチュリーは照れたり優しくしたりと忙しい。ナチュラル、天然である。もっと言えば新鮮でもある。とれたてピチピチむきゅむきゅ。

「……パチェ、ちょっとこっちへ」

皮肉を言うのには慣れてても言われ慣れてはいないらしいパチュリーの腕を掴んで引き寄せ、レミリアは言った。

「まず訊かせて。私を人質に取るって何?」

「ああ、それ?」

パチュリーはこほん、と咳払い一つ、自らの胸中に秘めた壮大なストーリーを語り出す。

「平和だった紅魔館。しかし、紅魔館乗っ取りを企む悪者がいつの間にか侵入していて、咲夜と小悪魔に変装していたの。
 哀れ人質に取られたレミィは身体を縛られ、パネルにはりつけられてしまう。
 そして、悪者は笑って言うの。『無事に返してほしくば、ナイフ投げを見事に成功させてみるんだな』ってね。
 私は本番に強いタイプみたいだから、親友の命が懸かった状況ならきっと成功させられるわ!」

えっへん、と胸を張るパチュリー。彼女の脳内にはレッドカーペットが敷かれており、既に報道陣へ次回作の製作を予告している所であった。
一方でげんなりした様子のレミリア達。

「……やるの?」

「もちろん!!」

かくして、昼下がりの図書館でちょっとした寸劇が繰り広げられる事となる。
咲夜と小悪魔が協力してレミリアの両手足をパネルに固定し、準備完了。

「わははは、レミリア・スカーレットの命は我が手中にあり〜」

「どうだパチュリー・ノーレッジよ。いかに貴様が強く、偉大で、頭も良くて、完璧にして瀟洒、さらに可愛くて部下にも優しく、料理が得意なスーパー魔女っ娘でもこの状況は覆せま〜い」

「うう、卑怯な!レミィを傷つけたら、どうなるか分かっているのでしょうね!」

パネル両脇に立ち、パチュリーから指示された通りの台詞を何とも起伏に欠ける口調で喋る咲夜と小悪魔。パチュリーはノリノリ。

「無事に返してほしくば、そのナイフを全てレミリアに向けて投げるのだ〜」

「全て決まれば、全員の身柄を解放し、我らは去ろうぞ〜。ただし、失敗すれば貴様が親友をその手で殺めることになるのだぁ〜」

それから二人は腰に手を当て、『わっはっはっはっは〜』と、登山で言うなら二合目くらいの微妙な高笑い。

「そ、そんな……レミィに向かってナイフを投げるだなんて、出来るわけないじゃない!」

身体を『そーなのかー』状態で固定されたレミリアは何とも疲れた表情でその演技を見ていたが、パチュリーのじとっとした視線を受け、慌てて口を開く。

「あっ、えっと……パチェ、私に構わないで投げるのよ!」

「……分かったわ、レミィ。けれど、決してあなたを傷つけはしない。みんな無事で、この紅魔館を解放してみせる!」

パチュリーは言い終えるなり、傍らのテーブルに多数並べてあったナイフを数本手に取り、レミリアに向き直る。
そのままの勢いで腕を振り被る。指先に神経を集中させ、目線は着弾点をイメージ。
呼吸を整え、パチュリーは一気に腕を振り抜いた。

「……どっせぇい!!」

『強く、偉大で、頭も良くて、完璧にして瀟洒、さらに可愛くて部下にも優しく、料理が得意なスーパー魔女っ娘』にはとても似つかわしくない掛け声と共に放たれたナイフ。
緊張の一本目は、まるで定められていたが如くにまっすぐな軌道を描き、軽快な音を立てて突き刺さるのであった。
レミリアの額に。

「ぎゃー!お嬢様ぁ!!」

デュエットで悲鳴を上げる咲夜と小悪魔。呆然とするパチュリー。
その時、おでこから木製の柄を生やしてぐったりと動かないレミリアの上空から光が差し込む。ここ図書館なのに。
さらに、だらんとうなだれたままのレミリアの身体から、薄く透き通ったもう一人のレミリアがすぅっと飛び出す。魂らしい。

