『厄』と聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろうか?
災害か、悪霊か。はたまた、『今日は厄日だ』なんて言い出したくなるような、日常のちょっとした不運な出来事か。
何にしても、あまり良いイメージは浮かばないだろう。
では、その『厄』を操っている神様がいるとしたら―――どんな奴なんだろう。
それこそ悪魔のように災厄を振りまく、語るも恐ろしい破壊と混沌の神なのだろうか。
それとも、人の災厄を糧に生きるような、地獄からやって来た不幸の使者なのだろうか。

 

 


―――ところが、実際は全然違ったりする。

 

 

 

「雛?来たよ〜」

妖怪の山の麓に建つ一軒家。その玄関にて、河城にとりが言いながらそのドアを開ける。

「やっほ〜、いらっしゃい。待ってたよ」

中から、家主―――厄神・鍵山雛の声。
上記で散々恐ろしげなイメージを語ってはみたが、実際の厄神というものは、親友の訪問に『やっほ〜』なんて言葉で出迎えるような者なのである。その見た目も女の子。やや語り損。
家の奥から雛が姿を現したので、にとりも靴を脱いで家へ上がる。
この日、にとりは雛に『相談したい事がある』と告げられ、家へやって来た。

「今お茶いれるからね」

そう言って雛は台所へ向かおうとしたが、

「待って」

にとりが呼び止めた。

「雛、顔色悪いよ。大丈夫なのかい?」

心配顔で言うにとり。二人は長い付き合いであったし、微妙な顔色の変化にも気付いてやれるのは親友だからこそか。
彼女の指摘通り、雛の顔色は優れない様子だったが、当の本人は笑ってみせる。

「だ、大丈夫だよ。へ〜き、へ〜き……あ、あら?」

ぐらり、とその体が傾く。雛が倒れてしまう前に、慌ててにとりが素早くその体を抱き止めた。

「ちょ、雛!?大丈夫!?」

突然の事に半ば混乱しながら尋ねると、意識は失っていなかったらしい雛が弱々しく答える。

「だ、だいじょ〜ぶだよ……」

「自分で尋ねといてアレだけど、大丈夫なワケないじゃないのさ!」

言いながら、にとりは雛を抱きかかえ、そのまま寝室のベッドへ寝かせた。
寝かせられた事とにとりが傍にいる事で安心したのか、雛はそのまま眠ってしまった。

一時間後、目を覚ました雛は開口一番、にとりに頭を下げる。

「ごめんね。わざわざ来てもらったのに、こんな……」

「もう、心配するなら自分の体を気遣いな。それにしても、体調悪いなら言ってくれればいいのに。風邪かい?」

にとりはそう言って雛をもう一度寝かせようとするが、雛はそのまま上半身をベッドから起こした。

「あ、そうそう。実は、今日相談しようと思ってたのはこの事なんだ」

「へ?」

事態が飲み込めないにとりに、雛は説明。

「最近、どうも体調が優れなくて。でも、風邪とか引いたわけじゃないんだよね。で、調べてみたら原因が分かったの」

「何が原因なの?」

すると雛は、ちょっと言い辛そうな表情を見せた。

「……厄の溜め過ぎ」

「え?え?」

クエスチョンマークを浮かべるにとり。雛は少し恥ずかしそうに続けた。

「私が厄を体に取り込んでるのは知ってるでしょ?私の仕事だしね。
 だけど、それで厄を溜め過ぎた結果、体の方が耐えられなくなったみたい。食べ過ぎみたいなものかな。私が未熟なのがいけないんだろうけど……」

しょげた表情の雛。にとりは何とかして元気付けようとした。

「でも、雛は悪くないよ。頑張りすぎちゃったんじゃないかな。どうすれば良くなるんだい?」

その言葉が嬉しかったのか、雛は再び笑顔。

「ありがとう。永琳先生に診てもらったら、ゆっくり休むのと、一度厄を少し放出したほうがいいって」

「厄を、ねぇ……だったら、今ここでやっちゃえば?私相手にさ、思いっきり」

にとりはそう言ったが、雛は首を横に振る。

「ダメだよ。今ここで厄を一気に大量放出したら、にとりが大変な事になっちゃうよ」

「大変って、どんな?」

「えっと……今ここで暗黒世界へのゲートが開いて、中から巨大なドラゴンが……」

「なんだいそりゃ」

「そして幻想郷は、混沌を望むダークサイドに堕ちた者とそれを救おうとする光の者が激しく争い合う戦場へと姿を変え……」

「雛?もしも〜し?」

「にとりは暗黒の者達に捕らえられ、毎日語るも恐ろしい仕打ちを……ああダメ!にとり待ってて、今私が助けるよ!」

そう言うなり家を飛び出そうとする雛を慌ててにとりが捕まえ、ベッドへ戻す。

「ちょっと待った!ちゃんと休んでなきゃ……」

「離して、このままじゃにとりがあんな目やこんな目に……助けられるのは私しか!」

彼女の中でにとりは早くもアレコレされてしまっているらしいが、その詳細は彼女にしか分からない。
落ち着かせる為に、にとりは何故か雛のおでこに冷えピタを貼る。ひんやり。

「あ〜もう、第一私はここにいるし、そんな今時ファンタジー小説でもないようなベタな展開にはならないって。でも、このままじゃ雛が危ないしなぁ」

にとりが言う『危ない』とは、体の事か、はたまたその逞しい妄想力か。
暫くの思案の後、にとりはポン、と手を打つ。

「そうだ、外へ行って誰かにほんのちょっとずつ厄を放出すれば?少しだけなら、そう大変な事にはならないって」

厄も溜まれば何かしら不幸な出来事に襲われるが、少しなら躓いて転んだりする、程度の日常生活の範疇に収まる結果で済むだろう―――にとりはそう考えた。

「でも、大丈夫なのかな?今まで吸い取ってたのを戻すなんて……」

「このままじゃ雛が潰れちゃうよ。責任は私がとるから、行こう!歩ける?」

最初は困った顔の雛だったが、にとりの気遣いに応えようと承諾、ベッドから出た。

「うん、もう大丈夫だよ」

「じゃ、出発!」

雛の手を引き、にとりは外へ。
かくして、『厄神の厄還元サービス』が静かに始まった。あくまでこっそりと、である。

家を出た二人は一路、湖へ向かう。
全く見ず知らずの者に厄をふっかけるのも気が引けるので、とりあえず知り合いを探す事に。知り合いなら、何かあっても後で事情を説明し謝れば許してもらえるだろう。
と、湖のほとりにチルノと大妖精の姿を発見。茂みに隠れ、様子を伺う。どうやら二人は一緒に遊んでいるらしい。

「ホントに仲良しだねぇ、あの二人」

にとりが呟く。楽しそうに遊ぶ二人に微量とは言え厄を送るのは忍びないが、これも雛の為だ。
雛も『ごめんね……』と言いつつ、茂みの中から二人に向かって厄を放出。無論、見た目では分からない。
やがて二人に変化が。

ブチッ!

突如、チルノの足元から何かが千切れた様な音。
異変に気付いたチルノが足元を覗き込み、驚きのあまり硬直。

「あ、あたいのゲタの緒が切れてる……縁起わるいよぅ!」

「チ、チルノちゃん!大丈夫!?」

「おおぅ、確かに不幸な……待て待て!なんでゲタを履いてんだ!?」

この日に限って何故か下駄履きのチルノににとりは疑念を隠せないが、当の本人は元より大妖精も気にしていない様子でチルノの心配をしている。
ブームか。時代劇ブームなのか。それとも水木○げるか。流行って分からない。
勿論これだけでは終わらない。

「藍様どこいっちゃったんだろ……藍様〜?どこですか〜?」

声が聞こえたかと思うと、どこからか現れた橙がとてとてと下駄パニック状態の二人の前を横切っていく。主人を探しているらしい。
だが、それを見たチルノは悲鳴。

「いやあああああああ!!!黒猫があたいの前を横切った!!もうダメ!!あたい死んじゃう!!」

「チルノちゃん、しっかりして!チルノちゃああああん!!!」

「いや、確かに黒猫だけどさ……」

にとりは泣き崩れるチルノを眺めつつ呟く。
すると、チルノはハッとして、

「ま、まさか!?」

慌ててポケットを探り、自らの財布を取り出す。
中身を見ると、その顔は絶望に染まっていく。

「残金が、き、94円……もうダメ、あたいは苦しんで死んじゃうんだ……」

「……いくらなんでも無理がないかい?」

客観的感想を述べるにとり。
だが本人はこの世の終わりといった表情ですすり泣くばかり。
そんな彼女を大妖精が必死に励まそうと試みる。

「そんな、チルノちゃんは悪い事なんにもしてないんだし、死んじゃうわけ無いよ!」

「で、でも……」

「チルノちゃんにもし何かあっても、私が絶対に守るから……そんな事言わないで。大丈夫だよ」

「……大ちゃん……」

「チルノちゃん……」

見つめあった後、ひし、と抱き合う二人。
茂みに隠れた二人はその美しい光景に見とれてしまっていたが、にとりがハッと我に返る。

「……いかんいかん、思わずホロリときちゃったよ。災い転じて福と成す、かねぇ。さ、次に行こうか、雛」

その横で目を潤ませていた雛も頷き、二人は気付かれないようにその場を去った。

続いて二人がやって来たのは魔法の森。大小様々な木が生い茂り、昼間だというのに薄暗い。
足元のキノコを踏んでしまわないように歩きつつ、二人は知り合いの姿を探す。
暫く歩いた所で、にとりがピタ、と足を止めた。

「どうしたの?」

首を傾げる雛に、

「しっ。何か聞こえない?」

にとりはそう言って、唇に人差し指を当てて耳をすませる。
雛も一緒になって辺りを伺うと、

「すぅ……すぅ……むにゃ……」

―――寝息。
ここで雛が、近くにあった木の上を指差した。

「にとり、あれ」

指差す先の木の上には、ヨダレを垂らしてお昼寝を満喫するミスティア・ローレライの姿が。
大き目の枝の上に横たわり、木の幹を背もたれにする形だ。

「あれまあ、無防備だね。あんなんじゃ良からぬ輩に盗撮されちゃうんじゃないかね」

「良からぬ輩って、暗黒世界の使者とか?……はっ、にとりが危ない!!」

「はいはい、その話はもういいから」

にとりは雛のおでこに冷えピタ追加。ひんやり。それで沈静化する雛も雛だ。
二人は木から離れ、再び茂みの影へ。

「お昼寝中に失礼しま〜す、ってね」

にとりが呟くと同時に、その横でミスティアに向けて微量の厄を送り込む雛。
すぐに変化が起こった。


―――ミシッ……


突如、何かが軋む音が聞こえてきた。
雛が尚も厄を送ってみると、


―――ミシミシッ……メキッ……


さっきよりも大きい音。理由はすぐに分かった。

「あ、折れる!」

ミスティアが寝転ぶ枝が今にも折れそうになっていた。念のため言っておくが、別に彼女は太っていない。
そしてついに―――


バキッ!!


枝がぽっきりと―――いや、擬音そのままバキッと折れた。
引力が働いている為、当然折れた枝と一緒にミスティアの体も落下。


ドサッ!


「きゃあ!!」

落下のショックであまりすっきりとは言えないお目覚めのミスティア。何があったのか分からない、といった表情できょろきょろと辺りを見回していたが、

「痛たたたた……もう、枝折れちゃうなんて。もしかして太った……?」

尻餅をついたまま痛そうに腰をさする。隠れて見ていたにとりと雛も、これで終わりかと思った。
が―――

ドサッ!

「痛っ!!」

『そうはいかん崎!!』と言わんばかりに木の上から再び何かが落下、ミスティアの胸の辺りを直撃して地面に転がった。
当たった事自体はさしたるダメージでは無かったようだが、地面に転がる物体の正体に気付いたミスティアの顔が、すーっと青ざめる。

そう、ハ チ の 巣 。


―――ブーン……ブーン……


別に内藤ホライゾンが現れた訳ではない。いきなり巣を丸ごとシェイキングされた蜂達は大層お冠のご様子。
そしてお約束のように、目の前でハチミツにまみれたミスティアをロック・オン。
巣から大量の蜂が出てきたのと、

「きゃああああああああっ!!!」

悲鳴を上げてミスティアが逃げ出したのがほぼ同時。
蜂は素早く動くものを追う習性がある。当然とばかりに大量の蜂がミスティアを追い回した。

「助けてぇぇぇぇ!!」

弾幕で追い払えばいいのかも知れないが、出してる間に刺されたら大変だ。よって逃げるしか出来ない。インセクト・スウォーム。これぞ蟲の怒り。
流石にまずいか、とにとり&雛も飛び出して助けようとした。
だが、このトムとジェリーを彷彿とさせない追いかけっこは以外にあっけなく収束する事となる。

「みすちー、大丈夫!?」

その声と共に登場したるは、我らがムシキンg―――じゃなくて妖怪蛍、リグル・ナイトバグ。
彼女が指をパチン!と鳴らすと、血気盛んだった蜂達はその場でストップ、そして何処かへ飛び去って行った。
流石は虫の妖怪、昆虫を操るのはお茶の子さいさい(死語)だ。

「はぁ、はぁ……ありがとう、助かったよぉ」

息を切らせてその場にへたり込むミスティア。

「何か悲鳴が聞こえたから……この時期の蜂は結構怒りやすいから気をつけなきゃ」

リグルはそう言って苦笑。そのままの意味で草葉の陰に隠れたにとりと雛も、ホッと胸を撫で下ろす。

「それにしても、服が凄い事になってるよ」

「うわ、ベタベタだぁ」

見れば、ミスティアの服は巣が直撃した際にこぼれたであろうハチミツでベタベタ、辺りに甘い匂いを振りまいていた。
洗濯に多少苦労するかもしれないが、まあ洗えば落ちるだろう。
救世主の登場で今度こそ厄の効果もおしまいか、とにとり達は立ち去ろうとした。