「お嬢様が幽体離脱した!!」

「間違っちゃいないけど……」

小悪魔とパチュリーのやり取りをよそに、レミリアの魂は見上げる親友・従者達に笑顔でハンカチを振ると、差し込む光を辿るようにゆっくりと上昇していく。
その顔は穏やかで、この世への未練を微塵も感じさせない。天子、じゃなくて天使のような悪魔の笑顔。
地震を起こしてさんざ暴れた挙句スキマさんに叱られて泣いちゃうレミリアもそれはそれで見てみたい。
ともかく、上昇していくレミリアの姿は、やがて遥か上空の雲間に隠れて見えなく―――

「お嬢様ぁ〜、おやつのカステラですよ〜」

「わぁぁぁ〜い!!」

速攻で戻って来た。
咲夜がピロピロと差し出すカステラを捕まえようと、ヨダレを垂らしながら飛んできたレミリアの魂を横合いからパチュリーが押さえ込む。

「捕ったど〜!」

恥ずかしがらずにご唱和下さい。3、2、1、ぱっちゅりぱっちゅり。

「く、くく……お嬢様、お腹すいてらしたんですか?」

笑いを堪えきれない小悪魔に、レミリアは我に返って首を振る。

「はっ、しまった!……でもね、本当は死の運命を捻じ曲げるなんていけない事なのよ!けど、あなたたちが心配だから戻ってきたの!
 べ、別におやつに釣られたんじゃないんだからねっ!カステラだって別に好きじゃ……」

「じゃあ、美鈴のおやつにしちゃっていいですか?これ」

「やだぁ〜!!」

埃っぽい図書館の床に身体を投げ出し、じたばたと暴れるれみりあちゃん。駄々をこねる五百歳児。

「ていうか、レミィほどの妖怪がナイフ一本で死ぬ訳無いでしょうに……」

「あっ、そういえば。パチェがあんまり迫真の演技をするもんだから、つい助演女優賞を狙っちゃったわ」

「今、賛美歌とか歌ったらレミィ溶けちゃうのかしら」

「試したら取り憑くわよ」

何だかんだでノリの良かったレミリアは、そそくさとルパンダイヴで自らの身体に飛び込む。
ぼぅん、という音と共にレミリアの魂と肉体が結合、復活。だが―――

「―――いだだだだだだだだぁぁ!痛いいたい!!ナイフとってぇ!!」

額にはざっくりとナイフが刺さったまま。死にはしないが非常に痛そうである。

「今抜いてあげるわ!」

パチュリーが素早く駆け寄り、額のナイフに手を掛けて全力で引っ張る。

「うぅ〜んっ……」

「あだだだだだぁ!!そっと抜いてぇ!!」

そもそも非力なパチュリーに抜かせるのが間違いとか言ってはいけないのである。必死に友を助けようとするその姿は、涙を誘うほどに美しい。
自業自得とも言ってはいけないのである。

「だめ、抜けない……そうだ!」

思うように抜けないナイフに悪戦苦闘するパチュリーだったが、唐突に手をポンと打った。
それから一旦手を離す。

「引いて駄目なら押忍!U.N.オーエン団ッ!!」

「え、ちょ」

レミリアが何か言う前に、パチュリーは思いっきりナイフを押し込んだ。ずんっ。

「はうっ!」

と、一声上げて再びがっくりとうなだれるレミリア。上空から差し込む光。
あ、そうそう。神主様は関係ありません。

「お嬢様ぁぁぁぁ!!」

咲夜の絶叫に合わせるかの如く、すぅっと上り行く薄いレミリア。

「カステラありますよ〜」

「わぁぁぁ〜い!!」

戻るレミリア。

「無限ループって怖いわね」

「まだ二週目ですけどね」

そんな会話を交わしつつレミリアを押さえ込むパチュリーと小悪魔。
そう何度も主に昇天と復活のサイクルを繰り返されても困る咲夜は、時を止めてその間にさっさとレミリアを解放・治療するのであった。

「もふもふもふもふ!ぱふぇひゃもふもふもふもふ!もふ!」

「カステラを飲み込んでから喋って頂戴、レミィ」

至近距離でまくし立てるので、無数のカステラの欠片がパチュリーの顔をガトリングの如き勢いで襲っている。
言われた通りに口の中のカステラを飲み込んだレミリアは、一旦この上無く幸せそうな顔をしてから真顔に戻った。
その額には絆創膏。

「ヒトを実験台にするなら、もう少し練習を積んでからにしなさいよね!パチェはいつも見切り発車なんだから!」

「はぁ〜い、分かったわ。もう二度とダディのナイフで遊んだりなんかしないよ」

三ヵ月後、そこには元気にカステラを頬張る吸血鬼の姿が。
あと十分レスキューが遅れていたら、昇天と蘇生のサイクルをあと七、八回は繰り返していたという非常に危険な状態でした。
しかし無事カステラをぱくつくほどに回復するのに三ヶ月どころか二十分もいらない辺り、タフネスなヤツらである。

「もうお説教終わりでいい?」

「ええ」

肯定の返事を貰ったレミリアは、嬉しそうに手にしていたカステラをもう一口。
咲夜は残っていた仕事を片付ける為にこの場を離れている。

「パチュリー様、今日の練習はこれでおしまいですか?」

「いえ、まだよ。今度はレミィに迷惑をかけないマジックの練習」

小悪魔の質問に答え、パチュリーは再び道具箱を漁る。
それから一旦図書館の奥へ消えたかと思うと、ゴロゴロという音を伴って帰ってきた。
彼女が転がしてきたのは、長さ二メートルほど、太さは丸太くらいの柱。

「レミィ、それに小悪魔。今からこの柱を立てて、私をそれにロープで縛り付けて頂戴な」

「へ?」

「もふ?」

同時に尋ね返す二人。レミリアはカステラをくわえたままだが。

「今度は脱出マジック。ロープで縛られた状態から抜け出して……」

そこで彼女は箱から何かを取り出す。

「この爆弾を止める。間に合わなかったら大爆発!スリリングでしょ?」

そう言いながら彼女が示すのは、数本の赤いダイナマイトに時計のような物が付いた、何ともレトロな時限爆弾。
それを見たレミリアは、指をペロペロと舐めながらも本日何度目か分からない訝しげな顔。

「本当に大丈夫なの?失敗して私達までこんがりウェルダンなんて嫌よ?私はレア派なんだから」

「あら、奇遇ね。私もなの。ニッケル?タングステン?それともルビジウムとか?あ、私はコバルト一筋よ」

「や、レアメタルじゃなくって」

皮肉を言われ慣れていないパチュリーの新たな一面を覗いてしまったレミリア。金属に萌えるという新たなジャンルの出現に動揺を隠せない。
部屋で一人金属の塊に頬ずりするパチュリーの姿をちょっぴり想像してみる。

『ニッケルたんのツヤ萌えー!タングステンたんも硬くてステキー!』

『コバルトたんのくすんだ渋い色にハァハァ!あっ、ジルコニウムたんの綺麗な六方最密充填構造も可愛いなぁもう!』

『クロムたんの毒素にシビれちゃう!』

いやそれ死んじゃいますから。
いつか隠居するならこんな余生を過ごすのは絶対に嫌だとレミリアは心に刻み、先程のパチュリーの発言を記憶から王水で溶かした。

「まあ、それはともかく。あなたがわざわざ私の前でやるって言うなら、成功率は信用していいのね?」

「大丈夫よ。私、これは本当に得意なんだから。ね、小悪魔」

「はい!パチュリー様、これだけは一回も失敗したことがないんですよ!」

そりゃそうだ、とレミリアは内心で頷く。一度でも失敗してたら今頃ここはアッガイだ。
違う、ハイゴッグ。
でもなくて廃獄。

「というわけで、お願いね」

パチュリーが直立不動のポーズをとるので、レミリアが柱を立ててパチュリーの背にぴったりとつける。
小悪魔がロープを持ってきて、ぐるぐるとパチュリーと柱を縛りつけ始めた。

「ちょうちょ結びでいいですか?おっきいの」

「普通にお願い」

はぁい、と少し残念そうに呟き、小悪魔はパチュリーを縛るロープを固く結ぶ。
最後にレミリアは爆弾を持ってパチュリーの前へ。

「適当にロープのどこかへ引っ掛けて頂戴」

爆弾の後ろには確かにフックが付いている。言われた通りにロープに引っ掛け、時限装置作動のスイッチに手をかける。

「タイムリミットはどれくらいなの?」

「デフォルトで一分。私の服のポケットに入ってる鍵を差し込めば、タイマーが止まる仕組みよ」

短いな、と一瞬思ったが、いつもパチュリーがそれでやっているなら大丈夫なのだろうと無理矢理自身を納得させる。
服のポケットに鍵を入れてあるのは、全身が自由にならなければ外せないようにする為なのだろう。