―――駄菓子菓子。


「―――うふふふふふふ……」


突如聞こえてきた聞き覚えアリアリの笑い声に、ミスティアはびくりと全身を竦ませた。にとり達も立ち止まる。

「何だかあま〜いニオイがするから来てみたら……うふふ、美味しそうだわぁ」

座り込んだまま戦慄するミスティアの背後に、ゆら〜り、と影。
錆び付いたようにゆっくりと首を後ろへ向けたミスティアは、リグルとデュオで叫ぶ。

 

『うわああああああ!!!ピンクの悪魔だぁぁぁぁぁ!!!』

 

そう。ハチミツの香りに誘われ、食欲の権化・西行寺幽々子ここに光臨。夜雀ある所に幽々子あり。ミスティアにとっては迷惑この上ない。

「もう、悪魔じゃなくて亡霊よぅ」

頬を膨らませる幽々子。問題点はそこなのか。

「まあいいわぁ。わざわざハチミツまで添えてくれるなんて、気が利くわねぇ。それじゃ……」

じりっ、と近付く幽々子。どうにか立ち上がり、後ずさるミスティア。その足はがくがく震えている。絶体絶命を絵に描いた光景。
リグルも必死に思考を働かせるが、解決策は見つからない。弾幕じゃ勝てっこないし、ミスティアとタッグを組んだところで正面からでは返り討ちだ。
さっきの蜂を呼んで撹乱しようかとも考えた。が、相手はあの幽々子だ。

『ハチの踊り食いも悪くないわぁ。ん〜、チクチクしてておいし〜♪』

なんて具合に食われるに決まってる。や、実際そうなるかは分からないが、彼女達の間では幽々子は鉄も食うという噂が立っているとか。
涙目になって頬を冷や汗が伝うミスティアと、キラキラした目で口元をヨダレが伝う幽々子。完全フリーズ状態のリグル。
一方、予想外の事態に慌てるにとり達。いくらなんでもこれはマズイ、とにとりは雛をせっついた。

「雛!厄戻して!戻して!」

「え?う、うん!」

雛は慌てて、ミスティアに送り込んだ厄を吸収した。
そして―――

「いっただっきま―――」

「幽々子様いけませんッ!!!」

食事開始コールに重ねるように凛とした声が響いたかと思うと、突然どこからか投網が襲来、幽々子に覆いかぶさった。
ミスティアに飛び掛ろうとしていた幽々子はそのまま転倒、網に拘束されて身動き出来ず。

「あ〜ん、何なのよぉ」

困った表情の幽々子だが、そのしゃべくりのせいであまり困ってるように聞こえない。

「お二人とも大丈夫ですか?」

木の間から出現したのは勿論、幽々子の飼い主(指南役だっけ?)たる魂魄妖夢。その手はいつもの刀では無く、網の先端を掴んでいた。
その漁師の如き華麗な網さばきに、時々漁をするにとりはちょっと対抗心を燃やした。

「た、助かったぁ……」

安堵感から、再びへなへなと座り込んでしまうミスティア。思わずリグルも一緒になって座り込む。

「ゆ〜ゆ〜こ〜さ〜まぁっ!!ミスティアさんを食べてはいけないとあれほどあれほどあれほどあれ(中略)言ったでしょう!!」

網に絡まる幽々子の耳元で怒鳴る妖夢。
耳元で大声を出され、ビクッと竦みながらも幽々子はぶつくさと言う。

「だってぇ……ハチミツまでかかってあんなに美味しそうなんですもの。据え膳食わぬは亡霊の恥よぉ」

「そんな言葉聞いたことありませんッ!!第一据えてません!!罰として、冷蔵庫にある幽々子様のケーキは没収です!私が食べます!」

「あぁん、ひどいわよ〜むぅ。二個も食べたら太るわよぉ?」

「幽々子様に言われたくありませんッ!!追加で、明日からしばらく幽々子様のおかずはハチの子だけにしますからね!」

「ハチの子供食べちゃうの?やぁん、ちょっと可哀想よぉ」

「あ・な・た・が・言える立場ですかッ!!さあ帰りますよ!! ……申し訳ありません、お騒がせいたしました」

妖夢はぺこりと二人に頭を下げ、幽々子入りの網をズルズル引きずっていく。片手で。
実に男らしいが、去り際に『ケーキ二個♪』と嬉しそうに小声で歌っていたのをにとりは聞いた。良かった、乙女だ。
ドナドナもかくやと引きずられていく幽々子はヨダレがディープインパクト。目と口から液体を流し、ミスティアを見つめながら、『ぁーん……』と呟いたっきりだった。
(ピンクの)悪魔が来たりてヨダレを拭く―――いや、彼女は拭こうともしていない。噴く、が正解だ。
一方、息もつかせぬドキドキの展開と度重なる救世主の登場に、にとりと雛は寿命が縮む思いであった。

「雛……お前さん、エンターテイナーか脚本家の素質あるんじゃないかい?」

「筋書きの無いドラマなら、お任せ……」

それだけ会話を交わし、二人は大きく大きくため息をついた。

引き続き森を歩く二人。
暫く歩いてはみたが特に誰とも出会わない。

「やっぱり森でバッタリ知り合いに出くわすなんてそうそうないよねぇ」

にとりがぼやくと、雛も頷く。

「うんうん。こんな不気味な森で出会うといったら、暗黒世界から来たような恐ろしい悪鬼……はっ!!にとりには指一本触れさせないよ!!」

「あーあ、残り少ないや。また買ってこなくちゃ」

にとりは再びぼやき、冷えピタを雛のおでこにぴたーん。ひんやり。
雛の沈静化を確認し、ふと前方を見やると、森の奥から人影が近付いてくるのが見えた。
二人は脇に逸れ、木陰から人影を観察。影が近付くにつれ、そのシルエットもはっきりと見えてくる。
ある程度まで近付いてきた所で、その人影の正体はノーマル魔法使い・霧雨魔理沙だと分かった。肩にはいつもの箒を担いでいる。
彼女は鼻歌なぞ歌いながらひたすら歩く。森の中に住んでるだけあって、その足取りは軽快だ。きっと地理も殆ど知り尽くしているのだろう。
そんな彼女へ向けて、お約束の如く厄を放出する雛。
と、その時。

「おわっ!!」

地面から出っ張った木の根に足を取られ、魔理沙は転倒した。
これだけ木の多い森だ、木の根が出っ張っていても不思議ではない。よって、これだけなら『厄の効果』とは言い切れないかも知れない。
が、転んで地面に倒れ込む彼女の顔の先には、何やら緑と赤という毒々しい色合いのキノコが生えていた。
転んだ瞬間に叫びを発してしまった為口が開いていた魔理沙は、あえなくそのキノコをダイレクトイート。