「じゃ、いくわよ」

「いつでも」

頷き、レミリアはスイッチを押した。動き出した時計の針を見て、レミリアは小悪魔と共に素早く近くの本棚の影へ。

(こういうのって、脱出している最中のマジシャンは隠しておくものじゃないのかしら)

パチュリーの様子を見ながらレミリアはそんな事を考える。練習、と言っていたので別に見えててもいいのかも知れない。
十五秒が経過したが、パチュリーはもぞもぞと動いているだけで脱出する様子が見えない。

「ちょっと、大丈夫なの?」

たまらず声をかけるレミリア。しかしその時、スポッ、とパチュリーの片腕がロープから抜けた。

「どう?」

ふふん、と得意げな彼女の様子を見て、レミリアは笑って頷いた。

(なんだ、大丈夫そうね)

失敗続きだったので少し不安だったが、やっぱり親友の事はもっと信用しなければ、とレミリアは思い直した。
そのまま、両腕がフリーになったパチュリーは余裕の表情で足を抜こうと動かし始める。
だが―――

「……あら?」

ぐらぁり、とパチュリーが傾いた。柱ごと。
どすんと鈍い音を立てて倒れるパチュリーwith柱。
どうやら、柱の固定が甘かったようだ。

「ぱ、パチュリー様!」

慌てて飛び出す小悪魔。一方でパチュリーはと言うと、

「や、やば……助けて……」

いつの間にか涙目で首を一生懸命横に振っている。柱はそれなりの重量があり、起こすのには多少時間が要る。
レミリアは爆弾の時計に目を走らせた。残り十五秒。

「ちょ、これマズくない!?どうするのよ!」

「ど、どうするって……」

パチュリーにもどうしていいか分からないようだ。
レミリアは素早く考える。図書館には窓が無く、この爆弾を投げ捨てる事は出来ない。
どこか窓のある部屋まで言って投げ捨てるのは間に合わない。
コードを切れば止まる、なんて都合の良い仕掛けがある筈も無く、残り十秒を切る。

「ど、どうしようどうしよう……」

うろたえるしか出来ない小悪魔。泣きそうな(というか半泣き)顔でフリーズするパチュリー。
―――救えるのは自分しかいない。レミリアは咄嗟に、テーブルに置いてあった”それ”に手を伸ばしていた。
ブザーが鳴り始めた。残り三秒、二秒。
そして、今まさに時計の針が真上を向こうとした、その瞬間。

「はっ!!」

爆発音にしてはあまりに小さな、どかっ、という鈍い音。
諦め、固く目を閉じていたパチュリーが、うっすらと目を開ける。
見やれば、爆弾から生えた銀色の柱が、時計の針を食い止めていた。
涙の浮かんだ目を瞬かせ、彼女は呟く。

「……助かった、の?」

「助けたのよ。まったく、あなたは調子に乗るとすぐ失敗するんだから」

やれやれ、といった体で息をつくレミリア。
針を止めたのは、レミリアが放った一本のナイフだった。
文字盤に突き刺さったナイフが、針が0を指して起爆する事を防いだのだ。

「よ、よかったぁ……」

小悪魔は安堵からか脱力し、ぺたんと座り込んでしまった。
しかし、レミリアはパチュリーのロープを解こうとしていたので慌てて立ち上がって手伝う。
自由の身となったパチュリーは、ばつが悪そうにレミリアに頭を下げた。