「もがっ……げほっ、げほっ!何か変なキノコ食っちまった……」

慌てて起き上がり、口元を押さえながら呟く魔理沙。
まさか毒キノコか、とにとりと雛は心配したが、魔理沙に何ら変化は無く、そのまま立ち上がったので毒では無いらしい。

「う〜ん、毒じゃないみたいだな。別にマズくもなかったし」

魔理沙もそう言って、落とした箒を拾い上げると再び歩き出す。
今回は大した事も無かった、と胸を撫で下ろすにとりだったが、雛は違った。

「ッ!?な、何なの、これは……」

ハッとした表情で魔理沙を見つめる雛に、にとりは説明を求めた。

「どうしたのさ。魔理沙の顔に何かついてたのかい?」

「ううん。あのね、魔理沙から物凄い厄を感じるの。さっきまで何とも無かったのに」

「厄を?」

「うん、魔理沙がかなりの厄を放出してる……私が送ったのとは比べ物にならない量だよ」

その言葉を聞き、不審に思ったにとりは魔理沙の転倒現場を調べてみた。
魔理沙が食べてしまった事によって半分くらい欠けているキノコ。深い緑色に紫に近い赤色。それはまるで―――

「何かこのキノコさ……雛みたいな色してるよね」

にとりが呟く。その色合いは彼女の横にいる厄神のようで、しかも当の雛は、

「うわっ!このキノコ、相当な厄を溜め込んでるよ!理屈はよく分からないけど、こんなん食べたら厄が移っちゃうよ!」

そう言って、魔理沙が消えた方向を向く。その方向は、森の出口へと繋がっている。
彼女が食べたキノコは、厄を吸収して成長するキノコだったらしい。
このままでは、魔理沙が会う人会う人に厄を振り撒く形になる。

「ちょっとの厄から大量の厄を手に入れるなんて、わらしべ長者みたいだね」

「言ってる場合かっ!雛、魔理沙を追いかけるよ!」

慌てて二人も、森の出口へと向かった。

生い茂る木々が段々とその数を減らし、視界が明るくなってゆく。
森を出ると、眩しい陽光の直撃。まるでトンネルから出たかのようだ。
しかし、今の二人に太陽の眩しさを噛みしめる余裕は無かった。急いで魔理沙を追わなければ。
魔理沙の姿は、既に二人の視界の範囲内には無い。二人は走り出した。

「まったく、魔法使いってのはどうしてこう逃げ足が速いのかねぇ」

「別に逃げてるわけじゃないと思うよ?」

「それもそうだけどさ、こんなに早く見失うとまるで逃げてるみたいじゃないかい」

「確かにね。まるで暗黒世界の悪魔から逃げ延びようとしてるみた……はっ!!にとり、私と逃げよう!私が絶対に守るからね!愛の逃避行ッ!!」

「冷えピタ代、経費で降りないかねぇ」

走りながらにとりは、併走しながら一人ヒートアップする雛のおでことほっぺたに冷えピタ計三枚。三倍ひんやり。それにしても経費って誰が出すんだ。
暫く走り、森からある程度離れた場所で、二人は遠くにようやく魔理沙の姿を発見した。だが―――

「あちゃ〜、遅かったか……」

魔理沙は偶然出会ったらしいアリス・マーガトロイドと談笑中だった。一人でいる内に何とかしてしまいたかったが、出会ってしまったものはしょうがない。
とりあえず離れた場所から様子を伺う。

「う〜ん、やっぱりかなりの厄を感じるよ。アリスに少なからず影響が出ちゃうなぁ、これは」

観察しながら雛。
もう少し近付いてみると、二人の会話が聞こえてきた。

「―――あ、いけない。そろそろ行かなくちゃ」

アリスが腕時計を覗き込んで言うと、魔理沙も下ろしていた箒を担ぎ上げる。

「ん、そうか。そういや私も博麗神社に行くんだった。悪いな、引き止めちまって」

「いいわよ。それじゃ、またね」

片手を上げて挨拶を交わし、二人は別の方向へ向かおうとする。
だが、振り返った際に魔理沙の担いでいる箒の先端がアリスの抱える人形に軽くぶつかってしまった。

「あ、悪い悪い。大丈夫か?」

「大丈夫よ、気にしないで」

魔理沙が謝ると、アリスは言葉通り気にするな、といった体で頷く。そして今度こそ、二人は別方向へ向かって歩き出した。
アリスがある程度離れてから、二人は魔理沙を追う。

「何もなくてよかったね」

「うん。箒が当たっただけかな?」

確かに、アリスに被害らしい被害も無く。運が良かったか、と思いながらにとりは魔理沙に近付き、声をかけようと口を開いた。
だが―――

「―――あれ?なんだい、こりゃ」

にとりは宙の一点を見つめながら言った。

「どうしたの?」

雛が尋ねると、にとりは見つめていた辺りを指差す。

「見て、これ。糸……かな?こんな所に張られてる」

彼女の言う通り、空中に細くて青い糸が横向きに張られている。
不審に思った二人が糸を辿って見ると、何故かどんどん魔理沙に近付いていく。
そして、気付いた。

「あっ!この糸、あの箒から出てる!」

そう言って、雛は箒を指差す。確かに、この青い糸は魔理沙の担ぐ箒の先端から伸びていた。
だが、にとりは糸を取ろうとする雛を制した。

「待って。箒に糸なんて使わないよ……ひょっとして、何かからひっかけたんじゃない?」

「え?てことは……」

雛が呟き、魔理沙とは反対の方角を向く。視線の先に、大分小さくなったアリスの背中が見えた。

「……発生源は、反対側だ」

にとりが続きを引き取り、二人は小走りで糸を辿る。
先程とは逆にどんどん魔理沙から遠ざかり、逆にアリスの背中が近付いてくる。にとりは嫌な予感がした。

「まさか発生源は……」

呟き、さらに糸を辿ってみる。アリスのすぐ傍まで近付いた所で、そのまま背中にぶつかる訳にもいかないので、二人は彼女の前に回りこむ。
そしてついに、糸の発生源を突き止めた。

 

『……あっ!!』

 

二人が同時に声を上げた。
糸の発生源はやはりアリスだった。
――― 否。正確には、彼女の抱えている上海人形。
青い服を着せている筈なのに、上海人形の体を覆う服の面積がなんと半分以下で、下の肌地部分が大きく覗いている。つまりは半裸。
あの糸は、上海人形の服に使われている糸だったのだ。そうこうしている間にも糸がほつれ、どんどん服が縮んでいく。
心なしか、上海人形の顔が赤い。やはり恥ずかしいのだろうか。
一方アリスは、いきなり傍で二人が同時に声を発したので驚き、立ち止まって二人の方を見やる。

「どうしたの?」

尋ねられ、呆然としていたにとりは我に返った。そして上海人形を指差す。

「お、お前さん……人形!人形!!」

いきなり現れたにとりに人形を指差され、アリスは首を傾げる。

「へ?人形って……きゃー!!上海!?」

ここでようやく上海人形の惨状に気付いたアリス。
その後はてんやわんやで、とりあえずと糸を引っ張って回収し、アリスは思いもよらず服を脱がされてしまった不幸な上海人形を抱えて大慌てで家に向かう。
残された二人は顔を見合わせた。

「……あの時だね。箒がぶつかった時」

「うん……あれだけで終わるはずがないとは思ったんだ……」

魔理沙の厄によって被害を受けたのは、アリスでは無く上海人形の方だった。まあ、用事を中断して服を着せに家へ向かったアリスも被害者と言えば被害者だ。
ふぅ〜、と大きくため息をつき、二人は再び魔理沙が消えた方角を見やる。

「魔理沙……確か、博麗神社に行くとか言ってたね」

「やばいよ、これ以上の被害拡大を防がなくちゃ!!」

厄神でもないのに厄スプレッドマシーンと化した魔理沙を止めるべく、二人は再び走り出す。
目指すは、博麗神社。

石段をようやく登り切り、魔理沙は博麗神社へと辿り着いた。
それからきょろきょろと辺りを見渡し、目的の人物を発見。

「よ〜、霊夢。何してんだ?」

「あっ、魔理沙!聞いて聞いて!!」

賽銭箱を覗き込んでいた博麗霊夢が振り返った。その表情は非常に明るい。
霊夢が声を弾ませるなんて珍しい、と思った魔理沙は尋ねてみる。

「どうしたんだ?やけに嬉しそうじゃないか」

すると霊夢はニコニコとした表情を崩さず、後ろ手に隠していた何かを魔理沙へ見せた。

「じゃ〜ん!賽銭箱の隅に挟まれてたの!」

彼女が取り出したのは、何と五千円札。賽銭を主な収入源とし、普段あまり経済状況がよろしくない博麗神社において、この収入は非常に嬉しい。

「お〜、良かったな!久々にマトモな物が食えるんじゃないか?」

魔理沙も小躍りする霊夢を祝ってやる。
だが、二人は知らない。魔理沙は今、厄神もかくやという程の厄を背負っている、という事を。
その時、突如として突風が巻き起こった。

「うわっ!」

普段は隙の少なさに定評のある霊夢だったが、今はルンルン気分。霊夢は驚き、思わず持っていた五千円札を落としそうになる。
そして見計らったかのように、今度は暴風と言っても差し支えないクラスの強い風。それは、手を離れかけた紙幣を彼方へ吹き飛ばすのに十分すぎる威力だった。

「あ〜っ!!!」

思わず叫びを発する霊夢。呆然とする魔理沙。
そして風が止んだ時、先程まで無かった人影が一つ。

「何やらスクープの予感がしましたよ!風よりも早くスクープをお届け、射命丸文とは私の事ですっ!さあさあ、何があったのか取材させてもらいますよ!」

これだけの長台詞を一息で言ってのけ、ビシッ!と決めポーズの文がそこにいた。
『博麗神社に高額の賽銭』という大スクープの匂いを感じ取ったらしく、幻想郷最速スピードで飛んできたらしい。
だが、それだけのスピードで飛んでくれば当然風も巻き起こるわけで。KYとはこの事か。

「……あんたねぇ……」

最初は呆然としていたが、次第に怒りに身を震わせ始めた霊夢が口を開く。
怒気を孕んだ口調に、文は冷や汗。

「あ……あやややや?ひょっとして私、とんでもなく空気読めてませんでしたか……?」

そのまま後ずさろうとしたが、それよりも早く霊夢の手元―――先程まで五千円紙幣を握っていた筈の―――が発光を始める。

 

「いっぺん封印されて来いッ!!!霊符『夢想封印』ッ!!!」

 


いくつもの光弾が拡散し、逃げようとした文目掛けて的確に襲い掛かる。

「きゃ〜!!」

閃光が炸裂したのと、悲鳴が響いたのはほぼ同時であった。
珍しく入った高額の賽銭をフイにされた霊夢も不幸であったが、ただスクープの予感がしたから来ただけでフルボッコにされた文もまた、不幸。

―――『夢想封印』炸裂から数分後。
魔理沙を追うにとりと雛はようやく、博麗神社前の石段を登り切った。

「………何があったんだい、こりゃ」

登り切って開口一番、にとりが呆然と呟いた。
霊夢の代わりにお茶をいれてやっている魔理沙。この世の絶望を掻き集めたような表情で縁側に腰掛け、目が死んでいる霊夢。
そしてその近くの地面で、巨大な陰陽玉の下敷きになって伸びている文。
事情を知らない二人からしてみれば何が何やら分からない。

「こ、これって……」

「うん、多分間違いないね……」

「ま、まさか……暗黒世界の使者の魔の手がもうここに!?に、にとり!隠れて!!」

「ぴったん♪らんら冷えピッタン♪」

驚き慌てる雛とは対照的に、のんきに歌いながら冷えピタを雛のおでこに貼るにとり。ひんやり。残りが少ないので一枚だけだ。

「そーじゃなくて。具体的に何があったかはわからんけどさ、魔理沙の影響じゃないかな、これ」

「あ〜つめた〜い……きもちい〜……あ、うん、そうだねきっと。早いトコ、魔理沙の厄を吸い取らなきゃ」

心地よい冷たさにぽやんとしていた雛だったが、ようやく正気に戻る。
そしてそのまま、魔理沙の厄を吸い取りにかかる雛。結構な量だったが、厄神からすればお茶の子さいさい(しつこいようだが死語)だ。
と、ここで二人の耳に霊夢と厄を吸い取られたばかりの魔理沙の会話が届く。

「なぁ霊夢……元気出せって。今日入ってたなら、また入るさ」

「でも……『今日の』五千円はもう帰ってこないのよ……ああ、私の愛しい五千円札ちゃん……」

どんよりとした空気を発する霊夢と、それを必死に励ます魔理沙。にとりと雛には全く気付いていない様子だ。
と、その時。急に風向きが変わり、遠巻きに霊夢達の様子を眺めていたにとりの前に、ヒラヒラと紙片が舞い落ちてきた。
拾い上げると、それはやたらめったら折り目の付いた五千円札。

「わ、空からお金が降ってくるなんてすごいね〜」

雛はそう言って笑ったが、にとりは首を傾げた。

「うむむ。ひょっとして霊夢の言ってる五千円って……」

気になったにとりは、縁側の二人に近付いて声を掛ける。

「霊夢。お前さんの言ってる五千円札ってこれかい?」

その言葉に、ガバッ!と瞬時に顔を上げる霊夢。そしてにとりが手に持った五千円札を一目見るなり、

「おお、神よ!!」

そう叫んで跪き、神社の境内に向かってお祈り。
それから霊夢は喜びのあまりにとりにタックルのような勢いで抱きつく。

「げふっ!!」

思わず咳き込むにとり。

「ありがとう!!ありがとう!!河童は人間の盟友って本当だったのね!ああ、河童が友達で良かった!!河童万歳!!」

ようやく離れたかと思えば、にとりの両手を握ってブンブンと上下に振る。
喜んでもらえるのは嬉しいが、流石に疲れてきたにとりは件の五千円札を霊夢に差し出す。

「わ、私はもういいからさ。今度は無くさないようにしな……」

霊夢はうんうんと頷いて紙幣を受け取り、それを握ったまま狂喜乱舞の舞い踊り、昼間にも関わらずサタデーナイトフィーバー。
夜の境内裏はロマンティックらしいが、昼の境内前は実にファンタスティックだった。
その様子を呆然と眺めていた、意図せず黒幕の魔理沙は困った表情。