「……ごめんなさい。また、あなたに迷惑かけちゃったわね」

「まったくよ。真っ二つにされるわ、ナイフが刺さるわ、ロクな目に合ってない。もう当分はこりごり」

レミリアの言葉に唇を噛むパチュリー。まったく持ってその通りだから、反論の余地が無い。
しかし、彼女の次の言葉は予想外だった。

「そうね、お詫びなら……今度また、あなたのマジックショーが見たいわね。絶対に成功するなら、助手になってもいいわ」

え、と呟いて顔を上げる。レミリアが穏やかな笑みをたたえていたので、何だか悔しくなったパチュリーは頬を膨らませた。

「もう、馬鹿にして!見てなさい、次は絶対にレミィの度肝を抜くような凄いのを見せてあげるわ!」

びしっとレミリアを指差し、それからパチュリーは恥ずかしげにそっと呟く。

「……ありがとう、二人とも」

その言葉に、レミリアは肩を竦めて頷く。あくまでその顔は笑っていた。
自分まで含まれていたのは予想外だったのか、小悪魔が照れ隠しに柱を片付けに向かおうとしたその時。

「失礼します」

その声と共に、本棚の間を縫って咲夜がやって来た。

「あら、どうしたの?もう今日のマジックはおしまいにしようと思っていたのだけれど」

パチュリーが声をかける。すると咲夜はテーブルに残されていた自分のナイフを手に取って言った。

「今ちょうど仕事が一段落しましたので、先程お貸ししたナイフを回収しようと思いまして」

「そういえばあなた、異変解決の時に使ったナイフも回収したんだっけ?律儀よねぇ」

「性分ですから」

パチュリーの言葉に頷き、咲夜はナイフを回収していく。テーブルの上、ナイフ投げ用パネル、くり貫かれて床に転がったレミリアシルエットの顔の部分。
しかし、彼女が落ち着き無く辺りをキョロキョロと見渡しているので、レミリアが尋ねる。

「どうしたの?」

「いえ、一本だけ見当たらなくて……あ、あった」

無事見つかったらしく、咲夜はその方向へ小走りで向かう。

「もう、ちゃんと探しなさいな」

「レミィだってよく物無くすじゃない、人の事言えないわ」

「もう一度読みたくなった本をどこに置いたか忘れて、小悪魔に探させるパチェにだけは言われたくないわね」

「いいんですよ、それが私の仕事ですから」

ははは、と笑い合う三人。
その一方で、咲夜はようやく見つけた最後の一本の柄を握る。
それから、その床に転がっていた珍妙な赤い物体に突き刺さっていた愛用のナイフを、

 

 

 

 

引き抜いた。

 

 

 

 

 

 

 

かちり。

 

 

 

 

 

 

 

 


紅魔館から立ち上る巨大な火柱が、天を貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 


―――その後。
とある月の住民が、天体観測中に見つけた『珍妙な四人組が、生身のまま平泳ぎで宇宙を地球に向かって泳いでいた』という光景は、誰にも信じてもらえなかったという。

 

そして、ガレキが八割を占める紅魔館―――というより跡地。

 

「あなたは、今まで食べてきたパンの枚数を覚えているの?」

「え、えっと……あ〜、お掃除が進まない!お嬢様に怒られるじゃない」

「ちがう〜!!もっと『怒られるじゃない!』って勢いつけて言わなきゃ!!」

「あの、妹様……やっぱり、私達だけで皆さんの代わりをするのは無理がありますよ」

”さくや・こあくまのせりふしゅう”と書かれた紙を手に、紅美鈴は困惑するばかり。
一方で、”おねえさま・ぱちゅりのせりふしゅう”と書かれた紙を手にしたフランドール・スカーレットは腕を振って力説。

「だめなの!お姉さまたちがみんな宇宙旅行に言ってる間、誰かが紅魔館を尋ねてきたら困るでしょ?
 だから、私たちがみんなの役をできるようにしとかないと!お姉さまたちがいないと知られたら、紅魔館を乗っ取りに悪者が来ちゃうかもしれないし」

あなたがいれば絶対安心です――― 美鈴は言いかけてその言葉を飲み込む。
第一、紅魔館を吹き飛ばす程の爆発に乗って宇宙へ飛び出すなんて出発法は本邦初だ。わざわざロケットを作ったパチュリーは涙目になるしか無い。

「さ、次!今日はぜんそくも調子いいから、とっておきの魔法、見せてあげるわ!」

「え、えっとぉ……あの、小悪魔さんの台詞って何を言えば……?」

「ふぃーりんぐよ!ぶるーみんふぃーりんぐ!」

綺麗な月夜の下、二人の台詞練習はもう暫く続く。

 

 

 

夜空に煌く四つの流星が、紅魔館へ向けて飛んで来るのはその数分後。


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