「……まあ、何だ。見つけてくれてありがとうな。霊夢の事は私に任せてくれ」

まだまだ厄を放出しなければならない雛の為にも、二人は魔理沙の言葉に甘え、神社を後にした。
その時、既に文の姿がどこにも無かった事には、踊り狂う霊夢は勿論の事、にとりも雛も魔理沙も気付かなかった。

「あややや……ヒドい目に遭いました。大スクープというものは、無傷では得られないんですね……」

ひとりごちながら、文は空を飛ぶ。霊夢が喜びの余り気付かない内に脱出してきて正解だったようだ。

「何か代わりになりそうなネタは……ん?」

そのまま低空飛行を続けていた文は、何かを発見した。
森のすぐ脇にある一軒家の前に、アリスの姿を発見したのだ。どこか様子がおかしい。
文はそっと近付いて様子を伺ってみる。

「う〜、大分ほつれてるわね。こりゃ新しい服作らなきゃかしら……」

彼女は言いながら、上海人形を目の高さまで持ち上げている。何故か、当の上海人形は服を脱がされているように見えた。
キラリ、と文の目が光る。鴉天狗の第六感が、スクープの予感を告げていた。

「私が鈍いせいで、恥ずかしい思いさせちゃったわね。ごめんね、上海」

そう言ってアリスは上海人形を抱きしめる。
彼女のそれは自らが作った人形に対する純粋な愛故の行為なのだが、屋外で半裸の人形を抱きしめるという行為は、文からすれば格好のスクープの種だ。

「おおっとアリスさん、そのまま、そのまま……」

文はそっと近付き、こっそりカメラのシャッターを切りまくる。

 

―――どうやら彼女も無事、スクープのネタを入手出来たようだ。

 

神社を後にした二人はその後も知り合いの姿を求めて彷徨う。
向日葵畑にいた風見幽香に向かって厄をぶつけてみた所、畑のあちこちから菊の花や白いカーネーションがニョキニョキ生えてきて、二人は驚きの余り逃げ出した。
屋外で練習していたプリズムリバー三姉妹に厄を放出したら、ヴァイオリンの弦が切れ、トランペットのキーが外れ、しまいにはキーボードの鍵盤がポロポロ取れるという大惨事。
どうするのかと心配したが、ルナサは残りの弦だけで上手く演奏(音が足りない部分は気合でカバー)、メルランは近くにあった木の葉を一枚むしり取り、何と草笛で演奏の続き。
リリカはというと楽器が使えないのでノリノリの手拍子でパーカッション。彼女達はプロだ。
そんな紆余曲折を経て、次に二人が向かったのは永遠亭。
今度は厄をふっかけられる相手が一度に四人。一気に大量の厄を消費出来そうだ。

「竹林は迷いやすいから気を付けなくちゃ」

生い茂る竹の隙間から行く先を見通しながらにとり。

「そうだね。あ、あそこじゃないかな?」

言いながら雛が前方を指差すと、竹林が終わり、その先に大きな屋敷が見える。どうやら辿り着いたようだ。
そのまま永遠亭へ向かおうとして、にとりが不意に足を止める。


ガタン、ガタン……


ガン!ガン!


何やら、おかしな物音が聞こえてきたからだ。硬い物がぶつかり合うような音。

「雛、ちょっと待って。変な音が聞こえるよ」

「え?……ほんとだ。……まさか……」

「何か心当たりでもあるのかい?」

「暗黒世界の悪魔達に、永遠亭が乗っ取られたんじゃ!?あいつらの狙いはきっと蓬莱の薬だよ!」

「あ〜はいはい、また始まっ……あっ!?冷えピタがもう無い!!」

にとりはお決まりの発作を起こす雛を沈めようとしたが、何と冷えピタがもう無かった。
慌ててあらゆるポケットを探ってみるが、出てくるのは使用済みばかり。
一方、ますますヒートアップする雛はいきなりにとりに抱きつく。にとり、本日二度目。

「わっ、わっ!?雛、何を……」

「きっと囚われのにとりに無理矢理薬を飲ませて、永遠に生きる苦しみを味わわせるつもりなのね!ああ、何て可哀想なにとり!」

「ちょっと雛、落ち着いてよ!いいから離れ……うわっ!」

「でも大丈夫、その時は私も薬を飲むよ!にとりだけに辛い思いはさせない!」

「雛〜!ちょっと落ち着きなさい!聞いてる!?ハロー!?ハロー!?エニバディホーム!!?」

「生まれた時は違えど、同じ年、同じ日に死ぬ事を願わん!にとり、私達はずっと一緒だよ!!」

「誰か〜!!誰か冷やすモン持って来〜い!!!いや持ってきて下さいお願いします!!!!」

頬ずりされるわ、ホールドされたままガクガク揺さぶられるわ、胸元で泣かれるわのトリプルコンボ。恥ずかしいし目が回るし困るしで思わず絶叫するにとり。
と、その時。

「……何やってんの?」

横合いから声を掛けられ、尚もしがみ付く雛をどうにかどかしてにとりは振り向く。
そこには、?マークを十個は浮かべた表情のチルノが立っていた。竹林に響き渡るにとりの絶叫を聞きつけてやって来たらしい。
―――救世主、光臨。にとりには目の前の氷精が後光を纏って見えたことだろう。

「チ、チルノ!お願い、この冷えピタ復活させて!」

言いながらにとりは、効果の切れた冷えピタをチルノに差し出す。チルノはますます首を傾げる。

「え?え?」

「ああにとり、どうしてあなたはにとりなの!?その答えはあなたと私の胸の中に……」

「い〜から早く!!早くしてぇ!!」

「う、うん!!」

チルノは慌てて頷き、効果切れ冷えピタに冷気を送り込む。
にとりは必死の形相で、チルノ産冷気によって復活した冷えピタを素早く雛のおでこにPut。ひんやり。

「あ〜……」

ようやくにとりから離れ、ぼんやりとした表情の雛。
すると彼女は唐突に叫ぶ。

「あたいったら厄神ね!!」

「―――(゚Д゚)ハイ?」

いきなりのあたい発言ににとりもチルノもパーフェクトフリーズ。

「……あぁ、なんかすっきりした。あれ、どうしてチルノがいるの?」

そして何事も無かったかのような笑顔。チルノ印の冷気がほんのちょっとだけ、彼女のおでこから脳へ影響を及ぼしたらしい。
何だかにとりはどっと疲れたが、雛の為にもまだ倒れるわけにはいかない。
首を傾げながら去って行ったチルノを見送り、二人は改めて永遠亭へ接近。


―――そこで見た、驚きの光景とは!?


「え〜り〜ん。何で私がこんな力仕事しなきゃいけないのよぅ。私姫だよね?姫だよねぇ?」

長い角材を重そうに担ぐ輝夜。

「姫様、人手が足りないのです。これからも住む家なんですから、せめてお手伝いくらいは……」

輝夜をたしなめつつ、ギコギコと鋸で角材を切断する永琳。

「てゐ〜?この釘ちょっと歪んでるよ!も少し頑張ってよ〜」

糸鋸で永琳が切断した木片をさらに加工する鈴仙。釘で固定された部分を見ての発言だ。

「うるさいなぁ、れーせんこそもう少し綺麗にカットしてよね!ここジャギジャギじゃん」

釘をくわえ、金槌でトンテンカンと釘を打ち込みながらてゐ。木片の一つを手に持ち、その切り口を見ながら言い返した。
何やら日曜大工のような光景に唖然とするにとり&雛。医療の仕事に従事する永遠亭ご一行が大工仕事なんてあまりにイメージにそぐわない。
どうやら、永遠亭の改修工事らしい。何故本人達がやっているのかはよく分からないが、人件費削減だろうか。色々苦労しているのだろう。
暫し呆然としてしまった二人だったが、改めて四人の様子を見直してみる。

「う〜疲れた〜。もこたん達にも手伝ってもらえばいいのに〜」

角材を下ろし、ぶつくさと言う輝夜。彼女が先程から運んでいる角材は長く、丈夫そうだ。きっと頭でもぶつけたら相当痛い。

「流石に永遠亭外の方に手伝ってもらうのは悪いでしょう……正式に仕事を依頼するならともかく」

言いながらも永琳は鋸を動かす手を休めない。その鋸の刃はよく手入れされており、かなり鋭い。

「そんなに切り口汚くないでしょ、もう。ほら、これならどう?」

こちらもまた鋭い糸鋸でたった今切断し終えた木材をてゐに差し出す鈴仙。

「むむ、確かに綺麗かもしれないけど……てやんでい!これが最低ラインよっ!」

急に親方口調になるてゐ。口には尖った釘をくわえ、手には金槌。タオルでハチマキまでして見た目は本当に親方のよう。
一方、にとりと雛は顔を見合わせる。対象が全員、凶器を持っているというこの状況。
二人は脳内で、彼女らの内誰かに厄をふっかけるシミュレーションをしてみるが、誰にやっても五秒で視界が真っ赤に染まる。
再び顔を見合わせ、二人は囁きあった。

「……行こ、雛」

「……うん」

二人はそのまま永遠亭を離れた。いくら雛を助ける為とは言え、血みどろスプラッター劇場はゴメンなのだった。

結局永遠亭では厄を消費出来なかった雛。そろそろ日も暮れそうな時間帯だった。
帰り際に博麗神社をもう一度覗いてみると、霊夢はまだ踊っていた。
同じ相手にもう一度厄をふっかけるのも悪いので結局何もせず立ち去り、二人は家路に着く。
歩きながら、にとりは尋ねてみた。

「雛、あとどれくらい厄を出す必要がありそう?」

訊かれた雛は少し考えてから答える。

「う〜ん、はっきりとはわからないけど……大分体調は良くなったよ。あとちょっとでいいんじゃないかな」

夕焼けで若干分かり難いが、雛の顔色も大分良くなっている。
じゃあ、と前置きして、にとりは言葉を続ける。

「私にぶつけちゃいなよ。あとちょっとでいいんだろ?遠慮するこたぁないさ」

そう言ってドン!と胸を叩くにとりに、雛は困り顔。

「え?その申し出は嬉しいんだけど、でも……」

「だ〜いじょ〜ぶだって!別にドラゴンや悪魔が出たりなんかしないし、いつも雛と一緒にいるんだから厄にだって耐性はついてるさ。どーんと来な!」

雛の心配をけらけら笑い飛ばすにとり。それを聞いて雛の表情も和らいだ。

「……ありがとう。それじゃ、いくよ!」

「バッチコーイ!」

雛はさっきまでよりも多量の厄を、一挙ににとりに向けて放出した。
厄をその身で受けるその時も、にとりは笑っていた。


そして―――



―――あれから三日後。

 

ドサッ!!

 

「ふぎゃっ!」

自宅のベッドから転げ落ちた衝撃で、にとりは目を覚ました。

「あたたたた……まだ厄が抜け切ってないのかねぇ」

ちょっと強く打った腰をさすりながらにとりは立ち上がる。その頬には絆創膏が貼られており、また額には新しく買った冷えピタ。
別に妄想で暴走した訳ではない。先日、川に落ちて季節はずれの軽い風邪を引いたのだ。河童なのに。
にとりは散歩でもしようかと思い立ち、いつもの服に着替えると玄関のドアを開ける。
きらめく朝日を浴び、そのまま一歩、外へ出て―――

 

ドサッ!!!

 

「どわぁっ!?」

―――堕ちた。じゃなくて落ちた。別に暗黒世界へ行った訳ではない。落とし穴だ。しかも少し深い。

「ぐおぉぉぉ……またか……」

唸るにとり。と、穴の外から声が掛かった。

「にとり、大丈夫!?」

雛だった。彼女は三日前に厄をにとりに思いっきりぶつけて以来、毎日にとりの様子を見に来ている。
穴を覗き込み、手を伸ばす雛。にとりがその手をしっかり掴んだところで、外から別の声が掛かる。

「いぇ〜い!また引っかかった!」

「最近のにとりはよくかかるから面白いね!」

「二人とも、ほどほどにした方が……」

てゐとチルノ、そして大妖精。にとりが落とし穴にかかったのはこれが初めてではなく、この三日間で数回かかっている。
他にも、この三日間でにとりが受けた、厄によるものと思われる被害は以下の通り。


何も無い所で転ぶ―――七回。
バナナの皮で滑る―――二回。
弾幕ごっこの流れ弾が命中―――四回。
アイスのフタを捨てようとして、間違えて本体を捨てる――― 一回。
麦茶と思って飲んだらごま油――― 一回。
口直しに、と今度こそ麦茶と思って飲んだらめんつゆ――― 一回。
きゅうりだと思ったらズッキーニ―――二回。

 

「くぉぉぉぉらぁぁぁぁぁ……」

低い声で唸りながら、にとりは脱出を試みる。雛も必死ににとりの腕を掴んで引っ張り上げる。
無事に穴の外へ出れたと同時に、にとりは叫んだ。

「こぉんの、チビっ子どもがぁぁぁぁ!!またお前らか〜!口一杯にキュウリねじ込むぞ!!」

「わ〜、逃げろ!」

にとりに睨まれ、てゐは文字通り脱兎の如く逃げだした。

「すいません、すいません!」

代わりにぺこぺこと頭を下げる大妖精。

「あ、いや……そこまで怒ってるワケじゃないさ。大ちゃんが気にすることじゃない」

にとりが言うと、チルノもうんうんと頷いた。

「そーだよ、にとりがそう言ってるんだから……」

「お前が言うなッ!!」

怒鳴られ、チルノは首を竦めた。

「ごめんね、にとり……私のせいで、こんなに」

今度は雛が謝る。彼女の視線は、にとりの体のあちこちに貼られた絆創膏に向けられている。

「い〜んだよ、気にしなさんな。ちょっとくらいトラブルがある方が人生は面白いのさ」

再びにとりは笑い飛ばした。

 


―――厄神・鍵山雛が幻想郷のあちこちに、ほんのちょっとずつばら撒いた厄。
それは、一人の河童の全身に生傷を作り―――

 


「次やったら三日間キュウリだけで生活させるからね。私にとってはご褒美だけど。はい、行ってよし」

にとりに説教されたチルノは、大妖精に声を掛ける。

「怒られちゃった……まあいいや。行こ、大ちゃん」

「うん!」

二人は手を繋ぐと、そのまま去っていく。
二人の後姿を見て、にとりは感慨深げに呟いた。

「それにしてもあの二人、ほんっとに仲がいいねぇ……」

 

 

―――二人の妖精の絆を深め―――

 

 

「こないだは酷い目にあったよ……」

朝靄の残る森を、ミスティアとリグルは歩く。

「確か、この木だったかな?」

近くにあった木の幹を触りながらミスティア。その木の根元には、確かに折れた枝が転がっていて、乾いて固まったハチミツがこびり付いている。
それを聞いてリグルも苦笑。

「まあ、次からは昼寝場所の下調べは入念にね……」

「うん……ところで、今何時?」

急に訊かれ、リグルはポケットから時計を出して時間を確かめる。

「えっと……八時ぐらいかな」

「ハ、ハチ!?」

急にミスティアは怯え、不安そうに辺りをきょろきょろと見回す。
そんな彼女の肩を、リグルはポン、と叩く。

「そのハチじゃないって。なんかあったら私がまた追い払うからさ……」

「う、うん……」

 

 

―――夜雀の心にトラウマを残し―――

 

 

「幽々子様、こんな朝からどちらへ?」

同じく朝の森を闊歩する幽々子と、その後を追う妖夢。
やっと追いついた妖夢が尋ねると、幽々子は笑顔を見せる。

「決まってるじゃない、ハチよ、ハチ!」

「ハチ、ですか?」

そのまま聞き返す妖夢に、幽々子はニヤリ笑ってチチチと指を振った。口元をヨダレが伝っていなければ、中々にキマッていたかもしれない。

「もう、妖夢がハチの美味しさを教えてくれたんじゃないのぉ。こうなったら自分でも採っちゃおうかなぁ、って。あま〜いハチミツもいいわぁ」

そう言って幽々子は辺りの木を物色。
妖夢はその後ろでため息。

「もう、どこかのクマさんじゃないんですから……」

 

 

――― 一人の亡霊に食的意識改革を起こし―――

 

 

「霊夢、起きてるか〜?」

「あ〜う〜……」

魔理沙の呼びかけに、某土着神のお株を奪う返事を返す霊夢。
場所は博麗神社内の一室。霊夢は来客にも関わらず、布団に入ったままだ。

「体中がいた〜い……」

苦しそうに呟く霊夢。それを聞いて魔理沙は苦笑。

「こないだ、あんなに踊り狂ったからだろ。夜中まで踊れば、そりゃあ筋肉痛にもなる。いくら嬉しいからって、物には限度ってモンがだな……」

「だってぇ……」

「そんなに痛いなら、あの五千円で湿布でも買ってきたらどうだ。私が行ってきてやろうか?」

「いい……お金がもったいない……」

「……はぁ。それぐらいの根性がありながら、何でお前そんなに金に困るんだろうな」

返答に詰まり、霊夢は再び布団に潜り込んでしまった。

「あ〜う〜……」

 


――― 一人の巫女の全身を筋肉痛にし―――

 


「ところで、新聞が来てたぜ。何か号外とか書いてあったな……取ってきてやるよ」

そう言い残し、魔理沙は外へ。
やがて新聞を片手に帰ってきた魔理沙は、早速目を通してみる。

「なになに……おい霊夢、見てみろよ!アリスの事が載ってるぜ!」

それを聞いて、霊夢はのそのそと布団から這い出す。と言っても肩から上まで。
魔理沙は霊夢に見えるように新聞を広げてやる。記事が目に入った霊夢は、見出しを読んでみた。

「えっと……『森の人形師は脱ぎかけがお好き』?あ、本当だ……」

一面には何故か半分服を脱がされたような状態の上海人形を屋外で抱きしめるアリスの写真。
記事を読んでいくと、発見者のA.Sという人物はインタビューでこう答えていた。

『いやあ、彼女は人形が大好きとは聞いていました。ですが、ああいう形の愛を注いでいるとは思いも寄りませんでしたね。その後彼女は、はぁ、はぁ、と息を弾ませ、その残り少ない服の中に手を入れ……ああっ、これ以上は!』

記事には、『彼女は様々な人物をかたどった人形を所有していると聞くが、果たしてそちらは大丈夫なのだろうか』
『蓬莱人形やオルレアン人形も同じく脱がされているのか、今後も調査を続行する予定。続報に期待されたし』などと書かれている。
読み終えた魔理沙は、新聞を畳みながら言った。

「……ま、あの文々。新聞だ。多少誇張はされてるだろうさ……」

その表情はどこか強張っている。実際は多少どころか純度100%のピュアな嘘なのだが、写真撮られちゃってるし。
先程から外が騒がしいとおもったら、遠くから『見ないで〜!誤解だってば〜!!』という少女のものらしき悲鳴に近い叫び声。

「まあ、あのブン屋に捕まったんじゃ、運が悪かったわね……」

先日の五千円事件を思い出し、少し寒気がした霊夢は再び温かい布団の中へ。
それを魔理沙が容赦なくひっぺがした。

「いい加減に起きろって!外の声も気になるし、行こうぜ!行こうってば〜」

「あ〜う〜あ〜う〜……」

 

 

――― 真偽はともかく、一人の人形師のスキャンダルを発覚させ―――

 

 

「師匠、お呼びですか?」

永遠亭の一室、永琳が診療所と一緒に経営している薬局に鈴仙は呼び出された。

「ええ。悪いんだけど、商品の追加をお願いできるかしら。私は患者さんがいるから……」

呼び出した永琳が言うと、鈴仙は頷く。

「わかりました!ところで、何を?」

「えっと……冷えピタを大量に」

「冷えピタですか?普段はそんなに沢山出ませんよね?」

鈴仙が首を傾げると、永琳も在庫リストに目を落としながら頷く。

「そうなのよ。けど、ちょっと前に、山に住んでる河童の子がたくさん買って行ったから」

「へぇ。珍しい事もあるんですね……」

「本当にね。何に使ったのかしら?」

 

 

―――そして、冷えピタの売り上げを一時的に飛躍させたという。人間万事塞翁が馬。

 


 

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